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episode.133 普通の蜘蛛と間違えないように
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グレイブに案内されてたどり着いたのは、医務室からはそこそこ離れた場所にある、個室だった。負傷者を寝かせておくのに相応しいとは思えない場所なので、正直少し意外だ。
部屋の前まで来ると、扉を開け、グレイブは中へと入っていく。私はそれに続いた。
「……触れないでいただけますかねぇ」
「じっとして下さいっ……すぐ終わりますからっ……」
「触るなと言っているのです!」
室内に入ると、いきなり、言い合いしている声が聞こえてきた。白いカーテンがあるため視認はできないのだが、恐らく、声を荒らげている方がゼーレだろう。
あまり迷惑をかけていないと良いのだが……。
そんなことを思いながら、グレイブの後ろを歩いていく。するとやがて、グレイブがカーテンを開けた。
そこにいたのは、ベッドに横たわりつつも不機嫌さを顔全体から溢れさせているゼーレと、負傷者を介抱する係と思われる女性。
「……何の騒ぎだ?」
グレイブが呆れ顔で尋ねる。すると、女性はすぐに顔を上げ、グレイブに向けてお辞儀をした。
「騒がしくして、申し訳ありませんっ!」
女性は丁寧に謝罪し、十秒ほど経って頭を上げると、説明し始める。
「ゼーレさんの体の包帯を変えようとしていたのですが、下手だったもので、痛いところを触ってしまったようでして……」
「あれはわざとでしょう!」
どうやら、今のゼーレはかなり機嫌が悪いようだ。声色はもちろん、発する言葉まで刺々しい。
さらに、彼の枕元には小さな蜘蛛型化け物がいて、前方の脚を持ち上げて威嚇している。小さい体を懸命に動かし、主人を護ろうとしているのかもしれない。
「あ、あの……」
ゼーレに鋭い言葉をかけられた女性は、今にも泣き出しそうな顔になりながら、オロオロしている。状況を説明しようにもゼーレが怖くてできない、といった様子だ。
「事情は後で聞こう。他のところでな」
「ありがとうございますっ! グレイブさん!」
「よし。では、マレイ。後はゼーレと仲良くな」
グレイブは私へ視線を向けると、微かに口角を持ち上げ、女性と共に部屋を出ていってしまう。意味深な笑みが謎だ。
こうして、私はゼーレと二人きりになってしまった。
狭い部屋に、二人きり。
しかし、いきなりすぎて、何を話せば良いのか分からない。
どうしよう、と悩んでいると、ベッドに寝ていたゼーレが小さく声をかけてくる。
「……カトレア」
彼の方へ視線を向ける。
すると彼は小さく続けた。
「少し……起き上がっても、構いませんかねぇ……」
「構わないとは思うけれど、起き上がれるの?」
「……えぇ。しかし……起き上がるなと言われるのです」
じゃあ、起き上がっちゃいけないんじゃない? 本音はそんな感じだ。だが、あまりはっきりと言うのも可哀想な気がするので、柔らかい言い方にしておく。
「なら仕方ないわよね。横になっておいた方が良いと思うわ」
「……そうです、か」
ゼーレは残念そうだ。
「仕方ありませんねぇ……起きるのは止めておきます」
止めるのか、と、内心突っ込んでしまった。
だが、何だかんだで言いつけを守る真面目なゼーレは、微妙に愛らしい。愚痴を漏らしつつもちゃんとしている様は、愛嬌たっぷりだ。
私はゼーレが寝ている隣まで歩いていく。
物理的に距離が縮まれば、話せることも増えるかな、なんて思ったからである。
「ゼーレ、さっきはどうしてあんなに怒っていたの?」
わけもなく尋ねた。
すると彼は、翡翠のような瞳だけをこちらへ向け、返す。
「……見苦しいところを見せてしまい、失礼しました」
彼の枕元にいる小さな蜘蛛型化け物は、いつの間にか大人しくなっている。威嚇するのは止めたようだ。
「上手く意志疎通ができなかった、とか?」
「……包帯を、変えようとしてくれたのは、良かったのですが」
「何か問題があったのね?」
ゼーレは大人しくなった蜘蛛型化け物を手に乗せると、もう一方の手で優しく撫でる。撫でてもらえた蜘蛛型化け物は、すっかりご機嫌で、ちょこちょこと脚を動かしていた。
「……あの女、痛いところばかり触るのです。それも、『そこは痛い』とはっきり言っているにもかかわらず、です」
「そう……それは辛いわね」
女性は、しなくてはならないことだから、と必死になっていたのだろう。そのせいで、ゼーレが痛いと訴えるのを聞けなかった。
多分、そんなところだろうか。
「そのうえ……この可愛い子に危害を加えようとしたのです」
ゼーレが述べると、彼の手に乗っている小さな蜘蛛型化け物は「そうそう」と言わんばかりに脚を動かした。
「危害、って?」
「……枕元にいたこの子を、叩き潰そうとしたのです」
「普通の蜘蛛と間違えたんじゃない?」
するとゼーレは、はっきり、首を左右に振る。
「そんなこと……あり得ません」
なぜそんなに自信満々で「あり得ない」と言えるのかが、私には理解不能だ。
ゼーレの蜘蛛型化け物は、限りなく蜘蛛に近しい容姿をしている。体つきも、脚の形も、普通の蜘蛛にそっくりだ。特に、小さい個体になると、動き方を見ない限り、ただの蜘蛛とほぼ同じである。
それゆえ、間違われることは多々ありそうだと思うのだが。
「あり得ないことはないと思うけど……」
私がそう言うと、ゼーレの手に乗っている蜘蛛型化け物は、その小さな体を震わせた。ぷるぷる、ぷるぷる、と。
怒っているのか、怯えているのか、よく分からない動作だ。
ゼーレは、蜘蛛型化け物が平常心を損なってしまっていることに気がつくと、その背中を人差し指でこする。
「……貴女がそう言うのなら、あり得るのかもしれませんねぇ……しかし、乱暴するなんて許せません」
「きっと悪気はなかったはずよ」
「……ですかねぇ」
ゼーレはまだ、納得がいかない、といった雰囲気を漂わせていた。
「私はそう思うわ」
「……ならば、そうなのやもしれませんねぇ」
とにかく、と彼は続ける。
「お騒がせして……失礼しました」
素直に謝罪するゼーレなんて、何だか不思議な感じがする。まるで、彼の皮を被った別人を見ているかのような、そんな感覚だった。
部屋の前まで来ると、扉を開け、グレイブは中へと入っていく。私はそれに続いた。
「……触れないでいただけますかねぇ」
「じっとして下さいっ……すぐ終わりますからっ……」
「触るなと言っているのです!」
室内に入ると、いきなり、言い合いしている声が聞こえてきた。白いカーテンがあるため視認はできないのだが、恐らく、声を荒らげている方がゼーレだろう。
あまり迷惑をかけていないと良いのだが……。
そんなことを思いながら、グレイブの後ろを歩いていく。するとやがて、グレイブがカーテンを開けた。
そこにいたのは、ベッドに横たわりつつも不機嫌さを顔全体から溢れさせているゼーレと、負傷者を介抱する係と思われる女性。
「……何の騒ぎだ?」
グレイブが呆れ顔で尋ねる。すると、女性はすぐに顔を上げ、グレイブに向けてお辞儀をした。
「騒がしくして、申し訳ありませんっ!」
女性は丁寧に謝罪し、十秒ほど経って頭を上げると、説明し始める。
「ゼーレさんの体の包帯を変えようとしていたのですが、下手だったもので、痛いところを触ってしまったようでして……」
「あれはわざとでしょう!」
どうやら、今のゼーレはかなり機嫌が悪いようだ。声色はもちろん、発する言葉まで刺々しい。
さらに、彼の枕元には小さな蜘蛛型化け物がいて、前方の脚を持ち上げて威嚇している。小さい体を懸命に動かし、主人を護ろうとしているのかもしれない。
「あ、あの……」
ゼーレに鋭い言葉をかけられた女性は、今にも泣き出しそうな顔になりながら、オロオロしている。状況を説明しようにもゼーレが怖くてできない、といった様子だ。
「事情は後で聞こう。他のところでな」
「ありがとうございますっ! グレイブさん!」
「よし。では、マレイ。後はゼーレと仲良くな」
グレイブは私へ視線を向けると、微かに口角を持ち上げ、女性と共に部屋を出ていってしまう。意味深な笑みが謎だ。
こうして、私はゼーレと二人きりになってしまった。
狭い部屋に、二人きり。
しかし、いきなりすぎて、何を話せば良いのか分からない。
どうしよう、と悩んでいると、ベッドに寝ていたゼーレが小さく声をかけてくる。
「……カトレア」
彼の方へ視線を向ける。
すると彼は小さく続けた。
「少し……起き上がっても、構いませんかねぇ……」
「構わないとは思うけれど、起き上がれるの?」
「……えぇ。しかし……起き上がるなと言われるのです」
じゃあ、起き上がっちゃいけないんじゃない? 本音はそんな感じだ。だが、あまりはっきりと言うのも可哀想な気がするので、柔らかい言い方にしておく。
「なら仕方ないわよね。横になっておいた方が良いと思うわ」
「……そうです、か」
ゼーレは残念そうだ。
「仕方ありませんねぇ……起きるのは止めておきます」
止めるのか、と、内心突っ込んでしまった。
だが、何だかんだで言いつけを守る真面目なゼーレは、微妙に愛らしい。愚痴を漏らしつつもちゃんとしている様は、愛嬌たっぷりだ。
私はゼーレが寝ている隣まで歩いていく。
物理的に距離が縮まれば、話せることも増えるかな、なんて思ったからである。
「ゼーレ、さっきはどうしてあんなに怒っていたの?」
わけもなく尋ねた。
すると彼は、翡翠のような瞳だけをこちらへ向け、返す。
「……見苦しいところを見せてしまい、失礼しました」
彼の枕元にいる小さな蜘蛛型化け物は、いつの間にか大人しくなっている。威嚇するのは止めたようだ。
「上手く意志疎通ができなかった、とか?」
「……包帯を、変えようとしてくれたのは、良かったのですが」
「何か問題があったのね?」
ゼーレは大人しくなった蜘蛛型化け物を手に乗せると、もう一方の手で優しく撫でる。撫でてもらえた蜘蛛型化け物は、すっかりご機嫌で、ちょこちょこと脚を動かしていた。
「……あの女、痛いところばかり触るのです。それも、『そこは痛い』とはっきり言っているにもかかわらず、です」
「そう……それは辛いわね」
女性は、しなくてはならないことだから、と必死になっていたのだろう。そのせいで、ゼーレが痛いと訴えるのを聞けなかった。
多分、そんなところだろうか。
「そのうえ……この可愛い子に危害を加えようとしたのです」
ゼーレが述べると、彼の手に乗っている小さな蜘蛛型化け物は「そうそう」と言わんばかりに脚を動かした。
「危害、って?」
「……枕元にいたこの子を、叩き潰そうとしたのです」
「普通の蜘蛛と間違えたんじゃない?」
するとゼーレは、はっきり、首を左右に振る。
「そんなこと……あり得ません」
なぜそんなに自信満々で「あり得ない」と言えるのかが、私には理解不能だ。
ゼーレの蜘蛛型化け物は、限りなく蜘蛛に近しい容姿をしている。体つきも、脚の形も、普通の蜘蛛にそっくりだ。特に、小さい個体になると、動き方を見ない限り、ただの蜘蛛とほぼ同じである。
それゆえ、間違われることは多々ありそうだと思うのだが。
「あり得ないことはないと思うけど……」
私がそう言うと、ゼーレの手に乗っている蜘蛛型化け物は、その小さな体を震わせた。ぷるぷる、ぷるぷる、と。
怒っているのか、怯えているのか、よく分からない動作だ。
ゼーレは、蜘蛛型化け物が平常心を損なってしまっていることに気がつくと、その背中を人差し指でこする。
「……貴女がそう言うのなら、あり得るのかもしれませんねぇ……しかし、乱暴するなんて許せません」
「きっと悪気はなかったはずよ」
「……ですかねぇ」
ゼーレはまだ、納得がいかない、といった雰囲気を漂わせていた。
「私はそう思うわ」
「……ならば、そうなのやもしれませんねぇ」
とにかく、と彼は続ける。
「お騒がせして……失礼しました」
素直に謝罪するゼーレなんて、何だか不思議な感じがする。まるで、彼の皮を被った別人を見ているかのような、そんな感覚だった。
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