23 / 61
1部
22.レフィエリの秘術(1)
しおりを挟む
その日、フィオーネとレフィエリシナは、神殿内のあまり人通りのないエリアを歩いていた。
なぜ人がいないのか?
それは、その場所が、ごく一部の人にしか入ることのできない秘められた場所だからだ。
静寂に二人の足音だけが控えめに響く。
そして、やがて立ち止まるレフィエリシナ。
「着いたわ」
「お母様……ここは?」
女王レフィエリシナに子のように育てられてきたフィオーネですら、その場所のことは知らなかった。
――最奥の間。
そこは隠された聖域。
銀で縁取りされた濃紺の扉をそっと押し開けるレフィエリシナ。
「こんなところが……」
真っ白な石畳の床、高い天井、言葉を失うくらい清らかな空気――フィオーネは圧倒される。
「ここは始まりの間。レフィエリの主たちは代々ここを訪れて来たわ。そして皆この場所で学ぶのよ、秘術を」
フィオーネは高い天井を見上げて目を輝かせていた。
彼女にとっては初めて訪れる楽園。
すべてが、特別で、心奪うものだった。
「聞いている? フィオーネ」
「あっ、す、すみません! でも聞こえていました! レフィエリの主がここで秘術を習うのですよね!」
「ええ」
「で、では、お母様もここで? ここで秘術を学ばれたのですか?」
レフィエリシナは瞼を閉ざしながら一度だけ頷く。
学ぶことが好きなフィオーネは興味深そうに「先生がいらっしゃるのでしょうか……?」と尋ねる。それに対してレフィエリシナは「夢をみるの」と短く事実だけを答えた。しかしその答えはフィオーネの中の疑問符をより大きく膨らませるだけであった。
「ここには始まりの魔術師の思念が遺されているのよ」
「始まりの……って、あ! あの始まりの歴史のですか!?」
フィオーネは以前レフィエリの始まりについて調べたことがあった。で、その時、この国の始まりに一人の魔術師が関わっていたことを知ったのだ。とはいえ、その時は伝説だろうくらいにしか捉えていなかったので、それ以上深く踏み込んで調べたり考えたりすることはしなかったのだが。
「貴女も女王になるなら秘術を教わらなくてはならないわ。まぁ……今回に関しては順序が逆転してしまうけれどね」
「私が習うのですか? それも今?」
「そうよ」
「あ……は、はい! 頑張って習得します!」
やる気はあるが不自然な力み方をしているフィオーネをレフィエリシナは室内へ押し込んだ。そして扉をそっと閉める。気づけばフィオーネは室内に一人ぼっちになってしまっていた。
そのことに気づいたフィオーネがレフィエリシナを呼ぼうとした瞬間、得体のしれない青白い光が背後から迫り――やがてフィオーネは意識を失った。
◆
気づけばフィオーネは薔薇の咲く丘にいた。
様々な色の薔薇が咲き乱れている。
何をしていたのだろう?
何をしているのだろう?
曖昧になってしまった記憶、フィオーネは言葉は出せないままで辺りを見回し状況を読み取ろうとする。
空は青く澄んでいた。
「フィオーネ」
背後から呼ぶ声がして振り返る。
そこには藍色のドレスを身にまとい純白の大きな帽子を被った女性が立っていた。
「あの、すみません、ここって……」
「美しいところでしょう」
目もとは帽子で隠れたまま、唇だけが動く。
「え……あ、は、はい、そうですね」
きょとんとしていたフィオーネに、女性は歩み寄る。そして、すぐ傍で止まると、重ね合わせた手のひらを開いて見せる。
そこには一輪の薔薇があった。
手のひらの舟に収まる大きさの、それでいて堂々とそこに在る、藍色の薔薇。
「選ばれた貴女には見えるの」
すぐ傍でそう話す女性の顔を覗き見て、フィオーネはどこか懐かしさを感じる。
それは、遠い記憶ではない。
ただ、その懐かしさはくっきりとしたものではなく、ぼんやりとした輪郭のようなもの。
「……師匠?」
フィオーネは無意識で呟く。
「何?」
「あ――ご、ごめんなさい、関係ないですよね! すみません!」
落書きを慌てて消すかのように笑いをこぼすフィオーネ。
「その、知人に貴女に少し似ている人がいて、ですね……それでつい! すみません急に関係のないことを! 馬鹿みたいですね関係あるわけないのに……本当にすみません!」
それからフィオーネは話を戻す。
「そ、それで、この薔薇、何なのでしょうか? 選ばれたというのも、よく……分からなくて。私はただのフィオーネです」
フィオーネはどこか気まずそうな顔をしながらも藍色の女性へ視線を向ける。
すると女性は柔らかく微笑む。
「貴女みたいな人が好きよ」
女性は一つの薔薇をフィオーネに手渡す。
「だから、あげるね」
頬に落ちる唇。
「レフィエリを護って」
そして世界は溶け落ちる。
優しい花の香りと共に。
◆
フィオーネは目覚める。
冷たい白色の床の上で。
「え……え、え……え……?」
何が何だか分からなくなって混乱していると、扉が開く。
「終わったようねフィオーネ」
聞き慣れたレフィエリシナの声がフィオーネを現実世界に引き戻す。
夢のような時間は終わった。
「お母様……」
「夢をみた?」
「はい、ええと……そうでした、お姉さんが藍色の薔薇……」
しゃがみ込んだレフィエリシナの手が、まだ立ち上がることができずにいるフィオーネの頭を滑らかに撫でる。
「帰りましょ、フィオーネ」
「あの、本当に、これだけで良かったのでしょうか……?」
「ええ」
「そ、そう、ですか……」
差し出されたレフィエリシナの灰色の手を、フィオーネは握った。
それでもまだ戸惑いも抱えている彼女だったが。
「トマトパフェ、あるわよ」
レフィエリシナの言葉に。
「食べますッ!!」
興奮気味な大声を発した。
なぜ人がいないのか?
それは、その場所が、ごく一部の人にしか入ることのできない秘められた場所だからだ。
静寂に二人の足音だけが控えめに響く。
そして、やがて立ち止まるレフィエリシナ。
「着いたわ」
「お母様……ここは?」
女王レフィエリシナに子のように育てられてきたフィオーネですら、その場所のことは知らなかった。
――最奥の間。
そこは隠された聖域。
銀で縁取りされた濃紺の扉をそっと押し開けるレフィエリシナ。
「こんなところが……」
真っ白な石畳の床、高い天井、言葉を失うくらい清らかな空気――フィオーネは圧倒される。
「ここは始まりの間。レフィエリの主たちは代々ここを訪れて来たわ。そして皆この場所で学ぶのよ、秘術を」
フィオーネは高い天井を見上げて目を輝かせていた。
彼女にとっては初めて訪れる楽園。
すべてが、特別で、心奪うものだった。
「聞いている? フィオーネ」
「あっ、す、すみません! でも聞こえていました! レフィエリの主がここで秘術を習うのですよね!」
「ええ」
「で、では、お母様もここで? ここで秘術を学ばれたのですか?」
レフィエリシナは瞼を閉ざしながら一度だけ頷く。
学ぶことが好きなフィオーネは興味深そうに「先生がいらっしゃるのでしょうか……?」と尋ねる。それに対してレフィエリシナは「夢をみるの」と短く事実だけを答えた。しかしその答えはフィオーネの中の疑問符をより大きく膨らませるだけであった。
「ここには始まりの魔術師の思念が遺されているのよ」
「始まりの……って、あ! あの始まりの歴史のですか!?」
フィオーネは以前レフィエリの始まりについて調べたことがあった。で、その時、この国の始まりに一人の魔術師が関わっていたことを知ったのだ。とはいえ、その時は伝説だろうくらいにしか捉えていなかったので、それ以上深く踏み込んで調べたり考えたりすることはしなかったのだが。
「貴女も女王になるなら秘術を教わらなくてはならないわ。まぁ……今回に関しては順序が逆転してしまうけれどね」
「私が習うのですか? それも今?」
「そうよ」
「あ……は、はい! 頑張って習得します!」
やる気はあるが不自然な力み方をしているフィオーネをレフィエリシナは室内へ押し込んだ。そして扉をそっと閉める。気づけばフィオーネは室内に一人ぼっちになってしまっていた。
そのことに気づいたフィオーネがレフィエリシナを呼ぼうとした瞬間、得体のしれない青白い光が背後から迫り――やがてフィオーネは意識を失った。
◆
気づけばフィオーネは薔薇の咲く丘にいた。
様々な色の薔薇が咲き乱れている。
何をしていたのだろう?
何をしているのだろう?
曖昧になってしまった記憶、フィオーネは言葉は出せないままで辺りを見回し状況を読み取ろうとする。
空は青く澄んでいた。
「フィオーネ」
背後から呼ぶ声がして振り返る。
そこには藍色のドレスを身にまとい純白の大きな帽子を被った女性が立っていた。
「あの、すみません、ここって……」
「美しいところでしょう」
目もとは帽子で隠れたまま、唇だけが動く。
「え……あ、は、はい、そうですね」
きょとんとしていたフィオーネに、女性は歩み寄る。そして、すぐ傍で止まると、重ね合わせた手のひらを開いて見せる。
そこには一輪の薔薇があった。
手のひらの舟に収まる大きさの、それでいて堂々とそこに在る、藍色の薔薇。
「選ばれた貴女には見えるの」
すぐ傍でそう話す女性の顔を覗き見て、フィオーネはどこか懐かしさを感じる。
それは、遠い記憶ではない。
ただ、その懐かしさはくっきりとしたものではなく、ぼんやりとした輪郭のようなもの。
「……師匠?」
フィオーネは無意識で呟く。
「何?」
「あ――ご、ごめんなさい、関係ないですよね! すみません!」
落書きを慌てて消すかのように笑いをこぼすフィオーネ。
「その、知人に貴女に少し似ている人がいて、ですね……それでつい! すみません急に関係のないことを! 馬鹿みたいですね関係あるわけないのに……本当にすみません!」
それからフィオーネは話を戻す。
「そ、それで、この薔薇、何なのでしょうか? 選ばれたというのも、よく……分からなくて。私はただのフィオーネです」
フィオーネはどこか気まずそうな顔をしながらも藍色の女性へ視線を向ける。
すると女性は柔らかく微笑む。
「貴女みたいな人が好きよ」
女性は一つの薔薇をフィオーネに手渡す。
「だから、あげるね」
頬に落ちる唇。
「レフィエリを護って」
そして世界は溶け落ちる。
優しい花の香りと共に。
◆
フィオーネは目覚める。
冷たい白色の床の上で。
「え……え、え……え……?」
何が何だか分からなくなって混乱していると、扉が開く。
「終わったようねフィオーネ」
聞き慣れたレフィエリシナの声がフィオーネを現実世界に引き戻す。
夢のような時間は終わった。
「お母様……」
「夢をみた?」
「はい、ええと……そうでした、お姉さんが藍色の薔薇……」
しゃがみ込んだレフィエリシナの手が、まだ立ち上がることができずにいるフィオーネの頭を滑らかに撫でる。
「帰りましょ、フィオーネ」
「あの、本当に、これだけで良かったのでしょうか……?」
「ええ」
「そ、そう、ですか……」
差し出されたレフィエリシナの灰色の手を、フィオーネは握った。
それでもまだ戸惑いも抱えている彼女だったが。
「トマトパフェ、あるわよ」
レフィエリシナの言葉に。
「食べますッ!!」
興奮気味な大声を発した。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる