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45話「ウタの作る世界」
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薄手の毛布をかけられつつソファに座っていたウィクトルは、リベルテからシャルティエラの訪問について報告を受けると、目を開いた。
「そんなことがあったのか」
「はい。何でも、ウタ様に用とのことでございまして」
「……それで? どうなった?」
ウィクトルは低い声で問う。
「特に危害を加えられることはございませんでした。しかし、彼女はやはり、まだ主を敵視していらっしゃるようで……」
リベルテは僅かに目を細め、言いにくそうに述べる。
「関係改善には至りそうになかったようでございます」
真剣な表情で聞いていたウィクトルは、顎を少し持ち上げる。琥珀の瞳から放たれる視線が、それまでより僅かに上へ向く。
「そうか。残念だ」
残念なんて微塵も思っていないのだろうな、というような、感情のこもっていない声でウィクトルは呟く。シャルティエラなどどうでもいい、とでも言いたげな様子で。
ちょうどそのタイミングで、扉が開いた。
入室してきたのは少女——フーシェだ。
彼女は何も言わず淡々とした足取りで進んでくる。立っている私などには目もくれず、ソファの前へ直行。そして、ウィクトルの目の前で足の動きを止めると、静かに口を開く。
「……ボナ様を狙撃したと思われる男、確保した」
報告に対し、一番に言葉を発したのはリベルテ。彼はウィクトルの横に座ったまま、眼球だけをフーシェの方へ向け、「有能ですね!」と発したのだった。だがフーシェは嫌そうな顔。さらにその数秒後、「リベルテに報告してはいない」とはっきり言い放った。
「そうか。で、今はどこに?」
「……気絶させ、拘束し、個室に収容」
「分かった。では、もう少ししたら、一度様子を見に行くことにする。よくやった、フーシェ」
リベルテと戦ったあの男性は、火の術に胸を焼かれ、あのまま落命した。それゆえ、彼からは何も聞き出すことができなかった。男性からすれば運が良かったのかもしれないが。ただ、こちら側からすれば、情報を引き出せなかったことは残念なことだったのだろう。
リベルテが手加減できなかったことを悔やんでいたことから、私はそれを察した。
「……ボナ様、傷の様子はどうなの」
「私か。私は平気だ。何の問題もない」
「そう……それなら良いけど」
フーシェの面は人形のそれのよう。造りは整っているが、人間らしい色はまったくもってない。そういう意味では、リベルテとは真逆の人柄と言えよう。彼女の顔は、人工物のようにすら感じられる。
「……無理はしないで」
「もちろんだ。フーシェは心配するな」
ウィクトルが落ち着いて言うと、フーシェは素直に頷いて「……分かった」と返事をしたのだった。
その夜、私はベッドの上で紙を取り出す。歌詞を書いた紙を。
今夜は人が少ない。
隣でフーシェは眠っている。だが、ウィクトルとリベルテは別室で夜を迎えることになった。そのため、パーテーションの向こう側には誰もいない。
だから、私はベッドから抜け出した。
窓の近くに行きたくて。
墨で塗り潰したような空を見上げ、紙を開く。
「まだ幼い頃に、いつも見上げてた、空はただ青く、透き通り」
ウィクトルたちがここを離れている間、暇潰しに書いた詞。それはとても曖昧なもので、誰もが称賛するような内容ではない。けれども、この詞は私の心を自由にするもの。
「私のこの心、希望で満たして、夢みせてくれた、空飛ぶ夢」
フーシェを起こさないよう気をつけつつ、旋律に言葉を乗せてゆく。
この時だけは、迷いも恥じらいもない。言葉で形容できないような快感に身を委ねるだけ。
「けれどもね、大人になるにつれ、そんな夢は見れなくなった」
母星の言葉はこの星では無力。意味など持たぬもの。それでも、これが私と共に歩んできた言葉たちである限り、私にとっては必要なものだ。
「忘れてしまっていたの……」
そんな時だ——背後の扉が開いたのは。
扉の開く音に気づき、私はすぐに振り返る。すると、薄暗い中に、一人立っているウィクトルの姿が見えた。
「すまない。邪魔したか」
「ウィクトル……どうしてこんな時間に?」
歌は途切れ、現実に引き戻される。
でも、私を引き戻したのが彼ならば、苛立ちはしない。
「書類を取りに来た。すると偶々君が歌っているところだった。……それだけのことだ」
もう消灯の時間は過ぎている。ウィクトルも寝ているものと考えていた。だが、どうやらそうではなかったらしい。部隊の長となれば、皆と同じように眠ってはいられないものなのだろうか。
「ごめんなさい、退くわ」
「いや、歌を続けてくれ。私は君の歌が嫌いでない」
彼は部屋に入ってきながらそんなことを言った。
「それに。新しい歌だな、今のは」
気づかれている……。
「続きを聞かせてくれ」
「い……いいのかしら。だってまだ、未完成で……」
一人の時に歌うのは恥じらいなんてない。だが、誰かが聞いているとなれば話は別だ。それも、相手がウィクトル一人だけだなんて、変に緊張してしまう。私のことを知らない大勢の人たちの前で歌う方が、まだ、ずっと気楽だ。
「そんなことはどうでもいい。私は聞きたい、君の声を」
断ろうと思っていた。けれど、真っ直ぐな眼差しを向けられたら、「拒否権なんてない」と言われているかのような気分になって。
「……ありがとう。じゃあ、歌うわ。上手くないかもしれないけれど……」
結局私は断れなかった。
ウィクトルの眼差しに負けてしまった。
「現実は厳しく、夢との狭間に、立ち塞がっては、邪魔をする」
先ほどの続きから再開。
「それでも鳥は飛ぶ、白い羽広げ、いつか夢みてた、大空へ」
中断前と合わせて、ここで一段落。
そして、旋律は最初へ戻る。
「荒んだ世界には、光などなくて、そこにあるものは、涙だけ」
この星、この国へ来てから、多くの人々の前に出て歌ってきた。嬉しいこと、悲しいこと、様々なことがあったけれど、すべて今は思い出に移り行きつつある。
「悲しみと憎しみ、それだけ蔓延る、そんな時代など、変えてしまおう」
歌は祈り。
そして、未来への道標。
「欲しいもの、何か一つ手にした瞬間、何か消えてしまうと知っていても——」
思いついただけだった言葉が、いつしか、放たれる声に絡みつく。旋律に乗り、言葉一つ一つが宙を舞う。
「世界が求むのは、悲劇ではなくて、きっと想像を、越えた未来」
幾千の星が輝く夜空のような。
無数の花が咲く花畑のような。
そんな世界を、歌は作り出すのだ。
「だからこそ歌おう、幸せな歌を、この広い空に、響かせて——」
「そんなことがあったのか」
「はい。何でも、ウタ様に用とのことでございまして」
「……それで? どうなった?」
ウィクトルは低い声で問う。
「特に危害を加えられることはございませんでした。しかし、彼女はやはり、まだ主を敵視していらっしゃるようで……」
リベルテは僅かに目を細め、言いにくそうに述べる。
「関係改善には至りそうになかったようでございます」
真剣な表情で聞いていたウィクトルは、顎を少し持ち上げる。琥珀の瞳から放たれる視線が、それまでより僅かに上へ向く。
「そうか。残念だ」
残念なんて微塵も思っていないのだろうな、というような、感情のこもっていない声でウィクトルは呟く。シャルティエラなどどうでもいい、とでも言いたげな様子で。
ちょうどそのタイミングで、扉が開いた。
入室してきたのは少女——フーシェだ。
彼女は何も言わず淡々とした足取りで進んでくる。立っている私などには目もくれず、ソファの前へ直行。そして、ウィクトルの目の前で足の動きを止めると、静かに口を開く。
「……ボナ様を狙撃したと思われる男、確保した」
報告に対し、一番に言葉を発したのはリベルテ。彼はウィクトルの横に座ったまま、眼球だけをフーシェの方へ向け、「有能ですね!」と発したのだった。だがフーシェは嫌そうな顔。さらにその数秒後、「リベルテに報告してはいない」とはっきり言い放った。
「そうか。で、今はどこに?」
「……気絶させ、拘束し、個室に収容」
「分かった。では、もう少ししたら、一度様子を見に行くことにする。よくやった、フーシェ」
リベルテと戦ったあの男性は、火の術に胸を焼かれ、あのまま落命した。それゆえ、彼からは何も聞き出すことができなかった。男性からすれば運が良かったのかもしれないが。ただ、こちら側からすれば、情報を引き出せなかったことは残念なことだったのだろう。
リベルテが手加減できなかったことを悔やんでいたことから、私はそれを察した。
「……ボナ様、傷の様子はどうなの」
「私か。私は平気だ。何の問題もない」
「そう……それなら良いけど」
フーシェの面は人形のそれのよう。造りは整っているが、人間らしい色はまったくもってない。そういう意味では、リベルテとは真逆の人柄と言えよう。彼女の顔は、人工物のようにすら感じられる。
「……無理はしないで」
「もちろんだ。フーシェは心配するな」
ウィクトルが落ち着いて言うと、フーシェは素直に頷いて「……分かった」と返事をしたのだった。
その夜、私はベッドの上で紙を取り出す。歌詞を書いた紙を。
今夜は人が少ない。
隣でフーシェは眠っている。だが、ウィクトルとリベルテは別室で夜を迎えることになった。そのため、パーテーションの向こう側には誰もいない。
だから、私はベッドから抜け出した。
窓の近くに行きたくて。
墨で塗り潰したような空を見上げ、紙を開く。
「まだ幼い頃に、いつも見上げてた、空はただ青く、透き通り」
ウィクトルたちがここを離れている間、暇潰しに書いた詞。それはとても曖昧なもので、誰もが称賛するような内容ではない。けれども、この詞は私の心を自由にするもの。
「私のこの心、希望で満たして、夢みせてくれた、空飛ぶ夢」
フーシェを起こさないよう気をつけつつ、旋律に言葉を乗せてゆく。
この時だけは、迷いも恥じらいもない。言葉で形容できないような快感に身を委ねるだけ。
「けれどもね、大人になるにつれ、そんな夢は見れなくなった」
母星の言葉はこの星では無力。意味など持たぬもの。それでも、これが私と共に歩んできた言葉たちである限り、私にとっては必要なものだ。
「忘れてしまっていたの……」
そんな時だ——背後の扉が開いたのは。
扉の開く音に気づき、私はすぐに振り返る。すると、薄暗い中に、一人立っているウィクトルの姿が見えた。
「すまない。邪魔したか」
「ウィクトル……どうしてこんな時間に?」
歌は途切れ、現実に引き戻される。
でも、私を引き戻したのが彼ならば、苛立ちはしない。
「書類を取りに来た。すると偶々君が歌っているところだった。……それだけのことだ」
もう消灯の時間は過ぎている。ウィクトルも寝ているものと考えていた。だが、どうやらそうではなかったらしい。部隊の長となれば、皆と同じように眠ってはいられないものなのだろうか。
「ごめんなさい、退くわ」
「いや、歌を続けてくれ。私は君の歌が嫌いでない」
彼は部屋に入ってきながらそんなことを言った。
「それに。新しい歌だな、今のは」
気づかれている……。
「続きを聞かせてくれ」
「い……いいのかしら。だってまだ、未完成で……」
一人の時に歌うのは恥じらいなんてない。だが、誰かが聞いているとなれば話は別だ。それも、相手がウィクトル一人だけだなんて、変に緊張してしまう。私のことを知らない大勢の人たちの前で歌う方が、まだ、ずっと気楽だ。
「そんなことはどうでもいい。私は聞きたい、君の声を」
断ろうと思っていた。けれど、真っ直ぐな眼差しを向けられたら、「拒否権なんてない」と言われているかのような気分になって。
「……ありがとう。じゃあ、歌うわ。上手くないかもしれないけれど……」
結局私は断れなかった。
ウィクトルの眼差しに負けてしまった。
「現実は厳しく、夢との狭間に、立ち塞がっては、邪魔をする」
先ほどの続きから再開。
「それでも鳥は飛ぶ、白い羽広げ、いつか夢みてた、大空へ」
中断前と合わせて、ここで一段落。
そして、旋律は最初へ戻る。
「荒んだ世界には、光などなくて、そこにあるものは、涙だけ」
この星、この国へ来てから、多くの人々の前に出て歌ってきた。嬉しいこと、悲しいこと、様々なことがあったけれど、すべて今は思い出に移り行きつつある。
「悲しみと憎しみ、それだけ蔓延る、そんな時代など、変えてしまおう」
歌は祈り。
そして、未来への道標。
「欲しいもの、何か一つ手にした瞬間、何か消えてしまうと知っていても——」
思いついただけだった言葉が、いつしか、放たれる声に絡みつく。旋律に乗り、言葉一つ一つが宙を舞う。
「世界が求むのは、悲劇ではなくて、きっと想像を、越えた未来」
幾千の星が輝く夜空のような。
無数の花が咲く花畑のような。
そんな世界を、歌は作り出すのだ。
「だからこそ歌おう、幸せな歌を、この広い空に、響かせて——」
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