10 / 46
10.料理に挑戦
しおりを挟む
「それでですね……非常に言いづらいのですが、どうか、アルトともう一度やり直していただけないでしょうか」
やって来た男性の口から出たのは信じられない言葉だった。
彼が私を振ったのだ。彼が婚約解消を決めたのだ。好きな人がいるからなどという理不尽極まりない婚約解消を私は受け入れた。その矢先に「やり直してほしい」だなんて、よく言えたものだ。恥ずかしくはないのだろうか。
「すみません。私にはできそうにありません」
「謝罪はしっかりとさせます……! ですから……!」
「申し訳ありません。私、もう婚約解消を受け入れたので」
言いなりになるものか。女に振られたなんて知ったことじゃない。自分勝手に振る舞い周囲に迷惑をかけるような者は、一人寂しく過ごしていれば良いではないか。一度別れた女に今さら再び声をかけようとするなんて、彼には恥じらいというものがないのだろうか。
「これ以上お話することはありません」
「そう……ですか。分かりました。では失礼致します」
「ありがとうございました。さようなら」
「話を聞いていただいたこと、感謝しております」
この男性に罪はない。だから、男性に対してこんな風に冷たい態度を取るのは、申し訳ないと思っている。
だが、仕方のないことなのだ。
アルトのような男は、一度思い通りになると理解すれば、好き放題するだろう。これからもやりたい放題できる、と捉えるはずだ。
だから私は冷ややかな態度で接する。
そうすることが、私にできる唯一の抵抗だ。
キッフェール家からやって来た使いは大人しく去ってゆき、家には私とダリア、そしてシュヴェーアだけが残る。
「……何しに、来たのだろうな……」
「えぇ。ほんとそれね」
「……セリナの、婚約者は……そんな……愚か者だった、のか」
シュヴェーアの声はいつもと変わらず低い。美麗な目鼻立ちには似合わない、低く落ち着いた声。けれども、今の彼の話し方は、日頃と少し違っているように感じられる。というのも、今の彼はいつになく不満げなのだ。キッフェール家からの使いに腹を立てているような、そんな雰囲気をまとっている。
「……もしかして、怒ってくれているの?」
ふと思って、問う。
しかしシュヴェーアはすぐには答えない。俯いてじっとしている。
「シュヴェーアさん?」
「……そう、なのかもしれない」
数十秒ほどの沈黙の後、彼は小さく呟いた。
「……よく……分からない、が」
そんな風に述べるシュヴェーアは、己のことすらよく分からない、とでも言いたげな表情をしている。
きっと、自身の心も、完璧に見えるわけではないのだろう。
だがそれは仕方のないことだ。
人間誰しも、自分の心をすべて明らかにすることなどできない。己にしか見えない部分もあるだろうが、逆に、己には決して見えない部分というものも確かに存在する。
「ありがとう。私のことを気にかけてくれて」
「……気にするな」
独り言のように呟き、視線を逸らす。
その時のシュヴェーアは心なしか照れているようにも見えた。
◆
翌朝、私は唐突に思い立ち、シュヴェーアに手料理を振る舞うことにした。
……といっても、私の技量ではまともなものは作れない。
そのため、まずはダリアに相談してみる。するとダリアは妙に乗り気で、アイデアを色々考えてくれた。私の腕で作れるもので、シュヴェーアが美味しく食べてくれそうな物を、と、ダリアは熱心に思考してくれたのだ。
「パン粥もどきはどう? これなら作るのはそこまで難しくないわ」
「そっか!」
「それに、彼はパンが好きでしょう。ぴったりじゃない?」
「えぇ! そう思う!」
今はまだ早朝だ。シュヴェーアは起きてきていない。だが、じきに目を覚ますだろう。いつものペースであれば、だが。
「じゃあ母さん、用意するのは……」
「パン、調味料、湯、そして鍋。そのくらいで十分よ」
必要な物を集めたら、調理開始!
まずは鍋に水を入れる。そして、鍋ごと火にかけて、水を温める。ついでに軽く味もつけておく。その後、水が湯になれば、いよいよ千切ったパンを投入できる。まだ薄味の熱いスープにパンが入れば、ようやく料理らしい外観になってきた。硬そうだったパンも徐々に柔らかくほぐれてくる。
「もうひと頑張りね、セリナ」
「あとは何を?」
「最終的な味つけが必要よ。これを使うといいわ」
パンが柔らかそうな見た目になってきたタイミングで、ダリアは壺を二つ取り出す。片手で持てる小振りな壺だ。
「それは何?」
「うちの料理の決め手よー」
ダリアは二つの壺を台に置く。それから、両方の蓋を同時に取った。すると、ふわりと匂いが漂う。草のような、それでいて少しツンとした、不思議な匂い。
「こっちはネギュ味噌。そしてこっちはカーリックソースよ」
「へぇ……」
二種類とも、聞いたことがないし見たこともない。
「この二つを上手く投入して。間違いなく、急激に美味しくなるわ」
間違いなく美味しくなる。そこまで言うということは、よほど味の良い物体なのだろう。そうでなければ、そこまで自信満々とはいかないはずだ。
私は顔を壺に近づけてみる。
独創的な匂いが強い。が、確かに、食欲をそそる香りではある。
ダリアからスプーンを二本受け取ると、私は早速、壺の中にスプーンを突っ込んでいく。
何をどう使えば良いのかはまだいまいち分からないが、何事も挑戦することが大切。怯まず挑んでゆく、それが今の私にできるたった一つのことだ。だから私は、慣れない物体が相手でも躊躇わない。
「これを入れて……こっちも入れた方が良いのよね……?」
「そうよ。セリナも好きでしょう、ネギュ味噌の味」
「これ、いつも使ってる?」
「えぇもちろん。わりと使っているわ」
ダリアはいつも美味しい食事を用意してくれる。そのことに感謝はしていたが、そのありがたみを私は理解しきれていなかった。今、こうして実際に作ってみて、そのことに気づくことができたように思う。
一品仕上げるだけでも様々な過程がある。いくつもの努力がある。
それは、実際に自分の手で作ってみて初めて気づくことだ。
やって来た男性の口から出たのは信じられない言葉だった。
彼が私を振ったのだ。彼が婚約解消を決めたのだ。好きな人がいるからなどという理不尽極まりない婚約解消を私は受け入れた。その矢先に「やり直してほしい」だなんて、よく言えたものだ。恥ずかしくはないのだろうか。
「すみません。私にはできそうにありません」
「謝罪はしっかりとさせます……! ですから……!」
「申し訳ありません。私、もう婚約解消を受け入れたので」
言いなりになるものか。女に振られたなんて知ったことじゃない。自分勝手に振る舞い周囲に迷惑をかけるような者は、一人寂しく過ごしていれば良いではないか。一度別れた女に今さら再び声をかけようとするなんて、彼には恥じらいというものがないのだろうか。
「これ以上お話することはありません」
「そう……ですか。分かりました。では失礼致します」
「ありがとうございました。さようなら」
「話を聞いていただいたこと、感謝しております」
この男性に罪はない。だから、男性に対してこんな風に冷たい態度を取るのは、申し訳ないと思っている。
だが、仕方のないことなのだ。
アルトのような男は、一度思い通りになると理解すれば、好き放題するだろう。これからもやりたい放題できる、と捉えるはずだ。
だから私は冷ややかな態度で接する。
そうすることが、私にできる唯一の抵抗だ。
キッフェール家からやって来た使いは大人しく去ってゆき、家には私とダリア、そしてシュヴェーアだけが残る。
「……何しに、来たのだろうな……」
「えぇ。ほんとそれね」
「……セリナの、婚約者は……そんな……愚か者だった、のか」
シュヴェーアの声はいつもと変わらず低い。美麗な目鼻立ちには似合わない、低く落ち着いた声。けれども、今の彼の話し方は、日頃と少し違っているように感じられる。というのも、今の彼はいつになく不満げなのだ。キッフェール家からの使いに腹を立てているような、そんな雰囲気をまとっている。
「……もしかして、怒ってくれているの?」
ふと思って、問う。
しかしシュヴェーアはすぐには答えない。俯いてじっとしている。
「シュヴェーアさん?」
「……そう、なのかもしれない」
数十秒ほどの沈黙の後、彼は小さく呟いた。
「……よく……分からない、が」
そんな風に述べるシュヴェーアは、己のことすらよく分からない、とでも言いたげな表情をしている。
きっと、自身の心も、完璧に見えるわけではないのだろう。
だがそれは仕方のないことだ。
人間誰しも、自分の心をすべて明らかにすることなどできない。己にしか見えない部分もあるだろうが、逆に、己には決して見えない部分というものも確かに存在する。
「ありがとう。私のことを気にかけてくれて」
「……気にするな」
独り言のように呟き、視線を逸らす。
その時のシュヴェーアは心なしか照れているようにも見えた。
◆
翌朝、私は唐突に思い立ち、シュヴェーアに手料理を振る舞うことにした。
……といっても、私の技量ではまともなものは作れない。
そのため、まずはダリアに相談してみる。するとダリアは妙に乗り気で、アイデアを色々考えてくれた。私の腕で作れるもので、シュヴェーアが美味しく食べてくれそうな物を、と、ダリアは熱心に思考してくれたのだ。
「パン粥もどきはどう? これなら作るのはそこまで難しくないわ」
「そっか!」
「それに、彼はパンが好きでしょう。ぴったりじゃない?」
「えぇ! そう思う!」
今はまだ早朝だ。シュヴェーアは起きてきていない。だが、じきに目を覚ますだろう。いつものペースであれば、だが。
「じゃあ母さん、用意するのは……」
「パン、調味料、湯、そして鍋。そのくらいで十分よ」
必要な物を集めたら、調理開始!
まずは鍋に水を入れる。そして、鍋ごと火にかけて、水を温める。ついでに軽く味もつけておく。その後、水が湯になれば、いよいよ千切ったパンを投入できる。まだ薄味の熱いスープにパンが入れば、ようやく料理らしい外観になってきた。硬そうだったパンも徐々に柔らかくほぐれてくる。
「もうひと頑張りね、セリナ」
「あとは何を?」
「最終的な味つけが必要よ。これを使うといいわ」
パンが柔らかそうな見た目になってきたタイミングで、ダリアは壺を二つ取り出す。片手で持てる小振りな壺だ。
「それは何?」
「うちの料理の決め手よー」
ダリアは二つの壺を台に置く。それから、両方の蓋を同時に取った。すると、ふわりと匂いが漂う。草のような、それでいて少しツンとした、不思議な匂い。
「こっちはネギュ味噌。そしてこっちはカーリックソースよ」
「へぇ……」
二種類とも、聞いたことがないし見たこともない。
「この二つを上手く投入して。間違いなく、急激に美味しくなるわ」
間違いなく美味しくなる。そこまで言うということは、よほど味の良い物体なのだろう。そうでなければ、そこまで自信満々とはいかないはずだ。
私は顔を壺に近づけてみる。
独創的な匂いが強い。が、確かに、食欲をそそる香りではある。
ダリアからスプーンを二本受け取ると、私は早速、壺の中にスプーンを突っ込んでいく。
何をどう使えば良いのかはまだいまいち分からないが、何事も挑戦することが大切。怯まず挑んでゆく、それが今の私にできるたった一つのことだ。だから私は、慣れない物体が相手でも躊躇わない。
「これを入れて……こっちも入れた方が良いのよね……?」
「そうよ。セリナも好きでしょう、ネギュ味噌の味」
「これ、いつも使ってる?」
「えぇもちろん。わりと使っているわ」
ダリアはいつも美味しい食事を用意してくれる。そのことに感謝はしていたが、そのありがたみを私は理解しきれていなかった。今、こうして実際に作ってみて、そのことに気づくことができたように思う。
一品仕上げるだけでも様々な過程がある。いくつもの努力がある。
それは、実際に自分の手で作ってみて初めて気づくことだ。
0
お気に入りに追加
103
あなたにおすすめの小説
家に代々伝わる髪色を受け継いでいないからとずっと虐げられてきていたのですが……。
四季
恋愛
メリア・オフトレスは三姉妹の真ん中。
しかしオフトレス家に代々伝わる緑髪を受け継がず生まれたために母や姉妹らから虐げられていた。
だがある時、トレットという青年が現れて……?
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした
ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。
彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。
しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。
悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。
その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・
少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。
ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。
なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。
妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。
しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。
この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。
*小説家になろう様からの転載です。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
美形王子様が私を離してくれません!?虐げられた伯爵令嬢が前世の知識を使ってみんなを幸せにしようとしたら、溺愛の沼に嵌りました
葵 遥菜
恋愛
道端で急に前世を思い出した私はアイリーン・グレン。
前世は両親を亡くして児童養護施設で育った。だから、今世はたとえ伯爵家の本邸から距離のある「離れ」に住んでいても、両親が揃っていて、綺麗なお姉様もいてとっても幸せ!
だけど……そのぬりかべ、もとい厚化粧はなんですか? せっかくの美貌が台無しです。前世美容部員の名にかけて、そのぬりかべ、破壊させていただきます!
「女の子たちが幸せに笑ってくれるのが私の一番の幸せなの!」
ーーすると、家族が円満になっちゃった!? 美形王子様が迫ってきた!?
私はただ、この世界のすべての女性を幸せにしたかっただけなのにーー!
※約六万字で完結するので、長編というより中編です。
※他サイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる