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episode.18 次は
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私はゼーレに首を掴まれている。彼がその気になれば、こんな細い首、一瞬にして握り潰されるだろう。もしそうなれば呼吸ができなくなり、私は死へと大きく近づくこととなるに違いない。
だからトリスタンも、ゼーレへ手を出せないのだ。
「……卑怯者」
整った顔を悔しげにしかめるトリスタンを見て、ゼーレは小さく笑う。
「急に大人しくなりましたねぇ。それほどマレイ・チャーム・カトレアが大切なのですか? 実に面白いですねぇ」
ゼーレは、手を出せず悔しそうな顔のトリスタンを見ることを、楽しんでいるようだ。つくづく嫌な男である。
「不便ですねぇ、感情とは」
凄く楽しそうなゼーレを見ていると、私は殴りかかりたくなった。
トリスタンを馬鹿にするような発言を放っておくわけにはいかない。彼への言葉は私への言葉も同然——だから、腹が立つ。
ただ、殴りかかることなどできないことも、分かっている。首を掴まれたこの体勢ではどうしようもない。それに、私の力でゼーレにダメージを与えられるとも思えない。仮に今暴れたとしても、恐らく、こちらが危険な目に遭うだけだ。
「貴方たちレヴィアス人も、感情など捨ててしまえば、もっと強くなれるでしょうに。実に憐れな人たちです」
「君が何者なのか、真実は知らない。でも、化け物を使って他国を攻撃する君の方が、ずっと憐れだと思うよ」
ゼーレの言葉に対し、トリスタンは迷いなく返す。濁りのない、深海のような青の瞳は、ゼーレを真っ直ぐに捉えている。
「仮初めの強さを得るために心を捨てて生きるなんて、虚しいと思わない?」
トリスタンは問いかける。
何を言っても無駄だろう。ゼーレに届くわけがない。悪魔のような、闇のような、ゼーレ。彼にそんなことを問いかけたところで、「馬鹿だ」と笑われるのが関の山だろう。
私は、そう思っていた。
——けれど。
この首を掴む彼の顔を見た時、私は信じられない気持ちになった。
「……同じなの?」
思わずそう漏らしてしまったほど。
「違うものと思っていた。けれど」
なぜ信じられない気持ちになったのか?
それは、トリスタンへ目を向けるゼーレの瞳が、悲しげな色をたたえていたからである。
銀色の仮面を装着しているため、彼の生の顔を見ることはできない。それでも彼の顔色は分かった。偶然か、至近距離にいるからか、それは分からない。けれど今、私は確かに、彼の胸に潜む何かを感じていた。
「貴方の感情も……私たちと同じものなのね?」
口から自然に言葉が出た。
それを聞いたゼーレは、急に様子がおかしくなり、私の首から手を離す。
半ば突き飛ばすように勢いよく離されたため、バランスを崩し、転んでしまった。打った腰が、じん、と痛む。
「馬鹿らしい!」
ゼーレは今まで、私に対しては丁寧だった。それはもう、不気味なくらいに。そんな彼が初めて声を荒らげた——そのことだけで、私の発言が的を射ていたのだと判断できる。
彼はトリスタンに「感情を捨てればもっと強くなれる」と言った。その言葉の裏には、恐らく、自分が感情を捨てきれないコンプレックスが潜んでいるのだろう。
そうでなくては、彼がトリスタンにそんなことを述べる必要性がない。
「マレイ・チャーム・カトレア! そんな馬鹿らしいことを言えば、次は許しません!」
「貴方に心がないのなら、許すも何もないはずよ。力なき反抗者は殺す。単純にそれでいいじゃない」
なぜこんな強気な発言をできたのかは、私にもよく分からない。
「……っ! まったく、うるさいですねぇ!」
「そうやってごまかさないでちょうだい! ゼーレ。貴方、感情を捨てきれないことを気にしているのでしょう? 隠しているつもりでも、私には分かるわよ」
言いながら、トリスタンを一瞥する。彼は白銀の剣を握ったまま、目を見開いて、きょとんとした顔をしていた。
「馬鹿らしい発言は慎みなさい!」
「質問には答えて!」
「答える義理など、ありはしません!」
そう叫んでから、ゼーレは私から数歩離れた。
仮面で顔が見えなくとも、動揺していることは容易く分かる。
「……気性の激しい女は、話になりませんねぇ」
「問いにはなるべくちゃんと答えなさいって、小さい頃に親から習うでしょ!」
「習うのでしょうね、親がいれば」
それを最後に、沈黙が訪れる。
迂闊だった。
そもそも、ゼーレはレヴィアス人ではないだろう。それに、こんなことを生業としているのだから、まともな家庭で育ってきたわけがない。
完全に失言だ。今の発言は、間違いなく彼の心の傷を抉った。
分かるの。私も親を失った身だから。
「あ、あの……、ごめんなさい。ゼーレ。今のは言い過ぎたわ」
ちょうどそのタイミングでトリスタンが駆け寄ってくる。
ゼーレが私を即座に殺せない位置まで下がったからだと思われる。
「マレイちゃん。大丈夫?」
「えぇ、平気よ」
「それなら良かった」
ほっとした顔をするトリスタン。
「とにかく、一度避難しよう。普通の化け物くらいなら僕で倒せるから」
「えぇ。そうしましょう」
トリスタンに返してから、私はゼーレに向けて言い放つ。
「ゼーレ! 貴方はこれからも、私のもとへ来るのでしょう! 待っているわ!」
「……ま、マレイちゃん!?」
「私が貴方について行くことはない。でも、分かり合うための努力ならしたいと思う。意味のない戦いを終わらせられるかもしれないもの」
「一体何を言っているの? マレイちゃん、気は確か?」
不安げな表情のトリスタンの言葉に、私はそっと頷く。
その隙に立ち去ろうとするゼーレ。
「だからゼーレ! 次は襲撃ではなく、話し合いに来て!」
黒い背中は何も答えなかった。
……これで、少しでも何かが変われば良いのだが。
だからトリスタンも、ゼーレへ手を出せないのだ。
「……卑怯者」
整った顔を悔しげにしかめるトリスタンを見て、ゼーレは小さく笑う。
「急に大人しくなりましたねぇ。それほどマレイ・チャーム・カトレアが大切なのですか? 実に面白いですねぇ」
ゼーレは、手を出せず悔しそうな顔のトリスタンを見ることを、楽しんでいるようだ。つくづく嫌な男である。
「不便ですねぇ、感情とは」
凄く楽しそうなゼーレを見ていると、私は殴りかかりたくなった。
トリスタンを馬鹿にするような発言を放っておくわけにはいかない。彼への言葉は私への言葉も同然——だから、腹が立つ。
ただ、殴りかかることなどできないことも、分かっている。首を掴まれたこの体勢ではどうしようもない。それに、私の力でゼーレにダメージを与えられるとも思えない。仮に今暴れたとしても、恐らく、こちらが危険な目に遭うだけだ。
「貴方たちレヴィアス人も、感情など捨ててしまえば、もっと強くなれるでしょうに。実に憐れな人たちです」
「君が何者なのか、真実は知らない。でも、化け物を使って他国を攻撃する君の方が、ずっと憐れだと思うよ」
ゼーレの言葉に対し、トリスタンは迷いなく返す。濁りのない、深海のような青の瞳は、ゼーレを真っ直ぐに捉えている。
「仮初めの強さを得るために心を捨てて生きるなんて、虚しいと思わない?」
トリスタンは問いかける。
何を言っても無駄だろう。ゼーレに届くわけがない。悪魔のような、闇のような、ゼーレ。彼にそんなことを問いかけたところで、「馬鹿だ」と笑われるのが関の山だろう。
私は、そう思っていた。
——けれど。
この首を掴む彼の顔を見た時、私は信じられない気持ちになった。
「……同じなの?」
思わずそう漏らしてしまったほど。
「違うものと思っていた。けれど」
なぜ信じられない気持ちになったのか?
それは、トリスタンへ目を向けるゼーレの瞳が、悲しげな色をたたえていたからである。
銀色の仮面を装着しているため、彼の生の顔を見ることはできない。それでも彼の顔色は分かった。偶然か、至近距離にいるからか、それは分からない。けれど今、私は確かに、彼の胸に潜む何かを感じていた。
「貴方の感情も……私たちと同じものなのね?」
口から自然に言葉が出た。
それを聞いたゼーレは、急に様子がおかしくなり、私の首から手を離す。
半ば突き飛ばすように勢いよく離されたため、バランスを崩し、転んでしまった。打った腰が、じん、と痛む。
「馬鹿らしい!」
ゼーレは今まで、私に対しては丁寧だった。それはもう、不気味なくらいに。そんな彼が初めて声を荒らげた——そのことだけで、私の発言が的を射ていたのだと判断できる。
彼はトリスタンに「感情を捨てればもっと強くなれる」と言った。その言葉の裏には、恐らく、自分が感情を捨てきれないコンプレックスが潜んでいるのだろう。
そうでなくては、彼がトリスタンにそんなことを述べる必要性がない。
「マレイ・チャーム・カトレア! そんな馬鹿らしいことを言えば、次は許しません!」
「貴方に心がないのなら、許すも何もないはずよ。力なき反抗者は殺す。単純にそれでいいじゃない」
なぜこんな強気な発言をできたのかは、私にもよく分からない。
「……っ! まったく、うるさいですねぇ!」
「そうやってごまかさないでちょうだい! ゼーレ。貴方、感情を捨てきれないことを気にしているのでしょう? 隠しているつもりでも、私には分かるわよ」
言いながら、トリスタンを一瞥する。彼は白銀の剣を握ったまま、目を見開いて、きょとんとした顔をしていた。
「馬鹿らしい発言は慎みなさい!」
「質問には答えて!」
「答える義理など、ありはしません!」
そう叫んでから、ゼーレは私から数歩離れた。
仮面で顔が見えなくとも、動揺していることは容易く分かる。
「……気性の激しい女は、話になりませんねぇ」
「問いにはなるべくちゃんと答えなさいって、小さい頃に親から習うでしょ!」
「習うのでしょうね、親がいれば」
それを最後に、沈黙が訪れる。
迂闊だった。
そもそも、ゼーレはレヴィアス人ではないだろう。それに、こんなことを生業としているのだから、まともな家庭で育ってきたわけがない。
完全に失言だ。今の発言は、間違いなく彼の心の傷を抉った。
分かるの。私も親を失った身だから。
「あ、あの……、ごめんなさい。ゼーレ。今のは言い過ぎたわ」
ちょうどそのタイミングでトリスタンが駆け寄ってくる。
ゼーレが私を即座に殺せない位置まで下がったからだと思われる。
「マレイちゃん。大丈夫?」
「えぇ、平気よ」
「それなら良かった」
ほっとした顔をするトリスタン。
「とにかく、一度避難しよう。普通の化け物くらいなら僕で倒せるから」
「えぇ。そうしましょう」
トリスタンに返してから、私はゼーレに向けて言い放つ。
「ゼーレ! 貴方はこれからも、私のもとへ来るのでしょう! 待っているわ!」
「……ま、マレイちゃん!?」
「私が貴方について行くことはない。でも、分かり合うための努力ならしたいと思う。意味のない戦いを終わらせられるかもしれないもの」
「一体何を言っているの? マレイちゃん、気は確か?」
不安げな表情のトリスタンの言葉に、私はそっと頷く。
その隙に立ち去ろうとするゼーレ。
「だからゼーレ! 次は襲撃ではなく、話し合いに来て!」
黒い背中は何も答えなかった。
……これで、少しでも何かが変われば良いのだが。
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