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episode.48 おやつの時間
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あれから何日が経ったのだろう。
トリスタンがいない。ただそれだけのことなのに、胸の内の寂しさは日に日に膨張していく。このままではいつか胸が張り裂けてしまうのではないか、と不安になるほどに。
そんなある日の午後、フランシスカからおやつの時間に誘われた。多分、陰鬱な様子の私を見兼ねて、誘ってくれたのだろう。
私は気が進まなかった。
けれども、せっかくのお誘いだ。断るのも申し訳ない気がする。
食べたり話したりすれば、もしかしたら、少しは楽しい気持ちになるかもしれない。この胸に広がる灰色の雲が晴れるかもしれない。いずれにせよ、参加する意味がまったくない、ということはないだろう。
だから私は、おやつの時間に参加することにした。
フランシスカと一緒に食堂へ向かうと、グレイブとシンの姿があった。
なぜただの審判であるシンもいるのかは不明だ。
「来たな、マレイ」
「マレイさぁぁーん! 待ってましたよぉぉーっ!」
「黙れ、シン」
いきなり大声を出したシンは、グレイブに叱られていた。
今に始まったことではないが、彼のテンションの高さは、謎としか言い様がない。
「グレイブさんもいらっしゃったんですね」
私が小さく言うと、彼女は冗談混じりの声色で返してくる。
「もしかして、私はいない方が良かったか?」
「い、いえ! そんなことはっ……!」
慌てて首を左右に振る。
するとグレイブは、愉快そうにくすくす笑った。
彼女の顔立ちは、整い過ぎていて、近寄り難いくらいだ。しかし、こうして笑っていると、いたって普通の女性にも見える。
「慌てるところが可愛いな」
「へ?」
「実に興味深い。さ、とにかく座れ」
グレイブに促され、私は、彼女の向かいの席へ腰掛けた。フランシスカは私の隣に座る。
「せっかくだ、私が貰ってきてやろう。マレイ、何を食べるんだ?」
「えっと……」
「飲み物は確か、レヴィアススカッシュだったな。マレイはレヴィアススカッシュが好きだと、トリスタンから聞いている」
レヴィアススカッシュ、と聞くと、前にトリスタンと二人で飲んだ記憶が蘇った。たわいないことを話し、笑いあう、楽しかった記憶が。
「……はい。前に飲んだ時、美味しかったです」
胸がズキンと痛む。
そこへ、フランシスカが口を挟んでくる。
「あーっ! グレイブさん、思い出させちゃ駄目ですよっ!」
「な、何だと? どういう意味だ」
困惑した顔をするグレイブ。
「トリスタンのこと思い出させたら、マレイちゃんが弱るからっ! 面倒臭いから、止めて下さい!」
相変わらずはっきりとした物言いだ。真実なのだが、正直グサリときた。いつものことながら、フランシスカは鋭いところを突いてくる。
「そうか……それもそうだな」
グレイブは納得したように頷いた。
そこへ、シンが大きな声を挟む。
「えっ! えぇっ? 何の話ですかぁぁーっ!?」
「黙れ。シン」
グレイブは呆れ顔になりながら、静かな声でシンを制止した。
子どもではないため大声を出したりはしない。だが、その静かな声には、得体の知れない威圧感がある。
シンは黙った。
それから数秒して、グレイブは立ち上がる。
「よし。では飲み物を持ってこよう」
だが、その直後にフランシスカが腰を上げた。明るい声で「フランが行きますっ」と言う。まるでグレイブの行動を読んでいたかのようなタイミングだ。
いきなりのことにきょとんとした顔をするグレイブ。
「あ、あぁ。そうか。では任せよう」
「フランのとマレイちゃんのだけですよねっ?」
「その通りだ」
「ではでは、行ってきます!」
フランシスカは軽やかな足取りで席から離れていく。
私は、結局何も言えぬまま、彼女の背を見送った。
グレイブとシンは知り合いだ。だから、三人になってしまうとどうしても、一対二のように感じてしまう。
敵対しているわけではない。なので、本来、さして問題はないはずなのだ。しかし、アウェイ感がどうも気になって仕方がない。
「……マレイ。大丈夫か?」
場に居づらい顔をしてしまっていたのか、グレイブが心配したように尋ねてきた。
黒い瞳がこちらをじっと見つめている。
「えっ。私、ですか」
「そうだ。トリスタンがさらわれて、早数日。さぞ寂しい思いをしていることだろうが、平気か?」
ちょっぴり失礼な発言。
しかし、そんな小さなことにいちいち腹を立ててはいられない。
「はい。私は大丈夫です。それよりも、トリスタンが痛い目に遭っていないかが心配です」
心配するべきは私ではない。トリスタンだ。
「それもそうだな。あいつらのことだ、どんな酷いことをするか分からん。やはり……一刻も早くゼーレから情報を」
「怪我させるのは駄目ですよ!」
半ば無意識に、私にしては大きな声を出してしまっていた。
情報を聞き出す——そのためなら、グレイブはゼーレの体のことなど、微塵も考慮しないだろう。もし彼が吐かなければ、かなり残酷な手段でも使うに違いない。
ゼーレは既に傷を負っている身。あれ以上のダメージは危険だ。
こんなことを言えば、「なぜ敵であるゼーレを庇おうとするのか」と思われるだろう。
正直、はっきりとした理由など私自身にも分かっていない。
だが、ただ一つ分かることはある。それは、ゼーレとて悪魔ではないということ。彼は素直でないし性格も口も悪い。けれども、人の心を失ってはいない。
それが、この数週間、一日ほんの数時間だが近くで接してきて、私が抱いた思いだ。
「何だと?」
グレイブは眉頭を寄せ、訝しむような顔をする。
そんな表情をしている時ですら美人なのだから、彼女の美しさは凄まじいものだと思う。もっとも、あくまで私個人の意見だが。
「ゼーレをあれ以上傷つけるのは止めてほしいです」
私ははっきりと意見を述べた。
こんなことを言えば、グレイブは怒るだろう。ゼーレを憎しみをぶつける対象と認識している彼女が怒らないわけがない。
怒られること覚悟の上で、私は言いたいことを言った。
それはかなり勇気がいることだった。けれども、自分の言いたいことを言うというのは、すっきりするものだ。後悔はしていない。
「……そうか」
恐る恐る、グレイブの顔へ視線を向ける。
強く恐ろしい彼女に対し歯向かうような発言をしたのだ、気楽ではいられない。
だが——グレイブは怒った顔をしていなかった。
「本来なら限界まで痛めつけるところだ。だが、お前がそれを嫌がるのなら、トリスタンも同じ思いでいることだろう」
怒りを露わにするどころか、彼女の整った顔は哀愁を帯びていた。やや伏せられた目は、大人びていると同時に、寂しげな色をしている。
「分かって……下さったんですか?」
控えめに言ってみる。
すると彼女は、憂いの色の滲む視線をこちらへ向けた。
「ゼーレの世話を任せてしまっているからな。そのお返しと言ってはなんだが、お前の意見も考慮しよう」
漆黒の瞳は瑞々しい。しかも、妙なほどに澄んでいて、私の姿がくっきりと映っている。嫌いな闇と同じ黒なのに、彼女の瞳には嫌なイメージを抱かない。不思議なものだ。
「ただ、一刻も早くトリスタンを助けなくてはならないことは、変わらない。そこで、だ」
「……何ですか?」
脳内にいくつもの疑問符が浮かぶ。
そんな私に対し、彼女ははっきりと述べる。
「マレイ。お前がゼーレから情報を聞き出せ」
トリスタンがいない。ただそれだけのことなのに、胸の内の寂しさは日に日に膨張していく。このままではいつか胸が張り裂けてしまうのではないか、と不安になるほどに。
そんなある日の午後、フランシスカからおやつの時間に誘われた。多分、陰鬱な様子の私を見兼ねて、誘ってくれたのだろう。
私は気が進まなかった。
けれども、せっかくのお誘いだ。断るのも申し訳ない気がする。
食べたり話したりすれば、もしかしたら、少しは楽しい気持ちになるかもしれない。この胸に広がる灰色の雲が晴れるかもしれない。いずれにせよ、参加する意味がまったくない、ということはないだろう。
だから私は、おやつの時間に参加することにした。
フランシスカと一緒に食堂へ向かうと、グレイブとシンの姿があった。
なぜただの審判であるシンもいるのかは不明だ。
「来たな、マレイ」
「マレイさぁぁーん! 待ってましたよぉぉーっ!」
「黙れ、シン」
いきなり大声を出したシンは、グレイブに叱られていた。
今に始まったことではないが、彼のテンションの高さは、謎としか言い様がない。
「グレイブさんもいらっしゃったんですね」
私が小さく言うと、彼女は冗談混じりの声色で返してくる。
「もしかして、私はいない方が良かったか?」
「い、いえ! そんなことはっ……!」
慌てて首を左右に振る。
するとグレイブは、愉快そうにくすくす笑った。
彼女の顔立ちは、整い過ぎていて、近寄り難いくらいだ。しかし、こうして笑っていると、いたって普通の女性にも見える。
「慌てるところが可愛いな」
「へ?」
「実に興味深い。さ、とにかく座れ」
グレイブに促され、私は、彼女の向かいの席へ腰掛けた。フランシスカは私の隣に座る。
「せっかくだ、私が貰ってきてやろう。マレイ、何を食べるんだ?」
「えっと……」
「飲み物は確か、レヴィアススカッシュだったな。マレイはレヴィアススカッシュが好きだと、トリスタンから聞いている」
レヴィアススカッシュ、と聞くと、前にトリスタンと二人で飲んだ記憶が蘇った。たわいないことを話し、笑いあう、楽しかった記憶が。
「……はい。前に飲んだ時、美味しかったです」
胸がズキンと痛む。
そこへ、フランシスカが口を挟んでくる。
「あーっ! グレイブさん、思い出させちゃ駄目ですよっ!」
「な、何だと? どういう意味だ」
困惑した顔をするグレイブ。
「トリスタンのこと思い出させたら、マレイちゃんが弱るからっ! 面倒臭いから、止めて下さい!」
相変わらずはっきりとした物言いだ。真実なのだが、正直グサリときた。いつものことながら、フランシスカは鋭いところを突いてくる。
「そうか……それもそうだな」
グレイブは納得したように頷いた。
そこへ、シンが大きな声を挟む。
「えっ! えぇっ? 何の話ですかぁぁーっ!?」
「黙れ。シン」
グレイブは呆れ顔になりながら、静かな声でシンを制止した。
子どもではないため大声を出したりはしない。だが、その静かな声には、得体の知れない威圧感がある。
シンは黙った。
それから数秒して、グレイブは立ち上がる。
「よし。では飲み物を持ってこよう」
だが、その直後にフランシスカが腰を上げた。明るい声で「フランが行きますっ」と言う。まるでグレイブの行動を読んでいたかのようなタイミングだ。
いきなりのことにきょとんとした顔をするグレイブ。
「あ、あぁ。そうか。では任せよう」
「フランのとマレイちゃんのだけですよねっ?」
「その通りだ」
「ではでは、行ってきます!」
フランシスカは軽やかな足取りで席から離れていく。
私は、結局何も言えぬまま、彼女の背を見送った。
グレイブとシンは知り合いだ。だから、三人になってしまうとどうしても、一対二のように感じてしまう。
敵対しているわけではない。なので、本来、さして問題はないはずなのだ。しかし、アウェイ感がどうも気になって仕方がない。
「……マレイ。大丈夫か?」
場に居づらい顔をしてしまっていたのか、グレイブが心配したように尋ねてきた。
黒い瞳がこちらをじっと見つめている。
「えっ。私、ですか」
「そうだ。トリスタンがさらわれて、早数日。さぞ寂しい思いをしていることだろうが、平気か?」
ちょっぴり失礼な発言。
しかし、そんな小さなことにいちいち腹を立ててはいられない。
「はい。私は大丈夫です。それよりも、トリスタンが痛い目に遭っていないかが心配です」
心配するべきは私ではない。トリスタンだ。
「それもそうだな。あいつらのことだ、どんな酷いことをするか分からん。やはり……一刻も早くゼーレから情報を」
「怪我させるのは駄目ですよ!」
半ば無意識に、私にしては大きな声を出してしまっていた。
情報を聞き出す——そのためなら、グレイブはゼーレの体のことなど、微塵も考慮しないだろう。もし彼が吐かなければ、かなり残酷な手段でも使うに違いない。
ゼーレは既に傷を負っている身。あれ以上のダメージは危険だ。
こんなことを言えば、「なぜ敵であるゼーレを庇おうとするのか」と思われるだろう。
正直、はっきりとした理由など私自身にも分かっていない。
だが、ただ一つ分かることはある。それは、ゼーレとて悪魔ではないということ。彼は素直でないし性格も口も悪い。けれども、人の心を失ってはいない。
それが、この数週間、一日ほんの数時間だが近くで接してきて、私が抱いた思いだ。
「何だと?」
グレイブは眉頭を寄せ、訝しむような顔をする。
そんな表情をしている時ですら美人なのだから、彼女の美しさは凄まじいものだと思う。もっとも、あくまで私個人の意見だが。
「ゼーレをあれ以上傷つけるのは止めてほしいです」
私ははっきりと意見を述べた。
こんなことを言えば、グレイブは怒るだろう。ゼーレを憎しみをぶつける対象と認識している彼女が怒らないわけがない。
怒られること覚悟の上で、私は言いたいことを言った。
それはかなり勇気がいることだった。けれども、自分の言いたいことを言うというのは、すっきりするものだ。後悔はしていない。
「……そうか」
恐る恐る、グレイブの顔へ視線を向ける。
強く恐ろしい彼女に対し歯向かうような発言をしたのだ、気楽ではいられない。
だが——グレイブは怒った顔をしていなかった。
「本来なら限界まで痛めつけるところだ。だが、お前がそれを嫌がるのなら、トリスタンも同じ思いでいることだろう」
怒りを露わにするどころか、彼女の整った顔は哀愁を帯びていた。やや伏せられた目は、大人びていると同時に、寂しげな色をしている。
「分かって……下さったんですか?」
控えめに言ってみる。
すると彼女は、憂いの色の滲む視線をこちらへ向けた。
「ゼーレの世話を任せてしまっているからな。そのお返しと言ってはなんだが、お前の意見も考慮しよう」
漆黒の瞳は瑞々しい。しかも、妙なほどに澄んでいて、私の姿がくっきりと映っている。嫌いな闇と同じ黒なのに、彼女の瞳には嫌なイメージを抱かない。不思議なものだ。
「ただ、一刻も早くトリスタンを助けなくてはならないことは、変わらない。そこで、だ」
「……何ですか?」
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そんな私に対し、彼女ははっきりと述べる。
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