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106話 「軽くすれば運べるかも」
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その頃になってようやく立ち上がったジェシカが、私やエリアスの方へ、重い足取りで近づいてくる。彼女はヴィッタにやられた傷がまだ残っていながらカルチェレイナと戦った。何と勇敢なことか。私たちを逃がすための時間稼ぎとはいえ、カルチェレイナは本気で来たはずだ。彼女とまともにやりあったのだから、生きているのが不思議という状況である。
ジェシカはエリアスの前まで来ると、とても悔しそうな表情で切り出す。
「エリアス……ごめん。あたし何もできなかった……。しかもノアに負担をかけて悪化させちゃった……ごめんなさい!」
言い終わると深く頭を下げる。暫し沈黙に包まれた。
そういえばノアの声はしばらく聞いていない。彼は元より重傷を負っていた。その状態でカルチェレイナの凄まじい魔気を浴び、長時間聖気のシールドを使い続けたとすれば、彼の体にはかなりの負担がかかっただろう。生命の危機すらちらつくほどの危うい状況だったに違いない。
「致命傷を受けたのか?」
エリアスは落ち着いた様子で尋ねる。頭を下げたままのジェシカは、その体勢のままで首を横に振る。
「いや、致命傷ではないと思う、けど……」
口から出てくる言葉は途切れ途切れだった。文章が細かく区切られているのは彼女の心が不安定だからだろうか。理由は分からないが、彼女が冷静でないことだけは察することができた。
「なら問題ない。では救護班がいるところまで運ばなくてはならないな。しかしどうしたものか……」
エリアスにもジェシカにも男性を運べるような体力は残っていない。二人共ここに至る戦いによって疲弊しきっている。ノアはそれほど背が高くないが、それでも男性であり、脱力しているなら普段よりも重くなっているはずだ。
「私が運ぼうか?」
試しに提案してみる。ゆっくり運ぶぐらいなら、力のない私にでも可能かもしれない。
するとヴァネッサにジロリと見られた。何を言っているんだ、とでも言いたげな目つきである。
「そんなのいいよ。王女様に迷惑はかけられないし。こっちのことはあたしたちで何とかするから、王女様はゆっくり休んで」
私の方を向いたジェシカは急に元気そうな声色で言う。そしてジェシカは傷ついた顔に屈託のない明るい笑みを浮かべた。
向日葵が咲いたような晴れやかな笑顔。彼女の笑顔は、長時間の緊張で疲れきり曇り空のようになってしまった私の心を、一気に明るくしてくれる。それはまるで雨上がりに雲の隙間から射し込む太陽の光みたいだ。
笑顔一つでこれほど心が変わるものだとは思っていなかった。実に不思議なことである。
「でも……」
「いいからいいから!」
ジェシカは威勢よく言って、それから私の手を握る。小さくてとても可愛らしい手だ。
「安心してね。あたしたちはそこらの天使たちよりタフだから大丈夫だよっ」
ジェシカもノアも結構険しい道を歩んできている。王宮で育てられた私なんかよりずっと強いだろう。怪我したことも辛い思いをしたことも、数えきれないくらいあるだろうし。
けれども私は、そんな二人の役に立ちたいと思うのだ。今までたくさん世話になってきたので、そのお返しをしたいというのもある。
「協力させて。私にも何かできることはあるはずよ。例えば……ノアさんを軽くするとか?」
「なるほど。それなら力仕事ではないので安全ですね」
ヴァネッサが珍しく感心したように口を開く。私の提案に彼女がすんなり納得してくれることはあまりないので、今のこの状況は奇跡的といえる。
だが……軽くするなど可能だろうか。
今までもぶっつけ本番で成功したことはあった。だが、初めてのことをする時はいまだに不安が伴うものだ。
「ありがとう、ヴァネッサ。早速試してみるわね」
「はい」
今日はすんなり行きすぎて少し気味が悪い。こんな奇跡もあるのか、と内心興味深く思った。それから私はジェシカの後についていき、ノアが倒れているところへ向かう。
手足をダラリと垂れて地面に横たわっているノアは微かな寝息をたてていた。呼吸していることが分かり安堵する。ラベンダーのような薄紫色の翼も脱力しているのが見てとれた。
頬を指先で軽く突いたり、名前を呼びつつ体を少し揺すったり、色々刺激を与えてみるが反応は返ってこない。どうやら、呼吸はしていても意識は完全に失っているらしい。
「王女様……できるの?」
不安げに私の顔を覗き込むジェシカ。
「分からないけれど、きっと成功させてみせるわ」
私は迷いなくそう答えた。
成功する。そう信じることが一番大切よね。特に私の力は精神状態が大きく作用するタイプの力だもの。成功すると思えば成功しやすくなるし、逆を思えば失敗するでしょうね。
私は横になっているノアの体に触れ、目を閉じて彼に意識を集中する。羽のように軽いものがフワリと浮かぶイメージを頭の中に浮かべ、「軽くなれ」と心で繰り返し呟く。
そしてゆっくり目を開ける。
「終わったわ。ジェシカさん、軽くなったか試してみて」
「オッケー」
ジェシカがノアの体に腕を回す。そして持ち上げ、驚いた表情になった。ノアの体を持ち上げたまま目をパチパチさせている。その様子から、軽くすることに成功したのだと察することができた。
力を使った後特有の体が重だるい感覚に襲われる。だがエリアスやみんなの受けたダメージに比べればこんなもの塵のようなもの。疲労感ぐらいでクヨクヨしている場合ではない。
「これならあたしでも運べるよ! 王女様、ありがとう!」
ジェシカが笑顔でお礼を述べてくる。その明るい笑顔を目にすると、力を使って良かった、という気持ちになった。不思議な充実感が心に広がっていく。
「よぉし! じゃあ、あたしはノアを救護班まで運ぶよっ。それからまたここに戻ってくるからっ」
彼女自身の傷は回復していないだろうに、すっかり元気になっている。いつものジェシカという感じだ。
私はノアを持ち上げて飛んでいくジェシカを見送る。そしてヴァネッサやエリアスの元へ帰った。
ジェシカはエリアスの前まで来ると、とても悔しそうな表情で切り出す。
「エリアス……ごめん。あたし何もできなかった……。しかもノアに負担をかけて悪化させちゃった……ごめんなさい!」
言い終わると深く頭を下げる。暫し沈黙に包まれた。
そういえばノアの声はしばらく聞いていない。彼は元より重傷を負っていた。その状態でカルチェレイナの凄まじい魔気を浴び、長時間聖気のシールドを使い続けたとすれば、彼の体にはかなりの負担がかかっただろう。生命の危機すらちらつくほどの危うい状況だったに違いない。
「致命傷を受けたのか?」
エリアスは落ち着いた様子で尋ねる。頭を下げたままのジェシカは、その体勢のままで首を横に振る。
「いや、致命傷ではないと思う、けど……」
口から出てくる言葉は途切れ途切れだった。文章が細かく区切られているのは彼女の心が不安定だからだろうか。理由は分からないが、彼女が冷静でないことだけは察することができた。
「なら問題ない。では救護班がいるところまで運ばなくてはならないな。しかしどうしたものか……」
エリアスにもジェシカにも男性を運べるような体力は残っていない。二人共ここに至る戦いによって疲弊しきっている。ノアはそれほど背が高くないが、それでも男性であり、脱力しているなら普段よりも重くなっているはずだ。
「私が運ぼうか?」
試しに提案してみる。ゆっくり運ぶぐらいなら、力のない私にでも可能かもしれない。
するとヴァネッサにジロリと見られた。何を言っているんだ、とでも言いたげな目つきである。
「そんなのいいよ。王女様に迷惑はかけられないし。こっちのことはあたしたちで何とかするから、王女様はゆっくり休んで」
私の方を向いたジェシカは急に元気そうな声色で言う。そしてジェシカは傷ついた顔に屈託のない明るい笑みを浮かべた。
向日葵が咲いたような晴れやかな笑顔。彼女の笑顔は、長時間の緊張で疲れきり曇り空のようになってしまった私の心を、一気に明るくしてくれる。それはまるで雨上がりに雲の隙間から射し込む太陽の光みたいだ。
笑顔一つでこれほど心が変わるものだとは思っていなかった。実に不思議なことである。
「でも……」
「いいからいいから!」
ジェシカは威勢よく言って、それから私の手を握る。小さくてとても可愛らしい手だ。
「安心してね。あたしたちはそこらの天使たちよりタフだから大丈夫だよっ」
ジェシカもノアも結構険しい道を歩んできている。王宮で育てられた私なんかよりずっと強いだろう。怪我したことも辛い思いをしたことも、数えきれないくらいあるだろうし。
けれども私は、そんな二人の役に立ちたいと思うのだ。今までたくさん世話になってきたので、そのお返しをしたいというのもある。
「協力させて。私にも何かできることはあるはずよ。例えば……ノアさんを軽くするとか?」
「なるほど。それなら力仕事ではないので安全ですね」
ヴァネッサが珍しく感心したように口を開く。私の提案に彼女がすんなり納得してくれることはあまりないので、今のこの状況は奇跡的といえる。
だが……軽くするなど可能だろうか。
今までもぶっつけ本番で成功したことはあった。だが、初めてのことをする時はいまだに不安が伴うものだ。
「ありがとう、ヴァネッサ。早速試してみるわね」
「はい」
今日はすんなり行きすぎて少し気味が悪い。こんな奇跡もあるのか、と内心興味深く思った。それから私はジェシカの後についていき、ノアが倒れているところへ向かう。
手足をダラリと垂れて地面に横たわっているノアは微かな寝息をたてていた。呼吸していることが分かり安堵する。ラベンダーのような薄紫色の翼も脱力しているのが見てとれた。
頬を指先で軽く突いたり、名前を呼びつつ体を少し揺すったり、色々刺激を与えてみるが反応は返ってこない。どうやら、呼吸はしていても意識は完全に失っているらしい。
「王女様……できるの?」
不安げに私の顔を覗き込むジェシカ。
「分からないけれど、きっと成功させてみせるわ」
私は迷いなくそう答えた。
成功する。そう信じることが一番大切よね。特に私の力は精神状態が大きく作用するタイプの力だもの。成功すると思えば成功しやすくなるし、逆を思えば失敗するでしょうね。
私は横になっているノアの体に触れ、目を閉じて彼に意識を集中する。羽のように軽いものがフワリと浮かぶイメージを頭の中に浮かべ、「軽くなれ」と心で繰り返し呟く。
そしてゆっくり目を開ける。
「終わったわ。ジェシカさん、軽くなったか試してみて」
「オッケー」
ジェシカがノアの体に腕を回す。そして持ち上げ、驚いた表情になった。ノアの体を持ち上げたまま目をパチパチさせている。その様子から、軽くすることに成功したのだと察することができた。
力を使った後特有の体が重だるい感覚に襲われる。だがエリアスやみんなの受けたダメージに比べればこんなもの塵のようなもの。疲労感ぐらいでクヨクヨしている場合ではない。
「これならあたしでも運べるよ! 王女様、ありがとう!」
ジェシカが笑顔でお礼を述べてくる。その明るい笑顔を目にすると、力を使って良かった、という気持ちになった。不思議な充実感が心に広がっていく。
「よぉし! じゃあ、あたしはノアを救護班まで運ぶよっ。それからまたここに戻ってくるからっ」
彼女自身の傷は回復していないだろうに、すっかり元気になっている。いつものジェシカという感じだ。
私はノアを持ち上げて飛んでいくジェシカを見送る。そしてヴァネッサやエリアスの元へ帰った。
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