奇跡の歌姫

四季

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138話「ウィクトルの細やかな心配事?」

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 帝都、皇帝の間。

 ティアラをつけ、ゆるりとした白いドレスを身にまとったシャルティエラが、入ってきた。

 今は彼女は皇帝の妻。高い位の人となっている。長年彼女に仕えてきた侍女はいまだに彼女の後ろに控えているが、もはや、その侍女以外は寄り付けない状態。シャルティエラはもう、ただの憎しみを抱えたお嬢様ではないのだ。

「ビタリー様。諜報員が戻って参りましたわ。その者によれば、やはり、ウィクトルはファルシエラにいるようですの」

 シャルティエラは皇帝の座の正面まで歩いてゆき、簡単な報告を行う。
 皇帝の座に腰を下ろしているビタリーは、数センチほど顎を上げ、「で?」と話を引き出そうとした。
 それに対して、シャルティエラは「仕留めに行って参りますわ」と宣言する。

 間に沈黙が訪れた。

 既にウィクトルを仕留めに行く気満々になっているシャルティエラは、眉と眉を寄せ、険しさのある表情でビタリーを見つめる。そんな彼女の一メートルほど後ろに立っている侍女は、今もなお華奢な娘の体つきの主人を、不安げな眼差しで見つめている。

「シャロ、気が早くないかい」
「……そうですの?」
「君が一人で行ったところで、あの男には勝てないよ」

 ビタリーは目を細めながら告げる。
 その言葉は、シャルティエラが薄々気づいていながらも無視している部分を、鋭く突いていた。

「実力不足、と仰るのですわね」
「そんな感じかな」
「それでも! ……それでも、わたくしはウィクトルを仕留めたいんですの」

 侍女は何か言いたげな顔をしてシャルティエラの後頭部をじっと見つめている。

「わたくしは、両親の仇を取るためにも、フリントの遺物を消さねばなりませんの」
「突っ込んでいくのは勝手だよ。でも、負けるに決まっている戦いをするのは、愚か者。そうは思わないのかい?」

 ビタリーは唇にうっすらと笑みを浮かべながら、復讐に燃えるシャルティエラに意見を述べる。
 忌憚のない意見。正論ではあるが、それは、彼女の心を突き刺すかもしれないような言葉。しかしビタリーは躊躇しない。彼は自身の意見を、迷うことなく、真っ直ぐに伝えていた。

「それは……その通りですわ。負けるために戦うのは、愚か者のすること。分かっていますわ」
「分かっているならいいよ。僕も何か考えよう」

 刹那、シャルティエラの顔つきが晴れやかになる。

「考えてくださいますの!?」
「もちろん。君は僕の妻だからね」
「それはありがたいですわ!」

 シャルティエラは嬉しそうに「うふふ」と笑う。
 それまでとは別人のようだ。

「軍勢を送るか、有能な個人を貸すか……」
「まぁ! 嬉しい! ついにその時が来ますのね!」
「どう攻めるか、いつ攻めるか……」
「うふふっ。フリントとの縁、断ち切る時! うふふふっ」

 ビタリーとシャルティエラはそれぞれの世界に突入してしまっている。
 もはや、発言が微塵も関連していない。
 シャルティエラはその時が迫りつつあることに笑いを止められない。ビタリーは何をどう仕掛けるかの思考が止まらない。二人とも、行なっていることは近しいとも言えるのだろうが、その内容は大きく違っている。


 ◆


 雨はまだ止まない。
 ファルシエラが降雨量の多い国、というわけではないようだが、空は厚い雲に覆われたままだ。
 ホーションは綺麗な風景を眺められる場所だから、ゆったり散歩したいのだが、雨粒が激しく降り注いでいる中ではまともに寛げない。そのため、必然的に家の中で待機することになってしまう。

「雨降る! 雨降る! 雨止まない! 雨降る降る止まない!」
「……何の歌だ?」
「ひえっ!?」

 振り返ると、おかしな生き物を見かけたような目でこちらを見ているウィクトルがいた。

 退屈過ぎたので即興で『雨降りの歌』を歌っていたのだが、それを歌っていたのは、あくまで室内に誰もいなかったからだ。誰にも聞かれない状況だったからこそ、いつもとはまったく違った雰囲気の歌を歌えたのである。

「き、聞いていたの……」
「雨降る、雨降る、雨止まない! ……だろう?」

 歌詞まで覚えられていた。

 そんなにじっくり聞いていたというのか?

 ノリノリの歌を聴かれて恥ずかしい。が、ウィクトルが少し楽しそうな顔をしているのを目にしたら、良い部分もあったのかもしれないと思える部分はあって。私は恥をかいたが、ウィクトルが楽しめたのなら、それはそれで失敗ではなかったと言えるのかもしれない。

「正解……でも、お願いだからもう言わないで」
「なぜだ?」
「なぜって。恥ずかしいからよ、分かるでしょう」
「いや、分からない」
「えぇ……」

 分からない、と来るとは。
 予想外だ。

「そうだ。リベルテは? また買い出し?」

 恥ずかしい歌の話題が永遠に続くと、続いた分だけ私がダメージを受けることになる。それは避けたい。なので私は、自ら、別の話題を振ってみることにした。

「恐らく」
「意外ときちんとは知らないのね」
「そうだな。だが、じきに戻ってくるはずだ」
「心配ではないの?」
「リベルテなら大丈夫だろう。そう信じている」

 ただ放っているだけかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
 信頼しているからこそ、すべてを把握しようとはしない——それが正解なのだろう。
 ウィクトルとリベルテは付き合いが長い。だからこそ、互いを信頼できていて、だからこそ、全部を知らずともそっとしておける。それは、たどり着けていない私にはまだ想像できない境地だ。

「しかし、少し気になることがあってな」
「気になること?」
「運動不足にならないか、それが心配だ」
「そこ!?」

 思わず大きな声を出してしまった。
 真剣な顔をして述べた『気になること』が『運動不足』という平凡かつ小さなことであったことが衝撃だったのだ。
 色々なものを背負い、絡み合う複雑な縁の下で生きている彼のことだから、気になることも特別感のある内容なのだろうと想像していた。けれど、いざ聞いてみたら運動不足。拍子抜けだ。

「でも、それなら解決策はあるわ」
「本当か!」

 ウィクトルは瞳を輝かせる。
 その顔は、まるで、欲しかったおもちゃを突如買ってもらえることになった子どものよう。

「室内で動けばいいのよ」
「た、確かに……!」
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