75 / 87
第三章 権能覚醒篇
第七十五層目 『覚醒』
しおりを挟む「な、にを......」
『何をした』。たったそれだけの短い言葉さえ、いまの弾虎にとって口にすることは難しかった。度し難い黒い感情が、舌の自由を奪っていく。
手の平から零れ落ちた命。それが悪魔であれ人間であれ、こうも容易く失われて良いものではない。救いを求める声に、価値の違いなどないのだから。
腹の中を暴れまわる感情。それはかつて、自分の事を弟の様に可愛がってくれていた木戸が死んだ時にも感じた、ドロドロのマグマを這いずらせたかの如く不快感。
「イヒャヒャヒャヒャッ!! エサはちゃんと死んでくれないとナァ!!」
「え、さ?」
「そうダぁッ! そいつはお前を誘き出すためのエサだよッ! 『経典』の預言にもそう書かれているッ!!」
「俺の、ため......この子、は」
「そうだよッ! まぁ、どっちにしろ殺すつもりだったけどネぇ。知ってるかァ? 子供ってのは死ぬ間際に綺麗に鳴くんだゼぇ?」
いつの間にか体を縛る糸を断ち切り、再び銃を構える男。
どうやって抜け出したのか。
何故こんな非道な事が出来るのか。
そんな疑問は、一切浮かばなかった。いや、失われた理性の前では、浮かべる事すらできなかった。
弾虎の視界が紅く染まり、双眸からは止めどない涙があふれだす。
「グウウゥゥウウウ......」
「おやおや? そいつは悪魔ですヨ? 死んで当然。そんな者に流す涙など、酔っ払いの小便程に価値もないッ! それよりも、こちらに寄越しなサい。お前の持つ『悪魔の権能』をッ!!」
弾虎を今度こそ討たんと銃を変化させた男。だが、その耳にギチギチと何かが軋む音が聞こえてくる。
「なんの、音ですカ?」
弾虎から視線を外さず、辺りの気配を窺う。すると、軋んでいるのは目の前の弾虎の体であることに気がつく。
「何を......何をしているのデスかッ!!」
「ガァアアアァァァアアアッッッ!!!」
ゴキリ。
弾虎の肩が大きく隆起し、その骨格を大きく変化させていく。他の部位も徐々に肥大を始め、特に大きくなった手は既に人のモノとは思えない爪が備わっていた。
本来は装着する者の体を守るだけのボディスーツは、皮膚と一体化してまるで本物の甲殻の様に作り替わる。
「な、なんデスか、その禍々しいすがたはッ!!」
慌てた男が銃を放つ。しかし、弾虎は放たれた黄金の光の雨を尽くはじき返す。
「馬鹿なッ!? これは、悪魔の力を封じる黄金の祝福なのデスよッ!?」
「グルルルルルルル......」
ざわざわと波打つ弾虎の体表。それはさながら、本物の虎の様な......それでいて、どこか人としての名残のあるモノであった。
虎を模したマスクはいまでは完全に虎そのものへと変わり、『二列に生える牙』はとあるモンスターを彷彿とさせる。
「ば、化け物......」
眼前の圧倒的な存在。
どうにかこの場をやり過ごし、自分の信じる『経典』を実現するという大願を叶えなければならない。
死ぬことの恐怖など、とうに忘れた。もしも己の中にその感情があるのならば、それは教えに背く事だけだ。
男は駆けだす。只人では到達できぬ速さで。
しかし、その足が大地を踏みしめることは、二度と無かった。
◇◇◇◇◇◇
『緊急事態発生ッ! 緊急事態発生ッ! 旧墨田区サブ・ダンジョン跡地内より、超高濃度の魔力を検知ッ!!』
緊急放送と警報音が鳴り響く中、源之助は椅子に座ったままモニターを見つめる。
そこに映されているのは、法衣を着た男を嬲る一匹の黒い虎。
解像度の低いその映像を見つめる源之助の口から、溜息と共に呟きが零れる。
「始まってしまったか......此度の、『ゴッドゲーム』が」
「残念ながら。少しばかり早すぎたと思うのですがね。Mr.藤原」
「そう仕向けたのは何処の誰かね、まったく。天使と悪魔による世界を盤面にした陣取り合戦。さながら人類はコマということ、か」
「それもただのポーンですよ。されど、『プロモーション』は出来る」
源之助の対面に座る人物が、テーブルの上のポーンを源之助の陣地に押し入れる。
プロモーション。チェスの用語で、将棋でいう所の『成り』にあたる。相手陣地の最奥へと到達したポーンは、四つのコマへと変化することが出来る。通常、最も強いとされるクイーンへ変わることが多いのだが。
「私としては、今回の人生では起きない事を祈っていたのだがね。こう見えて、彼との疑似的な親戚関係も気に入っていた」
「それはそれは、大変残念です。まぁこちらとしては既知の範囲内ですし、早くこの茶番劇が終わって欲しいものなのですが」
「そう思うならば、たまには自ら滅びの道を歩んではどうかね。アモディグスト」
ポーンと成ったコマを、自分のコマではじき飛ばす源之助。
コマを取られたアモディグストと呼ばれた男は、張り付けた様な薄ら笑いのまま、再び他のコマを前進させる。
「私は臆病なのですよ。何度味わっても、自分が死を感じる瞬間は恐ろしいものだ」
「よくもまあ。信者には死は恐れではない、救いだと説くクセに」
「私達プレイヤーとコマは大きな隔たりがある。そこにある生死の価値でさえ、ね。チェック」
「......コマに愛着を持つことは、それほど悪かね?」
アモディグストに追い詰められた源之助は、キングを逃しつつ攻めの一手を頭の中で探す。しかし、一度追い詰められればなかなかに返し手とは行きつかないもの。
結局、その数手後に詰みとなった。
「時計の針を戻すことは出来ません。ですが、一端その針を止める事は可能です」
「どういう気まぐれだ」
「なに。私もそろそろ動くべきだと思っただけですよ。既知を破壊する為にも」
二人の傍らにあるモニターに動きがあった。
もはや人の原型をギリギリのラインで留めている男を、別の男が救い出していたのだ。
そして、怒りに狂う黒き虎の前に、ひとりの少女が立ちはだかる。
◇◇◇◇◇◇
「悪魔の力とは、これほどまでに醜いものなのですね。まるでグルさんの作った出来の悪い目玉焼きの様です」
「こんな時に言っている場合ですかッ!! 既に『蛇』の奸計よって知恵の実を奪われた彼は、まさしく原初の人。その行動原理は感情のみですッ!」
「しかも、人の業である感情を二つ盛り、ですか。あぁ......こんなことなら最後に『東海屋』のタルトを食べてくるのでした」
「生き残ったらいくつでも御馳走しますッ! とにかく、今は『ゲート』を開く時間を稼いでくださいッ!!」
グルの言葉に少女は目をキラリと光らせる。
「言いましたねッ!? プリンも上乗せですよッ!」
「店の中身全部奢りますよッ! だから早く何とかしてください、ヴェールさんッ!!」
二人が会話をしている間にも黒き虎の猛攻は続く。しかし、その対象がグルの担ぐ男であり、それに対してヴェールは行く手を阻むだけだったので、比較的容易にブロックできていた。
「グルルルル......」
「ほーらほら。猫ちゃんはこっちです」
「ガアァアアァッ!!」
己の獲物を奪うな。そうい言わんばかりにヴェールへと飛び掛かる黒き虎。
『正義の小手』を顕現させたヴェールは襲い掛かる爪を手甲ではじき飛ばす。
「なんという馬鹿力。やはり、二つ盛りは反則すぎます」
自分の爪をはじかれた虎は、大口を開いてヴェールの肩を噛まんと迫る。しかし、その口に目掛けてヴェールは拳を突き出した。
「死なないと信じています。いや、死んでいただいても結構ですが」
肘の機構が変形し、蒸気と共に撃鉄が撃ち下ろされる。
高速回転によって集まった黄金の光が、黒き虎の口内を打ち抜く。
しかし。
「大食いの私でも、神気なんて食べたらお腹壊しそうですけどね」
ヴェールの放った光は、黒き虎によって『捕食』されてしまっていた。
0
お気に入りに追加
423
あなたにおすすめの小説

はぁ?とりあえず寝てていい?
夕凪
ファンタジー
嫌いな両親と同級生から逃げて、アメリカ留学をした帰り道。帰国中の飛行機が事故を起こし、日本の女子高生だった私は墜落死した。特に未練もなかったが、強いて言えば、大好きなもふもふと一緒に暮らしたかった。しかし何故か、剣と魔法の異世界で、貴族の子として転生していた。しかも男の子で。今世の両親はとてもやさしくいい人たちで、さらには前世にはいなかった兄弟がいた。せっかくだから思いっきり、もふもふと戯れたい!惰眠を貪りたい!のんびり自由に生きたい!そう思っていたが、5歳の時に行われる判定の儀という、魔法属性を調べた日を境に、幸せな日常が崩れ去っていった・・・。その後、名を変え別の人物として、相棒のもふもふと共に旅に出る。相棒のもふもふであるズィーリオスの為の旅が、次第に自分自身の未来に深く関わっていき、仲間と共に逃れられない運命の荒波に飲み込まれていく。
※第二章は全体的に説明回が多いです。
<<<小説家になろうにて先行投稿しています>>>

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ
25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。
目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。
ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。
しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。
ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。
そんな主人公のゆったり成長期!!


【完結】そして、誰もいなくなった
杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」
愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。
「触るな!」
だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。
「突き飛ばしたぞ」
「彼が手を上げた」
「誰か衛兵を呼べ!」
騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。
そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる