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92話「ウィクトルの語らい」
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入浴を終えた私は、リベルテが用意してくれていた服を一旦身につけ、ウィクトルのいる病室の方へと戻る。髪はまだ湿っているが、それは今から乾かせば良い。服さえ着てしまえば、後はどうとでもなる。そうしてベッドがある部屋の方へ戻った時、リベルテが扉の付近で見知らぬ男性と話をしているのが見えた。
「あれはこちらの用件だ、ウタくんが気にすることではない」
男性とリベルテの様子を見つめてしまっていたらしく、ウィクトルがそんなことを言ってくる。
「分かったわ。じゃあ、私はそっちへ行っても良い?」
「どういう意味だ? ……べつに構わないが」
ウィクトルは眉間にしわを寄せながら首を傾げていた。
断られなかったということは、問題ないということ——そう理解し、私は彼がいるベッドの方へと足を進める。
「ねぇウィクトル。バスから落ちて、怪我しなかったの?」
窓に背を向けるようにして壁にもたれ、尋ねてみた。
「あぁ。意図して落下したからな」
「さすがね」
「だが、刺された」
ウィクトルは不満げにそんなことを言う。
刺されたというのは不満として発する内容なのか、という部分は実に謎だ。だが、そういう部分は個人の感覚によるところ大きい。それゆえ、敢えてそこを突っ込む必要はないと判断に、その点に関しては何も言わないでおいた。
「大丈夫だったの? あんな不審者が現れるなんて思わなかったものね」
「リベルテのおかげで命拾いした。幸運だった。……だが、悔しい。ビタリーが直々に刺してくるとは想定外だったのでな」
彼の瞳は静かに燃えていた。いずれ借りは返す、とでも言いたげな目つきをしている。
「そうよね、大変だったわね——って、え?」
途中まで言ってしまってから、私は気づく。
「ビタリーさんに刺されたの?」
私はあの時、シャルティエラが覆い被さってきていたこともあって、目で状況を確認することができなかった。そのタイミングで何が起こっているのかを知る方法は、音だけしかなかったのだ。そして、気づけばウィクトルは刺されていた。つまり、ウィクトルが傷つけられた瞬間は目にしていないのだ。
「あぁ、そうだ。信じてもらえないだろうが」
「……信じるわ」
ウィクトルがわざわざそんな嘘をつく必要性がない。
それに、あのビタリーなら、他人の目がある場所であっても思いきった行動に出る可能性は十分にある。
「なっ。そんなすぐに信じるのか」
「信じてはいけないの?」
「いや、そうではないが……こうもすんなり信じてもらえてしまうと、調子が狂う気がするんだ」
言いながら、彼はふっと笑みをこぼす。
「……それにしても、君が無事で良かった」
いきなり一人で笑みをこぼし出したから何事かと思っていたら、話題を大きく方向転換してきた。そのための唐突な笑みだったのか。
「色々あって君も辛かっただろう。よく頑張ってくれた」
胸の奥で、何かが脈打つ。
雪が融け始めると大地には命が幕開ける。新たな命が誕生し、土を突き破って芽を出し、世界を色づかせて。小鳥のさえずりを待ちながら、まだ冷たい風を浴びつつ、春を迎える。
——今の私の心はそれに似ているように思う。
「……言葉は嬉しいわ。でも私、何もできなかった。フーシェさんだって……」
フーシェとの別れのことは、思い出すと辛いから、極力話さないようにしていた。リベルテも、それを察したのか、多くのことを聞いてはこなかった。それでも、私の中の罪悪感が消えたわけではない。触れずとも、残るものは残る。
「それは、フーシェの死は、君が悪いわけではない」
ウィクトルは淡々とそう言いきる。けれど、彼がそう言いきれるのは、フーシェが亡くなった時の状況を知らないからだろう。私の身を庇って倒れたと知ったら、彼も「君が悪いわけではない」なんて言えなくなるはずだ。
「……いいえ。私のせいよ。私を庇って、彼女は撃たれたんだもの」
「君を? やつらは君を殺そうとしたのか?」
「いえ、そうではないみたい。ビタリーさん……いえ、ビタリーは、フーシェさん本人を撃つより私を撃った方がフーシェさんを仕留められると考えたみたいね」
私がそこまで言うと、ウィクトルは難しい顔をする。そのまま、彼は一旦黙った。
そうして、静寂が訪れる。
ちょうどそのタイミングでリベルテがこちらへやって来た。リベルテは、イヴァンから呼び出しがかかっていることを、ウィクトルに伝える。そして、自分が代わりに行っておこうか、と確認をした。
ウィクトルは頷き、リベルテに代わりにイヴァンのところへ行くよう頼んだ。
それを受けて、リベルテは、先ほどまで話していた男性と共に病室を出ていった。
「しかし……そうか。そういう意味で君を狙ったのか」
病室にいるのが二人だけになってから、話の続きが再開される。
「えぇ。悪魔よ、あの男」
「そうだな……確かに、あの男には元より怪しい噂があった。皇位継承第一位の座を手にするために裏で暗殺を繰り返している、とかな。もっとも、嫉妬した者が流した悪質な噂だろうと考え、誰も真剣には捉えていなかったがな」
その日、私は昨夜寝られなかった分を取り戻すため、ウィクトルの病室で休んだ。そして、次に気がつくと昼。イヴァンのところへ行ったはずのリベルテも、既に戻ってきていた。
「おはようございます! ウタ様。よく寝てらっしゃいましたね!」
「ん……今は、お昼?」
「はい! その通りでございます!」
生活パターンが一定でなくなっている状況ゆえ仕方ないことではあるのだが、目覚めて昼だと戸惑ってしまう。寝すぎたような気分になって。
「ごめんなさい。迷惑だったんじゃない?」
「いえいえ。ウタ様もお疲れでしょうから、休んでおられる姿を目にして嬉しかったくらいでございますよ」
「ありがとう、リベルテ」
弛んでる、なんていって責められなくて良かった。
「早速なのでございますが。ウタ様、本日中にはここを発ちます」
責められなかったことに安堵していた私に、投げかけられたのはそんな言葉。
突然のことに、私は半ば無意識のうちに「え……」と漏らしてしまう。
「また任務?」
「いえ。長期休暇を」
私が放った問いに、リベルテは速やかに答えた。
「長期休暇。それは良いわね」
成婚パレードも一応無事終わったことだ、ウィクトルも周囲の皆もゆっくりしたいだろう。
……もっとも、脱走してきた私を抱えてゆっくりなんてできるのかは不明だが。
「ま、そうは言いましても、それはあくまで外向きの言い方でございますけどね」
「どういうこと?」
「実際は、ビタリー様の手から逃れるためでございますので」
「あれはこちらの用件だ、ウタくんが気にすることではない」
男性とリベルテの様子を見つめてしまっていたらしく、ウィクトルがそんなことを言ってくる。
「分かったわ。じゃあ、私はそっちへ行っても良い?」
「どういう意味だ? ……べつに構わないが」
ウィクトルは眉間にしわを寄せながら首を傾げていた。
断られなかったということは、問題ないということ——そう理解し、私は彼がいるベッドの方へと足を進める。
「ねぇウィクトル。バスから落ちて、怪我しなかったの?」
窓に背を向けるようにして壁にもたれ、尋ねてみた。
「あぁ。意図して落下したからな」
「さすがね」
「だが、刺された」
ウィクトルは不満げにそんなことを言う。
刺されたというのは不満として発する内容なのか、という部分は実に謎だ。だが、そういう部分は個人の感覚によるところ大きい。それゆえ、敢えてそこを突っ込む必要はないと判断に、その点に関しては何も言わないでおいた。
「大丈夫だったの? あんな不審者が現れるなんて思わなかったものね」
「リベルテのおかげで命拾いした。幸運だった。……だが、悔しい。ビタリーが直々に刺してくるとは想定外だったのでな」
彼の瞳は静かに燃えていた。いずれ借りは返す、とでも言いたげな目つきをしている。
「そうよね、大変だったわね——って、え?」
途中まで言ってしまってから、私は気づく。
「ビタリーさんに刺されたの?」
私はあの時、シャルティエラが覆い被さってきていたこともあって、目で状況を確認することができなかった。そのタイミングで何が起こっているのかを知る方法は、音だけしかなかったのだ。そして、気づけばウィクトルは刺されていた。つまり、ウィクトルが傷つけられた瞬間は目にしていないのだ。
「あぁ、そうだ。信じてもらえないだろうが」
「……信じるわ」
ウィクトルがわざわざそんな嘘をつく必要性がない。
それに、あのビタリーなら、他人の目がある場所であっても思いきった行動に出る可能性は十分にある。
「なっ。そんなすぐに信じるのか」
「信じてはいけないの?」
「いや、そうではないが……こうもすんなり信じてもらえてしまうと、調子が狂う気がするんだ」
言いながら、彼はふっと笑みをこぼす。
「……それにしても、君が無事で良かった」
いきなり一人で笑みをこぼし出したから何事かと思っていたら、話題を大きく方向転換してきた。そのための唐突な笑みだったのか。
「色々あって君も辛かっただろう。よく頑張ってくれた」
胸の奥で、何かが脈打つ。
雪が融け始めると大地には命が幕開ける。新たな命が誕生し、土を突き破って芽を出し、世界を色づかせて。小鳥のさえずりを待ちながら、まだ冷たい風を浴びつつ、春を迎える。
——今の私の心はそれに似ているように思う。
「……言葉は嬉しいわ。でも私、何もできなかった。フーシェさんだって……」
フーシェとの別れのことは、思い出すと辛いから、極力話さないようにしていた。リベルテも、それを察したのか、多くのことを聞いてはこなかった。それでも、私の中の罪悪感が消えたわけではない。触れずとも、残るものは残る。
「それは、フーシェの死は、君が悪いわけではない」
ウィクトルは淡々とそう言いきる。けれど、彼がそう言いきれるのは、フーシェが亡くなった時の状況を知らないからだろう。私の身を庇って倒れたと知ったら、彼も「君が悪いわけではない」なんて言えなくなるはずだ。
「……いいえ。私のせいよ。私を庇って、彼女は撃たれたんだもの」
「君を? やつらは君を殺そうとしたのか?」
「いえ、そうではないみたい。ビタリーさん……いえ、ビタリーは、フーシェさん本人を撃つより私を撃った方がフーシェさんを仕留められると考えたみたいね」
私がそこまで言うと、ウィクトルは難しい顔をする。そのまま、彼は一旦黙った。
そうして、静寂が訪れる。
ちょうどそのタイミングでリベルテがこちらへやって来た。リベルテは、イヴァンから呼び出しがかかっていることを、ウィクトルに伝える。そして、自分が代わりに行っておこうか、と確認をした。
ウィクトルは頷き、リベルテに代わりにイヴァンのところへ行くよう頼んだ。
それを受けて、リベルテは、先ほどまで話していた男性と共に病室を出ていった。
「しかし……そうか。そういう意味で君を狙ったのか」
病室にいるのが二人だけになってから、話の続きが再開される。
「えぇ。悪魔よ、あの男」
「そうだな……確かに、あの男には元より怪しい噂があった。皇位継承第一位の座を手にするために裏で暗殺を繰り返している、とかな。もっとも、嫉妬した者が流した悪質な噂だろうと考え、誰も真剣には捉えていなかったがな」
その日、私は昨夜寝られなかった分を取り戻すため、ウィクトルの病室で休んだ。そして、次に気がつくと昼。イヴァンのところへ行ったはずのリベルテも、既に戻ってきていた。
「おはようございます! ウタ様。よく寝てらっしゃいましたね!」
「ん……今は、お昼?」
「はい! その通りでございます!」
生活パターンが一定でなくなっている状況ゆえ仕方ないことではあるのだが、目覚めて昼だと戸惑ってしまう。寝すぎたような気分になって。
「ごめんなさい。迷惑だったんじゃない?」
「いえいえ。ウタ様もお疲れでしょうから、休んでおられる姿を目にして嬉しかったくらいでございますよ」
「ありがとう、リベルテ」
弛んでる、なんていって責められなくて良かった。
「早速なのでございますが。ウタ様、本日中にはここを発ちます」
責められなかったことに安堵していた私に、投げかけられたのはそんな言葉。
突然のことに、私は半ば無意識のうちに「え……」と漏らしてしまう。
「また任務?」
「いえ。長期休暇を」
私が放った問いに、リベルテは速やかに答えた。
「長期休暇。それは良いわね」
成婚パレードも一応無事終わったことだ、ウィクトルも周囲の皆もゆっくりしたいだろう。
……もっとも、脱走してきた私を抱えてゆっくりなんてできるのかは不明だが。
「ま、そうは言いましても、それはあくまで外向きの言い方でございますけどね」
「どういうこと?」
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