春は夢を見せるだろうか

四季

文字の大きさ
上 下
1 / 2

前編

しおりを挟む
 これは、僕がこの人生で一度だけ、本当に心を揺すぶられた出会いのお話。

 初めて彼女を見たのは、高校に入学して間もない頃。麗らかな春の日の、帰り道だった。

 歩くたび揺れる黒い髪。長い睫毛が彩る、星空のような瞳。白い肌は陶器人形かと思うほどに滑らかで、頬と唇だけがほんのりと桜色。

 彼女の横顔は不思議だった。
 あどけなさの残る少女のようにも、色香のある大人の女性のようにも見える。

 そんな彼女を一目見た時、僕の中の何かが崩れる音がした。
 当時の僕にはよく分からなかったけれど、今なら分かる。あれは多分、俗に言う、「一目惚れ」というものなのだろう。


 それからというもの、毎日のように彼女の姿を見かけるようになった。授業が終わってすぐ帰る日も、部活で遅くに帰る日も、彼女は道を歩いている。僕が帰るのと同じ時間に、彼女は必ず歩いているのだ。

 いつしか、帰り道に彼女の姿を見るのが、僕の楽しみになった。

 でも、見るだけだ。
 声をかけても、僕なんかが相手してもらえるわけがない。

 だから、見るだけ。


 そんなある日。
 いつもと同じように、僕は高校からの帰り道を歩いていた。不思議な彼女は、今日も、真っ直ぐ前だけを見据えて歩んでいる。

 風になびく黒い髪をぼんやり見つめていると、突然、彼女がハンカチを落とした。レース生地の白いハンカチを。

 僕はそれを拾い上げ、勇気を出して彼女を呼び止める。

「あっ、あの!」

 声は届いたようだ。
 彼女の足はぴたりと制止した。

「ハンカチ、落としましたよ!」

 すると彼女はくるりと振り返る。
 肌の白と髪の黒——そのコントラストが、近くで見るとなおさら、印象的だ。

「……あ」

 桜色の唇からこぼれ落ちた小さな声は、金平糖のようだった。小さくて、愛らしくて、脳も心も溶けるほどに甘い。

「これ、貴女のですよね?」

 手に取ったハンカチを彼女に差し出す。すると彼女は、小さな手を伸ばした。強く掴むと壊れてしまいそうな細い指先。僕は思わず息を飲む。

「はい」

 甘く繊細な声の粒が、またしてもこぼれる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

振られた私

詩織
恋愛
告白をして振られた。 そして再会。 毎日が気まづい。

最愛の彼

詩織
恋愛
部長の愛人がバレてた。 彼の言うとおりに従ってるうちに私の中で気持ちが揺れ動く

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

処理中です...