暁のカトレア

四季

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episode.107 眠たい、眠たすぎる

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 結局、その夜は何も起こらなかった。

 小さな窓、テーブルと椅子、そして壁に掛かった時計。それ以外には何もない殺風景なこの部屋で、私は、二人の隊員と共に一晩過ごした。

 全員が眠ってしまうと、もしもの時に対応が遅れるので、交代で少しずつ寝る。そんな夜だった。


 ——そのため、非常に眠い。


 夜が明けて、小さな窓から柔らかな朝日が差し込んでも、この寝不足による眠気は消えてくれなかった。瞼の奥が重く、頭もすっきりしないという、何とも残念な状態になってしまっている。

 大事な仕事が待っているというのに。数分後にその時がくるかもしれないのに。

 ……こんな調子では駄目だ。

 そんなことを思いつつ、血行が悪くなっていると推測される目元を擦っていると、黒いショートヘアが綺麗な女性隊員が声をかけてくる。

「マレイちゃん。目、そんなに擦っちゃ駄目よ。あまり刺激すると腫れてしまうわ」

 女性隊員は、口元に優しげな笑みを浮かべながら話しかけてくれる。彼女だって昨夜はあまり眠っていないはずなのに、弱っていそうな感じは微塵もない。

「あ、気をつけま……ふわぁぁ」

 ついあくびをしてしまった。
 その様子をしっかり見ていた女性隊員は、軽く握った拳を口元へ添え、くすっと笑う。

「凄く眠そうね」
「眠いです……ふぁ」
「交代で眠ることにはあまり慣れていなかったのかしら」
「はい。あまり経験がなくて」

 私は連続であくびをしそうになるのを、苦笑いでごまかす。……いや、ごまかせてはいないか。

 しばらく時間経って、今度は男性隊員が話を振ってくる。

「にしても、昨夜は何もなかったなー。いつになったら攻めてくるんだか、って感じやわ」

 彼の印象的なところは、坊主頭。つるりとした頭部は形がよく、まるで、滑らかな彫刻のようだ。髪の毛が一本もないが、哀愁は漂っていない。

「ですね」

 リュビエの宣戦布告が偽りでなかったとすれば、あの日から数えて一週間以上経つことはないはずだ。そのことから考えれば、二三日以内には攻めてくるはずである。
 もっとも、リュビエの宣戦布告が偽りであったなら、話は大きく変わってくるわけだが。

「マレイさんはさぁ、早いのと遅いのとどっちがいい系?」
「襲撃が、ですか」
「そうそう。どっち派なんかなーって思って」

 こんな時だというのに、男性隊員は明るい顔をしている。深刻な表情にならないところが不思議だ。

「早い方がいいです」

 私が答えると、男性隊員は目をぱちぱちさせながら言う。

「へーっ、そうなんや! 案外積極的なんやね。怖ないん?」

 いやいや、怖くないわけがないだろう。
 そんな突っ込みを入れたい衝動に駆られつつも、なるべく平静を保つよう意識して返す。

「まさか。怖いですよ、かなり。だからこそ、早く済ませてしまいたいんです」

 嫌なことを後回しにするというのは、胃を無駄に痛めるだけでしかない。楽しいことなら待っている間もワクワクするだろうが、嫌なことの場合はその逆である。

「ふふっ。そりゃそうよね」
「えっ、そうなん!?」
「嫌なことは先、嬉しいこと楽しいことは後。それが普通よ」
「えー! そうなんー!」

 女性隊員と男性隊員が仲良く話しているところを眺めていると、自然と穏やかな気持ちになった。
 今私は、いつ仕事が始まるか分からないという状況のただなかにある。その緊張感といえば、かなりのものだ。だからこそ、こんな風に、ただの会話だけで和めるのかもしれない。


 そんなことをしているうちに、凄まじかった眠気も段々ましになってきた。
 瞼の重苦しさは変わらない。しかし、あくびは止まってきたし、曖昧だった意識も鮮明になってきた。これならボスが来ても大丈夫そうだ。

 何だかんだでようやく元気になってきた私に、女性隊員が尋ねてくる。

「マレイちゃん、今からはどうするのかしら」

 首を傾げる瞬間、顎くらいまでの丈の黒髪がさらっと揺れる。凄く綺麗だと思った。

「今から……何も考えていませんでした」
「ここにいとく?」
「あ、はい。いつ始まってもいいよう、ここにいておきます」
「じゃあ、寝る?」
「そうします!」

 こればかりは即答だった。

 始まってしまえば、どれだけ長引くか分からない。しばらく眠れない可能性だってあるのだ。
 だから、寝不足は、なるべく今のうちに解消しておかなくては。

「即答ね」

 私が即座に答えたのを受け、女性隊員は言った。珍妙な芸を見でもしたかのように、くすくすと笑っている。

「はい。寝不足では十分働けるか分からないので……」
「確かに。それもそうね」
「けど、本当に寝ても大丈夫なんですか?」

 いつ襲撃が起こるかも分からないのに、私だけ呑気に寝ていていいのか?
 そんな疑問が芽生えたのだ。

 私の問いに、女性隊員は落ち着いた声色で答えてくれる。

「いいのよ。ほら、寝るなら今のうち」

 落ち着いているが、明るさのある声だった。
 その声からは、女性隊員の優しさが、ひしひしと伝わってくる。

「では、少し眠らせていただきます……」

 とはいえ、椅子に座った体勢で眠らなくてはならない。そのことに今さら気づいてしまった。

 言ったはいいが、ちゃんと眠れるのだろうか……。
 椅子に座ったまま、漠然とした不安を覚える。

 しかし、目を閉ざしてぼんやりしているうちに、何となく眠くなってきた。一度は目が覚めたような気がしたものの、やはり眠いことに変わりはなかったようである。これなら無事眠りにつくことができそうだ。

 どのくらい長く睡眠をとれるかは分からないが、今はただ、全力で眠るのみ。

 ——次に目を覚ましたら、戦いが始まっているかもしれない。

 そんなことを頭の片隅で考えつつも、私は、あっという間に眠りについたのだった。
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