ダンジョン・トラベラー~最弱探索師の下克上~

赤坂しぐれ

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第三章 権能覚醒篇

第七十五層目 『覚醒』

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「な、にを......」

 『何をした』。たったそれだけの短い言葉さえ、いまの弾虎にとって口にすることは難しかった。度し難い黒い感情が、舌の自由を奪っていく。
 手の平から零れ落ちた命。それが悪魔であれ人間であれ、こうも容易く失われて良いものではない。救いを求める声に、価値の違いなどないのだから。
 腹の中を暴れまわる感情。それはかつて、自分の事を弟の様に可愛がってくれていた木戸が死んだ時にも感じた、ドロドロのマグマを這いずらせたかの如く不快感。

「イヒャヒャヒャヒャッ!! エサはちゃんと死んでくれないとナァ!!」
「え、さ?」
「そうダぁッ! そいつはお前を誘き出すためのエサだよッ! 『経典』の預言にもそう書かれているッ!!」
「俺の、ため......この子、は」
「そうだよッ! まぁ、どっちにしろ殺すつもりだったけどネぇ。知ってるかァ? 子供ってのは死ぬ間際に綺麗にんだゼぇ?」

 いつの間にか体を縛る糸を断ち切り、再び銃を構える男。
 どうやって抜け出したのか。
 何故こんな非道な事が出来るのか。
 そんな疑問は、一切浮かばなかった。いや、失われた理性の前では、浮かべる事すらできなかった。

 弾虎の視界が紅く染まり、双眸からは止めどない涙があふれだす。

「グウウゥゥウウウ......」
「おやおや? そいつは悪魔ですヨ? 死んで当然。そんな者に流す涙など、酔っ払いの小便程に価値もないッ! それよりも、こちらに寄越しなサい。お前の持つ『悪魔の権能』をッ!!」

 弾虎を今度こそ討たんと銃を変化させた男。だが、その耳にギチギチと何かが軋む音が聞こえてくる。

「なんの、音ですカ?」

 弾虎から視線を外さず、辺りの気配を窺う。すると、軋んでいるのは目の前の弾虎の体であることに気がつく。

「何を......何をしているのデスかッ!!」
「ガァアアアァァァアアアッッッ!!!」

 ゴキリ。
 弾虎の肩が大きく隆起し、その骨格を大きく変化させていく。他の部位も徐々に肥大を始め、特に大きくなった手は既に人のモノとは思えない爪が備わっていた。
 本来は装着する者の体を守るだけのボディスーツは、皮膚と一体化してまるで本物の甲殻の様に作り替わる。

「な、なんデスか、その禍々しいすがたはッ!!」

 慌てた男が銃を放つ。しかし、弾虎は放たれた黄金の光の雨を尽くはじき返す。

「馬鹿なッ!? これは、悪魔の力を封じる黄金の祝福なのデスよッ!?」
「グルルルルルルル......」

 ざわざわと波打つ弾虎の体表。それはさながら、本物の虎の様な......それでいて、どこか人としての名残のあるモノであった。
 虎を模したマスクはいまでは完全に虎そのものへと変わり、『二列に生える牙』はとあるモンスターを彷彿とさせる。

「ば、化け物......」

 眼前の圧倒的な存在。
 どうにかこの場をやり過ごし、自分の信じる『経典』を実現するという大願を叶えなければならない。
 死ぬことの恐怖など、とうに忘れた。もしも己の中にその感情があるのならば、それは教えに背く事だけだ。
 男は駆けだす。只人では到達できぬ速さで。

 しかし、その足が大地を踏みしめることは、二度と無かった。


 ◇◇◇◇◇◇


『緊急事態発生ッ! 緊急事態発生ッ! 旧墨田区サブ・ダンジョン跡地内より、超高濃度の魔力を検知ッ!!』

 緊急放送と警報音が鳴り響く中、源之助は椅子に座ったままモニターを見つめる。
 そこに映されているのは、法衣を着た男を嬲る一匹の黒い虎。
 解像度の低いその映像を見つめる源之助の口から、溜息と共に呟きが零れる。

「始まってしまったか......此度の、『ゴッドゲーム』が」
「残念ながら。少しばかり早すぎたと思うのですがね。Mr.藤原」
「そう仕向けたのは何処の誰かね、まったく。天使と悪魔による世界を盤面にした陣取り合戦。さながら人類はコマということ、か」
「それもただのポーンですよ。されど、『プロモーション』は出来る」

 源之助の対面に座る人物が、テーブルの上のポーンを源之助の陣地に押し入れる。
 プロモーション。チェスの用語で、将棋でいう所の『成り』にあたる。相手陣地の最奥へと到達したポーンは、四つのコマへと変化することが出来る。通常、最も強いとされるクイーンへ変わることが多いのだが。

「私としては、今回の人生では起きない事を祈っていたのだがね。こう見えて、彼との疑似的な親戚関係も気に入っていた」
「それはそれは、大変残念です。まぁこちらとしては既知の範囲内ですし、早くこの茶番劇が終わって欲しいものなのですが」
「そう思うならば、たまには自ら滅びの道を歩んではどうかね。アモディグスト」

 ポーンと成ったコマを、自分のコマではじき飛ばす源之助。
 コマを取られたアモディグストと呼ばれた男は、張り付けた様な薄ら笑いのまま、再び他のコマを前進させる。

「私は臆病なのですよ。何度味わっても、自分が死を感じる瞬間は恐ろしいものだ」
「よくもまあ。信者には死は恐れではない、救いだと説くクセに」
「私達プレイヤーとコマは大きな隔たりがある。そこにある生死の価値でさえ、ね。チェック」
「......コマに愛着を持つことは、それほど悪かね?」

 アモディグストに追い詰められた源之助は、キングを逃しつつ攻めの一手を頭の中で探す。しかし、一度追い詰められればなかなかに返し手とは行きつかないもの。
 結局、その数手後に詰みとなった。

「時計の針を戻すことは出来ません。ですが、一端その針を止める事は可能です」
「どういう気まぐれだ」
「なに。私もそろそろ動くべきだと思っただけですよ。既知を破壊する為にも」

 二人の傍らにあるモニターに動きがあった。
 もはや人の原型をギリギリのラインで留めている男を、別の男が救い出していたのだ。
 そして、怒りに狂う黒き虎の前に、ひとりの少女が立ちはだかる。


 ◇◇◇◇◇◇


「悪魔の力とは、これほどまでに醜いものなのですね。まるでグルさんの作った出来の悪い目玉焼きの様です」
「こんな時に言っている場合ですかッ!! 既に『蛇』の奸計よって知恵の実を奪われた彼は、まさしく原初の人。その行動原理は感情のみですッ!」
「しかも、人の業である感情を二つ盛り、ですか。あぁ......こんなことなら最後に『東海屋』のタルトを食べてくるのでした」
「生き残ったらいくつでも御馳走しますッ! とにかく、今は『ゲート』を開く時間を稼いでくださいッ!!」

 グルの言葉に少女は目をキラリと光らせる。

「言いましたねッ!? プリンも上乗せですよッ!」
「店の中身全部奢りますよッ! だから早く何とかしてください、ヴェールさんッ!!」

 二人が会話をしている間にも黒き虎の猛攻は続く。しかし、その対象がグルの担ぐ男であり、それに対してヴェールは行く手を阻むだけだったので、比較的容易にブロックできていた。

「グルルルル......」
「ほーらほら。猫ちゃんはこっちです」
「ガアァアアァッ!!」

 己の獲物を奪うな。そうい言わんばかりにヴェールへと飛び掛かる黒き虎。
 『正義の小手』を顕現させたヴェールは襲い掛かる爪を手甲ではじき飛ばす。

「なんという馬鹿力。やはり、二つ盛りは反則すぎます」

 自分の爪をはじかれた虎は、大口を開いてヴェールの肩を噛まんと迫る。しかし、その口に目掛けてヴェールは拳を突き出した。

「死なないと信じています。いや、死んでいただいても結構ですが」

 肘の機構が変形し、蒸気と共に撃鉄が撃ち下ろされる。
 高速回転によって集まった黄金の光が、黒き虎の口内を打ち抜く。

 しかし。

「大食いの私でも、神気なんて食べたらお腹壊しそうですけどね」

 ヴェールの放った光は、黒き虎によって『捕食』されてしまっていた。
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