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prologue
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その日は突然やって来た。
生まれて十年。私——マレイ・チャーム・カトレアが暮らしてきた村は、一夜にして滅んだのである。
謎の化け物の襲撃によって。
「逃げろ!」
「あれはまずいぞ! 足が多すぎる!」
「助けて!」
その夜、私が目を覚ました時、村は既に赤い炎に包まれていた。
木造の家が多かったため、村にある家の多くが燃え盛っている。
耳をつんざくような女の悲鳴。子どもの泣き声。腹の底から出るような男の叫び。村人たちの声が飛び交う異常な空気の中、起きたばかりの私も家から逃げることになった。
「マレイ! 逃げるわよ!」
「う、うん……」
「早く早く!」
カトレア家の一人娘だった私は、母に手を引かれ、あてもなく走る。
背後には黒い影。その形から、巨大蜘蛛のような形をしていることだけは推測できる。
赤い炎の中、忍び寄る黒い影は、死という名の魔の手が迫ってきているかのようだ。恐ろしすぎる。
私は暫し懸命に駆けた。
寝起きの、まだ目が覚めきらない状態なので、何度も足が絡みそうになる。それでも一生懸命に走った。背後から謎の化け物が襲いかかってくる今、止まることは死と同義だからだ。
だが、ついに転んでしまった。地面の小石につまづいたようである。
「マレイ!」
少し先を行っていた母が戻ってくる。
「立つのよ、マレイ。早く。急いで」
「膝痛いよ……」
逃げなくては。
それは分かっているのだが、擦ってしまった膝が痛くて立ち上がることができない。
「擦りむいたのね。後で消毒するわ。とにかく今は——危ないっ!」
謎の化け物が放った凄まじい火炎が、世界を赤く染め、辺りを焼き尽くす。
「母さん!」
「逃げて、マレイ‼︎」
それが母の最期の言葉となった。
咄嗟に私を突き飛ばした母は、その炎に巻き込まれ、ほんの数秒で灰と化したのだった。
父親は忙しいことが多く、それゆえ、あまり家にはいなかった。だから私は、母親と二人で過ごしていることが多くて。二人で家族、というような感じだった。
でも、そんな母親はもういない。
灰になって、消えてしまった。
私は逃げようと試みる。だが足が震えて立ち上がることができない。
最悪だ。こんな最悪の日が、前触れもなく来るなんて。
「あ……」
漂う煙の隙間から、蜘蛛のような脚が何本も覗く。高さは三メートルくらいだろうか。今まで見たことのないような巨大な化け物が、じわりじわりと、私の方へ歩を進めてくる。
吐き出す炎に焼かれるか、太く長い脚に踏み潰されるか。
もはや逃げようのない私に残された道は、その二つのうちどちらかしかない。いずれにせよ、私を待ち受けるのは死しかないということである。
これまた最悪としか言い様のない展開だ。
私は諦めた。
こんな巨大な化け物に襲われたのだ、死ぬのも仕方ない。
そんな風に。
——しかし、その直後。
黄金の光が視界を駆け抜ける。
そして気がついた時には、蜘蛛のような化け物の脚が二本ほど切断されていた。脚を失いバランスを崩した化け物は、動きを鈍らせる。
「今のうちに!」
いつの間にか目の前に立っていた白い衣装の青年が、化け物を睨んだまま叫ぶ。
化け物の脚を切断したのは、恐らく彼なのだろう——というのも、彼の手には白銀の剣が握られていたのだ。しかも、その細く長い刃には、薄紫の粘液がまとわりついている。
「逃げて!」
「で……でも……」
「早く!」
青年に鋭く叫ばれた時、私はようやく「逃げよう」と覚悟を決めた。
しばらくもがいて何とか立ち上がり、震える足を必死に動かす。激しい震えのせいで千鳥足のようになりながらも歩く。擦りむいた膝が軋むように痛むが、それでも歩く。そして、徐々に速度を上げていく。
次第に体が温まり、足が動くようになってくる。私はそのペースに乗り、走った。
黒い影が遠ざかっていく。
今日はひたすらついていない私だったが、最悪を免れることができる可能性が出てきた。
助かるかもしれない——。
そんな細やかな希望を胸に、私は駆けていく。赤い炎に彩られた、夜の闇を。
生まれて十年。私——マレイ・チャーム・カトレアが暮らしてきた村は、一夜にして滅んだのである。
謎の化け物の襲撃によって。
「逃げろ!」
「あれはまずいぞ! 足が多すぎる!」
「助けて!」
その夜、私が目を覚ました時、村は既に赤い炎に包まれていた。
木造の家が多かったため、村にある家の多くが燃え盛っている。
耳をつんざくような女の悲鳴。子どもの泣き声。腹の底から出るような男の叫び。村人たちの声が飛び交う異常な空気の中、起きたばかりの私も家から逃げることになった。
「マレイ! 逃げるわよ!」
「う、うん……」
「早く早く!」
カトレア家の一人娘だった私は、母に手を引かれ、あてもなく走る。
背後には黒い影。その形から、巨大蜘蛛のような形をしていることだけは推測できる。
赤い炎の中、忍び寄る黒い影は、死という名の魔の手が迫ってきているかのようだ。恐ろしすぎる。
私は暫し懸命に駆けた。
寝起きの、まだ目が覚めきらない状態なので、何度も足が絡みそうになる。それでも一生懸命に走った。背後から謎の化け物が襲いかかってくる今、止まることは死と同義だからだ。
だが、ついに転んでしまった。地面の小石につまづいたようである。
「マレイ!」
少し先を行っていた母が戻ってくる。
「立つのよ、マレイ。早く。急いで」
「膝痛いよ……」
逃げなくては。
それは分かっているのだが、擦ってしまった膝が痛くて立ち上がることができない。
「擦りむいたのね。後で消毒するわ。とにかく今は——危ないっ!」
謎の化け物が放った凄まじい火炎が、世界を赤く染め、辺りを焼き尽くす。
「母さん!」
「逃げて、マレイ‼︎」
それが母の最期の言葉となった。
咄嗟に私を突き飛ばした母は、その炎に巻き込まれ、ほんの数秒で灰と化したのだった。
父親は忙しいことが多く、それゆえ、あまり家にはいなかった。だから私は、母親と二人で過ごしていることが多くて。二人で家族、というような感じだった。
でも、そんな母親はもういない。
灰になって、消えてしまった。
私は逃げようと試みる。だが足が震えて立ち上がることができない。
最悪だ。こんな最悪の日が、前触れもなく来るなんて。
「あ……」
漂う煙の隙間から、蜘蛛のような脚が何本も覗く。高さは三メートルくらいだろうか。今まで見たことのないような巨大な化け物が、じわりじわりと、私の方へ歩を進めてくる。
吐き出す炎に焼かれるか、太く長い脚に踏み潰されるか。
もはや逃げようのない私に残された道は、その二つのうちどちらかしかない。いずれにせよ、私を待ち受けるのは死しかないということである。
これまた最悪としか言い様のない展開だ。
私は諦めた。
こんな巨大な化け物に襲われたのだ、死ぬのも仕方ない。
そんな風に。
——しかし、その直後。
黄金の光が視界を駆け抜ける。
そして気がついた時には、蜘蛛のような化け物の脚が二本ほど切断されていた。脚を失いバランスを崩した化け物は、動きを鈍らせる。
「今のうちに!」
いつの間にか目の前に立っていた白い衣装の青年が、化け物を睨んだまま叫ぶ。
化け物の脚を切断したのは、恐らく彼なのだろう——というのも、彼の手には白銀の剣が握られていたのだ。しかも、その細く長い刃には、薄紫の粘液がまとわりついている。
「逃げて!」
「で……でも……」
「早く!」
青年に鋭く叫ばれた時、私はようやく「逃げよう」と覚悟を決めた。
しばらくもがいて何とか立ち上がり、震える足を必死に動かす。激しい震えのせいで千鳥足のようになりながらも歩く。擦りむいた膝が軋むように痛むが、それでも歩く。そして、徐々に速度を上げていく。
次第に体が温まり、足が動くようになってくる。私はそのペースに乗り、走った。
黒い影が遠ざかっていく。
今日はひたすらついていない私だったが、最悪を免れることができる可能性が出てきた。
助かるかもしれない——。
そんな細やかな希望を胸に、私は駆けていく。赤い炎に彩られた、夜の闇を。
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