奇跡の歌姫

四季

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144話「シャルティエラの豹変」

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「シャロお嬢様……!?」

 豹変したシャルティエラを目にして、侍女は動揺しているようだ。
 彼女は侍女として長い間シャルティエラの傍に寄り添ってきたようだったけれど、その彼女ですら驚くことはあるのだと、私はこの時初めて知った。

「……何も成せぬまま生かせることこそが恥ですわ」
「お待ち下さい、お嬢様。命を捨てるなど愚か者のすることです。いけません、そのようなこと」

 侍女の意見に賛成だ。
 自ら勇んで死へ踏み込むなんて、馬鹿げている。

 熟考しての選択ならば、良くはないにしても、まだ一つの選択と言えるかもしれない。が、望みが果たされなかったからといって衝動的に命を投げようとするのは、何の意味もないことだ。それに、きっといつか後悔することとなるだろう。

「シャロさん……」

 私は一歩足を前へ進める。
 肌寒い風が吹き抜けていった気がした。

「笑うなら笑えば良いですわ」
「戦いを止めてくれて、ありがとうございます」

 シャルティエラは既に槍を手放している。それに、好戦的な表情でもない。もはや襲いかかってはこないだろう。

「……貴女のためではありませんわ」

 彼女はそっと呟く。切なげな笑みを浮かべながら。

「どのみち、貴女もウィクトルも、戦いの運命から逃れることはできませんのよ。たとえわたくしから逃れられようとも、ビタリー様に奪われる命ですわ」

 それはそうだろう。
 いつかビタリーともぶつかり合うことになるかもしれない——それが逃れられぬ運命なのだとしたら。

 その時、ウィクトルが剣を下ろして歩いてきた。私とシャルティエラがいる辺りまで。それも、戦いとは無縁のようなゆったりとした足取りで。

「シャルティエラ」

 意外だった、ウィクトルが自ら話しかけたから。

「……何ですの」

 ウィクトルに直接話しかけられたシャルティエラは顔面に不快感を滲ませる。
 だがそれも無理はない。つい先ほどまで命を殺めようというほどに憎しんでいた相手から声をかけられれば、誰だって、不快感を露わにせずにはいられないだろう。消し去りたいほどの存在だったのだから。

「感謝する」
「……は? な、何ですの、いきなり!?」

 突如礼を述べられ、シャルティエラは慌ててしまっていた。

「見逃す道を選択してくれたことに対して、だ。心より感謝を」
「い……いきなりそんなこと言われると……反応に困りますわ。そ、そもそも! 何ですの、その穏やかな顔は!」

 シャルティエラが言う通り、ウィクトルは穏やかな表情を浮かべていた。
 戦闘中とは雰囲気がまったく違う。

 戸惑いやら驚きやらで脳内を掻き乱されているシャルティエラを放って、隣の侍女が一歩前へ進んだ。そして、片手を胸もとに当て、一度ゆったりと礼をする。それから「こちらこそ」と述べた。シャルティエラは驚きに満ちた顔をしていたが、侍女はそんなことは微塵も気にしない。ウィクトルに向けて「傍に在る者として、見逃して下さることに感謝します」などと言葉を放つ。

「……では、失礼しますわ」

 ある程度時間が経ってから、シャルティエラは私たちにそう告げた。

「ありがとう、シャロさん。話を聞いてくれて」
「言ったはずですわよ。貴女のためではない、と」

 シャルティエラはシーグリーンの髪を風になびかせながら、私たちがいるのとは反対の方向へ歩き出す。背中はみるみる遠ざかっていく。なぜか、寂しささえ感じられた。命を狙いにきていた彼女が去っていっているのだから、喜ぶべきことのはずなのに。

 その後、シャルティエラが率いていた民間人部隊は撤退した。
 ひとまず安堵できる時が訪れたのだ。

「やりましたね! 主!」

 場の乱れが収まるや否や、数メートル離れたところにいたリベルテがウィクトルの近くまで駆けてくる。その表情には、日の出のような明るさがあった。

「リベルテか」
「はい! リベルテが手を出すには至らず、安心致しました」
「……ウタくんのおかげだ」
「主の戦いぶりも見事でございましたよ!」

 リベルテは子犬のように主人の周囲を歩き回る。軽やかな、ダンスのステップのような足取りで。

「だが、これですべてが終わったわけではない」
「けれど、主のお命を狙う者は一人減りました! これは大きいはずでございます!」

 花のような笑顔を作り、明るい声で述べるリベルテ。
 しかしウィクトルは頷かない。まだ気を緩めてはならぬ、というような顔つきで、何でもないところをぼんやりと見つめている。

「すべて終わるまでは安心できん」
「それはそうやもしれませんが……しかし、何事も一つずつでございますよ。一つ一つ乗り越えていくことで、気づけば目的地にたどり着いているものでございます」


 ◆


 ビタリーのもとへ情報が届く。
 シャルティエラが撤退した、と。

「どういうことだい? 殺された、という話かい?」

 報告係から報告を受けたビタリーは怪訝な顔をする外ない。

「い、いえ。どうやら、自身の意思によって、退かれたようで……」
「死が怖くなったのかな」
「詳細は不明です。ただ、軍にはもう戻らないと連絡が」
「なぜだ!?」

 ビタリーは突如声を荒らげる。
 傍にいた報告係は、大声に驚き、体を反らせた。

 数秒後、冷静さを取り戻したビタリーは「いや、失礼」と述べて片手で前髪をかき上げる。さらにそれから数秒が経ち、彼は大きな溜め息をつく。

「……まさか、ウタか?」

 やがて、嵐の中を通り過ぎてきたかのようにビタリーは呟いた。

「どういう意味でしょう、皇帝陛下」
「聞かなくていい。報告係に話すようなことじゃないからね」
「は、はい……」
「また何か報告があれば」
「は、はい!」

 報告係の男性は去っていく。
 ちょうどそのタイミングで、一人の男が現れた。

「どうすんすかぁ? 旦那ぁ」

 ビタリーよりも頭一個分くらい背の高い男。顔は岩石のようにごつごつしていて、全身の筋肉が隆起しているが、服装は侍女風のワンピース。やや短めにアレンジされたスカートからは、大樹の根のような筋肉に覆われた長い脚が露出している。靴はハイヒールだ。

「ネェちゃんが撤退したなら、こっちも撤退するんすかぁ?」
「いや、そのつもりはないよ」
「あぁ? そうなんすかぁ?」
「僕の力を広く知らしめる良いチャンスだからね」
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