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50話「ウィクトルの諭し」
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私はパパピタのことについて打ち明ける。その説明にはフーシェも協力してくれ、一連の流れを、簡単ながらきちんと伝えることができた。その話を聞き、リベルテは不安げな顔になる。しかしウィクトルは違っていた。彼は、何食わぬ顔で「分かった」と言う。その時、彼の面に不安の色はなかった。彼は落ち着いている。そして、凛としている。
「今後何か話が出る可能性はあるかもしれないが、問題はない。たいした騒ぎにはならないだろう」
そう述べるウィクトルは、騎士のようだった。
黒に身を包んだその姿はお世辞にも聖なる存在とは受け取れない。それゆえ、闇という字の似合う彼を聖という属性を持つ騎士に例えることには、違和感を覚える者も少なくはないだろう。それでも、彼のその凛々しい姿を目にしたなら、単なるどす黒さとは一線を画す存在であると多くの者が理解できるに違いない。
「それに、そもそもウタくんを訪問者に合わせないよう言ったのは私だしな」
「ごめんなさいね。いつも迷惑かけてばかりで」
「いや、いい。君に罪はない。……最初に迷惑をかけたのはこちらだ」
ウィクトルは僅かに顎を引いた。
軽く波打った黒髪が顔を隠す。それはまるで、夜空に浮かんだ月に雲が被さる様のよう。
夕食を終え、数時間が経過した頃、突如リベルテとフーシェの対決が始まることとなった。
屋内で、それも道場のような運動に適した施設ではないただの部屋で、いきなりそんなことが始まることになったものだから衝撃は大きかった。
「いざ、勝負! でございます!」
「……負けるわけがない」
武装は一切なし。己の肉体しか使用することのできない模擬戦。どうやら、そんなものが開始されたらしい。急過ぎて頭がついていかないが、ウィクトルが口を挟んでいないことから察するに、問題行動ではないのだろう。彼らの中で問題のないことなのならば、私が口を挟む必要などまったくもってありはしない。
五メートルほど離れた位置で向かい合うリベルテとフーシェ。
イメージ的にはフーシェの方が有利そうだと感じてしまうのだが……実際はどうなのだろう?
細くても男のリベルテが勝つのか。それともイメージ通りフーシェの方が一枚上手か。どうなるかは、実際に戦いを見てみるまで分からない。
——と、その時。
フーシェが何の前触れもなく一歩踏み出した。
柔らかな髪がなびく。しかし、髪とは対照的に、体の動きは直線的。どちらかというと男性的な印象を与えてくる動作だ。
もちろん、先に仕掛けたのも彼女だった。工夫を凝らすことなく直進していった彼女は、腹を捻り、回すようにして反動をつけながら左足で蹴りを繰り出す。遠心力で威力を高めた一撃は、リベルテに突き刺さる。が、リベルテは右腕で防御していた。反応は悪くない。
「……前よりは反応が良くなったみたいね」
「ふふ!」
褒められたことが嬉しかったのか、リベルテは口角を持ち上げて息を漏らす。だが、フーシェの表情は変わらない。彼女は無の表情のまま、人のものでない右手でリベルテの右手首を掴もうとする。先ほどの蹴りは防いだリベルテだったが、掴もうと迫る手から逃れることはできず。
「なっ……!」
フーシェの金属製の手は、リベルテの手首を確かに掴んだ。
力を入れて握られたリベルテは引きつったような声を発する。
「……でも相手じゃない」
その時、フーシェの面には、既に余裕の色が浮かんでいた。無表情ではあるものの、「勝てる」という思いが顔全体から漂っている。負ける可能性など、更々考えていないようだ。
フーシェは掴んだ手首を起点にリベルテを投げる。
一応男性であるという有利さはあるものの、それ以外にリベルテが優勢になるであろう点はない。そして、現実の結果もそうだった。フーシェの戦闘能力は、性差を超越している。それゆえ、華奢な男性が彼女に勝てるわけがなかった。
軽々と投げ技をかけたフーシェは、床に落ちたリベルテの体を腹が下になる向きで押さえる。
リベルテは抵抗しようとした。だが無駄だった。右手を背中側に回させられているので、もはや、何もできない状態だ。
下側の人間が腕力のある人間であったなら、この逆境を少しは何とかできたのかもしれないが。
「……終わり」
動けない、起き上がれない、そんな体勢に追い込まれたリベルテは、ついに頭を下げた。首の力を抜き、頬を床にくっつける。
「やはり素手は厳しいですね」
リベルテは「勝ちようがない」というような表情をしている。
「……もう諦めるの」
「はい。こうなってしまっては、リベルテには何もなせません」
リベルテが投降宣言とも取れるような言葉を発した数秒後、フーシェは彼の体を自由にした。
それにしても。あれだけの動きをした後であるにもかかわらず、フーシェは息を乱してすらいない。それは私には信じられないことだ。
「……そう。なら終わりね。やはり……ボナ様に相応しいのはこちらだわ」
フーシェはそう言って、微かに笑みを浮かべた。
刹那、起き上がってきていたリベルテが大きな声を発する。
「なっ! それは一体どういう意味ですか!?」
リベルテは眉をつり上げている。穏やかな坊ちゃんというイメージの強い彼らしくない表情だ。もっとも、頬を若干膨らませている辺りには彼特有の柔らかさと愛らしさを感じるが。
「……強い方こそがボナ様に相応しいの」
「何です? いきなり」
「……これからはリベルテが留守番するべき」
「ええっ!?」
特に話に挙がっていたわけでもないことついて唐突に言われ、リベルテは急激に困惑したような顔になった。
彼は本当に表情がよく変わる。短時間の間にであっても、絵本のように、次から次へと顔つきが変化していく。それゆえ、見ていて飽きない。
「な、何を言い出すのです! 主を放っておくことはできません!」
「……護れる者が傍にいるべきよ」
「そ、それはそうやもしれませんが……しかし! 主への忠誠心ならリベルテも負けません!」
リベルテは、握った両の拳を胸の前に位置させながら、眉尻を勇ましく持ち上げている。眉間にはしわ。自分の戦闘能力が低めであることを理解しつつも、大人しく引っ込んではいたくない、という思いを滾らせているようだ。
ちょうどそのタイミングで、ウィクトルが二人の間に割って入る。
「遊ぶのは良いが、こんな時間に騒ぐな」
彼はそれまで自身の用事を進めていた。それなのに、今になって二人の中に入っていったのは、ただの気まぐれだろうか。それとも、何か意図があってのことなのか。
「私たちには勝利が必要だ。それゆえ、求められるのは、あくまでその勝利のために必要な力。戦闘能力が高いか低いかだけですべてが決まるわけではない」
ウィクトルはフーシェを諭す。
「……けれど強さは必要」
「強ければ良いのなら、フーシェよりももっと強い者を探すことになる。それで良いのか」
「……それは、嫌」
「だろう。なら、リベルテのことも受け入れてやってくれ。どちらが一番か、そんなことはどうでもいいことのはずだ」
「今後何か話が出る可能性はあるかもしれないが、問題はない。たいした騒ぎにはならないだろう」
そう述べるウィクトルは、騎士のようだった。
黒に身を包んだその姿はお世辞にも聖なる存在とは受け取れない。それゆえ、闇という字の似合う彼を聖という属性を持つ騎士に例えることには、違和感を覚える者も少なくはないだろう。それでも、彼のその凛々しい姿を目にしたなら、単なるどす黒さとは一線を画す存在であると多くの者が理解できるに違いない。
「それに、そもそもウタくんを訪問者に合わせないよう言ったのは私だしな」
「ごめんなさいね。いつも迷惑かけてばかりで」
「いや、いい。君に罪はない。……最初に迷惑をかけたのはこちらだ」
ウィクトルは僅かに顎を引いた。
軽く波打った黒髪が顔を隠す。それはまるで、夜空に浮かんだ月に雲が被さる様のよう。
夕食を終え、数時間が経過した頃、突如リベルテとフーシェの対決が始まることとなった。
屋内で、それも道場のような運動に適した施設ではないただの部屋で、いきなりそんなことが始まることになったものだから衝撃は大きかった。
「いざ、勝負! でございます!」
「……負けるわけがない」
武装は一切なし。己の肉体しか使用することのできない模擬戦。どうやら、そんなものが開始されたらしい。急過ぎて頭がついていかないが、ウィクトルが口を挟んでいないことから察するに、問題行動ではないのだろう。彼らの中で問題のないことなのならば、私が口を挟む必要などまったくもってありはしない。
五メートルほど離れた位置で向かい合うリベルテとフーシェ。
イメージ的にはフーシェの方が有利そうだと感じてしまうのだが……実際はどうなのだろう?
細くても男のリベルテが勝つのか。それともイメージ通りフーシェの方が一枚上手か。どうなるかは、実際に戦いを見てみるまで分からない。
——と、その時。
フーシェが何の前触れもなく一歩踏み出した。
柔らかな髪がなびく。しかし、髪とは対照的に、体の動きは直線的。どちらかというと男性的な印象を与えてくる動作だ。
もちろん、先に仕掛けたのも彼女だった。工夫を凝らすことなく直進していった彼女は、腹を捻り、回すようにして反動をつけながら左足で蹴りを繰り出す。遠心力で威力を高めた一撃は、リベルテに突き刺さる。が、リベルテは右腕で防御していた。反応は悪くない。
「……前よりは反応が良くなったみたいね」
「ふふ!」
褒められたことが嬉しかったのか、リベルテは口角を持ち上げて息を漏らす。だが、フーシェの表情は変わらない。彼女は無の表情のまま、人のものでない右手でリベルテの右手首を掴もうとする。先ほどの蹴りは防いだリベルテだったが、掴もうと迫る手から逃れることはできず。
「なっ……!」
フーシェの金属製の手は、リベルテの手首を確かに掴んだ。
力を入れて握られたリベルテは引きつったような声を発する。
「……でも相手じゃない」
その時、フーシェの面には、既に余裕の色が浮かんでいた。無表情ではあるものの、「勝てる」という思いが顔全体から漂っている。負ける可能性など、更々考えていないようだ。
フーシェは掴んだ手首を起点にリベルテを投げる。
一応男性であるという有利さはあるものの、それ以外にリベルテが優勢になるであろう点はない。そして、現実の結果もそうだった。フーシェの戦闘能力は、性差を超越している。それゆえ、華奢な男性が彼女に勝てるわけがなかった。
軽々と投げ技をかけたフーシェは、床に落ちたリベルテの体を腹が下になる向きで押さえる。
リベルテは抵抗しようとした。だが無駄だった。右手を背中側に回させられているので、もはや、何もできない状態だ。
下側の人間が腕力のある人間であったなら、この逆境を少しは何とかできたのかもしれないが。
「……終わり」
動けない、起き上がれない、そんな体勢に追い込まれたリベルテは、ついに頭を下げた。首の力を抜き、頬を床にくっつける。
「やはり素手は厳しいですね」
リベルテは「勝ちようがない」というような表情をしている。
「……もう諦めるの」
「はい。こうなってしまっては、リベルテには何もなせません」
リベルテが投降宣言とも取れるような言葉を発した数秒後、フーシェは彼の体を自由にした。
それにしても。あれだけの動きをした後であるにもかかわらず、フーシェは息を乱してすらいない。それは私には信じられないことだ。
「……そう。なら終わりね。やはり……ボナ様に相応しいのはこちらだわ」
フーシェはそう言って、微かに笑みを浮かべた。
刹那、起き上がってきていたリベルテが大きな声を発する。
「なっ! それは一体どういう意味ですか!?」
リベルテは眉をつり上げている。穏やかな坊ちゃんというイメージの強い彼らしくない表情だ。もっとも、頬を若干膨らませている辺りには彼特有の柔らかさと愛らしさを感じるが。
「……強い方こそがボナ様に相応しいの」
「何です? いきなり」
「……これからはリベルテが留守番するべき」
「ええっ!?」
特に話に挙がっていたわけでもないことついて唐突に言われ、リベルテは急激に困惑したような顔になった。
彼は本当に表情がよく変わる。短時間の間にであっても、絵本のように、次から次へと顔つきが変化していく。それゆえ、見ていて飽きない。
「な、何を言い出すのです! 主を放っておくことはできません!」
「……護れる者が傍にいるべきよ」
「そ、それはそうやもしれませんが……しかし! 主への忠誠心ならリベルテも負けません!」
リベルテは、握った両の拳を胸の前に位置させながら、眉尻を勇ましく持ち上げている。眉間にはしわ。自分の戦闘能力が低めであることを理解しつつも、大人しく引っ込んではいたくない、という思いを滾らせているようだ。
ちょうどそのタイミングで、ウィクトルが二人の間に割って入る。
「遊ぶのは良いが、こんな時間に騒ぐな」
彼はそれまで自身の用事を進めていた。それなのに、今になって二人の中に入っていったのは、ただの気まぐれだろうか。それとも、何か意図があってのことなのか。
「私たちには勝利が必要だ。それゆえ、求められるのは、あくまでその勝利のために必要な力。戦闘能力が高いか低いかだけですべてが決まるわけではない」
ウィクトルはフーシェを諭す。
「……けれど強さは必要」
「強ければ良いのなら、フーシェよりももっと強い者を探すことになる。それで良いのか」
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