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episode.25 仲良くはない二人
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「トリスタン! トリスタン! 大丈夫? トリスタン!!」
床に崩れ落ちたトリスタンに駆け寄り、声をかけながら揺すってみる。けれど彼は応じない。彼は、既に意識を失っており、その体は脱力していた。
「無駄よ。そんなことでは目を覚まさないわ」
リュビエは冷ややかな声で述べる。そして、一歩、また一歩、と近づいてきた。
何をされるか分からず、私は身構える。
「さぁ、大人しくあたしについてきてちょうだい」
「嫌です」
「お前の意思など聞いてはいないのよ」
「止めて!」
私の腕を強制的に掴もうとしたリュビエの手を、私は強く払った。
こんなことをすれば相手を余計に刺激することになるとは分かっている。だが、彼女の言いなりになるのは嫌だったのだ。
私の人生は私が決める。私以外の誰にも、決めさせたりはしない。
「トリスタンを傷つけるような人には、絶対についていきません!」
はっきりと言ってやった。
するとリュビエは呆れ顔になる。馬鹿者を見るような目だ。
「あらあら、生意気ね。いいわ。それなら」
そこで言葉を切り、彼女は私の腕を強く掴む。女性とは到底思えぬ、凄まじい握力である。
「二度とそんな生意気が言えないよう、教育してあげるわ」
静かな声を発した後、リュビエは手の力を強めた。
腕が締めつけられ、痛みが走る。
「……あ、う」
慣れない苦痛に、声を漏らしてしまう。
痛がっていることをリュビエに悟られてはならない。それは分かっている。けれど、半ば無意識に声が出てしまうので、どうしようもない。
「大人しく従いなさい。そうでなくては、腕が折れるわよ」
「い、嫌! こんなくらいで従ったりしない!」
今従う態度に変われば、痛みによって屈服したかのようだ。そんなことは私のプライドが許さない。だから私は、必死に抵抗した。首を左右に振り、意思をはっきりと述べる。
「そう。よほど折られたいみたいね。それなら手加減はしないわ」
一見余裕たっぷりに思えるリュビエの声。しかし、よく聞くと、心なしか苛立っているようにも聞こえた。そして、何か焦りのようなものがあるようにも感じられる。
彼女の事情は知らない。だが、ふと思った。急がなくてはならない理由が何かあるのかもしれない、と。
そういうことなら、とことん焦らしてやろう。焦らせば焦らすほど、勝ちの流れがこちらへ向かってくるはず………。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
「遅くなってすみませんねぇ。来ましたよ」
ゼーレが現れたのだ。
彼は高さ一メートルほどの蜘蛛に腰掛けている。
そちらへ視線を向けるリュビエ。
「遅かったわね、ゼーレ」
「入り口に殺虫剤が撒かれていたのです。仕方ないでしょう」
「殺虫剤? 何それ。お前、本当に馬鹿ね」
二人の会話を聞いている感じ、あまり仲良くはなさそうだ。しかし二人は仲間。油断はできない。
ただ、ゼーレの登場によって、少しは時間を稼げそうな気がする。
「そんなの無視なさいよ」
「可愛い子たちに、無茶はさせられませんからねぇ」
ゼーレの口から飛び出した過保護な親のような発言に、リュビエは呆れて溜め息をつく。
「まったく。後がないと分かっているの?」
「もちろん、分かってますよ」
「なら頑張りなさいよ! 最後のチャンスでしょ! このままじゃ、お前、居場所がなくなるわよ」
リュビエは見下したような笑みを浮かべる。
「最後のチャンス……ですか」
ぽつりと呟くゼーレ。
彼はそれから、私の方へと歩み寄ってくる。
「潰そうとしておいて、よくそんなことを言いますねぇ」
ゼーレは私の目の前まで来ると、唐突にくるりと身を返し、銀色の仮面で覆われた顔をリュビエへ向けた。
「ボスに好かれたいがために抜け駆けしようとしたことは分かっていますよ、リュビエ」
「……っ!」
「貴女の役目は兵を片付けることだけだったはずですがねぇ」
リュビエとゼーレ——二人の間には、かなり緊迫した空気が漂っている。
「うるさいわね! お前が無能だから、あたしが代わりにやってあげようとしたのよ!」
「まさに余計なお世話というやつですねぇ」
「あぁもう、分かったわよ! 好きにしなさい!」
口喧嘩の勝者は、意外にもゼーレだった。
本来口喧嘩なら、口が達者な女性の方が有利なことが多いと思われる。しかし、ゼーレの場合は違ったようだ。
こうして、リュビエは撤退。私はゼーレと二人きりになってしまった。トリスタンはまだ目を覚ましそうになく、完璧に二人きりだ。
正直、かなり気まずい。いや、敵対者と二人なのだから、「気まずい」などと呑気なことを言っている場合ではないのだが……しかしかなりの気まずさである。
そんなことを考えていると、ゼーレが振り返り、私を見た。
「これでもう文句はないでしょう」
「……文句?」
「話し合いをお望みなのでしょう?」
「えぇ」
私は静かに返す。
緊張で背筋に汗の粒が浮かぶ。
ゼーレとはこれまで何度も直接的に会話してきた。しかしその時はいつもトリスタンがいた。護るものの何もない状況だと、かなり不安だ。
「マレイ・チャーム・カトレア。今日こそ、我々のもとへ来ていただきます」
「……それは嫌」
「言いますねぇ。いつの間にそんなに気が強くなったのやら」
彼の顔面は銀色の仮面で覆われている。だが、彼がこちらを見つめていることは確かに分かった。不気味な男と見つめ合うなど、本来、恐怖以外の何でもないはずだ。しかし不思議なもので、今はそれほど恐怖を感じない。
「ゼーレ、一つ聞かせてほしいの」
「なに?」
「貴方やさっきのあの女の人が言う『ボス』って……一体誰なの」
ゼーレもリュビエも当たり前のように言っていたが、その正体を私たちは知らない。このままでは戦いようがないし、まともに戦ったとしても明らかに不利だろう。
敵の情報こそ重要——そう思うから、尋ねてみたのだ。
しばらくして、ゼーレは答える。
「……ボスは我々のリーダーのような存在。圧倒的な力を持つ男」
落ち着いた声。だがその声は、どこか悲しくも聞こえた。
「圧倒的な、力?」
「その通り。なので、逆らわない方が賢明と思いますがねぇ」
なぜだろう。今の私には、彼の言葉をそのままの意味で受け取れなかった。
彼が言っているのは、自分たちのリーダー的存在である『ボス』という者の強さ。そしてその強さへの称賛。
そのはずなのに、まるでそうではないかのように感じる。
「……ボスの目的は何?」
私は視線を彼へ向けたまま質問した。
彼はすぐには答えない。ただ、「答えない」という雰囲気ではなく、何やら考えているような雰囲気である。だから私は、そちらをじっと見つめたまま、彼が答えるのを待った。
暫し沈黙。夜の闇のような、深い海のような、そんな沈黙だ。ほんの僅かな動き……いや、心音でさえも、空気を揺らしそうな気がする。それほどの沈黙だった。
それから一二分が経ち、ゼーレはようやく口を開く。
「レヴィアス帝国を亡き国とし」
そこで一度、彼は息を吸った。
「土地を己のものとすること」
針で肌を刺するような、固い空気がこの場を包んでいる。
私は彼の言葉に耳を傾ける。
「それが我々のボスの目的です」
レヴィアス帝国を亡き国に。
そんな私欲のために、あんな怪物を送り込み、人々を傷つけたというのか。人々を殺め、村を消し去ったというのか。
そう考えると、心が怒りに震えた。
床に崩れ落ちたトリスタンに駆け寄り、声をかけながら揺すってみる。けれど彼は応じない。彼は、既に意識を失っており、その体は脱力していた。
「無駄よ。そんなことでは目を覚まさないわ」
リュビエは冷ややかな声で述べる。そして、一歩、また一歩、と近づいてきた。
何をされるか分からず、私は身構える。
「さぁ、大人しくあたしについてきてちょうだい」
「嫌です」
「お前の意思など聞いてはいないのよ」
「止めて!」
私の腕を強制的に掴もうとしたリュビエの手を、私は強く払った。
こんなことをすれば相手を余計に刺激することになるとは分かっている。だが、彼女の言いなりになるのは嫌だったのだ。
私の人生は私が決める。私以外の誰にも、決めさせたりはしない。
「トリスタンを傷つけるような人には、絶対についていきません!」
はっきりと言ってやった。
するとリュビエは呆れ顔になる。馬鹿者を見るような目だ。
「あらあら、生意気ね。いいわ。それなら」
そこで言葉を切り、彼女は私の腕を強く掴む。女性とは到底思えぬ、凄まじい握力である。
「二度とそんな生意気が言えないよう、教育してあげるわ」
静かな声を発した後、リュビエは手の力を強めた。
腕が締めつけられ、痛みが走る。
「……あ、う」
慣れない苦痛に、声を漏らしてしまう。
痛がっていることをリュビエに悟られてはならない。それは分かっている。けれど、半ば無意識に声が出てしまうので、どうしようもない。
「大人しく従いなさい。そうでなくては、腕が折れるわよ」
「い、嫌! こんなくらいで従ったりしない!」
今従う態度に変われば、痛みによって屈服したかのようだ。そんなことは私のプライドが許さない。だから私は、必死に抵抗した。首を左右に振り、意思をはっきりと述べる。
「そう。よほど折られたいみたいね。それなら手加減はしないわ」
一見余裕たっぷりに思えるリュビエの声。しかし、よく聞くと、心なしか苛立っているようにも聞こえた。そして、何か焦りのようなものがあるようにも感じられる。
彼女の事情は知らない。だが、ふと思った。急がなくてはならない理由が何かあるのかもしれない、と。
そういうことなら、とことん焦らしてやろう。焦らせば焦らすほど、勝ちの流れがこちらへ向かってくるはず………。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
「遅くなってすみませんねぇ。来ましたよ」
ゼーレが現れたのだ。
彼は高さ一メートルほどの蜘蛛に腰掛けている。
そちらへ視線を向けるリュビエ。
「遅かったわね、ゼーレ」
「入り口に殺虫剤が撒かれていたのです。仕方ないでしょう」
「殺虫剤? 何それ。お前、本当に馬鹿ね」
二人の会話を聞いている感じ、あまり仲良くはなさそうだ。しかし二人は仲間。油断はできない。
ただ、ゼーレの登場によって、少しは時間を稼げそうな気がする。
「そんなの無視なさいよ」
「可愛い子たちに、無茶はさせられませんからねぇ」
ゼーレの口から飛び出した過保護な親のような発言に、リュビエは呆れて溜め息をつく。
「まったく。後がないと分かっているの?」
「もちろん、分かってますよ」
「なら頑張りなさいよ! 最後のチャンスでしょ! このままじゃ、お前、居場所がなくなるわよ」
リュビエは見下したような笑みを浮かべる。
「最後のチャンス……ですか」
ぽつりと呟くゼーレ。
彼はそれから、私の方へと歩み寄ってくる。
「潰そうとしておいて、よくそんなことを言いますねぇ」
ゼーレは私の目の前まで来ると、唐突にくるりと身を返し、銀色の仮面で覆われた顔をリュビエへ向けた。
「ボスに好かれたいがために抜け駆けしようとしたことは分かっていますよ、リュビエ」
「……っ!」
「貴女の役目は兵を片付けることだけだったはずですがねぇ」
リュビエとゼーレ——二人の間には、かなり緊迫した空気が漂っている。
「うるさいわね! お前が無能だから、あたしが代わりにやってあげようとしたのよ!」
「まさに余計なお世話というやつですねぇ」
「あぁもう、分かったわよ! 好きにしなさい!」
口喧嘩の勝者は、意外にもゼーレだった。
本来口喧嘩なら、口が達者な女性の方が有利なことが多いと思われる。しかし、ゼーレの場合は違ったようだ。
こうして、リュビエは撤退。私はゼーレと二人きりになってしまった。トリスタンはまだ目を覚ましそうになく、完璧に二人きりだ。
正直、かなり気まずい。いや、敵対者と二人なのだから、「気まずい」などと呑気なことを言っている場合ではないのだが……しかしかなりの気まずさである。
そんなことを考えていると、ゼーレが振り返り、私を見た。
「これでもう文句はないでしょう」
「……文句?」
「話し合いをお望みなのでしょう?」
「えぇ」
私は静かに返す。
緊張で背筋に汗の粒が浮かぶ。
ゼーレとはこれまで何度も直接的に会話してきた。しかしその時はいつもトリスタンがいた。護るものの何もない状況だと、かなり不安だ。
「マレイ・チャーム・カトレア。今日こそ、我々のもとへ来ていただきます」
「……それは嫌」
「言いますねぇ。いつの間にそんなに気が強くなったのやら」
彼の顔面は銀色の仮面で覆われている。だが、彼がこちらを見つめていることは確かに分かった。不気味な男と見つめ合うなど、本来、恐怖以外の何でもないはずだ。しかし不思議なもので、今はそれほど恐怖を感じない。
「ゼーレ、一つ聞かせてほしいの」
「なに?」
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ゼーレもリュビエも当たり前のように言っていたが、その正体を私たちは知らない。このままでは戦いようがないし、まともに戦ったとしても明らかに不利だろう。
敵の情報こそ重要——そう思うから、尋ねてみたのだ。
しばらくして、ゼーレは答える。
「……ボスは我々のリーダーのような存在。圧倒的な力を持つ男」
落ち着いた声。だがその声は、どこか悲しくも聞こえた。
「圧倒的な、力?」
「その通り。なので、逆らわない方が賢明と思いますがねぇ」
なぜだろう。今の私には、彼の言葉をそのままの意味で受け取れなかった。
彼が言っているのは、自分たちのリーダー的存在である『ボス』という者の強さ。そしてその強さへの称賛。
そのはずなのに、まるでそうではないかのように感じる。
「……ボスの目的は何?」
私は視線を彼へ向けたまま質問した。
彼はすぐには答えない。ただ、「答えない」という雰囲気ではなく、何やら考えているような雰囲気である。だから私は、そちらをじっと見つめたまま、彼が答えるのを待った。
暫し沈黙。夜の闇のような、深い海のような、そんな沈黙だ。ほんの僅かな動き……いや、心音でさえも、空気を揺らしそうな気がする。それほどの沈黙だった。
それから一二分が経ち、ゼーレはようやく口を開く。
「レヴィアス帝国を亡き国とし」
そこで一度、彼は息を吸った。
「土地を己のものとすること」
針で肌を刺するような、固い空気がこの場を包んでいる。
私は彼の言葉に耳を傾ける。
「それが我々のボスの目的です」
レヴィアス帝国を亡き国に。
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