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83話「ラインのドキドキタイム」
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ビタリーは出ていった。
まったく、何しに来たのか! とでも言ってやりたい気持ちだ。
なんだかんだ言って、結局、私に何かを強要することはなく去っていった。もしかしたら、私の様子を確認したかっただけなのかもしれない。あるいは、フーシェについて話すことで心を乱すことが狙いか。
「こんにちは! ウタさん!」
ビタリーが出ていってから一時間ほどが経っただろうか、ラインがやって来た。
何でもいいが、いきなり扉を開けるのは止めてほしい。開いたのがもし偶々扉付近にいる時だったら、勢いよく当たって危険だから。
「遊びに来ました!」
少し時間は経ったが、ラインはいまだに元気いっぱい。はつらつとしている。遊園地へ出掛ける前の晩の少年みたいな表情だ。
「ラインさん」
「え!? そ、そんな。呼び捨てして下さい!」
言われてから「そうだった」と思い出す。
そういえば、この国では呼び捨てがよく使われているのだった。
一人納得していると、ラインは笑顔のまま「あと、普通に話していただいて構いません! 丁寧語でなくても!」と付け加えてきた。今日出会ったばかりの相手だが、彼がそう言うなら良いのかもしれない。数秒は躊躇ったが、私は「分かったわ」と返す。
「じゃあ……ライン、貴方はここへ何をしに来たの?」
「えっ」
「あ、ごめんなさい。尋ね方が悪かったわね。遊びにって何しになのかなって、ふと気になったの。それで質問してみたのよ」
言い方が分かりづらかったかな、と思い、もう一度言い直す。するとラインは頬を緩め、「そういうことですか!」と元気な声で返してくれた。彼からは嫌な感じがしないが、それが逆にしっくりこない。ケーキ屋で肉料理を提供されたかのような心境だ。
「すみません! 遊びに、なんて言い方をしてしまって! ……僕はここの見張りなんです」
「へぇ、そうだったのね」
「食事も運んできますよ! ……あ。えっと、その……」
太陽の下に咲く向日葵のような顔つきで元気いっぱいに声を発していたラインだが、またもや、急にオロオロした様子になる。視線を上下左右に自由自在に動かしながら、頬をほんのり赤く染めて、まるで恋する乙女のよう。
「もし良かったら、なんですけど……」
「何?」
恥じらうような顔つき、緊張したような声の発し方。何か頼みづらい頼み事でもしようとしているのだろうか。だとしたら、こんな様子になっているのも説明がつく。もっとも、本当のところは実際聞いてみないと分からないのだけれど。
「そ、その……歌、聴かせてくれませんか……?」
なるほど、そういうことか。
それなら今の私にでもできないことはない。
「えぇ。いいわよ」
「なーんて、やっぱり無理ですよねー……って、えええ!?」
素手で分厚い扉を突き破る光景を見たときのような、高度八百メートルほどから生身で飛び降りて無傷だった人を目にした時のような、凄まじい驚きぶり。目は二倍の大きさになるくらいまで開き、口は顎が外れそうなほど開けて。
……正直ここまで驚かれるとは思わなかった。
私はべつにそんな衝撃的なことはしていないはず。それなのに、ラインは、逆にこちらが驚くほどの驚き方。奇妙な状況だ。
「い、いいんですかーっ!?」
「えぇ」
「嘘ォ!!」
「そんなに驚かれるとは思わなかったわ……」
それから私は、彼に、聴きたい曲について尋ねた。すると彼は顔をリンゴのように真っ赤にしながら、「歌姫祭の時の……」と言ってくる。なぜそんなに恥じらっているのか理解できないが、地球の言語の歌で良いならこちらとしてはありがたい。その方が歌い慣れているから。
「じゃあ、いくわね」
「は、はい! 黙って聴きます!」
歌を支えると同時に盛り上げてくれる音源はない。それに、歌声を壮大に響かせる広さも、ここにはなかった。狭い部屋、それも音を吸い込むような古ぼけた部屋で、私は声を発する。
惜しいのは、ここがホールでないこと。
歌唱向けの場所とそうでない場所では、声量や余韻が明らかに違ってくる。
やがて最後の音にたどり着く。その声が伸び、消える。そして訪れる静寂。歌い終えると、意識が自然と現実へと引き戻される。埃の匂い、生温い空気、華やかさのない室内。旋律に詞を乗せる特別な時間に幕が降りた後、手に残るのは色気ない現実だけ。
「こんな感じかしら」
少しして、私は終わりを告げた。しかしラインは言葉の一つすら返してこない。彼は、幻でも見えているかのように、恍惚とした表情で宙を眺めている。何を見ているのだろう、と疑問を抱かずにはいられないような顔だ。
「ライン?」
「……はっ。あ! は、はい!」
再び声をかけた時、彼はようやく現実へと戻ってきた。
「終わったわよ。……大丈夫?」
「え! どうしました!?」
「何だかぼんやりしているみたいだったから。体調でも悪いのかなって」
するとラインは頭を何度も下げる。
「す、すみません! つい! 歌が素晴らしすぎて!」
「お世辞はいいのよ」
「へぇっ!? お世辞だなんて! まさか、そんなわけないじゃないですか!」
ウィクトル、フーシェ、皆のことは心配だ。私は今のところ、辛うじて、穏やかに過ごせている。けれど、それでも心配する心が消えるわけではない。陽気なラインと話をするのは案外楽しいが、それも、私の胸に蔓延るすべての重いものを消し去ってくれるわけではなかった。一時的に痛みを和らげる鎮痛剤程度の効果はあるかもしれないが。
「あの、もし良かったら……また、聴かせてくれませんか」
「歌? 貴方のためならいつでも」
「ありがとうございます! 感謝します!」
ちょうどそのタイミングで、部屋を出てすぐの廊下を一人の男性が駆けてきた。胸から股にかけてだけ軽そうな防具をつけた、金髪の地味な人。
「ライン! こんなところにいたのか!」
顔の形は縦長の長方形。鼻は茄子、色が薄めの唇はたらこ。口角には二本ずつ深いしわが刻まれていて、口が大きく動く時、急激に老けた印象になる。
「あ。はいっ。今、ウタさんの歌を聴いていたんです。素晴らしかったですよっ」
無邪気な笑顔で何をしていたかを述べるライン。
「集合だぞ!」
「えっ、今からですか」
「何呑気なこと言ってる! もう皆集まってるぞ!」
「ええっ」
まったく、何しに来たのか! とでも言ってやりたい気持ちだ。
なんだかんだ言って、結局、私に何かを強要することはなく去っていった。もしかしたら、私の様子を確認したかっただけなのかもしれない。あるいは、フーシェについて話すことで心を乱すことが狙いか。
「こんにちは! ウタさん!」
ビタリーが出ていってから一時間ほどが経っただろうか、ラインがやって来た。
何でもいいが、いきなり扉を開けるのは止めてほしい。開いたのがもし偶々扉付近にいる時だったら、勢いよく当たって危険だから。
「遊びに来ました!」
少し時間は経ったが、ラインはいまだに元気いっぱい。はつらつとしている。遊園地へ出掛ける前の晩の少年みたいな表情だ。
「ラインさん」
「え!? そ、そんな。呼び捨てして下さい!」
言われてから「そうだった」と思い出す。
そういえば、この国では呼び捨てがよく使われているのだった。
一人納得していると、ラインは笑顔のまま「あと、普通に話していただいて構いません! 丁寧語でなくても!」と付け加えてきた。今日出会ったばかりの相手だが、彼がそう言うなら良いのかもしれない。数秒は躊躇ったが、私は「分かったわ」と返す。
「じゃあ……ライン、貴方はここへ何をしに来たの?」
「えっ」
「あ、ごめんなさい。尋ね方が悪かったわね。遊びにって何しになのかなって、ふと気になったの。それで質問してみたのよ」
言い方が分かりづらかったかな、と思い、もう一度言い直す。するとラインは頬を緩め、「そういうことですか!」と元気な声で返してくれた。彼からは嫌な感じがしないが、それが逆にしっくりこない。ケーキ屋で肉料理を提供されたかのような心境だ。
「すみません! 遊びに、なんて言い方をしてしまって! ……僕はここの見張りなんです」
「へぇ、そうだったのね」
「食事も運んできますよ! ……あ。えっと、その……」
太陽の下に咲く向日葵のような顔つきで元気いっぱいに声を発していたラインだが、またもや、急にオロオロした様子になる。視線を上下左右に自由自在に動かしながら、頬をほんのり赤く染めて、まるで恋する乙女のよう。
「もし良かったら、なんですけど……」
「何?」
恥じらうような顔つき、緊張したような声の発し方。何か頼みづらい頼み事でもしようとしているのだろうか。だとしたら、こんな様子になっているのも説明がつく。もっとも、本当のところは実際聞いてみないと分からないのだけれど。
「そ、その……歌、聴かせてくれませんか……?」
なるほど、そういうことか。
それなら今の私にでもできないことはない。
「えぇ。いいわよ」
「なーんて、やっぱり無理ですよねー……って、えええ!?」
素手で分厚い扉を突き破る光景を見たときのような、高度八百メートルほどから生身で飛び降りて無傷だった人を目にした時のような、凄まじい驚きぶり。目は二倍の大きさになるくらいまで開き、口は顎が外れそうなほど開けて。
……正直ここまで驚かれるとは思わなかった。
私はべつにそんな衝撃的なことはしていないはず。それなのに、ラインは、逆にこちらが驚くほどの驚き方。奇妙な状況だ。
「い、いいんですかーっ!?」
「えぇ」
「嘘ォ!!」
「そんなに驚かれるとは思わなかったわ……」
それから私は、彼に、聴きたい曲について尋ねた。すると彼は顔をリンゴのように真っ赤にしながら、「歌姫祭の時の……」と言ってくる。なぜそんなに恥じらっているのか理解できないが、地球の言語の歌で良いならこちらとしてはありがたい。その方が歌い慣れているから。
「じゃあ、いくわね」
「は、はい! 黙って聴きます!」
歌を支えると同時に盛り上げてくれる音源はない。それに、歌声を壮大に響かせる広さも、ここにはなかった。狭い部屋、それも音を吸い込むような古ぼけた部屋で、私は声を発する。
惜しいのは、ここがホールでないこと。
歌唱向けの場所とそうでない場所では、声量や余韻が明らかに違ってくる。
やがて最後の音にたどり着く。その声が伸び、消える。そして訪れる静寂。歌い終えると、意識が自然と現実へと引き戻される。埃の匂い、生温い空気、華やかさのない室内。旋律に詞を乗せる特別な時間に幕が降りた後、手に残るのは色気ない現実だけ。
「こんな感じかしら」
少しして、私は終わりを告げた。しかしラインは言葉の一つすら返してこない。彼は、幻でも見えているかのように、恍惚とした表情で宙を眺めている。何を見ているのだろう、と疑問を抱かずにはいられないような顔だ。
「ライン?」
「……はっ。あ! は、はい!」
再び声をかけた時、彼はようやく現実へと戻ってきた。
「終わったわよ。……大丈夫?」
「え! どうしました!?」
「何だかぼんやりしているみたいだったから。体調でも悪いのかなって」
するとラインは頭を何度も下げる。
「す、すみません! つい! 歌が素晴らしすぎて!」
「お世辞はいいのよ」
「へぇっ!? お世辞だなんて! まさか、そんなわけないじゃないですか!」
ウィクトル、フーシェ、皆のことは心配だ。私は今のところ、辛うじて、穏やかに過ごせている。けれど、それでも心配する心が消えるわけではない。陽気なラインと話をするのは案外楽しいが、それも、私の胸に蔓延るすべての重いものを消し去ってくれるわけではなかった。一時的に痛みを和らげる鎮痛剤程度の効果はあるかもしれないが。
「あの、もし良かったら……また、聴かせてくれませんか」
「歌? 貴方のためならいつでも」
「ありがとうございます! 感謝します!」
ちょうどそのタイミングで、部屋を出てすぐの廊下を一人の男性が駆けてきた。胸から股にかけてだけ軽そうな防具をつけた、金髪の地味な人。
「ライン! こんなところにいたのか!」
顔の形は縦長の長方形。鼻は茄子、色が薄めの唇はたらこ。口角には二本ずつ深いしわが刻まれていて、口が大きく動く時、急激に老けた印象になる。
「あ。はいっ。今、ウタさんの歌を聴いていたんです。素晴らしかったですよっ」
無邪気な笑顔で何をしていたかを述べるライン。
「集合だぞ!」
「えっ、今からですか」
「何呑気なこと言ってる! もう皆集まってるぞ!」
「ええっ」
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