東京・キッズ

ユキトヒカリ

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アレクス

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 僕はそいつを、アレクスと呼んでいる。

 アレクスは、酷い奴だ。
 僕が見た彼は、僕よりも、ほんの3歳下の少年だった。紹介をしてくれたのは、彼の義理の父親だ。

「あなたの噂は、かねがねお聴きしております。私の理解が間違っていなければ、この子は、おそらく……」

 みなまで聞かない内に、僕は答を口にした。彼の父のくれた資料書類を一瞥しただけで僕には解った。

「アレクスだ。甘鶴あまつる教授」
「……!!」

 教授は、目を見開いて僕を凝視する。そして力強く頷いた。
 当然だ。この僕に、見立て違いなどは有り得ない。
 僕は、教授の義理の息子、かれの焦点が定まらない紫瞳に目を合わせる。
 整った凛々しい顔立ちをしている子だ。いいや、『子』と呼ぶのも不適切か。かれは僕よりグンと背が高い。見た目は立派に青年で通る。

「見た目は、ね。甘鶴教授、この彼の年齢だが。17歳……でしたよね」
「は、はい。7月7日で18になります」
「発症は5年前と聞いた。あなたも彼も、運が悪い。僕はその当時は大学生に成り立て。医師の経験はもちろん、免許すら取得していなかったからね」

 なにを言いたいのかって? 鈍い読者だね、きみは。この僕が早くに彼を診ていたなら、彼はぐにも回復の道を辿ったはずだと僕は言いたいんだ。世間で『医神』とまで賞される僕ならば、彼がアレクスであると即断を出来たのさ。






「なぁ、高梨たかなし


 訊きたくはない、と渋る思いはあれど。黒き探偵・結城蔵人ゆうきくらうどはデスクチェアに凭れながら尋ねた。

「高梨。おまえのさっきの長電話の相手は誰だ? 言葉の中にやたらとカタカナが飛び交ってたが」

 渋りたくなる理由は簡単だ。普段は能天気な助手である高梨は、こと医療関係の話題になると人格が豹変する。そして、語る。放っておいたら軽ーく6時間は語り尽くす。

「電話内容によっちゃ、おまえの例の語りを延々と聴くハメになる。それは嫌だが、気になるから仕方がねえ。おい、相棒。やたら飛び交っていた『アレクス』って、なんだ? 人名か?」

 無二の相棒・高梨助手は、受話器を置いた。そうして、置いた手を、腰に宛ててふんぞり返った。

「ああ……。やっぱり医療用語だったのかよ。ジーザス(神よ)……!」

 嘆く黒探偵。
 始まる医神のワンマンショー。

「さぁて、アレクスとは何か、とキミは問いかけたね? クロード」
「クロード『さん』だろ、呼び方まで変わるなよバカ助手! 高梨!」
「ノンノン、クロード。いまの僕は、夜瀬鈴やはせすず。あらゆる医療的緊急事態の闇を駆け抜ける『夜に走るベル』だ」
「誰が名乗れと言ったぁ! しかも長ぇよ、なんだそのアダ名!」
「僕が僕につけ、僕からクランケたちに告げた通称だ」
「ああそうかよ、くそナルシスト! おい、頼むから、従順でフツーの、いつもの高梨バージョンで説明してくれ!!」
「ムリだ。今回の件は、すべて『ぼく』が担当した。高梨萩之助はぎのすけでは、1割も解説できまい。聴きたくないなら、今すぐ僕は消えるが?」

 蔵人は苦味を噛み潰した表情を更に歪ませ、「わかった……。スズ。好きに喋ってどうぞ、プリーズ!」投げやりに応えた。
 
「では、公聴会を始めよう」

 おれしかいないのに何が公聴会だバカ医神! と蔵人は頰に片手をあてて呆れ顔になる。

「アレクスとは、略語だよ。長くて呼び難いので僕はそう呼んでる。alexithymia(アレクシサイミア)が正式名称だ」
「病名か? おまえの専門分野の」
「そうとも言える」
「なんだよ、『そうとも』って」
「外科の分野じゃないのさ。けれども脳の病ではある。なので僕もたまに症例を請け負うんだ」
リアリーなるほど、精神疾患か。おまえに行き着く病は大抵が手遅れ系だろう。もれなくそのアレクスとやらにられたやつも?」

 鈴は腰に宛てていた手を腕を、前に回した。腕組み、思案顔になる。

「そうだね。かなり手遅れな患者クランケだった」
「お。珍しく神妙なツラ。苦戦したのか」
「なにしろ、僕が見せられたのは発症から4年経った姿だ。いくら僕が天才でも限界がある」
「だから、てめえで天才とか抜かすな! ナルシー野郎!!」
「alexithymiaは、日本名で『失感情症』と呼ばれている。僕が彼を診たころに数例が発見されていただけの、新種の病でね。なので、彼を担当した医師……彼も有能な医者ではあったが、息子がアレクスだと見抜くのに時間を要してしまった」
「ほっとくと死ぬのか?」
「死は招かない。感情の鈍麻や無感動のように、感情の変化を喪失した状態が続く」
「鬱病とは違うのか」
「ここだよ、ここ」


 鈴は、喉仏を指さした。

「言語に影響が来る」


「喋れなくなる、ってことかよ? スズ」

 次に鈴は、頭の左右のこめかみを指さした。

「感情に関与する脳内の右半球と言語に関与する左半球。これの連絡網の機能が障害を受ける」
「あー、つまり、えーと……」

 漢字を並べんじゃねえ、英語で言ってくれ、と混乱する探偵。

「連絡網か……、つまりだ、何かを感じ、感じたことを伝えたい、しかし伝える機能が働かねえから言葉が――」
「ノンノン。言語機能に損傷は無い。連絡が巧くいかないだけだ。やれやれ、頭が悪いねキミは。本当に名探偵なのかい?」
「うるせえ!!」

 このジキルハイド(二重人格)め、後で人格が戻ったら激しく罵倒してやる! と内心で吠える。

「あれか。東京と大阪の都市機能は順調、だけど間の新幹線が故障した、そーいう理屈か」
「ナイス喩えだ。やるね、クロード」
「指を鳴らすなッ! 人格マジ変わりすぎだッ!」
「僕の役目は、その麻痺した新幹線をメンテすることでね。ま、メスを使わない治療は少々つまらなかったけど」
「つまらなかねえぇ!!」
「そも、精神疾患は、まず心因となったものが何なのかが掴めなければ、完治はおろか、傷を塞ぐことも叶わない。ところがだ、かの教授が紹介した患者のシンジュくんの狂った元が何なのかは不明なままでね」
「ターゲット捕捉不可、か。フン。じゃあ、そのガキはまだ治せていねえわけだな?」
「ねえ。『ざまあみろ』みたいなニュアンスを感じたよ、クロード? 当の患者に失礼だ。不謹慎な」

 両手もろてを挙げる黒探偵。「Sorry」

「僕が診た時に気づいたシンジュくんの特徴」

 目元を示す高梨。

「視神経に面白い特徴が見られた。甘鶴医師に詳しく伺ったところ、あの子の実の父親は『兇眼きょうがん』と呼ばれる不思議な力を持つそうでね」
「キョーガン?」
「邪視、とも言うらしい。シンジュくんの父親は、それを使う占い師だとかで」
「預言者の類か」
「すまないね、クロード。僕は超常現象の類には詳しくないから解説できない。なんでも、その眼はモンスターかゴーストが見えたりするとかなんとか……」
「じゃあ、元の可愛く間抜けな高梨に戻れ。アイツならホラー映画やファンタスティック映画に詳しい」
「キミは詳しくないのかい」
「ないこたねえが。……ゴーストと、言ったな……」

 デスクに肘をつき、煙草を指に挟んで揺らす探偵。掛けたサングラス越しの碧眼を瞬くと、眼鏡の弦を摘まむ。


「……Evil Eye(イビル・アイ)か?」

 摘まみ、外す。空か海を思わせる、深い青。瑠璃のような美しい瞳が現れた。誰が見ても、きっと。魅いられる。


「ほう。クロード、キミの国の言語では『イビル・アイ』と呼ぶのか」

 しかして、その魅力的な碧眼を真正面に眺めおきながら、医神は全く態度を変えない。通常の高梨助手ならば顔中を真っ赤にして見惚れる場面のはずなのだが。

「それは、ファンタスティック映画というよりは、宗教用語かな?」
「ああ。不吉を呼ぶってんで、その眼の主は、あまり周りから歓迎されねえらしい、と教会ホームで聞いたことが有る」
「納得だね。キリスト教者なら撤廃対象にする、悪魔の目なる表現すらも認めないだろう。ふぅむ、所変われば品定めも変わる、ってやつだね。シンジュくんの目は、彼の母国ではまあまあ珍重されてたらしいのに」
「フン」

 蔵人は、くゆらせし煙草の先で、中空に文字を書く。

「さっきから『国』、『国』って。そのガキはハポネス(日本人)じゃねえのか」
「韓国人だよ。あとね、今のスペルは誤りだ」

 歩み寄りながら鈴は指文字を書いた。

「頭文字は『S』じゃないんだよ、クロード」


“Shin”と書いた蔵人の隣に立ち、黒塗りのテーブルに指を滑らせた。

「はーん。『XingJu』か」
「うん。現在は25歳だ」

 黒探偵はずっこける。

「は!? なら『あの子』じゃねぇだろ!」
「だって『高梨萩之助』よりは3つ年下だ」
「だから、なんでいつもおまえは第3者みてえな言い方するんだよ! まるでおまえ自身が高梨に憑いたゴーストみてえだぞ! 怖ぇ!!」
「ふっ。言いえて妙だな。僕がゴースト……か」
「そこで不敵に笑わずに訂正しろ、バカ助手!」

 会話に疲労感がイッパイイッパイになってきた。

「んじゃあ、スズ。さきのTELは、アマツルというドクターとの経過報告的なもの、ってことか」
「うん。僕はアドバイスをしただけだけれど、気にはなるからね」
「アドバイス、ねぇ」
「かれの黙読してた本」
「喋れはしねえが智力は普通だから愛読家、ってわけか」
「普通どころじゃない。シンジュくんの頭脳は、かなり高等だよ。彼が所蔵していた書籍は本棚から溢れていた。しかも、韓国語、英語、ギリシャ、イタリア、ドイツ……他、数十ヶ国の語源からなる本ばかりで占められていたんだ」
「ヒュゥ、エクセレント!」
「イビル・アイとやらが起因かは知らない。が、その異様な語学力は治療に使える、と僕は考えた。シンジュくんは外に出るべきだ、それも、母国を離れた世界の言語にたくさん触れるべきだと……僕は、甘鶴教授にそう提唱したのさ」
「アドバイスは活かされ、順調に回復したのか?」

 マグカップを片手に、鈴は紅茶を啜る。

「すまない、クロード。飲む。喉が渇いた」
「そのパターンだと、いつもの高梨ならおれにもコーヒーを注ぐ流れなんだが」
「さて、その後のシンジュくんだが」
「盛大に無視かよ」
「だいぶ遅れを取ったようだが、シンジュくんは現在は大学に合格し、通う傍らで仕事にも就いたという」
「回復し過ぎだろ」
「危うくはある。なにせ、アレクスに侵された原因が未だに不明なんだ。精神の病は、根源を倒さなければ意味がない」
「直に会えよ、アスクレピオス(医学の神)。もういちどアレクシサイミアを診て、撃ってきちまえ。シンジュBoyを完治に導いてやりな」

 煙草に火を灯し、微笑む黒き名探偵。
 医神は、暫し探偵を見つめた。

「いいのかい? クロード」
「ああ。おれの事は気にするな。1ヶ月や3ヶ月程度の不便は……「完治までとなると数年間ほどヒマを貰うこととなるが。ふ~ん。だけどいいんだねクロード?」

 途端に噎せる蔵人。

「うげっホ、ゲホゲホ、ちょ、待て待て待て!! 待った!! 冗談だ冗談! 今のやりとりは全て忘れやがれスズ!!」
「男たるものがカンタンに前言撤回かい。やれやれ、相変わらずのグズグズ探偵だねぇ」
「るせえぇぇぇ!! 早く間抜けでカワイイ高梨に戻れぇ――!!」

 そして探偵事務所は普段のままな光景、なかなかハードボイルドになれない探偵の怒鳴り声で夕方を迎える。怒鳴られて我に返り「ごめんなさい、ごめんなさい、クロードさん!」と平謝りする高梨助手に呆れ返り盛大に嘆息もつく。

(しかし、……そうか。ゴーストか)

 何とはなしに、思う。医学の神は、シンジュという患者の愛読書の名を出す際、『日本語』とは言わなかった。

(義父がハポネスなのに日本語の書物がねえのは不自然だ。シンジュBoyの持つ本には、日本語の書も必ずあったハズだ)

 けれども医神は『英語、ギリシャ、イタリア、ドイツ』と並べた。

(ヨーロッパ圏……?)

 HEY、ドクター。てめえはマジに、高梨に取り憑いてるゴーストなのかい? そんな言葉を、投げかけてみたくなる。

(ギリシアなら、本当にアスクレピオスだよな。あれはギリシアが発祥の。世界でいちばん最初にメスを振るった外科医の名前なんだから)

 まごつきまごつき、コーヒーを注いでいる頼りなげな相棒の後ろに。ああ、おれにもゴーストが見えちまうキョーガンは無いものかね? などと物思って、漏らす欠伸あくび









了.
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