暁のカトレア

四季

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episode.111 決行まで

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 グレイブと、彼女に同行させてもらえることになったシンは、トリスタンらが待機している場所へと急行した。

 今回の作戦の出発場所でもある、待機場所。そこには、既に、作戦に参加する隊員の多くが集合していた。まだ全員が集まっているわけではないようだが、それでも、結構な数の隊員が集まっていることに変わりはない。

「予定通り、マレイがボスに捕まってくれた」

 グレイブが皆に告げると、一番に声を出したのはトリスタン。

「……マレイちゃんは、本当に大丈夫なんですよね?」

 静かな声だ。しかし、その声からは、トリスタンが抱く不安が滲み出ている。それはもう、誰にでも分かるほどに。

「あぁ。彼女ならやってくれるはずだ」

 グレイブは淡々とした調子で答えた。
 それを聞き、トリスタンは俯く。

 マレイを利用する。マレイをわざと危険な目に遭わせる。そんなことを黙って見ているしかないという事実が、彼の心を痛めているのだろう。

「そう……ですよね。マレイちゃんなら、きっと無事でいてくれる……」

 まるで自分を励ますかのように呟くトリスタン。
 そんな彼の様子を目にし、グレイブは確認する。

「トリスタン、大丈夫か?」

 明らかに普段とは違う表情をしているトリスタンだが、グレイブの問いには小さな声で「はい」と答えた。
 だが、どこからどう見ても大丈夫そうではない。

「マレイが心配なのは分かるが、しっかりしてくれよ。トリスタン」
「はい」
「ボスを倒しに行くのだからな、弱っている暇などない」
「……分かっています」
「そうか、ならいい。ではまた後ほど」

 グレイブはトリスタンとの会話をそこで切り、他の隊員のところへと足を進めた。長い黒髪をさらりと揺らしながら。


 落ち着き払っているグレイブが前からいなくなった後、トリスタンはその均整のとれた顔を俯けた。一つにまとめた長い金の髪も、彼の頬に添うようにして垂れている。表情ゆえか、髪まで元気がないように見えた。

 そんな、不安に塗り潰された暗い表情のトリスタンに、ゼーレが声をかける。

「……何をそんなに弱っているのです?」

 それに対し、冷たい態度をとるトリスタン。

「放っておいてくれるかな」
「そんな調子では勝てませんよ……ボスを倒すのでしょう?」
「放っておいてよ!」

 執拗に聞いてこられることに苛立ったらしく、トリスタンは声を荒らげた。彼の青い瞳は、ゼーレを鋭く睨みつけている。

「君には分からないよ! 僕の気持ちなんて!」
「……すぐに怒るのは止めて下さい」
「マレイちゃんを心配する僕の気持ちは、君には分からない!」

 トリスタンが鋭く言い放った——刹那。

 ゼーレは金属製の手で、トリスタンの腕をガッと掴んだ。

 さすがのトリスタンもそれには驚いたらしく、目を大きく見開く。深海のような青をした瞳は、動揺を表すように、小刻みに震えている。

「……私とて、カトレアの身を案じてはいます」

 夜の闇のように静かなゼーレの声に、トリスタンは言葉を詰まらせた。
 言いたいことはたくさんあるが、言えない。そんな顔つきだ。

「カトレアの身が心配……それは分かります。しかし……今は弱っている場合ではないでしょう。一刻も早く作戦を完了させる。今の私たちにできることは……それしかありませんからねぇ」

 珍しく長文を話すゼーレのことを見つめていたのは、トリスタンだけではない。今からの作戦に参加する一人であるフランシスカも、ゼーレの顔をじっと見つめていた。

「ふぅん。ゼーレも心配とかするんだねっ」

 やがて、フランシスカが言った。
 トリスタンとゼーレを包む沈黙を破ったのは、彼女の言葉であった。

「……私ですか?」
「うんっ。他人の心配なんてしないんだと思ってた」
「……なかなか酷いですねぇ」

 フランシスカにはっきりと言葉をかけられたゼーレは、さりげなく顔をしかめる。超直球の発言に困惑しているのかもしれない。

「ま、だからってフランは信用しきったりはしないけどねっ」

 あっさりと嫌みを吐くフランシスカ。

 彼女らしいと言えば彼女らしい発言である。躊躇いなく本心の述べられるというところが、彼女の大きな特徴なのだ。
 ただ、今から協力して戦いに挑むというこの時に発するべき言葉でないことは確かだ。それをあっさりと言ってのける彼女は、単に空気を読めない質なのか、わざと空気を悪くしようとしているのか……。

「言いませんよ、信用しろなんて。元々敵だった者を信用するなど、不可能だと分かっていますからねぇ……」

 ゼーレは諦めたようなことを言いつつも、どこか寂しげな表情を浮かべていた。翡翠のような瞳も、マレイといる時のように生き生きとはしていない。

「とにかく……役目を果たしてさえくれれば、それ以上は言いません」
「何それっ! どうしてそっちが上なのっ!?」
「……勘違いしないで下さい。私とて、貴女方を救うためにここにいるわけではありませんから」

 その瞬間、トリスタンが急に口を開く。

「どういう意味?」

 あちゃー、というような表情を浮かべるゼーレ。
 恐らく、面倒臭いトリスタンが話に参加してきたことへの気持ちが、顔に出たのだろう。

「私が力を貸すのは、あくまで、カトレアが辛い思いをし続けなくて良いようにするため。それだけ」
「マレイちゃんのことはちゃんと大事に思っているんだね?」

 トリスタンの確認に対し、ゼーレは静かな声で返す。

「……そういうことです」

 淡々とした声色だが、その奥には、熱く燃えるものが潜んでいる。誰にでもそれが分かるような、迷いのない言い方だった。ゼーレを少しでも知る者ならば、この言葉が嘘でないということが容易に理解できるはずだ。

「分かった。マレイちゃんを大事に思う気持ちが嘘じゃないってことは信じるよ」
「……相変わらず、上から目線なことを言いますねぇ」
「余計なことを言わないでくれるかな。怒るよ」
「……仕方ありませんねぇ」

 ゼーレは無表情のまま、そっと頷く。

「しかし……貴方が喧嘩を売ってこないとなると、また少し、不思議な感じがしそうです……」

 心なしか挑発的な言葉が耳に入ったトリスタンは、ゼーレをキッと睨む。
 顔立ち自体は美しく柔らかな雰囲気だ。にもかかわらず、睨む時には刃のような鋭さが顔全体から溢れ出す。それが、トリスタンの不思議なところの一つでもある。

「その代わり、ちゃんと生きてよ。君が傷つくことでマレイちゃんが傷つくのは嫌なんだ」
「実に偉そうですねぇ……」
「勝手に死ぬのだけは止めてね。マレイちゃんが傷つくからさ」
「ふん。私とて……進んで死にやしませんよ」

 漂うのは、言葉では形容できないような、微妙な空気。険悪とまではいかないが、決して良い感じでもないという、微妙としか言い様のないような空気である。

 そんな空気に包まれたまま、作戦決行の瞬間が近づいてくるのだった。
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