上 下
42 / 62

episode.41 貴方が望む道を行けばいい

しおりを挟む
 妻子を失った男性の大騒ぎはしばらく続いていたが、やがて静かになった。そして部屋から人が出てくる。四十代後半か五十代くらいと思われる見た目の男性だった。彼はその丸い顔を真っ赤にしながら部屋を出て、どすどす足を踏み鳴らしながら廊下を歩いてゆく。その目もとにはうっすらと涙の粒が浮かんでいた。

「ソレアさん、どうぞー」

 男性を見送った頃、部屋の方から覗いてきた若い男性隊員がそう声をかけてくれた。

 あんな騒ぎの後で気まずい――そう思いながらも、今さら引き返すのもおかしいと思って部屋の方へと進んでいく。

 既に開いている扉から中を覗くようにしてみれば、台に腰掛けている魔の者姿のノワールが見えた。その姿勢はどことなく暗い雰囲気を漂わせていたが、目が合うと急に雰囲気が変わった。ノワールはその鋼ともゼリーとも言えそうな材質の手を挨拶がてら軽く一度掲げる。

「久しぶり、元気にしてた?」

 何度会っても、久々に会う時というのは緊張してしまうものだ。それに何だか少し恥ずかしさもあって。ずっと一緒に行動していた時とはまた違った何かがある。

「……うん」

 人の姿のノワールには今は会えないけれど、それでもこうして話せるだけで嬉しい。

「何だか……凄い騒ぎだったわね」
「ごめん、驚かせて」
「いいえ。大丈夫よ。そうだ、今日アイスクリーム買ってきたから」
「……溶けちゃった?」
「いえ、冷やしてもらっているの。今から頼んで持ってきてもらうわね」

 近くにいた隊員に先ほどのことを伝え、預けているアイスクリームを持ってきてもらうことにした。

「ノワール、横になってなくて大丈夫なの?」
「ん。もう大丈夫」
「そう、ならいいけど……横になっている方が楽ならそうしていていいのよ」
「……縦にしてる方が違和感ない」
「そう。あ、アイスのことだけど。抹茶の他にも色々な味があったから、ちょっと多めに買ってきちゃったわ。よかったらまた後にでも食べて」

 取り敢えず、台の近くに置かれた椅子に座っておこう。

 立ったまま長時間話してしまうと間違いなく後で疲れる。

「……相変わらずだね」
「何を言い出すの?」
「ソレアって……ないよね、警戒心とかあまり」
「変なノワール」
「……だって、今もこんなボクに普通に喋ってるし」

 少し間を空けて。

「ここにいてよく分かったよ、ボクらは……怨まれる側でしかないって」

 そんなことを言う彼は寂しそうだった。

「ケド、罪があることは事実だから……償えないとしたって、それでも、謝って何とかやってくしかないんだよね……」

 ちょうどその時アイスクリームが届いた。
 持ってきてくれたのは女性隊員だ。
 女性隊員は「お待たせしましたー」と笑顔を作りながら箱ごと渡してくれた。

「食べましょ! ね? 美味しいものを食べたらきっと暗い気持ちなんて吹き飛ぶわ!」

 箱を開封。
 そして中からアイスクリームを取り出すのだ。

 お持ち帰り用なので蓋のついたカップに入っている。

 これは便利!

「はい! 抹茶!」

 蓋を開けて、抹茶アイスのカップを差し出す――がその時になって気づいた。

「あ……、これ、持てる?」

 そう、今のノワールは人の姿の時とは違う。巨大とまではいかないサイズとしても、一般的な人のサイズよりかは遥かに大きいのだ。それはつまり、手も大きいということ。小さなカップは持ちづらいかもしれない。

「……持ってみる」

 ノワールは慣れない様子で小鳥のようなカップを丁寧に持つ。

「持てた」
「良かった! じゃあええと、これ、スプーンね」
「小さい……」
「持てる? 無理?」
「……折らないように気をつけないと」

 最初こそ戸惑っているようだったが、わりとすぐにカップとスプーンを持つことに慣れたようだった。アイテムに比べてかなり大きめな手を器用に使って抹茶アイスを少しずつ掘っていっている。

「美味しい……」

 少量の抹茶アイスを口に含んで、感動したような声を漏らす。

「……懐かしいな」

 アイスクリームを食べている時のノワールは、子どもの頃に思いを馳せるおじさんみたいだった。

 小さなものを扱うために丸めた背から哀愁が漂っている。

「さっきみたいな人、よく来る?」
「うん」
「そう……。でもね、あまり気にしなくていいわよ。ノワールってちょっと気にするところあるでしょ? 真面目なのよ、そんな感じじゃ疲れちゃうわ」
「……ありがと」

 その言葉を最後に、静寂が訪れてしまった。

 私たちは共に黙々とアイスクリームを食べ進める。
 口腔内には優しい甘みが広がって。
 けれども、静けさの中にあるせいで、どことなく気まずさもあった。

 もっと明るく色々喋ることができたなら良かったのだけれど、さすがにそれは難しかったのだ。

 そうして静けさの中で食べていたら、あっという間にカップは空になってしまった。

「あー、美味しかったー!」

 このアイスクリーム、あまり多くないように見えるけれど、案外食べ終わった後はしっかり食べた気分になるのだ。口腔内には甘みと冷たさだけが微かに残る。意外とべたべたした感じはない。

「……ソレア、ボクは」

 ノワールはまだカップとスプーンを手にしたまま自ら口を開き始める。

「ボクは……吸い込む力は失った、でも、それで良かったと思ってる」
「そうなの?」
「……これでもう誰も傷つけずに済む」

 何と言ってほしいの? そこがよく分からない。でも黙ったままというのも変かもしれないと思って。

「きっと、貴方が納得する道こそが最善の道よ」

 そんな言葉を返した。

「これからはもうある程度何でも自由に選べるのだから、貴方が望む道を行けばいいと思うわ」
「……うん」
「けど、人間の姿に戻れるようになったら、もっと便利ではあるわよね」
「回復すれば、いずれ戻れる……はず」
「ええ! 楽しみにしてるわ! でも今の貴方も結構好きよ、大きいのに可愛いし」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

さようなら婚約者。お幸せに

四季
恋愛
絶世の美女とも言われるエリアナ・フェン・クロロヴィレには、ラスクという婚約者がいるのだが……。 ※2021.2.9 執筆

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

【完結】処刑後転生した悪女は、狼男と山奥でスローライフを満喫するようです。〜皇帝陛下、今更愛に気づいてももう遅い〜

二位関りをん
恋愛
ナターシャは皇太子の妃だったが、数々の悪逆な行為が皇帝と皇太子にバレて火あぶりの刑となった。 処刑後、農民の娘に転生した彼女は山の中をさまよっていると、狼男のリークと出会う。 口数は少ないが親切なリークとのほのぼのスローライフを満喫するナターシャだったが、ナターシャへかつての皇太子で今は皇帝に即位したキムの魔の手が迫り来る… ※表紙はaiartで生成したものを使用しています。

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

処理中です...