奇跡の歌姫

四季

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163話「リベルテのチケット」

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 ホーションの隅で暮らし始めて、それなりの日数が経過した。

 一時は雨降りが続いていたこの街も今は晴れた空に見下ろされている。
 分厚い灰色の雲に覆われた空と、この土地。私の脳内では、その二つの要素はかなり強く繋がっているようで、こうして晴れているといまだに不思議な気分になる。穏やかな日差しさえ、少し奇妙に感じられて。

「主、ウタ様、今少しよろしいでしょうか?」

 窓辺に位置取り外を眺めていたら、部屋に入ってきたリベルテが唐突に話しかけてきた。

 私はぼんやりと外を眺めているだけなので、すぐにリベルテの方へ意識を向けることができた。ウィクトルはソファの上で何やら体操をしているところだったが、彼もまた重要な用事の最中ではなかったため、数秒でリベルテの方へ意識を向けることができていた。

「構わないが……何かあったのか」
「実は、舞台のチケットを知人から譲り受けたのでございます。三枚ございますので、もし良ければ、皆で観に行きませんか?」

 リベルテはズボンのポケットから薄そうな紙を三枚取り出してくる。横十五センチ縦七センチほどのサイズで、文字が印刷されている、薄めの赤色をした紙だった。恐らくそれがチケットなのだろう。

「部隊? 戦争でもする気か?」
「主、その『ぶたい』ではなくてですね……」
「この国では軍事演習が公開されているのか? だが、そんなで問題ないのだろうか。公開していてはすべては晒せまい」

 誤解したまま独り言のような調子で話を続けていくウィクトルを最終的に制止したのはリベルテ。

「そうではございません! まずはお聞き下さい!」

 リベルテにして鋭い物言い。
 だが、ウィクトルを思考の渦から連れ出すには、そのくらいの言い方がちょうど良かった。

「違うのか」
「舞台、というのはですね、いわばステージ上で行われるエンターテイメント的文化でございます」

 リベルテは丁寧に説明する。

「簡単に言うなら、劇と音楽を組み合わせたようなものでございます。キエルではそれほど盛んな分野ではございませんが、ファルシエラにおいては比較的知名度の高い芸術文化の一つだそうでございます」

 地球にも、そういったものは存在していた。舞台上で行われるそれは、演劇と音楽が混じったようなものだった。この目で見たことはない。ただ、母からそれについて聞いたことはある。

 私の母は歌手で、女優ではない。
 だが、歌という共通の部分があるから、ある程度知っていたのだろう。

「なるほど。そういう文化があるのだな」
「はい。で、どうでございましょうか? 主、観に行かれませんか」

 ウィクトルだけは、これまでずっと外出を極力避けてきていた。いつ何時ビタリーに狙われるか分からないからだ。リベルテだって、そのことは知っていたはず。それなのに、なぜ今日は誘うのか。

「……私は気軽に出歩ける立場ではないが」
「今なら大丈夫でございますよ!」
「何を言っているんだ、リベルテ。根拠がない」
「一度撤退したのでございますから、すぐに再び攻めてくるということはないでしょう。出掛けるのであらば、今がチャンスでございます」

 確かに、ビタリーは先日撤退していったところなので、今日明日に再び攻め込んでくる可能性は低いだろう。それを考えると、リベルテが「今がチャンス」と言うのも理解できないことはない。

「リベルテ、その舞台はいつ開催なの?」
「三日後でございますよ!」
「そう……。それで、開催場所はどこ?」
「スレイマ劇場でございます」

 どこにあるんだ、スレイマ劇場。
 聞いたことがない。

「ここから遠いところ?」
「いえ。車に乗れば一時間か二時間ほどで到着するところでございます」

 車で一二時間ということは、距離はそこそこあるのだろう。ただ、行くには遠すぎる距離ということもない。行こうと思えば気軽に行ける程度の距離ではある。

「いいわね! 行ってみたいわ」

 せっかくの機会を積極的に捨てようとは思わない。可能であるならば、時には外出だってしたいと思う。

「本当でございますか!?」
「えぇ。私は行くわ」
「良かった……。安堵致しました……」

 そこまで話が進んだ頃、ウィクトルが口を開く。

「ウタくんが行くのなら私も共に行こう」

 舞台のことは知らないし、外を出歩くことももうしばらくしていない。そんなウィクトルだが、外へ行くことが嫌だというわけではないようだ。外出を控えていたのは、あくまでリスクを考えてのことだったのだろう。

「主! ありがとうございます! では三人で行けますね」

 こうして、スレイマ劇場へ行くことが決まった。
 三人での外出は久しぶり。胸が躍る。自然に鼻歌を歌ってしまうし、足取りもいつもより軽くなって。いつ以来だろう、こんな風に楽しみなことができたのは。


 三日後の朝、自動運転車に乗り出発する。

 今日は昨日購入したワンピースを着てみた。ピンクベージュ系の優しい色遣いが印象的な服だ。手首まである袖は腕のラインに添うかっちりした雰囲気だが、胸の下の切り替えより下はふわりと広がるようなデザイン。生地も、胸のすぐ下の切り替えの上と下で大きく違っている。上側は硬めかつ厚めの生地だが、下側は滑らかで柔らかい生地だ。

「ウタくん、その服は似合っているな」
「本当? ありがとう」

 ビタリーと揉め、キエル帝国がややこしいことになって、それ以来衣服にまで気を遣う余裕はなかった。ここしばらくは休息する時間は取れていたが、長い時間を家の中で過ごしていたので、ファッションを楽しむことはあまりなかった。ホーション内で歌を披露する時でも、衣装にまでは手が回らなくて。

「ウィクトルはシンプルな服装ね」
「私服はあまり持っていなくてな」
「そうね。仕事着を着るわけにもいかないしね」
「あぁ。その結果、地味な服装になる」

 それでも、ウィクトルは常人離れした雰囲気をまとっている。

 結局人は服装などでは変わらない。多少素敵になることはあっても、その人の持つ根幹のところの雰囲気はいつも同じなのだ。着飾るのはあくまで魅力を追加するための行為。虚構の魅力を一から作り出すものではない。
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