暁のカトレア

四季

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episode.137 分からないことだらけでも

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 それから私は、ゼーレとのことについて、グレイブに話した。

 彼がアニタの宿屋に勤められないかと思っている様子だったこと。それに加え、「共に生きてくれ」と言われたこと。
 一部だけ隠すなんて面倒なので、思いきってすべてを話すことにしたのだった。

 私の話を聞いたグレイブは、始終、驚いた顔をしていた。

 あれほど嫌みばかり言う性格だったゼーレのことだ、この話を聞いてグレイブが驚くのも無理はない。むしろ、当然と言っても過言ではないくらいだ。

「なるほど、そういうことだったのか」
「はい」

 隣同士の椅子に腰掛けながら、私とグレイブは話す。

「彼が宿で働きたいというのは、正直意外だな」
「ですよね」
「だが、まともな職に就くというのも悪くはないかもしれない。立派な一つの道だ」

 グレイブは赤い唇を動かし、話を続ける。

「しかし……『共に生きてくれ』は気が早くないか? まだ二十歳にもなっていない娘に、そんなことを言うものだろうか」
「難しいです」
「だろうな。私がマレイであったとしても、答えられなかったと思う」

 そんな風に言葉を発するグレイブは、意外にも、涼しい顔をしている。

 化け物やそれに関わる者へ憎しみを抱いている彼女だから、もう少し厳しいことを言われるかと予想していたのだが、案外そうでもなかった。彼女は、私が思っているよりずっと大人なのかもしれない。

「で、マレイの気持ちはどうなんだ?」
「よく分からないんです」
「ゼーレのこと、大切に思っているのか?」

 大切なのだろうか。

 彼が命を落とすかもしれないと思った時は、本当に辛かったし、悲しくなって仕方がなかった。
 そこから察するに、どうでもいい、ということはないのだと思う。

 けれども、それが、共に生きていきたいと願うほどの感情なのかどうか。そこがいまいちよく分からない。

「嫌いでは……ないです。でも、これがどの程度の想いなのか、よく分かりません」

 率直な心境を述べた。
 するとグレイブは、さらに尋ねてくる。

「一緒にいると楽しいか? 彼のいない生活を想像できるか? ……など考えてみてはどうだ」
「それはもちろん、一緒にいれば楽しいですし、死んでしまったら嫌です」

 もう二度と、大切な人を失いたくない。私一人だけが遺されるなんて、絶対にごめんだ。

 ——って、あれ?

 今、私……ゼーレのことを大切な人って思った?

 ということはやっぱり、ゼーレは私にとって大切な人なのだろうか。別段意識はしてこなかったけれど、いつの間にか大切になっていたということも、考えられないことはない。

「やっぱり……大切なのかも、しれません」

 戸惑いの海に溺れかけながらも、私は述べた。
 私が突然そんなことを言い出したからか、グレイブは目を見開く。

「そうなのか?」
「よく分かっていませんでしたが……今、大切かもしれないと気づきました」

 散々分からないなどと言っておきながら、いきなりこんなことを言い出したのだ。驚かれるのも無理はない。

 だが、グレイブはすぐに切り替え、ふっと余裕のある笑みをこぼす。

「そうか。なら簡単だな」

 楽しいものを見たような、含みのある笑みだ。

「もう答えは出ただろう? マレイ」

 グレイブはその凛々しい顔に笑みを浮かべたまま、そんなことを言ってきた。すべてを見透かしているかのような眼差しを向けられると、何だか不思議な気分になってくる。

「えっと、あの……」
「あと必要なのは、勇気だけだ。頑張れ」
「え……?」

 グレイブが言おうとしていることは、薄々察することができる。が、彼女がそんなことを言うということ自体が信じられず、私はただ、困惑する外なかった。

 化け物を、化け物と繋がりのあるゼーレを、あんなに嫌っていたグレイブなのに——今、私の心は驚きに満ちている。

「特に何かをしてやれるというわけではないが、応援しているからな」
「え、あの」
「大丈夫だ! あのボスを倒したマレイなら、きっと上手くやれる!」

 胸の前で拳を握り、はきはきとした調子で述べるグレイブ。
 ノリが男前すぎて、もはや言葉で表することはことはできそうにない。

「私は賛成だ、マレイ。お前は誰かと幸せになった方がいい」

 いきなり言われても……。

 私の胸の内は、今、そんな思いで満ちていた。

 これまでずっと相談してきたというのなら、熱くなるのも分かる。他人のことであっても、熱心に取り組んでいたのなら、熱くなる場合だってあるだろう。

 だが、今回の件は違う。先ほど初めて打ち明け、相談したばかりだ。
 にもかかわらず、これほど熱心になってくれるというのは、不思議な感覚である。少なくとも、私の頭の中には、こういった展開は存在していなかった。

「あ、ありがとうございます……」

 私が返せる言葉はそれだけしかない。

 いや、もしかしたらもっと相応しい言葉があったのかもしれないが、今の私の頭では、ぱっとは思いつかなかったのである。

 私は、ややこしいことになるのが嫌で、これまで誰かに相談することはしなかった。

 けれど、今回、グレイブに話してみて良かった、とは思う。
 というのも、これまでずっとよく分からずにいた、私の中でのゼーレの存在というものに、気がつくことができたからだ。

 一人でいくら考え続けても、答えが出ないことはある。だが、誰かと一緒に考えれば、意外な形で、思いの外簡単に答えが出ることもある。それを改めて感じた出来事だった。


 戦いは終わり、この国を覆う長い夜も終わって。


 でも、私の人生はまだ終わらない。


 ここからまた、新しい物語が始まるのだと、確信している。
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