奇跡の歌姫

四季

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136話「ビタリーの情報」

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 何とか和解した私とウィクトルは、リベルテが淹れてくれたお茶を飲んで寛ぐ。

 お茶を楽しんでいる間、ウィクトルはずっとそわそわしていた。本人が言うには、心からゆっくりするのが落ち着かないらしい。ゆっくりするのが落ち着かない、とは、これまた奇妙なことだ。

 でも、不思議な感じがするのは私も同じ。

 微かに甘みを感じられる茶を口腔内へ注ぐと、自然と頬が緩んでしまう。それ自体は幸せなことだと理解している、なのに、どこかしっくりこない。

 穏やかな生活をしたい。帝国にいた頃は心からそう願っていた。
 それなのに、いざ穏やかな生活をできるようになったら、違和感を覚えてしまう。

 ……不思議なものだ、人の心とは。


 到着から数日が経過した、ある朝。
 私はホーションを少しだけ歩いてみることにした。

 ウィクトルはビタリーの手によって顔を晒されているようだし、首に大金がかかっているということもあって、自由には出歩けない。しかし、リベルテが入手した情報によれば、私は晒されていないそうだ。だから私は多少外を歩けるのである。

 灰色の石で造られた世界は、キエル帝国内とはまた違った風景。
 なかなか興味深い。
 風景を眺めながら歩いていたら、噴水に出会った。それほど大規模な噴水ではないが、植物に囲まれることで雄大さを醸し出している、雰囲気作り重視の噴水だ。

「……綺麗」

 重力に逆らうよう定められ吹き上げられた水は、宙を舞い、やがて自然の理に従って下へと落ちる。水は空中を駆けながら飛沫を散らし、植物から生の匂いを引き出す。
 美しい水の流れを見ていたら、歌いたくなってきた。
 私は周囲へ視線を向ける。幸運なことに人はほとんどいなかった。遠く離れたところにあるベンチに老夫婦がいるくらいのもので、他に人の気配はない。付近に誰もいないなら、少しくらい歌っても怒られはしないだろう。

 一度込み上げた『歌いたい』という衝動は、もはや、止まることを知らない。衝動は旋律となり、口から溢れ出す。大勢の前で歌うことも楽しかったが、人のいない場所で歌うのもまた違った良さがあるというものだ。

 水には形がない。けれども、周囲の環境に合わせて姿かたちを変えながら、いつもどこかに存在している。確かなものではなくても、いつもそこにある。そして、どんな状態であろうとも、水であることに変わりはないのだ。

「ふぅ」

 噴水の前で一曲歌い終えた私は、散歩を続けることにした。
 石畳の道を歩いていく。


「昨日ニュース見た? キエルの皇帝変わったらしいよ」
「見た見た」
「若い人になったみたいだったよね」
「うん」

 人の少ない通りを抜け、広場のような開けたところへたどり着く。すると、三歳くらいの子どもを連れた母親二人組が何やら話をしていた。

「どうなるんだろうねー? これから」
「謎だね」
「平和な皇帝だと良いけどね」
「うんうん。ホントそれ」

 私はさりげなく近くのベンチに腰を下ろす。そして、自然と耳に入ってくる会話を聞く。
 盗み聞きしているようだが、これは悪意ある行為ではない。これはいわば調査である。キエル帝国の現状についてこの国の者がどう考えているのか、それを知ろうとしているだけのことだ。

「ところでさー、幼児手当の申し込みってもう終わった?」
「え。何だったっけ」

 本当はキエル帝国に関する情報や意見をもっと得たかったのだが、残念ながらキエル関連の話は終了してしまった。

「今週末までだよ!?」
「えっ、うそっ。何を持っていくんだっけ」
「自分の身分証明とか、子どもとの関係が分かる書類とか。あとサイン」
「サインは持ち物じゃなくない?」
「突っ込み待ちだよー。もー」

 穏やかな日差しが肌をじんわりと温めてくれる。
 幼児手当には正直あまり興味がないが、心地よい環境で他人の私語を聞くのは意外と楽しいものだ。

 キエル帝国では、ここまで安らげる時間はなかった。特に何も用事のない時でも、もう少し緊張感があったように思う。けれど、この街へ来てからは、全力でぼんやりできるようになった。

 ホーションの中央の方へ行けば、恐らく、もっと人がいるのだろう。
 でも、私はこのくらいの人口密度が好き。
 誰一人いない空間に佇むのは寂しいが、人の波に飲まれるのはそれはそれで息苦しいから、時折人を見かけるくらいがちょうどいいと感じる。


 ◆


 キエル帝国・帝都。

 誰もいない皇帝の間に、ビタリーは一人佇む。

 イヴァンは既に亡き者となり、イヴァンに従っていた者たちは身柄を拘束されている。ビタリーはついに皇帝となり、キエル帝国を統べる者として、国の頂点に立つこととなった。

 すべて、ビタリーの思い通りに進んだのだ。

 これまで国を牛耳ってきた高官たちはそのほとんどが失脚。今やビタリーに逆らう者は存在しないし、すべての者が彼のやり方に従う外ない。

「ビタリー様。今……少しよろしくて?」
「あぁ、シャロか。いいよ」

 身を縮めながら皇帝の間に入ってきたのはシャルティエラ。
 今は皇帝の妻。

「ウィクトルのことですの」
「何だい」
「壊滅させらた山賊が発見されましたわ。亡骸の傷の状態から察するに、ウィクトルと交戦したことは確かみたいなのですけれど」

 シャルティエラは心なしかあどけなさの残る顔つきのまま。しかし、その服装は、以前とは違っている。良い家の出である彼女は、元々汚い娘であったわけではない。だが今は、前よりずっと豪華な服装をしている。また、額には銀のティアラが輝いていた。

「通った場所を一つ確認できたということだね」
「えぇ。その通りですわ。それと、もう一つ、得た情報がありますの」

 ビタリーは首を傾げ「情報?」と呟く。

「ファルシエラの所有物と思われる車を見かけた、との目撃情報ですわ」
「……山にファルシエラの車だって?」
「えぇ。明らかに不自然ですわ。そこで考えついたのですけど、ウィクトルはもしかしたら……」

 シャルティエラが最後まで述べるのを待たず、ビタリーは発する。

「あの男がファルシエラに逃亡したというのかい」

 二人で過ごすには広すぎる皇帝の間に、静寂が訪れた。
 時が止まったかと勘違いしそうな長い沈黙。室内を満たす空気は、まるで夜の湖畔のよう。

 ——そんな痛いほどの沈黙の果て、シャルティエラはゆっくりと桜色の唇を動かす。

「当たりですわ。わたくし、そう考えましたの」

 ビタリーはすぐには返事をしない。シャルティエラは数秒待っていたが、ビタリーに返事をする気がないと察したらしく、やがて言葉を続ける。

「諜報員をファルシエラに派遣してもよろしいかしら?」

 するとビタリーは「いいよ」と返した。
 そして、二三秒ほど間を空けてから、残りを放つ。

「あの男はシャロが殺すのだったね」
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