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12話「ウタの調べもの」
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「オルダレスへ行く」
ウィクトルがリベルテやフーシェの前でそう述べたのは、『歌姫祭』から丸二日が過ぎた朝のことだった。
「もう、でございますか……!」
「……任務」
リベルテも、フーシェも、いきなりのことにハッとしたような顔。
数メートル離れた位置で聞いていた私は、唐突なことに驚きを隠せない。そして、それと同時に、どうしようと焦る。三人が遠い地へ出掛けていってしまったら私はどうすれば良いのか、という思いがあるからである。今は彼らがいるからここで穏やかに暮らせているが、私一人だけここに残るなんてことが可能なものなのか。
「まだ小規模ではあるようだが、一般市民による反乱が起きているとのことだ。よって、反乱の平定に向かう。昼過ぎにはここを出る」
事情を簡単に説明するウィクトルは落ち着き払っている。
「この国での任務は久々でございますね。少し緊張致します……!」
「すぐに終わることだ、緊張することはない」
やや固い表情で目をぱちぱちさせているリベルテに、ウィクトルは優しげな言葉をかける。
「は、はい!」
ウィクトルから優しい言葉を受け取るや否や、リベルテは嬉しそうに明るい顔をする。
元気が出たみたいだ。
働くことに慣れているリベルテであっても、緊張することはあるのだな。そう知ることができて、私は少し嬉しかった。彼らにも人間らしい弱い部分もあるのだと分かり、若干共通点が生まれたような気がして嬉しい。
リベルテとフーシェへの話を終えると、ウィクトルは、少し離れたところで聞いていないふりをしていた私に歩み寄ってきた。
「ウタくん。昼過ぎ頃、私たちはここを発つ。次の任務だ」
「え。そ、そうだったの」
耳を澄ましていたから本当は聞いていたけれど、咄嗟に聞いていなかったふりをしてしまった。
馬鹿ね、私。
聞いていなかったふりなんてしても何の意味もないのに。
「三人揃って行くの?」
「そうなる。できれば誰か残したいところなのだが、すまない」
今までだって三人で戦ってきたのだろう、それならこれからも三人で働く方が良いはずだ。構成を急に変えるというのはリスクが大きい。今まで通りの形で仕事に励めるのが理想だろう。
「私は……ここにいて大丈夫?」
「もちろん。それは問題ない。この部屋で暮らしてくれ」
さすがに私も同行するわけにはいかないか、と残念に思いつつも、頷いた。
この国において、私が頼れるのはウィクトルたちだけだ。それゆえ、彼らのいない状況で過ごすとというのは不安がある。彼らには彼らの仕事があるのだからそれを邪魔してはならないと分かっていても、離れるのはどことなく寂しい。
「いってらっしゃい。気をつけて」
「理解、感謝する」
私にできるのは、ウィクトルたちが罪悪感を覚えぬように、笑顔で送り出すことだけ。
今はただ、できることをしよう。それしかない。
穏やかで平凡な昼過ぎ、ウィクトルたちは出発した。
私は宿舎に残る。
任務のために出ていったのはウィクトルら三人だけではない。彼らのもっと下の部下たちもまた、順に任務へ向かった。
もっとも、宿舎には幾人かだけ居残っているようだが。
一人になった私は、何をしよう、と考えて、ふと室内に置かれた本棚に意識を向ける。
室内にある、黒々とした五段ほどの本棚。そこには、硬い表紙の分厚い本から、紙数十枚をまとめただけの簡易的な本まで、様々なものが並んでいる。その多くは、この国の文字が書かれているものであり、読むことができない。
「何か読めそうなもの……」
私は本棚に並んだ本を順に手に取ってゆく。読めそうなものを探して。
だが、地球人の私でも読めそうなものはなかなか見つからない。
キエルの文字が読めない以上、ここにある本から読めそうなものを探すというのは至難の技かもしれない——そんな風に諦めかけた時だ、一冊の分厚い本が視界に入ったのは。
「辞書……?」
馴染みのないキエルの文字と一緒に、地球の文字で『地球語』と書かれている背表紙。私は半ば無意識のうちにその本を引き出した。そしてすぐさま開く。
そこには、地球の文字が確かに存在していた。
キエルの文字が半分。しかし地球の文字も半分近く載っている。
まったく異なる形をした二種類の文字が仲良く並んでいる光景は実に不思議なものであった。が、その光景を目にした時、私は胸が高鳴るのを感じた。もしこれがキエルの言葉と地球の言葉を対として理解できる辞書のようなものであるならば、これを参考に他の本も読めるかもしれないと思ったからだ。
私はそれの隣に入っていた地図帳と考えられる本を取り出して、一ページ目を開けると、そこに記載されているキエルの文字列を一つだけ覚える。そして、それを辞書のような本の方で調べてみた。一回目に試したその言葉は固有名詞だったらしく載っていなかったが、同じことを数回繰り返すうちに、地球語訳にたどり着く時が来た。
「川。やっぱりこれは辞書みたいなものなんだわ」
思わず一人呟いてしまった。
予想が合っていたのが嬉しかったのだ。
「ウィクトルが行ったのは……オルダレス……だったかしら」
地球の単語の横には発音がキエルの文字で書かれている。地球の単語の発音は知っているのだから、それらの横に記載されたキエルの文字から推測すれば、キエルの文字の発音の仕方はある程度掴めるはず。キエルの文字の発音を少しでも掴めたなら、発音の分かる地名は地図から探せる。
調べて、調べて。
ちまちま作業を進めていたら、あっという間に夜が来た。
用事をしていると時が経つのは早い。熱中していたら、なおさらだ。
ウィクトルがリベルテやフーシェの前でそう述べたのは、『歌姫祭』から丸二日が過ぎた朝のことだった。
「もう、でございますか……!」
「……任務」
リベルテも、フーシェも、いきなりのことにハッとしたような顔。
数メートル離れた位置で聞いていた私は、唐突なことに驚きを隠せない。そして、それと同時に、どうしようと焦る。三人が遠い地へ出掛けていってしまったら私はどうすれば良いのか、という思いがあるからである。今は彼らがいるからここで穏やかに暮らせているが、私一人だけここに残るなんてことが可能なものなのか。
「まだ小規模ではあるようだが、一般市民による反乱が起きているとのことだ。よって、反乱の平定に向かう。昼過ぎにはここを出る」
事情を簡単に説明するウィクトルは落ち着き払っている。
「この国での任務は久々でございますね。少し緊張致します……!」
「すぐに終わることだ、緊張することはない」
やや固い表情で目をぱちぱちさせているリベルテに、ウィクトルは優しげな言葉をかける。
「は、はい!」
ウィクトルから優しい言葉を受け取るや否や、リベルテは嬉しそうに明るい顔をする。
元気が出たみたいだ。
働くことに慣れているリベルテであっても、緊張することはあるのだな。そう知ることができて、私は少し嬉しかった。彼らにも人間らしい弱い部分もあるのだと分かり、若干共通点が生まれたような気がして嬉しい。
リベルテとフーシェへの話を終えると、ウィクトルは、少し離れたところで聞いていないふりをしていた私に歩み寄ってきた。
「ウタくん。昼過ぎ頃、私たちはここを発つ。次の任務だ」
「え。そ、そうだったの」
耳を澄ましていたから本当は聞いていたけれど、咄嗟に聞いていなかったふりをしてしまった。
馬鹿ね、私。
聞いていなかったふりなんてしても何の意味もないのに。
「三人揃って行くの?」
「そうなる。できれば誰か残したいところなのだが、すまない」
今までだって三人で戦ってきたのだろう、それならこれからも三人で働く方が良いはずだ。構成を急に変えるというのはリスクが大きい。今まで通りの形で仕事に励めるのが理想だろう。
「私は……ここにいて大丈夫?」
「もちろん。それは問題ない。この部屋で暮らしてくれ」
さすがに私も同行するわけにはいかないか、と残念に思いつつも、頷いた。
この国において、私が頼れるのはウィクトルたちだけだ。それゆえ、彼らのいない状況で過ごすとというのは不安がある。彼らには彼らの仕事があるのだからそれを邪魔してはならないと分かっていても、離れるのはどことなく寂しい。
「いってらっしゃい。気をつけて」
「理解、感謝する」
私にできるのは、ウィクトルたちが罪悪感を覚えぬように、笑顔で送り出すことだけ。
今はただ、できることをしよう。それしかない。
穏やかで平凡な昼過ぎ、ウィクトルたちは出発した。
私は宿舎に残る。
任務のために出ていったのはウィクトルら三人だけではない。彼らのもっと下の部下たちもまた、順に任務へ向かった。
もっとも、宿舎には幾人かだけ居残っているようだが。
一人になった私は、何をしよう、と考えて、ふと室内に置かれた本棚に意識を向ける。
室内にある、黒々とした五段ほどの本棚。そこには、硬い表紙の分厚い本から、紙数十枚をまとめただけの簡易的な本まで、様々なものが並んでいる。その多くは、この国の文字が書かれているものであり、読むことができない。
「何か読めそうなもの……」
私は本棚に並んだ本を順に手に取ってゆく。読めそうなものを探して。
だが、地球人の私でも読めそうなものはなかなか見つからない。
キエルの文字が読めない以上、ここにある本から読めそうなものを探すというのは至難の技かもしれない——そんな風に諦めかけた時だ、一冊の分厚い本が視界に入ったのは。
「辞書……?」
馴染みのないキエルの文字と一緒に、地球の文字で『地球語』と書かれている背表紙。私は半ば無意識のうちにその本を引き出した。そしてすぐさま開く。
そこには、地球の文字が確かに存在していた。
キエルの文字が半分。しかし地球の文字も半分近く載っている。
まったく異なる形をした二種類の文字が仲良く並んでいる光景は実に不思議なものであった。が、その光景を目にした時、私は胸が高鳴るのを感じた。もしこれがキエルの言葉と地球の言葉を対として理解できる辞書のようなものであるならば、これを参考に他の本も読めるかもしれないと思ったからだ。
私はそれの隣に入っていた地図帳と考えられる本を取り出して、一ページ目を開けると、そこに記載されているキエルの文字列を一つだけ覚える。そして、それを辞書のような本の方で調べてみた。一回目に試したその言葉は固有名詞だったらしく載っていなかったが、同じことを数回繰り返すうちに、地球語訳にたどり着く時が来た。
「川。やっぱりこれは辞書みたいなものなんだわ」
思わず一人呟いてしまった。
予想が合っていたのが嬉しかったのだ。
「ウィクトルが行ったのは……オルダレス……だったかしら」
地球の単語の横には発音がキエルの文字で書かれている。地球の単語の発音は知っているのだから、それらの横に記載されたキエルの文字から推測すれば、キエルの文字の発音の仕方はある程度掴めるはず。キエルの文字の発音を少しでも掴めたなら、発音の分かる地名は地図から探せる。
調べて、調べて。
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