エンジェリカの王女

四季

文字の大きさ
上 下
107 / 131

106話 「軽くすれば運べるかも」

しおりを挟む
 その頃になってようやく立ち上がったジェシカが、私やエリアスの方へ、重い足取りで近づいてくる。彼女はヴィッタにやられた傷がまだ残っていながらカルチェレイナと戦った。何と勇敢なことか。私たちを逃がすための時間稼ぎとはいえ、カルチェレイナは本気で来たはずだ。彼女とまともにやりあったのだから、生きているのが不思議という状況である。

 ジェシカはエリアスの前まで来ると、とても悔しそうな表情で切り出す。

「エリアス……ごめん。あたし何もできなかった……。しかもノアに負担をかけて悪化させちゃった……ごめんなさい!」

 言い終わると深く頭を下げる。暫し沈黙に包まれた。

 そういえばノアの声はしばらく聞いていない。彼は元より重傷を負っていた。その状態でカルチェレイナの凄まじい魔気を浴び、長時間聖気のシールドを使い続けたとすれば、彼の体にはかなりの負担がかかっただろう。生命の危機すらちらつくほどの危うい状況だったに違いない。

「致命傷を受けたのか?」

 エリアスは落ち着いた様子で尋ねる。頭を下げたままのジェシカは、その体勢のままで首を横に振る。

「いや、致命傷ではないと思う、けど……」

 口から出てくる言葉は途切れ途切れだった。文章が細かく区切られているのは彼女の心が不安定だからだろうか。理由は分からないが、彼女が冷静でないことだけは察することができた。

「なら問題ない。では救護班がいるところまで運ばなくてはならないな。しかしどうしたものか……」

 エリアスにもジェシカにも男性を運べるような体力は残っていない。二人共ここに至る戦いによって疲弊しきっている。ノアはそれほど背が高くないが、それでも男性であり、脱力しているなら普段よりも重くなっているはずだ。

「私が運ぼうか?」

 試しに提案してみる。ゆっくり運ぶぐらいなら、力のない私にでも可能かもしれない。
 するとヴァネッサにジロリと見られた。何を言っているんだ、とでも言いたげな目つきである。

「そんなのいいよ。王女様に迷惑はかけられないし。こっちのことはあたしたちで何とかするから、王女様はゆっくり休んで」

 私の方を向いたジェシカは急に元気そうな声色で言う。そしてジェシカは傷ついた顔に屈託のない明るい笑みを浮かべた。
 向日葵が咲いたような晴れやかな笑顔。彼女の笑顔は、長時間の緊張で疲れきり曇り空のようになってしまった私の心を、一気に明るくしてくれる。それはまるで雨上がりに雲の隙間から射し込む太陽の光みたいだ。
 笑顔一つでこれほど心が変わるものだとは思っていなかった。実に不思議なことである。

「でも……」
「いいからいいから!」

 ジェシカは威勢よく言って、それから私の手を握る。小さくてとても可愛らしい手だ。

「安心してね。あたしたちはそこらの天使たちよりタフだから大丈夫だよっ」

 ジェシカもノアも結構険しい道を歩んできている。王宮で育てられた私なんかよりずっと強いだろう。怪我したことも辛い思いをしたことも、数えきれないくらいあるだろうし。
 けれども私は、そんな二人の役に立ちたいと思うのだ。今までたくさん世話になってきたので、そのお返しをしたいというのもある。

「協力させて。私にも何かできることはあるはずよ。例えば……ノアさんを軽くするとか?」
「なるほど。それなら力仕事ではないので安全ですね」

 ヴァネッサが珍しく感心したように口を開く。私の提案に彼女がすんなり納得してくれることはあまりないので、今のこの状況は奇跡的といえる。

 だが……軽くするなど可能だろうか。
 今までもぶっつけ本番で成功したことはあった。だが、初めてのことをする時はいまだに不安が伴うものだ。

「ありがとう、ヴァネッサ。早速試してみるわね」
「はい」

 今日はすんなり行きすぎて少し気味が悪い。こんな奇跡もあるのか、と内心興味深く思った。それから私はジェシカの後についていき、ノアが倒れているところへ向かう。

 手足をダラリと垂れて地面に横たわっているノアは微かな寝息をたてていた。呼吸していることが分かり安堵する。ラベンダーのような薄紫色の翼も脱力しているのが見てとれた。
 頬を指先で軽く突いたり、名前を呼びつつ体を少し揺すったり、色々刺激を与えてみるが反応は返ってこない。どうやら、呼吸はしていても意識は完全に失っているらしい。

「王女様……できるの?」

 不安げに私の顔を覗き込むジェシカ。

「分からないけれど、きっと成功させてみせるわ」

 私は迷いなくそう答えた。

 成功する。そう信じることが一番大切よね。特に私の力は精神状態が大きく作用するタイプの力だもの。成功すると思えば成功しやすくなるし、逆を思えば失敗するでしょうね。

 私は横になっているノアの体に触れ、目を閉じて彼に意識を集中する。羽のように軽いものがフワリと浮かぶイメージを頭の中に浮かべ、「軽くなれ」と心で繰り返し呟く。
 そしてゆっくり目を開ける。

「終わったわ。ジェシカさん、軽くなったか試してみて」
「オッケー」

 ジェシカがノアの体に腕を回す。そして持ち上げ、驚いた表情になった。ノアの体を持ち上げたまま目をパチパチさせている。その様子から、軽くすることに成功したのだと察することができた。
 力を使った後特有の体が重だるい感覚に襲われる。だがエリアスやみんなの受けたダメージに比べればこんなもの塵のようなもの。疲労感ぐらいでクヨクヨしている場合ではない。

「これならあたしでも運べるよ! 王女様、ありがとう!」

 ジェシカが笑顔でお礼を述べてくる。その明るい笑顔を目にすると、力を使って良かった、という気持ちになった。不思議な充実感が心に広がっていく。

「よぉし! じゃあ、あたしはノアを救護班まで運ぶよっ。それからまたここに戻ってくるからっ」

 彼女自身の傷は回復していないだろうに、すっかり元気になっている。いつものジェシカという感じだ。
 私はノアを持ち上げて飛んでいくジェシカを見送る。そしてヴァネッサやエリアスの元へ帰った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

処理中です...