108 / 147
episode.107 眠たい、眠たすぎる
しおりを挟む
結局、その夜は何も起こらなかった。
小さな窓、テーブルと椅子、そして壁に掛かった時計。それ以外には何もない殺風景なこの部屋で、私は、二人の隊員と共に一晩過ごした。
全員が眠ってしまうと、もしもの時に対応が遅れるので、交代で少しずつ寝る。そんな夜だった。
——そのため、非常に眠い。
夜が明けて、小さな窓から柔らかな朝日が差し込んでも、この寝不足による眠気は消えてくれなかった。瞼の奥が重く、頭もすっきりしないという、何とも残念な状態になってしまっている。
大事な仕事が待っているというのに。数分後にその時がくるかもしれないのに。
……こんな調子では駄目だ。
そんなことを思いつつ、血行が悪くなっていると推測される目元を擦っていると、黒いショートヘアが綺麗な女性隊員が声をかけてくる。
「マレイちゃん。目、そんなに擦っちゃ駄目よ。あまり刺激すると腫れてしまうわ」
女性隊員は、口元に優しげな笑みを浮かべながら話しかけてくれる。彼女だって昨夜はあまり眠っていないはずなのに、弱っていそうな感じは微塵もない。
「あ、気をつけま……ふわぁぁ」
ついあくびをしてしまった。
その様子をしっかり見ていた女性隊員は、軽く握った拳を口元へ添え、くすっと笑う。
「凄く眠そうね」
「眠いです……ふぁ」
「交代で眠ることにはあまり慣れていなかったのかしら」
「はい。あまり経験がなくて」
私は連続であくびをしそうになるのを、苦笑いでごまかす。……いや、ごまかせてはいないか。
しばらく時間経って、今度は男性隊員が話を振ってくる。
「にしても、昨夜は何もなかったなー。いつになったら攻めてくるんだか、って感じやわ」
彼の印象的なところは、坊主頭。つるりとした頭部は形がよく、まるで、滑らかな彫刻のようだ。髪の毛が一本もないが、哀愁は漂っていない。
「ですね」
リュビエの宣戦布告が偽りでなかったとすれば、あの日から数えて一週間以上経つことはないはずだ。そのことから考えれば、二三日以内には攻めてくるはずである。
もっとも、リュビエの宣戦布告が偽りであったなら、話は大きく変わってくるわけだが。
「マレイさんはさぁ、早いのと遅いのとどっちがいい系?」
「襲撃が、ですか」
「そうそう。どっち派なんかなーって思って」
こんな時だというのに、男性隊員は明るい顔をしている。深刻な表情にならないところが不思議だ。
「早い方がいいです」
私が答えると、男性隊員は目をぱちぱちさせながら言う。
「へーっ、そうなんや! 案外積極的なんやね。怖ないん?」
いやいや、怖くないわけがないだろう。
そんな突っ込みを入れたい衝動に駆られつつも、なるべく平静を保つよう意識して返す。
「まさか。怖いですよ、かなり。だからこそ、早く済ませてしまいたいんです」
嫌なことを後回しにするというのは、胃を無駄に痛めるだけでしかない。楽しいことなら待っている間もワクワクするだろうが、嫌なことの場合はその逆である。
「ふふっ。そりゃそうよね」
「えっ、そうなん!?」
「嫌なことは先、嬉しいこと楽しいことは後。それが普通よ」
「えー! そうなんー!」
女性隊員と男性隊員が仲良く話しているところを眺めていると、自然と穏やかな気持ちになった。
今私は、いつ仕事が始まるか分からないという状況のただなかにある。その緊張感といえば、かなりのものだ。だからこそ、こんな風に、ただの会話だけで和めるのかもしれない。
そんなことをしているうちに、凄まじかった眠気も段々ましになってきた。
瞼の重苦しさは変わらない。しかし、あくびは止まってきたし、曖昧だった意識も鮮明になってきた。これならボスが来ても大丈夫そうだ。
何だかんだでようやく元気になってきた私に、女性隊員が尋ねてくる。
「マレイちゃん、今からはどうするのかしら」
首を傾げる瞬間、顎くらいまでの丈の黒髪がさらっと揺れる。凄く綺麗だと思った。
「今から……何も考えていませんでした」
「ここにいとく?」
「あ、はい。いつ始まってもいいよう、ここにいておきます」
「じゃあ、寝る?」
「そうします!」
こればかりは即答だった。
始まってしまえば、どれだけ長引くか分からない。しばらく眠れない可能性だってあるのだ。
だから、寝不足は、なるべく今のうちに解消しておかなくては。
「即答ね」
私が即座に答えたのを受け、女性隊員は言った。珍妙な芸を見でもしたかのように、くすくすと笑っている。
「はい。寝不足では十分働けるか分からないので……」
「確かに。それもそうね」
「けど、本当に寝ても大丈夫なんですか?」
いつ襲撃が起こるかも分からないのに、私だけ呑気に寝ていていいのか?
そんな疑問が芽生えたのだ。
私の問いに、女性隊員は落ち着いた声色で答えてくれる。
「いいのよ。ほら、寝るなら今のうち」
落ち着いているが、明るさのある声だった。
その声からは、女性隊員の優しさが、ひしひしと伝わってくる。
「では、少し眠らせていただきます……」
とはいえ、椅子に座った体勢で眠らなくてはならない。そのことに今さら気づいてしまった。
言ったはいいが、ちゃんと眠れるのだろうか……。
椅子に座ったまま、漠然とした不安を覚える。
しかし、目を閉ざしてぼんやりしているうちに、何となく眠くなってきた。一度は目が覚めたような気がしたものの、やはり眠いことに変わりはなかったようである。これなら無事眠りにつくことができそうだ。
どのくらい長く睡眠をとれるかは分からないが、今はただ、全力で眠るのみ。
——次に目を覚ましたら、戦いが始まっているかもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えつつも、私は、あっという間に眠りについたのだった。
小さな窓、テーブルと椅子、そして壁に掛かった時計。それ以外には何もない殺風景なこの部屋で、私は、二人の隊員と共に一晩過ごした。
全員が眠ってしまうと、もしもの時に対応が遅れるので、交代で少しずつ寝る。そんな夜だった。
——そのため、非常に眠い。
夜が明けて、小さな窓から柔らかな朝日が差し込んでも、この寝不足による眠気は消えてくれなかった。瞼の奥が重く、頭もすっきりしないという、何とも残念な状態になってしまっている。
大事な仕事が待っているというのに。数分後にその時がくるかもしれないのに。
……こんな調子では駄目だ。
そんなことを思いつつ、血行が悪くなっていると推測される目元を擦っていると、黒いショートヘアが綺麗な女性隊員が声をかけてくる。
「マレイちゃん。目、そんなに擦っちゃ駄目よ。あまり刺激すると腫れてしまうわ」
女性隊員は、口元に優しげな笑みを浮かべながら話しかけてくれる。彼女だって昨夜はあまり眠っていないはずなのに、弱っていそうな感じは微塵もない。
「あ、気をつけま……ふわぁぁ」
ついあくびをしてしまった。
その様子をしっかり見ていた女性隊員は、軽く握った拳を口元へ添え、くすっと笑う。
「凄く眠そうね」
「眠いです……ふぁ」
「交代で眠ることにはあまり慣れていなかったのかしら」
「はい。あまり経験がなくて」
私は連続であくびをしそうになるのを、苦笑いでごまかす。……いや、ごまかせてはいないか。
しばらく時間経って、今度は男性隊員が話を振ってくる。
「にしても、昨夜は何もなかったなー。いつになったら攻めてくるんだか、って感じやわ」
彼の印象的なところは、坊主頭。つるりとした頭部は形がよく、まるで、滑らかな彫刻のようだ。髪の毛が一本もないが、哀愁は漂っていない。
「ですね」
リュビエの宣戦布告が偽りでなかったとすれば、あの日から数えて一週間以上経つことはないはずだ。そのことから考えれば、二三日以内には攻めてくるはずである。
もっとも、リュビエの宣戦布告が偽りであったなら、話は大きく変わってくるわけだが。
「マレイさんはさぁ、早いのと遅いのとどっちがいい系?」
「襲撃が、ですか」
「そうそう。どっち派なんかなーって思って」
こんな時だというのに、男性隊員は明るい顔をしている。深刻な表情にならないところが不思議だ。
「早い方がいいです」
私が答えると、男性隊員は目をぱちぱちさせながら言う。
「へーっ、そうなんや! 案外積極的なんやね。怖ないん?」
いやいや、怖くないわけがないだろう。
そんな突っ込みを入れたい衝動に駆られつつも、なるべく平静を保つよう意識して返す。
「まさか。怖いですよ、かなり。だからこそ、早く済ませてしまいたいんです」
嫌なことを後回しにするというのは、胃を無駄に痛めるだけでしかない。楽しいことなら待っている間もワクワクするだろうが、嫌なことの場合はその逆である。
「ふふっ。そりゃそうよね」
「えっ、そうなん!?」
「嫌なことは先、嬉しいこと楽しいことは後。それが普通よ」
「えー! そうなんー!」
女性隊員と男性隊員が仲良く話しているところを眺めていると、自然と穏やかな気持ちになった。
今私は、いつ仕事が始まるか分からないという状況のただなかにある。その緊張感といえば、かなりのものだ。だからこそ、こんな風に、ただの会話だけで和めるのかもしれない。
そんなことをしているうちに、凄まじかった眠気も段々ましになってきた。
瞼の重苦しさは変わらない。しかし、あくびは止まってきたし、曖昧だった意識も鮮明になってきた。これならボスが来ても大丈夫そうだ。
何だかんだでようやく元気になってきた私に、女性隊員が尋ねてくる。
「マレイちゃん、今からはどうするのかしら」
首を傾げる瞬間、顎くらいまでの丈の黒髪がさらっと揺れる。凄く綺麗だと思った。
「今から……何も考えていませんでした」
「ここにいとく?」
「あ、はい。いつ始まってもいいよう、ここにいておきます」
「じゃあ、寝る?」
「そうします!」
こればかりは即答だった。
始まってしまえば、どれだけ長引くか分からない。しばらく眠れない可能性だってあるのだ。
だから、寝不足は、なるべく今のうちに解消しておかなくては。
「即答ね」
私が即座に答えたのを受け、女性隊員は言った。珍妙な芸を見でもしたかのように、くすくすと笑っている。
「はい。寝不足では十分働けるか分からないので……」
「確かに。それもそうね」
「けど、本当に寝ても大丈夫なんですか?」
いつ襲撃が起こるかも分からないのに、私だけ呑気に寝ていていいのか?
そんな疑問が芽生えたのだ。
私の問いに、女性隊員は落ち着いた声色で答えてくれる。
「いいのよ。ほら、寝るなら今のうち」
落ち着いているが、明るさのある声だった。
その声からは、女性隊員の優しさが、ひしひしと伝わってくる。
「では、少し眠らせていただきます……」
とはいえ、椅子に座った体勢で眠らなくてはならない。そのことに今さら気づいてしまった。
言ったはいいが、ちゃんと眠れるのだろうか……。
椅子に座ったまま、漠然とした不安を覚える。
しかし、目を閉ざしてぼんやりしているうちに、何となく眠くなってきた。一度は目が覚めたような気がしたものの、やはり眠いことに変わりはなかったようである。これなら無事眠りにつくことができそうだ。
どのくらい長く睡眠をとれるかは分からないが、今はただ、全力で眠るのみ。
——次に目を覚ましたら、戦いが始まっているかもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えつつも、私は、あっという間に眠りについたのだった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
婚約者の様子がおかしい。明らかに不自然。そんな時、知り合いから、ある情報を得まして……?
四季
恋愛
婚約者の様子がおかしい。
明らかに不自然。
※展開上、一部汚い描写などがあります。ご了承ください。m(_ _)m
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
婚約者から突如心当たりのないことを言われ責められてしまい、さらには婚約破棄までされました。しかしその夜……。
四季
恋愛
婚約者から突如心当たりのないことを言われ責められてしまい、さらには婚約破棄までされました。
しかしその夜……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる