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第30話 怪文書
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「おはようございます!」
ビアトリスは、いつも通りに「楡の木」に出社した。彼女が新連載を始めてから発行部数が上がり、「紅の梟」の新しいスポンサーもマークの口添えにより見つかった。仕事も大分慣れて来て、とんとん拍子に事が進んでいる。四方丸く収まり、向かうところ敵なしだ。自然と彼女の足取りも軽くなる。
しかし、いつもは快活に挨拶を返してくるマークが、この日に限って、難しい顔をして他の社員と何やら話し込んでいた。その手に一枚の手紙らしきものが握られている。そして、ビアトリスを見ると気まずそうに顔をしかめたので、これは何かおかしいと気付いた。
「あれ? 何かあったんですか?」
「いや……大したものじゃないんだけどね。こういうのは、人気が出てきた証拠とも言えるから大げさに捉えなくていいのは分かっているんだけど」
マークにしては歯切れが悪い。何事かと思い、彼の持っている紙を覗く。編集部に届いた一通の手紙らしかった。
「ビアトリスは、今までに一緒に切磋琢磨してきた創作仲間とかいる? ずっとどんぐりの背比べだったけど、ある日君だけが頭角を表して今は疎遠になっている友達とか?」
なぜそんなことを聞くの? とビアトリスはぎょっとした。創作仲間なんていない。創作活動はずっと孤独だった。敢えて言うならエリオットくらいのものだ。マークの言葉の意図が読み取れず、おろおろと戸惑ってしまう。
「たまにあるんだよ。かつて仲間同士で一緒に創作をしていたが、ある日片方が出世してもう片方が取り残されて嫉妬するケースが。もしかしたら今回もそれかもしれないと思って」
「私に嫉妬する人なんて思い当たりません。何があったんですか?」
マークは、黙って持っていた手紙をビアトリスに渡した。書かれた内容を見て思わず青ざめる。そこには「ビアトリス・ブラッドリーの正体について」と題した文章が綴られていた。
「いくら苗字が同じだからって、ブラッドリー家の次男と絡めるのはいくらなんでも……いや、僕も最初はおやと思ったけど、別に珍しくない名前だしね。実は『紅の梟』のペンドラゴン編集長は彼のペンネームだという噂があって、それを元にこじつけたデマだと思うんだ……」
そこには「ビアトリス・ブラッドリーは、『紅の梟』のペンドラゴン編集長が送り込んだスパイで、ライバル誌である『楡の木』の内情を『紅の梟』に横流ししている。更に、同誌のスポンサーを横取りして『楡の木』の資金源を断とうと画策している。ペンドラゴン編集長の正体は、ブラッドリー子爵家の次男エリオット・ブラッドリーで、ビアトリスはその妻である」と書かれていた。
「作品をこき下ろすだけならまあ分かるんだ。批評の自由は誰にでもあるからね。でも、作者の個人攻撃ってことになるとちょっと異常かなって。しかもただの罵詈雑言というよりも内部事情に詳しい者による手の込んだ怪文書だ。ましてや君は女性だ。か弱い立場の君にもしものことがあったら——」
「あの、編集長。お話したいことがあるのですが、会義室をお借りしてもいいですか?」
体が震えるのを何とか悟らせたくないと、ビアトリスは必死に耐えながら声を振り絞った。そして、ここに最初に来た時に使用した狭い会議室に入り、両手をぎゅっと握りしめながら口を開いた。
「ここに書いていることは、確かに悪意に満ちていますが、全て嘘ではないんです。ペンドラゴン編集長の正体はエリオット・ブラッドリーで、私はその妻です」
ビアトリスは、マークの顔を見ることすらできず、目をぎゅっとつぶりながら一気に言い切った。もう隠し立てはできない。そもそも、小説を「楡の木」に投稿するように勧め、細かいアドバイスや修正をして完成度を高めてくれたのはエリオットだ。彼がいなかったら掲載されなかったかもしれないし、連載まで漕ぎつけられたかも分からない。これ以上隠し立てすることはできなかった。
「『紅の梟』は、ずっとエリオットが運営資金を出していたんですが、家から援助を切られて、それで新たなスポンサーを探さないといけなくなったんです。随分困っているみたいだったから、私も役に立ちたいと思い、色んな伝手を当たりました。でも、スパイのために入社したとか、スポンサーを横取りとか全く考えていません。『紅の梟』に選ばれなかったのは本当です。でも、身内になった以上公平な判断ができないから、こちらに投稿しろと夫に助言されたんです。それからは偶然の成り行きです、信じてください」
ビアトリスは、最早涙を流さないように我慢する方に必死で、身体の震えを抑えることができなかった。もっと早く言うべきだった。降って湧いたチャンスに目がくらんで、どうしても本当のことを話せなかった。全ては自分が悪いのだ。
マークは机に浅く腰かける体勢でじっと聞いていたが、やがてふっと笑ってから話し始めた。
「なんだ。そんなことで悩んでいたのか。別に秘密にすることはなかったのに。君が『紅の梟』の関係者だったら連載の話が反故にされるとでも思った? 前に話した通り、競合他社には何の思い入れもない。そんなつまらないプライドや対抗心で本を作ってないよ」
「はい、今では分かってます。もっと早く打ち明けるべきだった」
「それに、初日にアンジェリカ・アダムズが一緒に来ていた時点で、『紅の梟』と何らかの関係があったのは察していたからね。だからって別にどうってことなかっただろう? そんなに深刻に考えることじゃない。ただ——」
「ただ?」
ここでマークの声色が少し変わった気がして、身体をこわばらせうつむいていたビアトリスは、顔を上げて聞き返した。
「君は既婚者だったのか。それだけが意外だったな」
それを聞いたビアトリスは顔が赤くなった。
「ごめんなさい。騙すつもりはなかったんです。どうしても言い出しにくくて」
「エリオット・ブラッドリーという名前はどこかで聞いた気がするが、批評会に出ていたあの人か。なるほど、彼がペンドラゴンならばあそこでの発言も色々腑に落ちる。僕の推論もあながち間違ってはいなかったのか」
ビアトリスは恥ずかしさの余りうつむいてしまった。
「まあ、ちょっと残念な気もなきにしもあらずだけど、君の説明で一通りは把握したよ。ペンドラゴンの正体もね。あそこは、長男は有名だけど、次男の存在は知られてなかったから、噂はあったけど半信半疑だった。君の説明でやっとすっきりしたよ」
「あの、改めて夫からも説明をさせてください。この際、あなたにはきちんと話しておきたいんです」
果たして、ビアトリスはエリオットとセオドアに事の次第を説明し、マークと対面する場を設けた。場所は、「楡の木」の会議室にした。エリオットとセオドアをこちらに呼びつける形になったが、わざわざマークに足を運ぶ手間をかけさせるわけにはいかないと判断したからである。
セオドアは先日来たばかりだが、エリオットは「楡の木」の編集部に足を踏み入れたのは初めてだ。しかも、スポンサーの話とビアトリスが怪文書を受け取ったことについては、彼にとっても寝耳に水だった。傍目にも分かるくらい、彼は落ち着きがなかった。
「ビアトリスに素性を明かさない方がいいと助言したのは僕です。この件についてはエリオットにも相談しませんでした。全責任は僕にあるのでどうか彼女を責めないでください」
セオドアは、開口一番そう言ってマークに頭を下げた。
「いいえ、別に怒っていないので謝る必要なんてありません。僕は別に気にしてないんですが、ビアトリスが正式に話をしたいと言うので」
「ビアトリスの言う通りです。スポンサーの件であなたにはお世話になったのに、隠し事をしていたなんて面目が立ちません。こうやって謝る機会をくださって感謝します」
セオドアもマークも常識的な人間なので、話は穏便に済みそうだとビアトリスはほっと安心した。しかし、隣に座っているエリオットを見ると、何か思いつめたように、青白い顔をしたままじっと固まっている。その様子を見て、一体何を考えているのだろうとごくりと唾を飲んだ。しばらくして話が丸く治まりかけたところで、エリオットが口を開いた。
「僕は何も知らなかった。資金難に陥ったのはそもそも僕のせいなのに、ビアトリスに苦労をかけて、しかも本来関係ない他社の人間まで巻き込むなんて。おまけに今回の怪文書……一体どうなっているんだ?」
エリオットの性格からして、何でも自分で抱え込んでしまうのは分かっていた。だからなるべく彼に責任がいかないように気を付けていたのだが。やはりこうなってしまうのかとビアトリスは嘆息した。
「家から援助を打ち切られたのはあなたのせいじゃないでしょ。それはみんな分かってるわ。むしろ、あなたに負担をかけない体制にするいい機会だったとも言える。何も心配することはないのよ」
「これが心配せずにいられると思う? 僕は何一つ君のためにしてやれない。自分も出版の仕事をしているのに、君が作家になるのに何の役にも立っていないし、それどころかお金の工面までしてもらう始末だ。自分の無能さにほとほと呆れ果てる」
エリオットは、苦い表情で吐き捨てるように言った。彼がここまで感情を露わにするのは珍しい。不甲斐なさと自分に対する怒りでいっぱいといった様子だが、かける言葉が見つからない。セオドアもなす術もなく黙っているしかなかった。
「あのー、すまないが、今後の話をしてもいいだろうか?」
ここで、マークがおずおずと口を開いた。
「もう済んだことはどうでもいいが、問題はビアトリス宛てに来たこの手紙だ。差出人は分からないが、彼女に対する悪意がにじみ出ている。しばらく彼女は仕事を休んで家にいた方がいいのでは?」
「そんな! 私仕事に出たいです! こんな脅しに屈するなんて嫌です!」
ビアトリスは思わず立ち上がって叫んだ。
「でも、職場までそう遠くないが、一人で出歩きするのは危険だよ。一度建物の中に入れば安心だろうが。そうだ、しばらく僕が送り迎えしようか? 幸い、君の家は僕んちと職場の中間のところにある。通勤ついでに君の家に寄れば負担にもならない。しばらくはこっちも定時退社することにするよ」
「でもそんな……」
ビアトリスは、戸惑って無意識にエリオットへと視線を移した。好意はありがたいが、夫がいる手前、彼の申し出を受けていいものかと迷う。その時、エリオットが口を開いた。
「それがいいよ、ビアトリス。この際、彼の好意に甘えよう。君に何かあったら一大事だし、彼なら安心して君を託せる」
ビアトリスは驚きのあまり目を見開いて夫に顔を向ける。まさか彼がそんなことを言うとは思わなかった。
「え? どういうこと?」
「そのままの意味だよ。シンプソンさんならしっかりしているから安心だ。どうかビアトリスをお願いします。こちらが不甲斐ないばかりにご迷惑をおかけしてすいません」
エリオットはそう言うと、マークに深々と頭を下げた。これ以上ビアトリスが何を尋ねても有無を言わせる気配を見せず、ずっと硬い表情のままだった。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
怪文書なんてあいつしかいないじゃん!と思ったら清き一票をお願いします!
「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
ビアトリスは、いつも通りに「楡の木」に出社した。彼女が新連載を始めてから発行部数が上がり、「紅の梟」の新しいスポンサーもマークの口添えにより見つかった。仕事も大分慣れて来て、とんとん拍子に事が進んでいる。四方丸く収まり、向かうところ敵なしだ。自然と彼女の足取りも軽くなる。
しかし、いつもは快活に挨拶を返してくるマークが、この日に限って、難しい顔をして他の社員と何やら話し込んでいた。その手に一枚の手紙らしきものが握られている。そして、ビアトリスを見ると気まずそうに顔をしかめたので、これは何かおかしいと気付いた。
「あれ? 何かあったんですか?」
「いや……大したものじゃないんだけどね。こういうのは、人気が出てきた証拠とも言えるから大げさに捉えなくていいのは分かっているんだけど」
マークにしては歯切れが悪い。何事かと思い、彼の持っている紙を覗く。編集部に届いた一通の手紙らしかった。
「ビアトリスは、今までに一緒に切磋琢磨してきた創作仲間とかいる? ずっとどんぐりの背比べだったけど、ある日君だけが頭角を表して今は疎遠になっている友達とか?」
なぜそんなことを聞くの? とビアトリスはぎょっとした。創作仲間なんていない。創作活動はずっと孤独だった。敢えて言うならエリオットくらいのものだ。マークの言葉の意図が読み取れず、おろおろと戸惑ってしまう。
「たまにあるんだよ。かつて仲間同士で一緒に創作をしていたが、ある日片方が出世してもう片方が取り残されて嫉妬するケースが。もしかしたら今回もそれかもしれないと思って」
「私に嫉妬する人なんて思い当たりません。何があったんですか?」
マークは、黙って持っていた手紙をビアトリスに渡した。書かれた内容を見て思わず青ざめる。そこには「ビアトリス・ブラッドリーの正体について」と題した文章が綴られていた。
「いくら苗字が同じだからって、ブラッドリー家の次男と絡めるのはいくらなんでも……いや、僕も最初はおやと思ったけど、別に珍しくない名前だしね。実は『紅の梟』のペンドラゴン編集長は彼のペンネームだという噂があって、それを元にこじつけたデマだと思うんだ……」
そこには「ビアトリス・ブラッドリーは、『紅の梟』のペンドラゴン編集長が送り込んだスパイで、ライバル誌である『楡の木』の内情を『紅の梟』に横流ししている。更に、同誌のスポンサーを横取りして『楡の木』の資金源を断とうと画策している。ペンドラゴン編集長の正体は、ブラッドリー子爵家の次男エリオット・ブラッドリーで、ビアトリスはその妻である」と書かれていた。
「作品をこき下ろすだけならまあ分かるんだ。批評の自由は誰にでもあるからね。でも、作者の個人攻撃ってことになるとちょっと異常かなって。しかもただの罵詈雑言というよりも内部事情に詳しい者による手の込んだ怪文書だ。ましてや君は女性だ。か弱い立場の君にもしものことがあったら——」
「あの、編集長。お話したいことがあるのですが、会義室をお借りしてもいいですか?」
体が震えるのを何とか悟らせたくないと、ビアトリスは必死に耐えながら声を振り絞った。そして、ここに最初に来た時に使用した狭い会議室に入り、両手をぎゅっと握りしめながら口を開いた。
「ここに書いていることは、確かに悪意に満ちていますが、全て嘘ではないんです。ペンドラゴン編集長の正体はエリオット・ブラッドリーで、私はその妻です」
ビアトリスは、マークの顔を見ることすらできず、目をぎゅっとつぶりながら一気に言い切った。もう隠し立てはできない。そもそも、小説を「楡の木」に投稿するように勧め、細かいアドバイスや修正をして完成度を高めてくれたのはエリオットだ。彼がいなかったら掲載されなかったかもしれないし、連載まで漕ぎつけられたかも分からない。これ以上隠し立てすることはできなかった。
「『紅の梟』は、ずっとエリオットが運営資金を出していたんですが、家から援助を切られて、それで新たなスポンサーを探さないといけなくなったんです。随分困っているみたいだったから、私も役に立ちたいと思い、色んな伝手を当たりました。でも、スパイのために入社したとか、スポンサーを横取りとか全く考えていません。『紅の梟』に選ばれなかったのは本当です。でも、身内になった以上公平な判断ができないから、こちらに投稿しろと夫に助言されたんです。それからは偶然の成り行きです、信じてください」
ビアトリスは、最早涙を流さないように我慢する方に必死で、身体の震えを抑えることができなかった。もっと早く言うべきだった。降って湧いたチャンスに目がくらんで、どうしても本当のことを話せなかった。全ては自分が悪いのだ。
マークは机に浅く腰かける体勢でじっと聞いていたが、やがてふっと笑ってから話し始めた。
「なんだ。そんなことで悩んでいたのか。別に秘密にすることはなかったのに。君が『紅の梟』の関係者だったら連載の話が反故にされるとでも思った? 前に話した通り、競合他社には何の思い入れもない。そんなつまらないプライドや対抗心で本を作ってないよ」
「はい、今では分かってます。もっと早く打ち明けるべきだった」
「それに、初日にアンジェリカ・アダムズが一緒に来ていた時点で、『紅の梟』と何らかの関係があったのは察していたからね。だからって別にどうってことなかっただろう? そんなに深刻に考えることじゃない。ただ——」
「ただ?」
ここでマークの声色が少し変わった気がして、身体をこわばらせうつむいていたビアトリスは、顔を上げて聞き返した。
「君は既婚者だったのか。それだけが意外だったな」
それを聞いたビアトリスは顔が赤くなった。
「ごめんなさい。騙すつもりはなかったんです。どうしても言い出しにくくて」
「エリオット・ブラッドリーという名前はどこかで聞いた気がするが、批評会に出ていたあの人か。なるほど、彼がペンドラゴンならばあそこでの発言も色々腑に落ちる。僕の推論もあながち間違ってはいなかったのか」
ビアトリスは恥ずかしさの余りうつむいてしまった。
「まあ、ちょっと残念な気もなきにしもあらずだけど、君の説明で一通りは把握したよ。ペンドラゴンの正体もね。あそこは、長男は有名だけど、次男の存在は知られてなかったから、噂はあったけど半信半疑だった。君の説明でやっとすっきりしたよ」
「あの、改めて夫からも説明をさせてください。この際、あなたにはきちんと話しておきたいんです」
果たして、ビアトリスはエリオットとセオドアに事の次第を説明し、マークと対面する場を設けた。場所は、「楡の木」の会議室にした。エリオットとセオドアをこちらに呼びつける形になったが、わざわざマークに足を運ぶ手間をかけさせるわけにはいかないと判断したからである。
セオドアは先日来たばかりだが、エリオットは「楡の木」の編集部に足を踏み入れたのは初めてだ。しかも、スポンサーの話とビアトリスが怪文書を受け取ったことについては、彼にとっても寝耳に水だった。傍目にも分かるくらい、彼は落ち着きがなかった。
「ビアトリスに素性を明かさない方がいいと助言したのは僕です。この件についてはエリオットにも相談しませんでした。全責任は僕にあるのでどうか彼女を責めないでください」
セオドアは、開口一番そう言ってマークに頭を下げた。
「いいえ、別に怒っていないので謝る必要なんてありません。僕は別に気にしてないんですが、ビアトリスが正式に話をしたいと言うので」
「ビアトリスの言う通りです。スポンサーの件であなたにはお世話になったのに、隠し事をしていたなんて面目が立ちません。こうやって謝る機会をくださって感謝します」
セオドアもマークも常識的な人間なので、話は穏便に済みそうだとビアトリスはほっと安心した。しかし、隣に座っているエリオットを見ると、何か思いつめたように、青白い顔をしたままじっと固まっている。その様子を見て、一体何を考えているのだろうとごくりと唾を飲んだ。しばらくして話が丸く治まりかけたところで、エリオットが口を開いた。
「僕は何も知らなかった。資金難に陥ったのはそもそも僕のせいなのに、ビアトリスに苦労をかけて、しかも本来関係ない他社の人間まで巻き込むなんて。おまけに今回の怪文書……一体どうなっているんだ?」
エリオットの性格からして、何でも自分で抱え込んでしまうのは分かっていた。だからなるべく彼に責任がいかないように気を付けていたのだが。やはりこうなってしまうのかとビアトリスは嘆息した。
「家から援助を打ち切られたのはあなたのせいじゃないでしょ。それはみんな分かってるわ。むしろ、あなたに負担をかけない体制にするいい機会だったとも言える。何も心配することはないのよ」
「これが心配せずにいられると思う? 僕は何一つ君のためにしてやれない。自分も出版の仕事をしているのに、君が作家になるのに何の役にも立っていないし、それどころかお金の工面までしてもらう始末だ。自分の無能さにほとほと呆れ果てる」
エリオットは、苦い表情で吐き捨てるように言った。彼がここまで感情を露わにするのは珍しい。不甲斐なさと自分に対する怒りでいっぱいといった様子だが、かける言葉が見つからない。セオドアもなす術もなく黙っているしかなかった。
「あのー、すまないが、今後の話をしてもいいだろうか?」
ここで、マークがおずおずと口を開いた。
「もう済んだことはどうでもいいが、問題はビアトリス宛てに来たこの手紙だ。差出人は分からないが、彼女に対する悪意がにじみ出ている。しばらく彼女は仕事を休んで家にいた方がいいのでは?」
「そんな! 私仕事に出たいです! こんな脅しに屈するなんて嫌です!」
ビアトリスは思わず立ち上がって叫んだ。
「でも、職場までそう遠くないが、一人で出歩きするのは危険だよ。一度建物の中に入れば安心だろうが。そうだ、しばらく僕が送り迎えしようか? 幸い、君の家は僕んちと職場の中間のところにある。通勤ついでに君の家に寄れば負担にもならない。しばらくはこっちも定時退社することにするよ」
「でもそんな……」
ビアトリスは、戸惑って無意識にエリオットへと視線を移した。好意はありがたいが、夫がいる手前、彼の申し出を受けていいものかと迷う。その時、エリオットが口を開いた。
「それがいいよ、ビアトリス。この際、彼の好意に甘えよう。君に何かあったら一大事だし、彼なら安心して君を託せる」
ビアトリスは驚きのあまり目を見開いて夫に顔を向ける。まさか彼がそんなことを言うとは思わなかった。
「え? どういうこと?」
「そのままの意味だよ。シンプソンさんならしっかりしているから安心だ。どうかビアトリスをお願いします。こちらが不甲斐ないばかりにご迷惑をおかけしてすいません」
エリオットはそう言うと、マークに深々と頭を下げた。これ以上ビアトリスが何を尋ねても有無を言わせる気配を見せず、ずっと硬い表情のままだった。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
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