上 下
20 / 62

episode.19 呆れられても伝えたい

しおりを挟む
 その日は何だか寝つけなくて、夜、客室内にある洗面所へ行って薄暗い中でぼんやりしていた。

 近くに放置されていた小さな椅子を取り出し、勝手に座っている。

 思えばここまで色々あった。
 私の人生は大きく動いた――あの襲撃の日、ノワールと出会った日から。

 それから多くの出会いがあったけれど、それと同じように、別れもまたあった。

 家との別れ。
 街との別れ。
 いくつもの別れを経験して。

 そうやって、ここまで来た。

 この先の未来なんて、今はまだよく分からない。それでも進むしかないのだろう、きっと。人生なんてそんなもの、その時に道を選び進むしかやり方なんてないのだ。時に嵐に見舞われ、渦に巻き込まれ、それでもそれが定めであるのならば抗えはしない。

「……何してるの?」

 声がして、振り返る。
 するとそこにはノワールが立っていた。

「眠れない?」
「ちょっと……もう少し起きていようかなって」
「ふぅん、そ」

 彼は洗面所への入り口となっている位置の壁に軽くもたれるようにしながら立っている。薄暗い空間でもその燃えるような瞳だけは存在感を失っていない。闇でこそ映える、そんな色。

「ルナさんは?」
「寝てる」
「貴方は寝ないの?」
「……なんか最近、あまり関わりないなと思って」

 ノワールの口から出てきたのは意外と可愛らしい言葉で、内心驚いた。

「何か話があるの?」
「……べつに」
「でも言いたいことがあって来たのでしょう?」
「……そういうわけじゃないけど」

 でもわざわざこうして声をかけてきたということは何かなのだろう。

「ええと。じゃあ、話し相手になってくれる?」
「……うん」

 彼は壁にもたれた体勢のままこちらをじっと見ている。

 しかしいざ話そうとすると話題がない。
 こういう時何を話せば良いのだろう、と思った。

「……話さないの?」
「こういう時、どんな話を振ればいいのかなって考えていたの」
「……そう」
「そうだ! ノワールさんについて教えて?」

 すると彼は急に眉間にしわを寄せて「えっ」と低く発した。

「凄く嫌そうね」
「……ボクにはないよ、面白い話なんて」
「じゃあ、貴方がどうして今の道を選んだのかが聞きたいわ」

 何かと賑やかなルナがいる時にはあまり落ち着いて話を聞けない。それに、もし話し出したとしても、きっとすぐに乱入されてしまうことだろう。でも二人だけの今ならまともに聞けるだろう、そういう落ち着いて聞きたいような話も。

 ノワールは視線を右斜め下へ移す。

 長めの前髪がしっとりと揺れた。

「……虚しくなったんだ」

 伏せられた目もと、何を想っているのか。

 私には分からない。

 ――いや、きっと誰にも。

「すべてを壊し、すべてを奪い、それで何が生まれるのか――そう考えて、ずっとこうやって生きていていいのかって悩んでた」

 見つめても、目は合わない。

 でもそれはそれで良いのかもしれない。
 歪に目が合ってしまったらそれはそれで気まずい。

「……ボクはすべてを吸ってしまえる」
「手の力ね?」
「この姿じゃ程度はしれてる、でも、本来の姿になればもっと吸える」
「掃除に便利そうよね」
「……ケド、ある街ですべてを吸い込んでしまった時、とてつもない虚しさを感じた。だって、意味ないでしょこんな力。誰かを救えるわけじゃないし、かといって誰かを護るわけでもない……ボク何してんの? って感じ」

 心を打ち明ける時、彼は目を完全に閉じていた。

「馬鹿みたいだ」

 ――でも、もう壊して生きてゆくことに意味を見出せない。

 彼はそこまで言って黙った。

「それで、離脱したのね?」

 問えば彼は小さく頷いた。

 もう見慣れた整った面は髪に隠されて見えない。

「私、貴方は馬鹿じゃないと思うわ。だって、やめようと思ったのでしょう? 人を傷つけ物も壊して――もうそんなことしたくないって、そう思ったのだし、そのために行動したのでしょう。それだけでも偉大なことだと思うわ」

 事実、今だって人に危害を加え続けている魔の者だっている。

 でもノワールは違う。

「……でも、もう遅い」
「どうして」
「……何もかも遅すぎた。もう、過去は消えない」
「そうね。でも、過去は消えずとも、未来を見据えることはできる」

 刹那、彼は「無理!!」と叫んだ。

 急に荒々しい声を出されて硬直してしまう。

「もう戻らない! 何もかも! 壊れたものすべて!」

 触れてはならないところに触れてしまったのかもしれない。

 軽い気持ちだった。なのに彼を黒い感情の迷宮へ誘ってしまった。そのことを悔やんだ。

「待って。そんなに思いつめないで。優し過ぎるのよ貴方」
「優しい? 笑わせないでよ、おかしいの間違いだろ!」
「そんなことない」
「ボクたちみんなおかしいんだ! はじめから。人間じゃないから!」

 彼は言いきってから二度ほど息を吐き出した。
 それからどこか自嘲気味に笑みを滲ませる。

「……ごめん、駄目だなこれじゃ……何も変わってない」

 そう述べる彼の表情はとても切なげで。
 見ているこちらまで胸の内に木枯らしが吹くようだった。

 どうしても黙っていられなくて。

 放っておくこともできなかった。

 ほぼ無意識だった。
 いや、意識していたならこんな大胆なことはできなかっただろう――いきなり抱き締める、なんて。

「貴方は貴方でいいと思う。私、それでいいと思うの。だって、貴方って、そんな感じじゃないけどなんだかんだでいつも優しいから」
「……呆れた」
「私、そういうノワールさんが好きよ」

 抱き締められた状態のまま彼はじっとしていた。

 今になって冷静さが戻ってきて、やらかしたな……という文字が脳内を満たす。冷めた脳内で繰り広げられるのは気まずさと恥じらいのパレード。けれども今さら勢いよく離れるというのも身勝手な気もして、どうすればよいものかと変に悩んでしまう。

「というか、何かごめんなさい急に」

 ひとまず離れよう。
 気まずさをどうにかするのはその後だ。

「驚かせてしまったわよね、いきなりこんなことして……でも、私はただ分かってほしかったの。貴方にだって良いところはあるんだ、って。まぁやっていること滅茶苦茶だし、呆れられるのは当然と思うけれど……」

 言いかけて、言葉を挟まれる。

「そうじゃない」

 ノワールは静かな調子で発した。

「……キミに、呆れたわけじゃない」

 彼はそう言ったけれど、そのことについてそれ以上深くは話してくれなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...