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episode.22「カスカベ女大統領」
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エアハルトが死んでしまったかもしれない。そう思うと、ナスカは何もかもどうでもよくなりそうだった。今は、すべてを諦めてエアハルトのところへ帰り、彼を抱き締めたそのまま二人で死んでしまうことが、一番の幸せのように思えた。
だがジレル中尉は、ナスカがその選択肢を選ぶことを許しはしなかった。
「死ぬな。例え平和な世界が訪れたとしても、その時に生きていなければ意味がない」
彼は淡々と、しかしどこか優しく、そんなことを言った。きっと彼なりの気遣いなのだろう。もっとも、ナスカは絶望に染まっているせいで気付かなかっただろうが。
ナスカとジレル中尉は黙り込んだまま廊下を早足で歩く。二人の間には会話はなく、規則的な足音だけが廊下に反響していた。
大頭領の執務室の入口の前には、頑丈そうな防具で身を固めた体格のいい男が三人ほど、銃器を構えて立っていた。いつどこから来ても殺す自信があるというくらいに、らんらんと目を光らせている。
「……見張りがいますね」
ナスカが困り顔で言うと、ジレル中尉は冷静に返す。
「問題ない、すぐに片付ける。全員を倒したところで突入するぞ。それまでは隠れていて構わんが、準備しておけ」
「……はい」
ナスカが覚悟を決めて頷くのを、ジレル中尉はほんの少し微笑んで見詰める。それから彼は目を閉じ心を落ち着かせ、男たちがいる方へ歩き出した。
「侵入者だ!」
一人が気付いて叫んでから、銃器の引き金に指をかけるまでの、ほんの僅かな瞬間に、ジレル中尉は回し蹴りをヒットさせる。勢いよく顔面を蹴られた男は失神して崩れ落ちる。
残りの二人は驚きと恐怖の入り交じった感情に顔をひきつらせながら銃を向ける。ジレル中尉は微塵も動揺せず、失神した男が落とした銃器を構えると、片方の男の胸を撃ち抜く。
「く、来るな!」
一人残された男は錯乱気味に連射する。ダダダ、と激しい音が鳴り、廊下の床や壁に、細かな穴が沢山できた。
「終わりだ」
最後の男は、ジレル中尉の冷ややかな一言と共に、胸に銃弾を受け倒れた。
「こちらジレル。突入する」
彼は壁の陰に隠れているナスカに合図する。ナスカは勇気を振り絞り一歩を踏み出した。
「エアハルトの仇は私がとる」
いつしか彼女の心には、そんな決意が芽生えていた。
ジレル中尉は装飾を施された立派な扉を乱暴に蹴り開ける。
「あらあら。ようやく来たようですわね」
ナスカが目にしたのは、三十代後半くらい——自分より少し年上に見える、色白で美人の女性だった。柔らかな淡い茶髪をお団子にまとめ、白いスーツを身にまとっているその姿は、女性らしさを持ちながらも知的で、品のある印象だ。
「こんなところへ何のお話をしにいらしたのかしら?」
随分余裕のある表情だった。
ジレル中尉は何も答えずに引き金を引いた。大きな音が轟きナスカは思わず耳を塞ぐ。
やがて音が止み、ナスカは女性を見て驚く。
「そんな風に適当に撃ち続けても当たりませんわ。何のお話をしにいらしたのか、このわたくしが質問しているのです。それに答えず、更に銃を向けるとは……無礼にも程があるというものですわよ」
いつの間にか、大きな盾を持った男たちが彼女の前にずらっと並び、壁をつくっていた。
「カスカベ様、ご命令をお願い致します」
おそらくリーダー格なのであろう一人が言った。
「えぇ。奴らを殺しなさい」
女性は今までとは違い感情のこもらない冷たい声で命じた。
「承知しました!!」
一列にずらっと並んだ男たちが、一斉に背中から銃を取り出し構える。
「撃て!」
命令の一言で全員が同時に引き金を引く。
「ナスカくんは下がっていろ。……死ぬなよ」
ジレル中尉は硬直しているナスカに声をかけてから、男の列に突撃していく。彼の素早い動きに翻弄され列が乱れた。
「ナニッ! 突撃だと!」
「うわっ!」
「こ、こいつ!」
男たちの慌てふためく声がはっきりと聞き取れた。
喧騒の中、女性——カスカベ女大頭領が、ナスカの方に余裕のある足取りで歩いてくる。ナスカは警戒して素早く腰の拳銃を手に取り、銃口をカスカベに向ける。
「動かないで!」
ナスカは威嚇するように鋭く叫んだ。
「あらあら、そんな風に警戒しないで。わたくしは貴女みたいな女の子好きですわよ」
銃口を向けられているにも関わらず穏やかな微笑みを浮かべているカスカベを見て、ナスカは更に警戒する。
カスカベは呑気に言う。
「わたくしは無益な争いをする気はありませんわ。誰にも利益をもたらさない争いなど、時間の無駄。貴女もそうは思いませんこと?」
「だったらどうして戦争なんかするの。それこそ、人を傷付けるだけで何の利益もない争いじゃない!」
「なぜ戦争をするか?」
突然冷たい雰囲気になったカスカベに、ナスカは悪寒を感じた。
「簡単なことですわ。リボソ国の領土には資源がない。けれど国の発展のためには資源が必要不可欠。となれば、必然的に近隣の国から分けてもらうことになるでしょう」
「それは戦争をすることの理由にはならないわ!」
ナスカが口調を強めて言い放つと、カスカベは可哀想な者を見るような目で返す。
「クロレアが資源を半分でも譲ってくだされば、こんなことしなくてもよかったのですわ。貪欲なお偉い様方が、資源を独占しようとしようとした結果がこれ。つまり、自分たちが招いた事態ですのよ」
「だからって、武力で奪いとろうなんて……そんなの変よ! 戦争によって奪われた命は無関係な人間の命が大半だわ。そんなのおかしい。どうしてそう思えないの!?」
「大人の世界なんて、そんなものですのよ。まだ若い貴女には分からないかもしれませんけれど……」
ナスカはカスカベに向けた拳銃の引き金に指をかける。
「今すぐ戦争を止めて。じゃないと撃つ!」
「できますの?」
ナスカは言い終わるのを待たずに引き金を引いた。
「あらあら、いきなり発砲するとは危ない娘ですわね」
弾丸はカスカベを通り越し、壁に穴を開ける。
その間にもジレル中尉は華麗な動きで、並んでいた男たちを次々に倒している。
「それにしても……てっきりエアハルト・アードラーと来るものだと思っていましたわ。彼、今日はお休みですのね」
「そうなんです」
ナスカはふつふつと沸き上がる憎しみを必死に抑えて冷静に答えた。
「それであのような野蛮な男とペアになってしまいましたのね。可愛らしいお嬢さんなのに、実に可哀想ですこと」
「侮辱しないで!」
カッとなり引き金を引く。
その数秒後、ナスカは愕然とした。ナスカの撃った弾丸が、ジレル中尉のすねをえぐっていたからだ。
動揺した顔のジレル中尉と目が合う。
「……そんな」
ナスカが愕然として呟いた次の瞬間、ジレル中尉は男に地面に押さえ込まれる。だが彼は、傷ついたすねをぐりぐりと踏みつけられても、弱音を吐くことなく男を睨み付けている。
「お前たち、少し待ちなさい」
少し笑みを浮かべながらカスカベが述べた。
「カスカベ様?」
男はジレル中尉を地面に押さえ付けたまま、不思議そうな顔をしている。
「その男は殺さない。捕らえておきなさい」
男はカスカベの唐突な命令に戸惑いを隠せない。
「ですが……」
「わたくしに逆らうの! 首を切られたいのですわね!?」
カスカベは男をギロリと睨みヒステリックに叫ぶ。男は青ざめ畏縮している。
「す、すみません……」
「次に口答えをすれば、ただじゃ済まないとお思い!」
「ちょっと、言い過ぎよ!」
ナスカがつい口を挟むと、カスカベは不思議そうな顔になった。
「あらあら、いきなり何を言いますの? 貴女もあの男と一緒に捕らえて捕虜にしますわ」
それからカスカベはナスカの腕を強く掴んだ。関節が軋む。
「ちょ、痛い! 止めて!」
ナスカは必死に腕を振ったり足を動かしたりしてみるが、カスカベの力は意外と強く逃れられない。
「離しなさいよ!」
「言ったはずですわよ。捕虜にする、と」
カスカベはナスカの手から落下した拳銃を拾うと、その銃口をナスカの額にぴったりとくっつける。
「貴女がどうしてこんな生き方を好むのか……わたくし、少しだけ興味がありますわ。名誉、お金、権力……一言に欲望と言っても色々ありますけれど、貴女は何が欲しくてこんなことをしていますの?」
「好んでなんかない。当たり前の暮らしを手に入れるために戦うだけよ」
他人に誇れるだけの名誉も、恵まれた生活をするためのお金も、社会で有利に生きていくための権力だって、ナスカは持っていた。由緒ある貴族の家に嫁ぎ、平穏に生きていくという人生だってあった。それだけの容姿も教養も家柄も彼女は持っていたのだから。
「当たり前の暮らし、ですって? あらあら。笑わせますわね」
カスカベはナスカをバカにしたように鼻で笑った。
「正義の味方気取りは自分の身を滅ぼしますわよ? 自分以外のために生きれば、いつか必ず後悔するもの……」
「それは違うわ!」
聞き慣れたはっきりした声が聞こえ、ナスカは驚く。しかしカスカベはナスカよりも驚いた顔をしている。
「待たせたわね」
ヒムロは長い金髪をたなびかせ、口元には余裕の笑みを浮かべている。
「まずはその拳銃、ナスカちゃんから離してもらえるかしら? カスカベ大統領」
カスカベは動揺を隠そうと平静を装っているが、ナスカには瞳が揺れているのがはっきりと見えた。
「やはり……生きていると思いましたわ。一度は逃亡しておきながら、のこのこと帰ってくるとは。実に愚かなことですわ」
ヒムロの後ろには十人程度の男がおり、若い者の中に、一人中年に見える者がいる。その中にナスカが知っている人は一人もいない。それどころか、リボソの軍服を着ている。
「カスカベ! 時代は変わる!」
ヒムロはカスカベをビシッと指差すと鋭い声をあげる。
「ここは既に包囲されてる。逃げ場はないわよ」
「……ふざけるな」
カスカベが歯を食いしばり引き金に指をかけようとした、その刹那、ヒムロの背後にいる若い男の一人が目にもとまらぬ素早さで接近し、カスカベを背負い投げした。ナスカはその様子を硬直したまま見守る。
「ナスカさん! 今のうちに逃げて下さい!」
「は、はいっ!?」
ナスカは理解しきれないまま慌ててその場から離れる。
「捕まえるのよ!」
ヒムロの指示に従い、若い男たちはカスカベの方へ行く。鬼の形相で暴れるカスカベには、さっきナスカが初めて出会ったときに感じた品や知的さはない。まったくない、と言っても過言ではない。
「……おのれ。おのれ、ヒムロルナ! ふざけるな! この国はこのわたくしのもの!!誰にも文句は言わせない!!」
男たちは数名がかりで、激しく暴れ抵抗するカスカベを押さえ込んだ。
「ちょっと、お前たち! ぼんやりしてないでどうにかしなさいよっ!」
「は、はい! ですが何を……」
「ちょっとは自分で考えろ! このバカ男!!」
カスカベの部下である男が畏縮した隙を見逃さず、ジレル中尉は所持していた短剣で男の脇腹を刺す。さすがに慣れたもので、なんの躊躇いもない。ジレル中尉は近くにいたカスカベの部下を蹴り飛ばし気絶させる。赤くこびりついた片足はやはり痛むようで、ハンデになっていたが、それ以外の要素で上手くフォローしている。
「ナスカちゃん、お疲れ様。あとはあたしに任せて」
不安げな表情を浮かべているナスカにヒムロは微笑みかける。
「心配はいらないわ。アードラーくんは無事よ」
「えっ! エアハルトさんは生きていらっしゃるのですか?」
「瓦礫の隙間にいたみたいで、怪我は銃創だけだったわ。生命力の半端ない彼なら、きっと生き延びる。だってアードラーくん、あれだけの拷問すら耐え抜いた人だもの」
「……よかった」
ほとんど諦めかけていたナスカは驚きとともに安堵し、思わず自然に笑みがこぼれた。
そして、頭のスイッチが切り替わる。
「ヒムロさん。あの人、私が撃ってもいいですか」
「……ナスカちゃん?」
ヒムロは理解しきれていないような顔だ。
「確か、私が殺す作戦でしたよね。それで構いませんか?」
「別に構わないけど……突然どうしたの」
若い男の一人がナスカの拳銃をヒムロに渡す。
「ルナさん! あのお嬢さんの拳銃です。取り返しました」
「ありがと」
ヒムロは小さくお礼を言いながら拳銃を受け取ると、それを持った手をナスカに差し出す。
「ナスカちゃん……本当にやるつもり?」
既に覚悟を決めているナスカが力強く頷くのを見て、ヒムロはふっと笑みをこぼす。
「いい覚悟ね」
ナスカはヒムロから拳銃を受け取ると、その黒い銃口を、動けなくされているカスカベへと向ける。興奮と緊張の入り交じった複雑な感情が全身を駆け巡った。
いくら射撃が下手とはいえ、動かない的に当てるくらいなら可能なはずだ。ナスカはしっかりと狙いを定め、落ち着いて指を引き金にかける。
「お待ちなさい! 待って! こんなのは一方的でおかしい。間違っていますわ!」
これですべてが終わる。いや、この一撃で終わらせるのだ。
ナスカはカスカベの眉間を冷静にじっと見る。
しかし、今、彼女が見ているのは、その先にある未来だ。ずっと待ち続けた、あの日からずっと望み続けてきた、明るい未来。
そして、引き金を引いた。
だがジレル中尉は、ナスカがその選択肢を選ぶことを許しはしなかった。
「死ぬな。例え平和な世界が訪れたとしても、その時に生きていなければ意味がない」
彼は淡々と、しかしどこか優しく、そんなことを言った。きっと彼なりの気遣いなのだろう。もっとも、ナスカは絶望に染まっているせいで気付かなかっただろうが。
ナスカとジレル中尉は黙り込んだまま廊下を早足で歩く。二人の間には会話はなく、規則的な足音だけが廊下に反響していた。
大頭領の執務室の入口の前には、頑丈そうな防具で身を固めた体格のいい男が三人ほど、銃器を構えて立っていた。いつどこから来ても殺す自信があるというくらいに、らんらんと目を光らせている。
「……見張りがいますね」
ナスカが困り顔で言うと、ジレル中尉は冷静に返す。
「問題ない、すぐに片付ける。全員を倒したところで突入するぞ。それまでは隠れていて構わんが、準備しておけ」
「……はい」
ナスカが覚悟を決めて頷くのを、ジレル中尉はほんの少し微笑んで見詰める。それから彼は目を閉じ心を落ち着かせ、男たちがいる方へ歩き出した。
「侵入者だ!」
一人が気付いて叫んでから、銃器の引き金に指をかけるまでの、ほんの僅かな瞬間に、ジレル中尉は回し蹴りをヒットさせる。勢いよく顔面を蹴られた男は失神して崩れ落ちる。
残りの二人は驚きと恐怖の入り交じった感情に顔をひきつらせながら銃を向ける。ジレル中尉は微塵も動揺せず、失神した男が落とした銃器を構えると、片方の男の胸を撃ち抜く。
「く、来るな!」
一人残された男は錯乱気味に連射する。ダダダ、と激しい音が鳴り、廊下の床や壁に、細かな穴が沢山できた。
「終わりだ」
最後の男は、ジレル中尉の冷ややかな一言と共に、胸に銃弾を受け倒れた。
「こちらジレル。突入する」
彼は壁の陰に隠れているナスカに合図する。ナスカは勇気を振り絞り一歩を踏み出した。
「エアハルトの仇は私がとる」
いつしか彼女の心には、そんな決意が芽生えていた。
ジレル中尉は装飾を施された立派な扉を乱暴に蹴り開ける。
「あらあら。ようやく来たようですわね」
ナスカが目にしたのは、三十代後半くらい——自分より少し年上に見える、色白で美人の女性だった。柔らかな淡い茶髪をお団子にまとめ、白いスーツを身にまとっているその姿は、女性らしさを持ちながらも知的で、品のある印象だ。
「こんなところへ何のお話をしにいらしたのかしら?」
随分余裕のある表情だった。
ジレル中尉は何も答えずに引き金を引いた。大きな音が轟きナスカは思わず耳を塞ぐ。
やがて音が止み、ナスカは女性を見て驚く。
「そんな風に適当に撃ち続けても当たりませんわ。何のお話をしにいらしたのか、このわたくしが質問しているのです。それに答えず、更に銃を向けるとは……無礼にも程があるというものですわよ」
いつの間にか、大きな盾を持った男たちが彼女の前にずらっと並び、壁をつくっていた。
「カスカベ様、ご命令をお願い致します」
おそらくリーダー格なのであろう一人が言った。
「えぇ。奴らを殺しなさい」
女性は今までとは違い感情のこもらない冷たい声で命じた。
「承知しました!!」
一列にずらっと並んだ男たちが、一斉に背中から銃を取り出し構える。
「撃て!」
命令の一言で全員が同時に引き金を引く。
「ナスカくんは下がっていろ。……死ぬなよ」
ジレル中尉は硬直しているナスカに声をかけてから、男の列に突撃していく。彼の素早い動きに翻弄され列が乱れた。
「ナニッ! 突撃だと!」
「うわっ!」
「こ、こいつ!」
男たちの慌てふためく声がはっきりと聞き取れた。
喧騒の中、女性——カスカベ女大頭領が、ナスカの方に余裕のある足取りで歩いてくる。ナスカは警戒して素早く腰の拳銃を手に取り、銃口をカスカベに向ける。
「動かないで!」
ナスカは威嚇するように鋭く叫んだ。
「あらあら、そんな風に警戒しないで。わたくしは貴女みたいな女の子好きですわよ」
銃口を向けられているにも関わらず穏やかな微笑みを浮かべているカスカベを見て、ナスカは更に警戒する。
カスカベは呑気に言う。
「わたくしは無益な争いをする気はありませんわ。誰にも利益をもたらさない争いなど、時間の無駄。貴女もそうは思いませんこと?」
「だったらどうして戦争なんかするの。それこそ、人を傷付けるだけで何の利益もない争いじゃない!」
「なぜ戦争をするか?」
突然冷たい雰囲気になったカスカベに、ナスカは悪寒を感じた。
「簡単なことですわ。リボソ国の領土には資源がない。けれど国の発展のためには資源が必要不可欠。となれば、必然的に近隣の国から分けてもらうことになるでしょう」
「それは戦争をすることの理由にはならないわ!」
ナスカが口調を強めて言い放つと、カスカベは可哀想な者を見るような目で返す。
「クロレアが資源を半分でも譲ってくだされば、こんなことしなくてもよかったのですわ。貪欲なお偉い様方が、資源を独占しようとしようとした結果がこれ。つまり、自分たちが招いた事態ですのよ」
「だからって、武力で奪いとろうなんて……そんなの変よ! 戦争によって奪われた命は無関係な人間の命が大半だわ。そんなのおかしい。どうしてそう思えないの!?」
「大人の世界なんて、そんなものですのよ。まだ若い貴女には分からないかもしれませんけれど……」
ナスカはカスカベに向けた拳銃の引き金に指をかける。
「今すぐ戦争を止めて。じゃないと撃つ!」
「できますの?」
ナスカは言い終わるのを待たずに引き金を引いた。
「あらあら、いきなり発砲するとは危ない娘ですわね」
弾丸はカスカベを通り越し、壁に穴を開ける。
その間にもジレル中尉は華麗な動きで、並んでいた男たちを次々に倒している。
「それにしても……てっきりエアハルト・アードラーと来るものだと思っていましたわ。彼、今日はお休みですのね」
「そうなんです」
ナスカはふつふつと沸き上がる憎しみを必死に抑えて冷静に答えた。
「それであのような野蛮な男とペアになってしまいましたのね。可愛らしいお嬢さんなのに、実に可哀想ですこと」
「侮辱しないで!」
カッとなり引き金を引く。
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動揺した顔のジレル中尉と目が合う。
「……そんな」
ナスカが愕然として呟いた次の瞬間、ジレル中尉は男に地面に押さえ込まれる。だが彼は、傷ついたすねをぐりぐりと踏みつけられても、弱音を吐くことなく男を睨み付けている。
「お前たち、少し待ちなさい」
少し笑みを浮かべながらカスカベが述べた。
「カスカベ様?」
男はジレル中尉を地面に押さえ付けたまま、不思議そうな顔をしている。
「その男は殺さない。捕らえておきなさい」
男はカスカベの唐突な命令に戸惑いを隠せない。
「ですが……」
「わたくしに逆らうの! 首を切られたいのですわね!?」
カスカベは男をギロリと睨みヒステリックに叫ぶ。男は青ざめ畏縮している。
「す、すみません……」
「次に口答えをすれば、ただじゃ済まないとお思い!」
「ちょっと、言い過ぎよ!」
ナスカがつい口を挟むと、カスカベは不思議そうな顔になった。
「あらあら、いきなり何を言いますの? 貴女もあの男と一緒に捕らえて捕虜にしますわ」
それからカスカベはナスカの腕を強く掴んだ。関節が軋む。
「ちょ、痛い! 止めて!」
ナスカは必死に腕を振ったり足を動かしたりしてみるが、カスカベの力は意外と強く逃れられない。
「離しなさいよ!」
「言ったはずですわよ。捕虜にする、と」
カスカベはナスカの手から落下した拳銃を拾うと、その銃口をナスカの額にぴったりとくっつける。
「貴女がどうしてこんな生き方を好むのか……わたくし、少しだけ興味がありますわ。名誉、お金、権力……一言に欲望と言っても色々ありますけれど、貴女は何が欲しくてこんなことをしていますの?」
「好んでなんかない。当たり前の暮らしを手に入れるために戦うだけよ」
他人に誇れるだけの名誉も、恵まれた生活をするためのお金も、社会で有利に生きていくための権力だって、ナスカは持っていた。由緒ある貴族の家に嫁ぎ、平穏に生きていくという人生だってあった。それだけの容姿も教養も家柄も彼女は持っていたのだから。
「当たり前の暮らし、ですって? あらあら。笑わせますわね」
カスカベはナスカをバカにしたように鼻で笑った。
「正義の味方気取りは自分の身を滅ぼしますわよ? 自分以外のために生きれば、いつか必ず後悔するもの……」
「それは違うわ!」
聞き慣れたはっきりした声が聞こえ、ナスカは驚く。しかしカスカベはナスカよりも驚いた顔をしている。
「待たせたわね」
ヒムロは長い金髪をたなびかせ、口元には余裕の笑みを浮かべている。
「まずはその拳銃、ナスカちゃんから離してもらえるかしら? カスカベ大統領」
カスカベは動揺を隠そうと平静を装っているが、ナスカには瞳が揺れているのがはっきりと見えた。
「やはり……生きていると思いましたわ。一度は逃亡しておきながら、のこのこと帰ってくるとは。実に愚かなことですわ」
ヒムロの後ろには十人程度の男がおり、若い者の中に、一人中年に見える者がいる。その中にナスカが知っている人は一人もいない。それどころか、リボソの軍服を着ている。
「カスカベ! 時代は変わる!」
ヒムロはカスカベをビシッと指差すと鋭い声をあげる。
「ここは既に包囲されてる。逃げ場はないわよ」
「……ふざけるな」
カスカベが歯を食いしばり引き金に指をかけようとした、その刹那、ヒムロの背後にいる若い男の一人が目にもとまらぬ素早さで接近し、カスカベを背負い投げした。ナスカはその様子を硬直したまま見守る。
「ナスカさん! 今のうちに逃げて下さい!」
「は、はいっ!?」
ナスカは理解しきれないまま慌ててその場から離れる。
「捕まえるのよ!」
ヒムロの指示に従い、若い男たちはカスカベの方へ行く。鬼の形相で暴れるカスカベには、さっきナスカが初めて出会ったときに感じた品や知的さはない。まったくない、と言っても過言ではない。
「……おのれ。おのれ、ヒムロルナ! ふざけるな! この国はこのわたくしのもの!!誰にも文句は言わせない!!」
男たちは数名がかりで、激しく暴れ抵抗するカスカベを押さえ込んだ。
「ちょっと、お前たち! ぼんやりしてないでどうにかしなさいよっ!」
「は、はい! ですが何を……」
「ちょっとは自分で考えろ! このバカ男!!」
カスカベの部下である男が畏縮した隙を見逃さず、ジレル中尉は所持していた短剣で男の脇腹を刺す。さすがに慣れたもので、なんの躊躇いもない。ジレル中尉は近くにいたカスカベの部下を蹴り飛ばし気絶させる。赤くこびりついた片足はやはり痛むようで、ハンデになっていたが、それ以外の要素で上手くフォローしている。
「ナスカちゃん、お疲れ様。あとはあたしに任せて」
不安げな表情を浮かべているナスカにヒムロは微笑みかける。
「心配はいらないわ。アードラーくんは無事よ」
「えっ! エアハルトさんは生きていらっしゃるのですか?」
「瓦礫の隙間にいたみたいで、怪我は銃創だけだったわ。生命力の半端ない彼なら、きっと生き延びる。だってアードラーくん、あれだけの拷問すら耐え抜いた人だもの」
「……よかった」
ほとんど諦めかけていたナスカは驚きとともに安堵し、思わず自然に笑みがこぼれた。
そして、頭のスイッチが切り替わる。
「ヒムロさん。あの人、私が撃ってもいいですか」
「……ナスカちゃん?」
ヒムロは理解しきれていないような顔だ。
「確か、私が殺す作戦でしたよね。それで構いませんか?」
「別に構わないけど……突然どうしたの」
若い男の一人がナスカの拳銃をヒムロに渡す。
「ルナさん! あのお嬢さんの拳銃です。取り返しました」
「ありがと」
ヒムロは小さくお礼を言いながら拳銃を受け取ると、それを持った手をナスカに差し出す。
「ナスカちゃん……本当にやるつもり?」
既に覚悟を決めているナスカが力強く頷くのを見て、ヒムロはふっと笑みをこぼす。
「いい覚悟ね」
ナスカはヒムロから拳銃を受け取ると、その黒い銃口を、動けなくされているカスカベへと向ける。興奮と緊張の入り交じった複雑な感情が全身を駆け巡った。
いくら射撃が下手とはいえ、動かない的に当てるくらいなら可能なはずだ。ナスカはしっかりと狙いを定め、落ち着いて指を引き金にかける。
「お待ちなさい! 待って! こんなのは一方的でおかしい。間違っていますわ!」
これですべてが終わる。いや、この一撃で終わらせるのだ。
ナスカはカスカベの眉間を冷静にじっと見る。
しかし、今、彼女が見ているのは、その先にある未来だ。ずっと待ち続けた、あの日からずっと望み続けてきた、明るい未来。
そして、引き金を引いた。
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