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episode.30 想い、想う
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北の山、山頂付近の洞窟。
暗闇の中に佇むのはゼツボーノ・オ・クソコ。
この世の闇と黒を掻き集めて作られたかのようなそれは、静けさの中、孤独に己の内側の負の感情へ目を向けている。
「マザー・コ・マモルンもファーザー・コ・マモルンもやられたか……」
黒いそれに、細かなパーツや姿はない。
ただひたすらに黒。
大きな黒い禍々しさをまとった形なき生命、それこそが彼。
「やはり人間を魔の者にしても弱い……」
ゼツボーノは上手くいかなかったという苛立ちに身を震わせた。
それから少し間を空けて。
「良質な魔の者を生み出さなくては……無限に」
一人、呟く。
「見ているがいい、いずれこの世界は黒一色に染まる……」
冷たい風が岩場を抜けてゆく。
やがて来る衝突の日を予感させるかのように。
◆
朝ベッドで目を覚まして、こっそり掛け布団から抜け出す。それから顔を軽く洗って、歯も磨いて、鏡に映った顔を意味もなく眺める。そうして背伸びをすれば、新しい一日が始まるのだと身体の奥底から感じられる。で、その頃には大抵ノワールらも起床の時間となる。
ありふれた日常。
なんてこともない日々。
でも私はそんな暮らしで構わない。
穏やかなこそ幸福、今は強くそう思う。
皆がのんびり暮らせて笑っていられて衣食住にも困らなければ、それだけでいい。
――けれど、その日の昼下がり。
サイレンが鳴った。
あまりにも突然。
久々に聞く刺々しい音、心がけば立つような感覚があった。
「……魔の者?」
紅茶が注がれたティーカップを持つだけ持ってまだ飲んでいなかったノワールが面を上げて窓の方へ視線を向ける。
「そうみたいね、どうやら」
ベッドに腰掛けつつ新聞を読んでいたルナは立ち上がる。
ノワールが椅子に座ったまま渋い薬を大量に口の中に含んでしまったような顔で「また……ソレアを狙ってるのかな。……メンドクサ」とこぼせば、ルナは踊るような足取りで彼に接近していって「ノワ様ぁ、敵の掃除ならお任せくださぁ~い!」と歌うように言い放つ。
それから、ルナは、まだ座っているノワールの両肩にそれぞれ手を置いた。
「見てこれる? ルナ」
「ええ! もちろんですわぁ~!」
「じゃあちょっと頼むよ」
「ええ、ええ、もっちろぉ~ん!! お任せくださぁ~いっ!! 行ってきまぁ~っす!!」
ルナは張りきって出ていった。
「ソレア」
ルナが出ていってから、ノワールはこちらへ視線を向けてくる。
「……不安?」
その声は落ち着いていて小さなものだ。特別目立つようなものではない、しかし、聞く者に包まれているような安心感を与えてくれるものでもある。その静かな声は、大人びた味のお茶みたいだ。
「いいえ、平気よ。だって今は一人じゃないもの」
「そう。ならいいけど」
「でもルナさん大丈夫かしら、一人で行かせてしまって」
「ああいいんだそれは、ルナは強いから」
ノワールはさらりと言った。
よほどルナのことを信頼しているのだろう。
「信頼しているのね」
「ま、そうだね。ルナは強いよ、まるで鬼……いや、それは言い過ぎかもしれないけど。でも、強いことは事実だね」
そこまで言ってから、ノワールはようやく手にしていたティーカップの端を唇に当てた。
「美しくて強いなんて素晴らしいわ」
「……それを言うならキミだって、偉大な力を持ってる」
「治癒魔法は、あまり役に立たないわ」
「なんでさ」
「だって、怪我すること前提だもの。それにね? 本当はこんな力、役立つべきじゃないのよ。こんな力を使わなくてもいい日常が一番良いの」
でも――何か言いかけて、ノワールは言葉を止める。
彼はティーカップをテーブルに置いた。
それからこちらをじっと見つめてくる。
その瞳は夕焼けを想わせる色。どことなく懐かしさを感じる。何の記憶かなんて、いつの記憶かなんて、分からなくて。それでも感じる、懐かしい日々と遠い過去を。
きっと人々はいつの世もこの色を愛してきたのだろう――根拠もなくそんな気がした。
昼が終わる頃、闇へ向かう頃。それはどこか切なくて。それでも、その切なさを愛おしく思う心を人は持っている。日が沈みゆき、明るい空が終わりゆく悲しみを、心揺らす感情に変えて。そうやってきっと人は生きてきたのだろう。遥か昔から、今へ、そして未来でもまた。きっと、人には不変の心というものもあるのだろう。
「貴方の瞳って、綺麗な色してるのね」
思わず発してしまって。
「……何言ってんの?」
戸惑いの表情を向けられてしまった。
今も遠くからサイレンの音が聞こえている。
「あ、い、いえっ……ごめんなさい、ちょっとおかしなこと考えてたわ」
「そう……」
「でも、さっき言ったことは嘘じゃないわ」
「べつにどっちでもいいけど……」
「ノワールの瞳は綺麗よ。こうして目が合った時、いつも思うの」
彼はまだ戸惑っているようだった。
「――ああ、人間はずっとこの色を愛してきたんだなって」
ノワールは目を細めて「……分からないな、ボクには」と呟いて、ゆっくりと立ち上がる。それからすたすたとこちらへ歩いてきて、ぎりぎりぶつからないくらいの位置でちょうど足を止めた。
至近距離、と言うにはまだ遠い。
しかしながら通常の人と人の距離感を考えるとかなり近い。
「でも……キミと出会って分かったこともある」
「分かったこと?」
「想いは人を変える」
「……想い? え、ええ、まぁそうでしょう……人って結構感情的よね」
今度はこちらが戸惑う番だった。
そもそも、今、こんな話をしていていいのか!?
「近くにいてもいやに遠く感じる時もあって、でも、離れていても近くにいるように思うこともある……いつまでも見ていたい、それは多分、その人が誰よりも綺麗に見えるから……他にも、自分のことも色々知ってほしいけど幻滅されたくなくてちょっと躊躇う……とか」
いやもう何なんですか? そのごちゃまぜになった気持ちの羅列。
「キミに出会って、気づいたら、そんな感じ……」
暗闇の中に佇むのはゼツボーノ・オ・クソコ。
この世の闇と黒を掻き集めて作られたかのようなそれは、静けさの中、孤独に己の内側の負の感情へ目を向けている。
「マザー・コ・マモルンもファーザー・コ・マモルンもやられたか……」
黒いそれに、細かなパーツや姿はない。
ただひたすらに黒。
大きな黒い禍々しさをまとった形なき生命、それこそが彼。
「やはり人間を魔の者にしても弱い……」
ゼツボーノは上手くいかなかったという苛立ちに身を震わせた。
それから少し間を空けて。
「良質な魔の者を生み出さなくては……無限に」
一人、呟く。
「見ているがいい、いずれこの世界は黒一色に染まる……」
冷たい風が岩場を抜けてゆく。
やがて来る衝突の日を予感させるかのように。
◆
朝ベッドで目を覚まして、こっそり掛け布団から抜け出す。それから顔を軽く洗って、歯も磨いて、鏡に映った顔を意味もなく眺める。そうして背伸びをすれば、新しい一日が始まるのだと身体の奥底から感じられる。で、その頃には大抵ノワールらも起床の時間となる。
ありふれた日常。
なんてこともない日々。
でも私はそんな暮らしで構わない。
穏やかなこそ幸福、今は強くそう思う。
皆がのんびり暮らせて笑っていられて衣食住にも困らなければ、それだけでいい。
――けれど、その日の昼下がり。
サイレンが鳴った。
あまりにも突然。
久々に聞く刺々しい音、心がけば立つような感覚があった。
「……魔の者?」
紅茶が注がれたティーカップを持つだけ持ってまだ飲んでいなかったノワールが面を上げて窓の方へ視線を向ける。
「そうみたいね、どうやら」
ベッドに腰掛けつつ新聞を読んでいたルナは立ち上がる。
ノワールが椅子に座ったまま渋い薬を大量に口の中に含んでしまったような顔で「また……ソレアを狙ってるのかな。……メンドクサ」とこぼせば、ルナは踊るような足取りで彼に接近していって「ノワ様ぁ、敵の掃除ならお任せくださぁ~い!」と歌うように言い放つ。
それから、ルナは、まだ座っているノワールの両肩にそれぞれ手を置いた。
「見てこれる? ルナ」
「ええ! もちろんですわぁ~!」
「じゃあちょっと頼むよ」
「ええ、ええ、もっちろぉ~ん!! お任せくださぁ~いっ!! 行ってきまぁ~っす!!」
ルナは張りきって出ていった。
「ソレア」
ルナが出ていってから、ノワールはこちらへ視線を向けてくる。
「……不安?」
その声は落ち着いていて小さなものだ。特別目立つようなものではない、しかし、聞く者に包まれているような安心感を与えてくれるものでもある。その静かな声は、大人びた味のお茶みたいだ。
「いいえ、平気よ。だって今は一人じゃないもの」
「そう。ならいいけど」
「でもルナさん大丈夫かしら、一人で行かせてしまって」
「ああいいんだそれは、ルナは強いから」
ノワールはさらりと言った。
よほどルナのことを信頼しているのだろう。
「信頼しているのね」
「ま、そうだね。ルナは強いよ、まるで鬼……いや、それは言い過ぎかもしれないけど。でも、強いことは事実だね」
そこまで言ってから、ノワールはようやく手にしていたティーカップの端を唇に当てた。
「美しくて強いなんて素晴らしいわ」
「……それを言うならキミだって、偉大な力を持ってる」
「治癒魔法は、あまり役に立たないわ」
「なんでさ」
「だって、怪我すること前提だもの。それにね? 本当はこんな力、役立つべきじゃないのよ。こんな力を使わなくてもいい日常が一番良いの」
でも――何か言いかけて、ノワールは言葉を止める。
彼はティーカップをテーブルに置いた。
それからこちらをじっと見つめてくる。
その瞳は夕焼けを想わせる色。どことなく懐かしさを感じる。何の記憶かなんて、いつの記憶かなんて、分からなくて。それでも感じる、懐かしい日々と遠い過去を。
きっと人々はいつの世もこの色を愛してきたのだろう――根拠もなくそんな気がした。
昼が終わる頃、闇へ向かう頃。それはどこか切なくて。それでも、その切なさを愛おしく思う心を人は持っている。日が沈みゆき、明るい空が終わりゆく悲しみを、心揺らす感情に変えて。そうやってきっと人は生きてきたのだろう。遥か昔から、今へ、そして未来でもまた。きっと、人には不変の心というものもあるのだろう。
「貴方の瞳って、綺麗な色してるのね」
思わず発してしまって。
「……何言ってんの?」
戸惑いの表情を向けられてしまった。
今も遠くからサイレンの音が聞こえている。
「あ、い、いえっ……ごめんなさい、ちょっとおかしなこと考えてたわ」
「そう……」
「でも、さっき言ったことは嘘じゃないわ」
「べつにどっちでもいいけど……」
「ノワールの瞳は綺麗よ。こうして目が合った時、いつも思うの」
彼はまだ戸惑っているようだった。
「――ああ、人間はずっとこの色を愛してきたんだなって」
ノワールは目を細めて「……分からないな、ボクには」と呟いて、ゆっくりと立ち上がる。それからすたすたとこちらへ歩いてきて、ぎりぎりぶつからないくらいの位置でちょうど足を止めた。
至近距離、と言うにはまだ遠い。
しかしながら通常の人と人の距離感を考えるとかなり近い。
「でも……キミと出会って分かったこともある」
「分かったこと?」
「想いは人を変える」
「……想い? え、ええ、まぁそうでしょう……人って結構感情的よね」
今度はこちらが戸惑う番だった。
そもそも、今、こんな話をしていていいのか!?
「近くにいてもいやに遠く感じる時もあって、でも、離れていても近くにいるように思うこともある……いつまでも見ていたい、それは多分、その人が誰よりも綺麗に見えるから……他にも、自分のことも色々知ってほしいけど幻滅されたくなくてちょっと躊躇う……とか」
いやもう何なんですか? そのごちゃまぜになった気持ちの羅列。
「キミに出会って、気づいたら、そんな感じ……」
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