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137話「ウタの詩的になりそうな長雨」
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一人で散歩したあの日以来、雨が続いている。
もう数日外に出ていない。
この長雨に終わりはあるのか。こうも続くと心配になってくる。
買い出しはリベルテが素早く行ってくれるから、食べ物や日用品に関して不安な点はない。彼の買い物内容はきっちり考えられているので、別段不足もない。
この家の中では、テレビだけが唯一の娯楽。
そのテレビでは定期的にキエル帝国関連のニュースが流れていた。
当然、他の話題がないわけではない。ただ、キエル帝国やビタリーに関する話題はそこそこ多かった。五つ話題があればその中に一つは必ず入っている、そのくらいの量である。
キエル帝国の現状を覗き見ることができる、という意味では悪いことではないのだけれど、そのニュースが流れるたびに気まずい空気が漂ってしまうところは嬉しくない。
「また今日も雨ね」
「そうだな」
「空が泣いてるみたい」
「……急に詩的だな」
言われてハッとした。
何を言っているのだろう、と。
私はベッドに、ウィクトルはソファに、それぞれ腰掛けている。リベルテはキッチンの方へ行っていて、今は室内にはいない。テレビは直前まで点いていたが、数秒前にウィクトルが消した。
「そうね。おかしいわね、そんなの」
「いや、べつに好きにすればいいが……」
「でも思わない? 泣いてるみたいって」
もし空が泣いているとしたら、泣いている理由は何だろう。あんな雄大な空の悲しみなんて、ちっぽけな存在の私には想像できない。
「君は詩的だな。……私には、そんな感性はないよ」
世界的に見れば、きっと、ウィクトルの方が普通なのだろう。何も語らぬものを見てその心情を空想するなんて、そんなこと、普通は誰もしない。それは私にも容易に想像できる。
「それが普通よね、きっと」
「私はべつに嫌いではないが、な」
「……そうなの?」
驚いて、ウィクトルの方へ目をやる。
「己と違う感性の者を批判する気はない。君だから、かもしれないが」
「ありがとう」
ウィクトルが広い心を持ってくれていて良かった。もし仮に彼が、自分の意見と異なる意見を持つ者を叩き潰そうとするような心の持ち主であったら、恐らく、またもや喧嘩に発展していたことだろう。
「お茶を持って参りました!」
リベルテが部屋に入ってきた。
彼は本当に給仕慣れしている。お盆を持つのも、カップを渡すのも、それが本業であるかのような滑らかな動きでこなしていく。動作には、迷いも躊躇いもない。
「あら、良い香りね」
ほんのり緑色のお茶で、ミントのような香りがする。
「はい! ファルシエラ名物、ホーションティーでございます!」
「この街の名物?」
「昔ながらのハーブティーだそうですよ」
「へぇ。ありがとう、貰うわ」
白色のカップからは、涼しくなりそうな香りをはらんだ湯気がのぼってくる。その湯気を通常の呼吸によって吸い込むと、鼻の中が冴え渡ってきた。湯気に含まれているミントのような香りの影響だろう。
私はしばらく、水面を見つめながらじっとしていた。
その方が、香りだけを堪能できるから。
どことなく懐かしい気持ちにさせてくれる香り。それはまるで、故郷に帰ったかのような心境にさせてくれる。冬を越え春を迎える、そんな季節にもどこか似ている。
「……良い香り」
嗅いでいると段々眠くなってきた。
「リベルテ、ウタくんが眠そうになっているが、何か入れたのか?」
「いえ。ただ、ホーションティーには安眠効果があるようでございます」
「なるほど。だからか」
眠気に襲われる。私は、それから逃れるため、一気にカップを傾けた。すると、熱いものが口腔内に一気に流れ込んで、その感覚によって目が覚めた。今の心境を言葉にするなら「熱いけど、美味しい!」といった感じ。
そんな時だ、リベルテが何か思い出したように「そういえば」と発したのは。
「どうした?」
「あ、いえ。ウタ様への用です」
リベルテは軽やかな足取りでこちらへ向かってくる。
「アンヌとエレノアという者たちをご存知でございますか、ウタ様」
「えぇ。知っているわ。でも、それがどうかしたの?」
「先日、その者たちより連絡があったのでございます」
「本当に!?」
アンヌとも、エレノアとも、もうしばらく会っていない。まともな別れも告げられずに出てきてしまって、今に至っている。二人と過ごした時間は長くはなかった。でも、二人には感謝しているから、会えるならばまたいつか会いたい。会いたい、なんて、絶対に叶わない願いかもしれないけれど。でも、いずれまた会えたらと願っていることに変わりはない。
「連絡って? リベルテに? でもどうやって……」
「落ち着いて下さいませ。ウタ様、順に話させていただきますので」
「そ、そうね。次々聞いてごめんなさい」
アンヌとエレノアが連絡してきたのは、リベルテが持っている板状の機械に対してだったそうだ。そして、その連絡の取り方は、通話とかテレビ通話とかではなく、ビデオメッセージだった。
リベルテはそんな風に、これまでの流れを説明してくれる。
それから、彼は私にビデオメッセージを見るかどうか確認してきた。私はもちろん即座に「見る」と答えた。顔を見るだけでも良い、と思って。
ビデオメッセージの再生を目にすることができたのは、数分後。
リベルテが板状の機械を持ってきてくれて、再生ボタンを押したことで、映像が流れ出す。
画面には懐かしい顔が映し出される。アンヌとエレノアだ。短い間の付き合いではあったが、二人の顔を見間違えるはずはない。
『お元気ですか、ウタ殿』
『ウタさん、会いたいよぉー!』
第一声から既にそれぞれの個性が溢れ出ていた。
アンヌは落ち着いた雰囲気。対照的に、エレノアは慌ただしい雰囲気。
『事情があってしばらく会えないって聞いたよ! びっくりしたぁ。またいつか会えるっ?』
凄まじい勢いで言葉を放つのはエレノア。しかも彼女は、画面全体が彼女の顔になるくらいまで近づいて、言葉を発している。これを撮る時、彼女は、カメラにどれだけ近づいたのだろう。
『信じています。またお会いしましょう』
アンヌは背筋を伸ばして、落ち着いた様子で述べる。
エレノアとは冷静さがまったく違う。
『え!? ちょ、それだけ!?』
『皆、心は同じです。またいつか、会えることを願います』
私も。
そう言いたかった。
ビデオメッセージは一方通行。リアルタイムで言葉を交わせるものではないから、彼女たちに私の気持ちを伝えることはできない。
それでも、私は言いたい。
私も同じだと。アンヌとエレノアが思ってくれているのと同じくらい、私も「会いたい」と思っているのだと。
『じゃあ、今日はこの辺でね!』
『ありがとうございました』
ビデオメッセージはそこで終わった。
「終わりでございます。このような短いものでございました」
「本当に、短いわね」
「はい! その……返信はできない仕様でございますので、申し訳ないのですが」
リベルテは眉尻を下げながら、遠慮がちに頭を下げる。
「いいえ。ありがとう、映像だけでも嬉しかったわ」
「いえいえ! できる限りのことはさせていただきます!」
その時、ふと、窓の向こう側から足音が聞こえた気がした。
「……人?」
雨降りのせいで窓が曇ってしまっており、外の景色は見えない状態だ。そのため、謎の振動の正体を目で確認することはできなかった。
「どうなさいました? ウタ様」
リベルテは目をぱちぱちさせる。
「……音がしたような気がして」
「外でございますか?」
「えぇ」
「通行人ではないでしょうか」
「そうね。そうだわ」
もう数日外に出ていない。
この長雨に終わりはあるのか。こうも続くと心配になってくる。
買い出しはリベルテが素早く行ってくれるから、食べ物や日用品に関して不安な点はない。彼の買い物内容はきっちり考えられているので、別段不足もない。
この家の中では、テレビだけが唯一の娯楽。
そのテレビでは定期的にキエル帝国関連のニュースが流れていた。
当然、他の話題がないわけではない。ただ、キエル帝国やビタリーに関する話題はそこそこ多かった。五つ話題があればその中に一つは必ず入っている、そのくらいの量である。
キエル帝国の現状を覗き見ることができる、という意味では悪いことではないのだけれど、そのニュースが流れるたびに気まずい空気が漂ってしまうところは嬉しくない。
「また今日も雨ね」
「そうだな」
「空が泣いてるみたい」
「……急に詩的だな」
言われてハッとした。
何を言っているのだろう、と。
私はベッドに、ウィクトルはソファに、それぞれ腰掛けている。リベルテはキッチンの方へ行っていて、今は室内にはいない。テレビは直前まで点いていたが、数秒前にウィクトルが消した。
「そうね。おかしいわね、そんなの」
「いや、べつに好きにすればいいが……」
「でも思わない? 泣いてるみたいって」
もし空が泣いているとしたら、泣いている理由は何だろう。あんな雄大な空の悲しみなんて、ちっぽけな存在の私には想像できない。
「君は詩的だな。……私には、そんな感性はないよ」
世界的に見れば、きっと、ウィクトルの方が普通なのだろう。何も語らぬものを見てその心情を空想するなんて、そんなこと、普通は誰もしない。それは私にも容易に想像できる。
「それが普通よね、きっと」
「私はべつに嫌いではないが、な」
「……そうなの?」
驚いて、ウィクトルの方へ目をやる。
「己と違う感性の者を批判する気はない。君だから、かもしれないが」
「ありがとう」
ウィクトルが広い心を持ってくれていて良かった。もし仮に彼が、自分の意見と異なる意見を持つ者を叩き潰そうとするような心の持ち主であったら、恐らく、またもや喧嘩に発展していたことだろう。
「お茶を持って参りました!」
リベルテが部屋に入ってきた。
彼は本当に給仕慣れしている。お盆を持つのも、カップを渡すのも、それが本業であるかのような滑らかな動きでこなしていく。動作には、迷いも躊躇いもない。
「あら、良い香りね」
ほんのり緑色のお茶で、ミントのような香りがする。
「はい! ファルシエラ名物、ホーションティーでございます!」
「この街の名物?」
「昔ながらのハーブティーだそうですよ」
「へぇ。ありがとう、貰うわ」
白色のカップからは、涼しくなりそうな香りをはらんだ湯気がのぼってくる。その湯気を通常の呼吸によって吸い込むと、鼻の中が冴え渡ってきた。湯気に含まれているミントのような香りの影響だろう。
私はしばらく、水面を見つめながらじっとしていた。
その方が、香りだけを堪能できるから。
どことなく懐かしい気持ちにさせてくれる香り。それはまるで、故郷に帰ったかのような心境にさせてくれる。冬を越え春を迎える、そんな季節にもどこか似ている。
「……良い香り」
嗅いでいると段々眠くなってきた。
「リベルテ、ウタくんが眠そうになっているが、何か入れたのか?」
「いえ。ただ、ホーションティーには安眠効果があるようでございます」
「なるほど。だからか」
眠気に襲われる。私は、それから逃れるため、一気にカップを傾けた。すると、熱いものが口腔内に一気に流れ込んで、その感覚によって目が覚めた。今の心境を言葉にするなら「熱いけど、美味しい!」といった感じ。
そんな時だ、リベルテが何か思い出したように「そういえば」と発したのは。
「どうした?」
「あ、いえ。ウタ様への用です」
リベルテは軽やかな足取りでこちらへ向かってくる。
「アンヌとエレノアという者たちをご存知でございますか、ウタ様」
「えぇ。知っているわ。でも、それがどうかしたの?」
「先日、その者たちより連絡があったのでございます」
「本当に!?」
アンヌとも、エレノアとも、もうしばらく会っていない。まともな別れも告げられずに出てきてしまって、今に至っている。二人と過ごした時間は長くはなかった。でも、二人には感謝しているから、会えるならばまたいつか会いたい。会いたい、なんて、絶対に叶わない願いかもしれないけれど。でも、いずれまた会えたらと願っていることに変わりはない。
「連絡って? リベルテに? でもどうやって……」
「落ち着いて下さいませ。ウタ様、順に話させていただきますので」
「そ、そうね。次々聞いてごめんなさい」
アンヌとエレノアが連絡してきたのは、リベルテが持っている板状の機械に対してだったそうだ。そして、その連絡の取り方は、通話とかテレビ通話とかではなく、ビデオメッセージだった。
リベルテはそんな風に、これまでの流れを説明してくれる。
それから、彼は私にビデオメッセージを見るかどうか確認してきた。私はもちろん即座に「見る」と答えた。顔を見るだけでも良い、と思って。
ビデオメッセージの再生を目にすることができたのは、数分後。
リベルテが板状の機械を持ってきてくれて、再生ボタンを押したことで、映像が流れ出す。
画面には懐かしい顔が映し出される。アンヌとエレノアだ。短い間の付き合いではあったが、二人の顔を見間違えるはずはない。
『お元気ですか、ウタ殿』
『ウタさん、会いたいよぉー!』
第一声から既にそれぞれの個性が溢れ出ていた。
アンヌは落ち着いた雰囲気。対照的に、エレノアは慌ただしい雰囲気。
『事情があってしばらく会えないって聞いたよ! びっくりしたぁ。またいつか会えるっ?』
凄まじい勢いで言葉を放つのはエレノア。しかも彼女は、画面全体が彼女の顔になるくらいまで近づいて、言葉を発している。これを撮る時、彼女は、カメラにどれだけ近づいたのだろう。
『信じています。またお会いしましょう』
アンヌは背筋を伸ばして、落ち着いた様子で述べる。
エレノアとは冷静さがまったく違う。
『え!? ちょ、それだけ!?』
『皆、心は同じです。またいつか、会えることを願います』
私も。
そう言いたかった。
ビデオメッセージは一方通行。リアルタイムで言葉を交わせるものではないから、彼女たちに私の気持ちを伝えることはできない。
それでも、私は言いたい。
私も同じだと。アンヌとエレノアが思ってくれているのと同じくらい、私も「会いたい」と思っているのだと。
『じゃあ、今日はこの辺でね!』
『ありがとうございました』
ビデオメッセージはそこで終わった。
「終わりでございます。このような短いものでございました」
「本当に、短いわね」
「はい! その……返信はできない仕様でございますので、申し訳ないのですが」
リベルテは眉尻を下げながら、遠慮がちに頭を下げる。
「いいえ。ありがとう、映像だけでも嬉しかったわ」
「いえいえ! できる限りのことはさせていただきます!」
その時、ふと、窓の向こう側から足音が聞こえた気がした。
「……人?」
雨降りのせいで窓が曇ってしまっており、外の景色は見えない状態だ。そのため、謎の振動の正体を目で確認することはできなかった。
「どうなさいました? ウタ様」
リベルテは目をぱちぱちさせる。
「……音がしたような気がして」
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「そうね。そうだわ」
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