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89話 「嵐の前の静けさ」
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私はエリアスと共に部屋へ帰った。
ヴァネッサが心配しているかもしれない。あまり心配させるのも気が進まないので、いつもより少し早足で歩く。
歩きながら周囲を見回してみたが、今のところ変化はない。悪魔が攻めてきている感じもない。だが、いつもより緊張した雰囲気だ。
嵐の前の静けさ——というものだろうか。
空はとてもよく晴れていて、太陽の光が降り注いでいる。ふわりとした柔らかな風はひんやりしていて心地よい。光と風が上手く混じりあい、すごしやすい適度な気温になっている。実に快適な日だ。こんな心地よい日ならエリアスやジェシカなどと一緒に街へ遊びにでも行きたかったな。惜しい気がしてならない。
部屋の前には鴬色の髪をしたレクシフがきっちり直立していた。
「お帰りなさいませ、アンナ王女」
彼は背筋をピンと伸ばし、堅苦しく迎えの言葉を述べる。
そんなに緊張しなくていいのに。別にちょっとしたことで怒りやしないわよ、魔王じゃあるまいし。
「ありがとう。レクシフさんはもしかして荷物を?」
するとレクシフは顔を少し強張らせ、丁重に頭を下げながら「はい」と答えた。
私はどんな天使だと思われているんだろう……。そんなに怖いのだろうか。失礼しちゃうわ、私、普通の女の子よ。
「お荷物ですが、先ほどヴァネッサさんにお渡しさせていただきました」
レクシフがそう言ってきたので礼を言おうとした、その時。
「ご苦労、レクシフ。もう下がって構わん」
エリアスは冷ややかな表情で高圧的に言い放つ。それに対しレクシフは不機嫌そうな顔になり言い返す。
「貴方は無関係です」
エリアスとレクシフの間に火花が散る。急激に険悪な雰囲気になり、私は慌てて口を挟む。
「レクシフ、ありがとう! 今から少しお話してきます。また後で!」
私は無理矢理笑顔を作り明るい声を意識する。するとレクシフは「はい」と真面目に応えて扉の横に移動した。
それを目にして私は気づく。
レクシフが見張りをしていてくれるなら、今までその役だったエリアスは私と一緒にいられるのでは!? ……いや、ヴァネッサがいるから無理かな。
部屋に入ると中ではヴァネッサが待っていた。
「アンナ王女、遅かったですね。どのような用件でしたか」
彼女も聞いていないのだろうか。いつも通りの淡々とした調子で尋ねてくる。何も知らない相手にいきなり「戦争になるかも」なんて言う勇気は私にはない。
助けを求めるように隣のエリアスを一瞥する。長い睫に彩られた瑠璃色の瞳がこちらをちらりと見返してきた。
そしてエリアスは口を開く。
「魔界の王妃カルチェレイナより宣戦布告がありました」
するとヴァネッサは少し目を開いたが、すぐに普段通りの落ち着いた表情に戻り、小さく呟く。
「……もうこの時が来てしまったのね」
声色は普通だが、何やら様子がおかしい気がする。どことなく暗い表情だ。
「ヴァネッサ、どうかした?」
私が顔を覗き込むと、彼女は静かに言う。
「いえ、何でもありません。ではお茶を淹れて参ります」
ヴァネッサはそそくさと流し台の方へ行ってしまった。
ちなみに、流し台といっても王宮の自室にあった流し台ほど立派なものではない。コンロと小さなシンクがあるだけだ。それでも、あるだけありがたいというもの。
私は取り敢えず椅子に腰かけた。
「エリアスも座って」
彼一人だけ立っていさせるのも嫌なので座るように促す。しかしエリアスは断る。
「いえ、私は……」
「いいから座って! 命令よ」
いつものことだけど、おかしなところばかり頑固なんだから。素直に座ればいいのに。
「……はい。分かりました」
命令として言うと、エリアスは大人しく従って椅子に座った。向かい合わせに座るというのは新鮮だ。
しばらくするとヴァネッサが二つのティーカップを運んでくる。カップをテーブルに置くと、ポットから紅茶を注ぐ。綺麗な深みのある茶色だ。
自分の分の紅茶を差し出されたエリアスは首を傾げる。
「なぜ私にも?」
するとヴァネッサは、愛想のない淡々とした声で返す。
「ついでだから飲んでいいわ。このくらいの味ならアンナ王女に出せるわよ」
まぁ、既に凄まじく渋いお茶を飲んでしまったけど。
それにしても、なるほどと思った。これも上手く淹れるための練習の一つなのだなと感心した。何でも真似からだものね。
「ヴァネッサ、エリアスになのに随分優しいのね」
冗談のように軽い調子で言ってみると、彼女はほんの少し照れたように視線を逸らす。
ヴァネッサは何だかんだで親切だったりするのよね。そこは彼女の良いところだと思うわ。エリアスに対してっていうのは珍しいけど。
私はティーカップに注がれた紅茶を飲む。温かくて、心が落ち着く自然な香りがする。
向かいに座っているエリアスは、ティーカップを回しつつ紅茶の様子を凝視している。カップを回すたび、中の液体がゆらゆら揺れる。
「……色が綺麗ですね」
紅茶を一生懸命観察していたエリアスが感心したように漏らした。
「ヴァネッサさん。どうすれば透明感が出るのですか」
「この種類は透明になりやすいのよ。飲んでみてちょうだい。それから指導してあげるわ」
エリアスの向上心が感じられる言動をよく思ってなのか、ヴァネッサはいつもより柔らかい表情を浮かべていた。
やはり。エリアスとヴァネッサは前よりも仲良くなっている。気のせいかと思っていたが、今、確信した。お茶の淹れ方を教えたり習ったりしているうちに友情が芽生えたのだろう。
でもこの感じは……一体何?
二人が仲良くなって嬉しいはずなのに、私の心はいまいち晴れない。すっきりどころか、もやもやする。言葉にできないような不思議な感覚だった。
ヴァネッサが心配しているかもしれない。あまり心配させるのも気が進まないので、いつもより少し早足で歩く。
歩きながら周囲を見回してみたが、今のところ変化はない。悪魔が攻めてきている感じもない。だが、いつもより緊張した雰囲気だ。
嵐の前の静けさ——というものだろうか。
空はとてもよく晴れていて、太陽の光が降り注いでいる。ふわりとした柔らかな風はひんやりしていて心地よい。光と風が上手く混じりあい、すごしやすい適度な気温になっている。実に快適な日だ。こんな心地よい日ならエリアスやジェシカなどと一緒に街へ遊びにでも行きたかったな。惜しい気がしてならない。
部屋の前には鴬色の髪をしたレクシフがきっちり直立していた。
「お帰りなさいませ、アンナ王女」
彼は背筋をピンと伸ばし、堅苦しく迎えの言葉を述べる。
そんなに緊張しなくていいのに。別にちょっとしたことで怒りやしないわよ、魔王じゃあるまいし。
「ありがとう。レクシフさんはもしかして荷物を?」
するとレクシフは顔を少し強張らせ、丁重に頭を下げながら「はい」と答えた。
私はどんな天使だと思われているんだろう……。そんなに怖いのだろうか。失礼しちゃうわ、私、普通の女の子よ。
「お荷物ですが、先ほどヴァネッサさんにお渡しさせていただきました」
レクシフがそう言ってきたので礼を言おうとした、その時。
「ご苦労、レクシフ。もう下がって構わん」
エリアスは冷ややかな表情で高圧的に言い放つ。それに対しレクシフは不機嫌そうな顔になり言い返す。
「貴方は無関係です」
エリアスとレクシフの間に火花が散る。急激に険悪な雰囲気になり、私は慌てて口を挟む。
「レクシフ、ありがとう! 今から少しお話してきます。また後で!」
私は無理矢理笑顔を作り明るい声を意識する。するとレクシフは「はい」と真面目に応えて扉の横に移動した。
それを目にして私は気づく。
レクシフが見張りをしていてくれるなら、今までその役だったエリアスは私と一緒にいられるのでは!? ……いや、ヴァネッサがいるから無理かな。
部屋に入ると中ではヴァネッサが待っていた。
「アンナ王女、遅かったですね。どのような用件でしたか」
彼女も聞いていないのだろうか。いつも通りの淡々とした調子で尋ねてくる。何も知らない相手にいきなり「戦争になるかも」なんて言う勇気は私にはない。
助けを求めるように隣のエリアスを一瞥する。長い睫に彩られた瑠璃色の瞳がこちらをちらりと見返してきた。
そしてエリアスは口を開く。
「魔界の王妃カルチェレイナより宣戦布告がありました」
するとヴァネッサは少し目を開いたが、すぐに普段通りの落ち着いた表情に戻り、小さく呟く。
「……もうこの時が来てしまったのね」
声色は普通だが、何やら様子がおかしい気がする。どことなく暗い表情だ。
「ヴァネッサ、どうかした?」
私が顔を覗き込むと、彼女は静かに言う。
「いえ、何でもありません。ではお茶を淹れて参ります」
ヴァネッサはそそくさと流し台の方へ行ってしまった。
ちなみに、流し台といっても王宮の自室にあった流し台ほど立派なものではない。コンロと小さなシンクがあるだけだ。それでも、あるだけありがたいというもの。
私は取り敢えず椅子に腰かけた。
「エリアスも座って」
彼一人だけ立っていさせるのも嫌なので座るように促す。しかしエリアスは断る。
「いえ、私は……」
「いいから座って! 命令よ」
いつものことだけど、おかしなところばかり頑固なんだから。素直に座ればいいのに。
「……はい。分かりました」
命令として言うと、エリアスは大人しく従って椅子に座った。向かい合わせに座るというのは新鮮だ。
しばらくするとヴァネッサが二つのティーカップを運んでくる。カップをテーブルに置くと、ポットから紅茶を注ぐ。綺麗な深みのある茶色だ。
自分の分の紅茶を差し出されたエリアスは首を傾げる。
「なぜ私にも?」
するとヴァネッサは、愛想のない淡々とした声で返す。
「ついでだから飲んでいいわ。このくらいの味ならアンナ王女に出せるわよ」
まぁ、既に凄まじく渋いお茶を飲んでしまったけど。
それにしても、なるほどと思った。これも上手く淹れるための練習の一つなのだなと感心した。何でも真似からだものね。
「ヴァネッサ、エリアスになのに随分優しいのね」
冗談のように軽い調子で言ってみると、彼女はほんの少し照れたように視線を逸らす。
ヴァネッサは何だかんだで親切だったりするのよね。そこは彼女の良いところだと思うわ。エリアスに対してっていうのは珍しいけど。
私はティーカップに注がれた紅茶を飲む。温かくて、心が落ち着く自然な香りがする。
向かいに座っているエリアスは、ティーカップを回しつつ紅茶の様子を凝視している。カップを回すたび、中の液体がゆらゆら揺れる。
「……色が綺麗ですね」
紅茶を一生懸命観察していたエリアスが感心したように漏らした。
「ヴァネッサさん。どうすれば透明感が出るのですか」
「この種類は透明になりやすいのよ。飲んでみてちょうだい。それから指導してあげるわ」
エリアスの向上心が感じられる言動をよく思ってなのか、ヴァネッサはいつもより柔らかい表情を浮かべていた。
やはり。エリアスとヴァネッサは前よりも仲良くなっている。気のせいかと思っていたが、今、確信した。お茶の淹れ方を教えたり習ったりしているうちに友情が芽生えたのだろう。
でもこの感じは……一体何?
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