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第一話

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勇者アルフォンスの帰還に、村はこれまでにないお祭り騒ぎとなった。

人口100人にも満たない小さな村。年に一度のお祭りだってささやかなものなのに、にわかに王都のような喧騒に包まれ、大人も子供もすっかり舞い上がる。

だが、誰も彼も熱狂するあまり、パレードから目を背け、路地裏の暗がりに身を潜める人物がいることに気付く者はいなかった。歓声にかき消されるのをいいことに、人目もはばからず嗚咽している。

「ちゃんとお祝いできると思ったのに……! やっぱりだめ! おめでとうなんて言えない!」

彼女の名はアンナ。二人は、家が隣同士の幼馴染だった。しかし、今となってはそんな些細なことはどうでもよくなってしまった。アルフォンスは村どころか国を代表する英雄なのだから――。

このようなお祭り騒ぎは今回が二回目である。前回は二年近く前、アルフォンスが勇者に見いだされた時。彼の登場は、魔王の支配に抗う人間たちの最後の希望となった。真の勇者だけが抜けるという「ダモルスフィアの剣」を彼がいともたやすく抜いた瞬間、奇跡の英雄伝説は幕を開けた。

みるみるうちに、田舎の17歳の少年が王都に出向き、国王に拝謁し、魔王討伐を命じられる。アルフォンスは旅の仲間と共に、愛剣ダモルスフィアを手に快進撃を続けた。その旅の途中、魔王によって古城に幽閉されていた王女クリスティーナを救い出し、二人は相思相愛の関係になった。

そしてこの日、魔王討伐前にクリスティーナと共に村に一時帰還することとなり、熱狂的な歓迎を受けているというわけである。

運命の恋人クリスティーナに付き添われ幸せな笑みを浮かべるアルフォンスと、路地裏でみじめに泣きじゃくるアンナ。空気のように当たり前の存在だったのに、どこで道が分かれたのだろう。アンナは泣きすぎたあまりボーッとする頭でこれまでのことを思い返した。

アルフォンスは、年の割には小柄な子で、よくいじめっ子にからかわれた。子供の時はアンナの方が背が高かったので、彼がいじめられている時はすかさず彼女が駆け付けた。

「わっ! フルニョーボーが来たぞ! 逃げろ!」

アンナの姿を認めると、蜘蛛の子を散らすようにいじめっ子たちが逃げる。すると、アルフォンスはすくっと立ち上がってアンナにお礼を言うのだった。

「ありがとう、アンナ。助かったよ」

このように、助けてもらうたびにお礼を言ったが、そう言えば一度も泣き顔を晒したことはなかった。今思うと、別に助ける必要はなかったのだろう。彼は人並み外れて忍耐強い性格だったから。成長するにつれ、苦難を苦難と思わない強靭な精神力を持っていることが知られるようになった。

そのうち思春期に差し掛かり、10代も半ばになると、家が隣同士なのに会話する機会はめっきり減った。疎遠になったのには理由がある。ある日、アンナが村の真ん中にある井戸で水を汲んでいると、水の入った桶の重さによろめいてしまった。すると、ちょうどそこを通りかかったアルフォンスが、彼女を後ろから支えてくれたのだ。

「あ、ありがとう」

しかし、その声は上ずっていた。肩をつかまれた時、久しぶりに見る彼の腕が太くたくましくなっているのにびっくりしたからだ。頭が彼の胸板に当たった時も、いつの間にか身長を抜かされていたことと、ごつんという重低音から胸板が厚くなっているのが分かった。もう、いじめっ子にからかわれるアルフォンスはいなかった。

このことがあってから、前と同じように彼を見ることができなくなった。嫌いになったのではない。むしろ逆だ。彼の姿を垣間見るだけで心がざわめく。これが恋だと知ったのは、少し後になってからだ。

何もなければ、二人ともこの小さな村で平凡な生涯を終えるはずだった。しかし、アルフォンスが17歳の時、ひょんなことから「ダモルスフィアの剣」を抜いたことで運命が大きく変わる。魔王討伐の使命を背負う勇者だと証明されたのだ。

彼はわずか一年で、この小さな村で一生過ごすよりもたくさんの経験を積んだ。忙しすぎて隣の家の幼馴染など思い出す暇もなかっただろう。そして、運命の恋人クリスティーナを救い出し、最終決戦の前に故郷の村に帰還したというわけだ。

「もしかしたら生きて帰って来れない可能性もあるのにどうして笑顔でいられるの?私はこんな些細なことで泣いてるのに!」

「それが人間ってものだよ。何も否定することない」

突然降って湧いた第三者の声に、アンナは飛び上がるくらいびっくりした。まさか、全部見られてた……?

「わっ! あなた誰?」

「誰だと思う?」

相手はやけに人懐っこい笑みを浮かべた。アルフォンスより少し年上の青年で、サラサラ流れるようなシルバーブロンドの長髪に、色素の薄い皮膚。目だけは血のように赤い。おそろしく美しい顔をしているが、余りに美しすぎて、ずっと見てるとだんだん不安になってくる。アンナは戸惑いながら彼に尋ねた。

「パレードを見に来た旅の人……、ですか?」

「まあそんなとこだ。それにしてもすごい熱狂だね。まだ魔王を倒したわけじゃないんだろう?」

「これから魔王城に行くみたいです。生きて帰れるか分からないから、その前に一目故郷を見に来たみたい。でもこれじゃ凱旋パレードみたいですね」

「魔王の脅威が消えたわけでもないのに……。人間というのはのんきな生き物だ」

アンナは青年の言い方が少し引っかかった。そんなこともお構いなしに、彼は質問を投げかける。

「みんな浮かれ切っているのに、どうして君は一人で泣いているんだい?」

「なっ……! さっきからずっと見ていたんでしょう? 本当は分かってるくせに!」

誰もいないと思って人目もはばからず口にした内容を青年は聞いていたに違いない。案の定、彼はにやっとした。

「大体察しがつくが、本人の口から詳しく説明してもらいたくてね」

「お察しの通りですよ! 家が隣で幼い頃に遊んだというだけで勘違いした田舎娘が、己の愚かさを嘆いているだけです! 吐いて捨てるほど転がっている失恋話です! これでいいですか?」

それを聞いた青年は満足したように頷く。そして、甘い声でささやいてきた。

「君は勇者が憎くないの? 至る所でちやほやされ、王女の心まで射止めて、もう別世界の住人だよ? 君の存在なんてすっかり忘れているに決まってる」

「え? 憎い? どうしてですか?」

アンナは一気に毒気を抜かれてぽかんとした。どうして憎いという発想になるの? 全く理解できない。

「魔王との戦いで死ぬかもしれないのに不安な顔一つ見せずニコニコしてるんですよ? 聖人みたいじゃありませんか! クリスティーナ様だって、王女なのに腰が低くて出しゃばらないし! 悔しいけどあの二人の絆は本物だわ。私なんか足元にも及ばない」

今度は青年が面食らう番だった。明らかに彼が予想した内容ではなかったらしい。少し止まって考え直してから口を開いた。

「ねえ、君この後どうするの? このまま、遠くの世界へ行った幼馴染を思いながらこの村で年を取るの?」

すると、アンナは言葉に詰まった。普通に考えればそうだろうが、彼の思い出が染みついたこの土地で生きていく勇気はない。もうどうにでもなれと言うやけっぱちの気持ちの方が近い。

「さあ、どうですかね……。こんな村から出て行って大きい町で働ければいいですけど、何の能力もないし、この土地以外では生きていけないでしょうね」

「今なら、一つ空いてるお城があるんだけど、そこ行ってみない?」

城の使用人として働き口が一個あるという意味だと解釈したアンナは、ぱっと顔を輝かせた。

「それならいいかも! あなた仲介人ですか? それならお世話になってもいいですか? ここを離れられるんならどこでもいいです。家族に一筆書いてきますからちょっと待ってください」

こうして、余りにもあっけなく、アンナは一世一代の決心をして、初対面の青年に着いて行くことになった。

「あれ、馬車はどこですか? 何で来たんですか?」

「ちょっとその、魔力でね」

青年はそれだけ言うと、自分とアンナの周りに竜巻を作り、自分たちの体を宙に浮かせた。アンナが仰天する暇も与えず、竜巻の中に二人は巻き込まれ、気づくと見知らぬ城に着いていた。

そこはまるで別世界だった。黒い雲が立ち込め、木々は枯れ、毒々しいオーラを放つ古びた城がそびえたっている。なんだ、この禍々しい雰囲気は。これじゃまるで……。

「ここどこですか!? っていうかあなた誰?」

「今頃そんなこと聞くの? 普通、決断する前に疑問がわくもんだけど。まあ、俺が思考をいじったからしょうがないんだけどね」

てへぺろみたいな顔で恐ろしいことをさらっと言ってのける。思考をいじられたなんてこれっぽちも気付かなかった。こんな恐ろしいことができるのはこの世でただ一人……。

「もしかして魔王!?」

「やっと分かった? 君鈍感だね」

「どうして魔王様がその辺をフラフラしてるのよ!」

「勇者が油断している隙に村を焼き払おうと思ったんだ。トラウマ級のショックを与えられるだろう? そしたら君を見かけたものだから」

「なんで私を連れて来たの? まさか、闇堕ちさせて魔族の女幹部として育成するつもり?」

「どうしてそんな発想になるの? って言うか、君戦えるの?」

「他に考えられないじゃない! だって囮としては役に立たないもの! 向こうは私のことなんて覚えているかも怪しいし……」

「忘れているってことはないだろうけど、確かに重要度は低いかもな」

さすが魔王だけあって痛いところをえぐる。傷ついたアンナは半べそをかきながら声を上げた。

「だったら何なのよ! 私なんか食べてもまずいだけだし、戦闘力もゼロどころかマイナスですからね! 人質の価値すらないわよ!」

「まあ、気まぐれで連れて来ただけだから、とりあえずくつろぐといい。部屋を貸してやるからゆっくりしなさい」

魔王城でくつろげる人間なんて存在するのか。アンナはまたも抗議したが、魔王は聞き入れず。結局のこのこ後に続き、広々とした客室をあてがわれた。辛気臭いことに目をつむれば、王侯貴族の住まう部屋と同じだ。

天蓋付きのベッドはふかふかして、雲の上にいるようだ。藁を敷き詰めた粗末なベッドとは雲泥の差である。一応小さな鞄に荷物を詰めてきたが、そんな必要がないほどに洋服ダンスにはきれいなドレスがたくさん入っていた。バスルームではお湯も勝手に出る。これも魔王の力なのだろうか? 戸惑いながらも体を清めたあと、置いてあった絹のネグリジェを着て部屋に戻ったら湯気の立った食事が勝手に用意されていた。

(まさか毒が入ってるんじゃないでしょうね!?)

そう思い、しばらく手が付けられないでいたが、腹の虫がグーグー鳴るのには勝てず、恐る恐る口に入れると、びっくりするくらいおいしい。こんなおいしい食事食べたことない。お貴族様がいただくやつだ。アンナは、思いもがけない好待遇に戸惑うばかりだった。

(どうせ罠に決まってるわ! 衣食住を満たすことで私を油断させて闇堕ちさせる気ね! その手には乗るもんですか!)

気分を緩めず徹底抗戦する覚悟だったが、満腹になると今度は睡魔が襲って来た。ちょっとだけ、ちょっと横になるだけと自らに言い聞かせながらベッドにもぐる。そして一分もしないうちに寝息を立てていた。こうして、アンナの長い一日が終わった。

**********

(はっ……! 知らぬ間に寝てしまった! これはもしかして罠!?)

アンナが目覚めたのは、昼近くになってからだった。と言っても、魔王城に陽が差し込むことはないから、日中でも薄暗い。大分寝過ごしてしまったのはそのせいもあるだろう。昨日までは、こんな時間まで寝てたら大目玉だった。我に返ってがばっと身を起こす。

「はわわ~、お寝坊さんでしゅね~。やっと起きまちたか?」

そこへ、大きな扉がギイと開き、一匹のモンスターがふかふかのタオルを手にして、トッテトッテとたどたどしい足取りで部屋に入って来た。えっ、モンスター? 勇者が成敗するあのモンスター?

「うわっ! あなたモンスターね! やっぱりここは魔王城なんだ!」

「一晩過ごしたくせに今頃気付いたんでしゅか。このおどろおどろしい雰囲気、魔王城以外にないでしょ?」

二足歩行のハムスターのような奇妙な形をしたモンスターは呆れたように言った。よく分からないが明らかに弱そうだ。じっと見つめると愛嬌のようなものすらある。これならアンナでも倒せそうだ。

「あなたは誰なの?」

「えっへん! 聞いて驚くにゃかれ? 人間を恐怖のどん底へ突き落とすクモトリネズミとは俺しゃまのことだ!」

クモトリネズミは、ずんぐりした体をめいいっぱい反らして、ドヤ顔で自己紹介した。その姿が図らずもかわいくてアンナはぷっと吹き出した。

「こらっ! そこの人間風情、今笑ったな! 俺しゃまをバカにしゅるとゆるさないぞ! ほれ! 攻撃を受けてみろ!」

そう言うと、クモトリネズミは指先から小さな火花を散らしてアンナを威嚇した。始めこそびっくりしたものの、連続して火花が出ない。頑張って技を繰り出すが、ぷすっという気の抜けた音が出るきりである。どうやら一回限りしか使えないようだ。

「はわわ~、おかしいな? 今日は調子が悪いのかな!?」

「あなたがクモトリネズミさんね。私はアンナ。どうぞよろしく」

アンナが丁寧な対応をしたことで、クモトリネズミは機嫌を直したようだ。

「俺しゃまのすごさが分かればいいんでしゅ! 今日のところは見逃してあげましゅ!」

「魔王様に会いたいの。どこにいらっしゃるの?」

「忙しいお方なのでそう簡単には会えましぇん! 昨日会えたんだからしばらく我慢してくだしゃい!」

「さっきの魔法すごかったわ。腰を抜かすかと思った」

「魔王様なら執務室にいましゅ。会いたければ案内しましゅ」

クモトリネズミは案外ちょろい奴だった。タンスにあったドレスに着替えてから魔王の所へ連れて行ってもらう。魔王は、自分の執務室で何やら書類仕事をしていた。魔王もそんな地味な仕事をするのかと、アンナは目を見張った。

「なんだ。早速なじんでいるではないか。人間の食事というものが分からないから見様見真似でやったが、あれでよかったのか?」

「十分すぎるほどよ、ありがとう……、じゃなくて、私をほだそうったって、その手には乗りませんからねーっ!」

「一体どうした? お礼を言いに来たのか文句を言いに来たのかどっちだ?」

「うっ……! そのどっちもです! アルフォンスにダメージを与えたいからって、なぜか胸が大きく開いた服を着た敵の女幹部にはなりませんからねーっ!」

「胸が大きく開いた服ってなんだよ! わけ分からん!」

魔王はどう反応してよいやら分からず、困った表情を浮かべた。

「だってあなた魔王様でしょ? 魔王様ってすごく悪い奴なんでしょ? 私のことも利用する気で誘拐したんだわ!」

「おぬし、黙って聞いていれば抜け抜けしゃあしゃあと! このお方は口だけ魔王で、実際は大したことができないのじゃあ!」

傍らで聞いていたクモトリネズミが、たまらず割って入る。さすがに魔王は顔を赤くして反論した。

「こら! 口だけ魔王とか大したことないとか失礼にもほどがあるぞ!」

「でも、村を焼き討ちするとか言ってたし、クリスティーナ王女を誘拐したのもあなたでしょ?」

「本当は焼き討ちも略奪もしたいよ! それこそご先祖様はヒャッハーしてたし。でもだんだん先細りしてきて、俺の代になったら勢力が弱くなってた。部下のモンスターたちもあらかた狩られてしまったし、今ある城を守るだけで精一杯だ。昨日だって憎っき勇者に目にもの見せてやろうと故郷の村に行ったけど、本当にやったら返り討ちが怖いなあ……、と考えたらしり込みしてしまって。そしたら、ちょうどいいおもちゃがいたので拾って来た」

「おもちゃって私のこと!?」

「それに、王女を誘拐したのは魔王様じゃないでしゅ。王家に反感を持つわる~い貴族の仕業でしゅ。人間の方がよっぽどあくどいでしゅ!」

アンナは、魔王とクモトリネズミの話を聞いて、うーんと考え込んだ。どうも話が違う。アルフォンスが挑もうとしている魔王はもっと怖いイメージだったけど、今目の前にいる人物は怖くない。こいつは果たして本物なのだろうか?

「それなら、悪ぶらないで和平交渉すればいいのでは?」

「何百年にも及ぶ人間と魔族の争いを『こっちが弱くなったので手打ちにしましょう』なんて簡単にできるわけがないだろう! しかも、さっきも言ったけど、人間だってなかなかワルなんだぞ。自分たちの悪事をこちらのせいにしたり、無抵抗のモンスターまで狩るし。お陰で、最近は保護するだけで関の山なんだ」

「でも、アルフォンスがここに来たら、お互いが死ぬまで戦うんでしょう? そんなの嫌だな……」

アンナが顔を曇らせてぼそりと呟くと、魔王の方もしゅんとなった。

「でも、仕方ないだろう? そういう運命なんだから」

「魔王様だって対決を防ぐ努力はしてたんでしゅ。ダモルスフィアの剣を抜けなくするために地面にガッチガチに固定もしたし。でも、ついメンテナンスをサボったらその間に抜かれてしまったんでしゅ」

「ええー! あれ、抜けないようにしてただけなの? アルフォンスが伝説の勇者だからじゃなくて?」

「大体、伝説の勇者って何だよ? そんなオカルト俺は信じないぞ。昔のように強くないから勇者を出さないように努力してたのに、やっぱメンテを怠ると碌なことがないな」

アンナは顎が外れるくらいに愕然として、しばらく言葉が出てこなかった。

「アルフォンスは、そのために辛い武者修行もしたと言うのに……。これじゃあんまりじゃない。可哀そうすぎる」

「さあ、それはどうかな。勇者になって苦労もしただろうが、運命の恋人を見つけられたじゃないか。しかも王女様だろう? ただの田舎の平民が大出世だ」

「うう……、まだ傷が塞がってないのに塩を塗り込むようなことを……。人間のやることじゃないわ! もう知らない!」

アンナは半べそをかきながらそう吐き捨てると、ぷんすか怒りながら自分の部屋へ戻って行った。

「だから俺は魔王と言ってるだろうが! 事実を言ったまでなのに」

「はわわ~、おなごのおヒスは嫌いでしゅ。しばらくここに居座る気ですかねえ?」

「帰る場所がないからいるしかないだろう。どうせ大したことないから好きにさせてやれ」

こうして、アンナは魔王城に住むことになった。

**********

さて、時間が経ってほとぼりが冷めてくると、やることがないと気付く。平民暮らしから一転、お姫様のような待遇に最初は浮かれていたが、独りぼっちなので何の楽しみもない。魔王も魔王業で忙しいらしく、会う機会は少ない。それに、働き者のアンナは、ただ遊んで暮らすということができなかった。何かと動いている方が気がまぎれる。

「ねえ、暇。ひ・ま~。ここには娯楽がないの? 話し相手になってよチューペット」

アンナは、自分の世話をしてくれるクモトリネズミにチューペットという名前を付けた。何でも昔聞いた話だが、遥か東方の国にそんな名前の氷菓があるらしい。平民のアンナは氷菓すら食べたことがなかったが、ここでその話をしたら、その日の夕食のデザートにシャーベットを出してくれたことがあった。その心遣いにいたく感動して、一番身近にいるモンスターにこの名前を付けたのだ。

「こっちは、アンナみたいにお気楽極楽な三食昼寝付きではないんでしゅ。あ~いそがしいそがし」

「私お姫様じゃないから、お世話されることに慣れてないの。そうだ! 私もお手伝いしてあげる! 魔王城を掃除してもいい? 蜘蛛の巣とか気になっていたのよ?」

「魔王城に蜘蛛の巣は必須アイテムでしゅ! さわやかな魔王城なんてありえましぇん! まあ、掃除だけならいいけど、元のイメージを壊さないでよ?」

久しぶりに体が動かせるとあってアンナは張り切った。ここに来た時に着ていた服に着替え、床を磨いたり窓掃除をしたり。自分の部屋が一通り終わったら、今度は廊下の掃除に着手して階段の手すりもぴかぴかに磨いた。元々働き者として評判だったアンナである。手入れのされていない魔王城を見たら、却ってやる気が刺激された。こうして、どんどん掃除の範囲を広げて行った。

しかし問題が起きた。張り切り過ぎてしまったのだ。チューペットに釘を刺されていたにも関わらず、アンナはダンジョンを攻略する勇者のごとく、全部きれいにしないと気が済まなくなっていた。

ここしばらく魔王は城を留守にしていたが、一仕事終えて久しぶりに戻って来た。そこへ、モンスターたちが慌てて駆け寄って来た。

「魔王様! アンナとかいう娘を止めて下さい! このままじゃ城が光り輝いてしまいます! 勇者がラスボスを倒して浄化された世界みたいになってます!」

モンスターたちの訴えにびっくりした魔王は、すぐにアンナのところへ行った。折しもアンナは、勇者が魔王とエンカウントする予定の、謁見の間の掃除に着手しようとしていた。

「ストップ! スト~~ップ!! これ以上城をきれいにしないでくれ! 魔王城じゃなくなってしまう!」

「どうして? みんなきれいな方が好きでしょ?」

「どうして自分の価値観だけで物事を捉えるんだ? この陰気臭さが好きな奴だっているんだよ! そういう奴らの居場所を奪わないでくれ!」

魔王の必死の訴えを聞いたアンナは、にわかにしゅんとした。

「ごめんなさい……。まさか、きれいなものが嫌いな人がいるとは思わなかったの。この部屋は、アルフォンスと会う予定になっている謁見の間なんでしょ? あなたが本当は悪い人じゃないと説明するためにも、掃除してイメージをよくしたいと思ったの」

魔王は困り果てて頭をかいた。全く、やっていることは嫌がらせに近いのに、本人が善意のつもりでは、どう言葉を返せばいいのか分からない。

「それにしたって、魔王城がきれいだったら変じゃないか。勇者だって場所間違えたかな? と思うかもしれないだろ? やっぱり、おどろおどろしくて気持ち悪いくらいの方が性に合ってる…………、分かった分かった。そんな顔をするな。それなら、お前の特区を作ってやる」

「え? 特区?」

「ああ。お前専用の場所を作ってやる。そこの中でなら、自由にアレンジしてもらって構わない。掃除はもちろん、模様替えも何なら壁紙や床を交換したって構わない。これならいいだろう?」

それを聞いたアンナが目を輝かせたのを見て、魔王もようやく安心した。しかし、アンナは更に要求をして来た。

「それなら、お庭にも特区を作ってもらってもいい? 庭に植物を植えたいの」

「植物? でもここは陽が差さないから、植物は育たないぞ?」

「空を雲で覆っているのもあなたの魔力だと聞いたわ。それなら一か所だけ陽が差すように調整することもできるんじゃない?」

魔王はやれやれとため息をついた。全く、アンナに変な入れ知恵をしたのは誰だろう。

「分かったよ。目に付くとこだとおかしいから、裏庭の辺りなら太陽を出してやってもいい。こんなに要求ごとの多い女は初めてだ」

魔王はぶつぶつ文句を言ったが、アンナの望みをかなえてくれた。こうして、裏庭の一角だけ明るい場所ができ、アンナはそこに花の苗を植えることにした。花の苗も魔王にねだって取り寄せてもらったものである。

「女というものは、ドレスや宝石やらを欲しがると聞いたが、お前は変わっているな。そんな苗のどこがいいんだ?」

「だってドレスや装身具は十分いただいているもの。ドレスは私しか喜べないけど、ここに花を植えとけば、みんなも見られるから楽しめるでしょう?」

「だから言っただろう! 俺たちは暗くてドロドロしたものが好みなんだって。毒沼だってわざわざ塗料を入れて紫色にしているくらいだぞ!」

「そっかあー。でもアルフォンスたちにこれを見せれば説得力が増すわよ。魔王様は本当は優しい方なんですって」

やれやれ。とんだ娘を連れて来てしまったものだ。魔王のイメージが自分の代で崩れたら、ご先祖様に示しがつかない。

これで終わりかと思ったら、アンナの要求はエスカレートする一方だった。

「ねえ、アルフォンスたちはいつになったら来るのかしら?」

「俺に分かるはずないだろ? どうしてそんなこと聞くんだ?」

「彼が来るタイミングに合わせて花を咲かせられるといいなと思って。でもそんな都合のいい話ないわよね?」

魔王はチッと舌打ちしながら、一年中花が咲いていられるように魔法をかけた。アンナが大喜びしたのは言うまでもない。

「ありがとう! 魔法ってこんなこともできるのね! せっかくすごい力持ってるんだから、有効活用したほうがいいわよ?」

「余計なお世話だ。魔王のアイデンティをこれ以上奪うな」

魔王に許可してもらった特区で、アンナは、自分好みの改装を行った。床材や壁紙を明るいものに変え、陽の光が当たる範囲を特区全体にしてもらった結果、魔王城のアンナ特区は見違えるほどに素敵な場所になった。もっともこの「素敵」という言葉は、アンナから見た言葉で、魔物たちにとっては居心地悪い以外の何者でもない。

こうなると、魔王の生活にも少しずつ影響が出てくる。アンナは、今度は食事に不満があるらしかった。

「何だ? あんな贅沢なものでも満足しないのか?」

「そうじゃないの。ただ寂しくて」

「は?」

「一人で食べるより二人の方がおいしく感じる。これからは一緒に食べましょうよ」

魔王は食べなくても比較的平気なのに、アンナの食事に付き合わされることになった。この娘はどこまでつけ上がれば気が済むんだ?

魔王は、静かで完結していた自分の生活が脅かされることに密かに恐怖を覚えるようになった。でも、元の生活に戻りたいという気持ちが強くなるわけではない。むしろ、不思議なことにだんだん薄れていく。

(もし勇者が来たら、この生活は終わりになるのかな)

そう思うと、今まで味わったことのない感情が心の奥底から湧き出てくる。この感情を何と呼ぶのか、彼はどうしても分からなかった。

**********

魔王城に来てしばらく経った頃、アンナが珍しく改まった様子で魔王にお礼を言ってきた。

「ありがとう、魔王。あなたには感謝している」

「何だ、いきなり改まって。散々好き放題しといて、やっと気が済んだか」

「まあ、そうとも言いますけど。新参者の私に城の改装を許してくれたでしょう? きれいなお城は好きじゃないのに。それってなかなかできないことだなと思って」

「今でもモンスターたちは文句たらたらだけどな。でも、特区を許可したのは俺だし、お前は特区から一歩もはみ出ることはなかった。約束を破らなければ何と言うことはない」

「でも、ここまですればアルフォンスたちも分かってくれるかな。あなたと戦うのを思いとどまってくれるかしら」

「前からそればかり言ってるけど、まさか、この俺が負けるとでも思ってるのか?」

「だって、自分で弱体化したって言ってたじゃない? そうでなくても無用な血を流したくないと思うのは人情でしょ?」

魔王は、アンナの言ったことが気に入らなかった。こいつは、俺の魔力を散々当てにしながら、俺のことを弱い奴だと思っていたのか。弱くて頼りない奴だから、勇者に命乞いをするつもりか。

「お前に同情されるほど俺も落ちぶれちゃいない。勇者なんて一ひねりにしてくれるわ」

「ちょっと! あなた戦う気なの?」

「だってそれが魔王の使命だろう? 勇者の使命が魔王を倒すことなら、魔王の使命は勇者を屠ることだ。それのどこがおかしい?」

「自分でも対決を避けたいって言ってたじゃない! 私もそのお手伝いをしたいだけ!」

「お前の出る幕なんて最初からない。それに本当は、勇者にまだ未練があるんだろう? 大好きな幼馴染がやられるところを見たくないから、手段を選ばず止めようと? そんなの通用するもんか。目の前で勇者を血祭りにしてやるよ」

むかついたので、牙のようにとがった犬歯を見せつけながら威嚇してやった。それを見たアンナは真っ青になる。

ほうら、やっぱり。まだ勇者のことが好きなんだ。これだから女ってやつは。さんざん俺を利用しといて、他の男に未練を残してるなんて一番タチが悪い。魔王の方が何倍もマシだ。

「近くの村で勇者の目撃情報があったから、そろそろ着く頃合いだろう。戦闘は激しいものになるだろうから、お前は部屋で布団でも被ってブルブル震えていろ」

魔王の言葉にショックを受けたアンナは、目にいっぱい涙をためながら唇を震わせ、自分の部屋に帰って行った。

やれやれ、これでしばらくあいつの顔を見なくて済む。魔王はほっと安堵のため息をもらしたが、アンナは、それからぱったりと姿を見せなくなった。魔王の前にはもちろん、食事の時間も部屋にこもったままだ。

(よほど俺に言われたのがショックだったのかな。まあうるさいのがいなくなるのは都合がいい)

魔王は、しんと静まり返った魔王城が、やけに寂しいことに気付かないふりをしながらそう思った。

それから数日のち、ようやく勇者の一行が魔王城に到着した。アルフォンスの他に魔法使いや戦士などの仲間、そしてクリスティーナ王女も同行している。

魔王は、謁見の間でアルフォンスたちを迎え入れた。いよいよだ。落ちぶれたとは言え、れっきとした由緒正しき魔王、勇者との最終決戦を控え武者震いがする。できれば戦いたくない相手だったが、これが運命ならば進んで受け入れよう。

「待ちわびたぞ、勇者ども。よくぞここまで来たな。褒めてやると言いたいところだが、ここがお前の墓場だ。我が腕の中で死ぬがいいーーっ!」

いいぞ、いいぞ。魔王は念願のセリフがやっと言えて、さすがにテンションが上がった。これぞ魔王の決めゼリフ。勝負の行方はともかく、魔王としての真骨頂を迎えられたことに彼は満足していた。後は野となれ山となれ——。

「ちょっと待ったあ! 最終決戦に異議あり!」

血を血で洗う決死の戦いの火蓋が落とされた瞬間、突然大扉がばーんと開いてアンナが現れた。そこにいた者たちは、みなびっくりして彼女に目が釘付けになる。もちろん魔王もだ。一番の見せ場だったのに出鼻をくじかれた格好だ。

「アンナぁーっ! お前は部屋にいろと言っただろう!?」

「アンナ? 本当にアンナなの? 隣の家に住んでた幼馴染の!?」

驚いたのは魔王だけではなかった。アルフォンスも、これ以上ないくらい目を丸くして動揺している。まさか、幼馴染とこんな場所で会うとは予想してなかったに違いない。

「そう、そのアンナよ、幻じゃないわ。訳あってここにお邪魔になっているの。アルフォンス、この戦いは無意味だから今すぐやめて。魔王は悪い人じゃない」

「アンナぁーっ! 余計なことを言うんじゃなーい! これは俺と勇者の避けられない戦い——」

「だから、意味ない戦いを避けろと言っているの! あなただって本当は戦いたくないんでしょ? 魔王らしくカッコつけたいだけなんでしょ? これだから男の人は、プライドのために死んだら元も子もないじゃない!」

「アンナ、情報量が多すぎて頭が混乱してるけど教えてくれ。魔王が悪い人じゃないという根拠は何なの? 僕たち魔王の被害の爪痕をさんざん見て来たんだけど?」

「それは全部人間が自分たちのやったことを魔王のせいにしていたのよ。第一、魔王がやってるところ見た人いるの? 証拠はないでしょ? 証言ならいくらでも捏造できる。あとね、魔王はよく城を空けてあちこち出張していたけど、破壊行為じゃなくて、モンスターを保護していただけだったの。戻った時に血のにおいがしなかったし、怪我したモンスターを拾って来ることもよくあったし。たまにその土地のお土産も買ってきてくれたこともあった」

「こら! そんなにベラベラ話すな! 恥ずかしいだろ!?」

「どこが恥ずかしいのよ? もっと説明しなきゃ駄目よ! 他にも知ってる。彼はね、本当はあなたと戦いたくなくてダモルスフィアの剣も抜けないように固定していたのよ。ただ、メンテナンスをサボってたらいつの間にかゆるんで、それをあなたが抜いてしまったというわけ。だから、伝説の勇者とか関係ないの」

これには、アルフォンスも口をぽかんと開けるしかなかった。剣を抜けたのは偶然だったなんて。伝説の勇者とか関係なかったなんて。一年以上に及ぶ冒険が全くの無駄だったということか。こんな結末があっていいのか。

「そうだ、あなた達に見てもらいたいものがあるの。こっち来て」

いつの間にかすっかりアンナが主導権を握っていた。一行は、彼女に言われるがまま、ぞろぞろと続いて魔王城の裏庭へと向かう。

「ほら、素敵なお花でしょう? 魔王の力でこの辺だけ太陽が当たるようにしてもらって、花の苗を植えたの。他にも、魔王城の辛気臭さが嫌いな私のためにスペースを用意してくれて、好きなようにアレンジして構わないと言ってくれたの。このように、本当は心が広くて優しい人なのよ。世間一般のイメージ通りだったら、こんなこと許してくれると思う?」

アルフォンスたちは黙りこくったまま立ち尽くした。にわかには信じがたいが、こうも立て続けに証拠を出されると、長年信じて来たことが揺らいでくる。彼らもどうしたらいいか分からない様子だ。

そんな中、旅の仲間の魔法使いがアルフォンスに進言した。

「アルフォンス、これは魔王の罠に違いない。お前の幼馴染を誘拐して洗脳したに決まってる」

「まだそんなこと言ってるの!? これがそう見える?」

アンナが両手を広げて反論すると、相手は返答の代わりに、大きな火の玉を彼女に向かって投げつけた。さすが歴戦の冒険者。あまりのタイミングの早さにアンナはなす術もない。

「危ない! アンナ!」

そこへ魔王が光の速さで飛んで行き、彼女を抱えてすばやくよけた。魔王のお陰でアンナは攻撃を免れることができた。

「貴様、アンナを傷つけたら殺すどころでは済まないぞ。この私を怒らせない方がいい——」

魔王が凶悪な形相になりアルフォンスたちを睨みつけた。アンナを地面に下ろすと、片手で大きな黒い魔力の玉を作り出して反撃の意思を示す。その時だった。

「待って! 私は彼女の言うことを信じる!」

クリスティーナ王女が突然叫んだ。魔王は王女を認めると、一旦魔力の玉を引っ込めた。

「彼女は洗脳なんかされていない。心の底から出た言葉だと思う。言っていることも本当なのよ」

「クリスティーナ、どうしてそう思う?」

「私には分かる。彼女と魔王の間には変なものは感じられない。あなた、この花園を作ったのも無益な戦いをやめさせたかったからでしょう?」

「そうです! さすが王女様、察しがいい!」

「私には彼女の真剣な思いが分かります。きっと彼女も私と同じなんです。好きな人が傷つくのが耐えられない」

アンナはそれを聞いて、涙が出そうになった。やはり、クリスティーナ王女はいい人だ。パレードの時は嫉妬したが、同時に立派な人なんだろうとも思った。その予感が当たった。

「ねえ、アルフォンス。このまま帰りましょう。そして、父上にこのことを説明しましょう。きっと分かって下さる。長年続いた魔王との戦いを終結させて、平和を取り戻しましょう」

こうして勇者一行は魔王城を出て行った。後にはアンナと魔王が取り残された。しばらくの間二人とも呆然としていたが、アンナがやっと口を開く。

「何と言ったらいいか……、もしかしたら余計なことをしたかもしれません。ごめんなさい」

「今頃冷静になるのかよ! もっと早く正気になれ!」

魔王に怒られアンナはしゅんとした。そんなこと言われたって、彼を助けたい一新で行動したのだ。

「あと、攻撃から守ってくれてありがとう。あんなに素早く移動できるのね、知らなかった」

「勇者と戦ったらカッコいいところも見せられたのに。お前が悪いんだぞ!」

魔王は頬を膨らませてすねたように言った。本来なら、お礼を言わなくてはならないのは自分だとは分かっている。でも、どうしてもプライドが許さなかった。

「そんなこと言ったって……。でも思いとどまってくれてよかった。クリスティーナ様が口添えしてくれたおかげだわ」

「本当にあれでよかったのか? 結局勇者は王女と一緒に帰ったじゃないか。お前としては引き留めたかったんじゃないか?」

「へ? どうしてそんな話になるの?」

アンナはきょとんとして魔王を見つめた。

「だって、勇者のことが今でも好きなんだろ? だからこんなことをしたんだろう?」

「違うわよ! どうしてそうなるの? 傷ついて欲しくなかったのはあなたの方よ!」

「俺が勇者ごときにやられると思ったのか?」

眉を吊り上げる魔王を見て、アンナは本気で腹を立てた。どこまで鈍い奴なんだろう!

「そうじゃなくて! 好きな人が無事でいて欲しいと願うのはそんなにおかしいことなの?」

「へ? 好きな人って誰?」

「バカ! アホ! あんぽんたん! あなたのことに決まってるじゃない!」

魔王は、顔を真っ赤にして言うアンナをまじまじと見た。まさか、そんなことが本当にありうるのか?

「お前が好きなのは俺なの?」

「最後まで言わせんな恥ずかしい!」

沈黙。しばしの沈黙。更に沈黙。やがて、魔王はあーっと声を上げた。

「お前俺が好きだったのか? そうか、そうか! だからここに残ったのか!」

「あーもう知らない! やっぱ実家へ帰らせていただきます! 金輪際さようなら!」

「待て。いや待って。待ってください! ここにずっといてください! 城全部明け渡すから! 全部掃除していいから! モンスターは俺が説得する!」

「知らない! もう知らない! あんたなんかどうにでもなっちゃえ!」

アンナは恥ずかしさのあまり、耳まで真っ赤になったのを見られたくなくて、その場から逃げ去った。魔王は慌てて追いかける。

「俺も好きだよ。誰かと食べる方がおいしいなんて初めて知ったよ! よく見ると花もきれいだし! 太陽だってそんなに悪くない!」

「追いかけてこないでよ! 勇者に成敗してもらうわよ!」

アンナと魔王は、一年中咲き乱れる魔法の花園をどこまでも駆けて行った。その様子を目にしたモンスターたちは、二人がじゃれ合っているようにしか見えなかった。

**********

「はわわ~気が重いでしゅ。まさか魔王城で結婚式を挙げる日が来るなんて思いもしなかったでしゅ」

チューペットは、とってとってと走りながら結婚式の準備をしていた。あれから魔王はアンナの尻に敷かれてしまった。何でもアンナの言いなりで、最早見る影もない。

「元々魔王らしからぬお方でしたが、もっとひどいことになってしまいました。ある意味アンナが勇者みたいなものでしゅ」

アンナは魔王から、魔王城を全てリフォームしていいとの許可を得たが、それは断った。自分の価値観に魔王やモンスターたちが無理に合わせる必要はないと思ったからだ。

「世の中には色んな価値観があると学んだから、無理にはやらないわ。いつかみんなから正式にお許しが出たら改めて考える」

しかし、モンスターたちの中に転向者がぽつぽつ出始めていることが、チューペットは気がかりだった。仕事をサボり日向ぼっこをしているモンスターを最近よく見かける。その都度、自分だけはモンスターの矜持を決して失うまいと心に誓うのだった。

「とは言っても、魔王様が幸せならそれでいいでしゅ。さて、テーブルに飾るお花を取ってくるとしましゅか。結婚式まで時間がありません。はわわ~いそがしいそがし」
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みんなの感想(1件)

dragon.9
2024.03.22 dragon.9

チューペット(笑)
可愛い((o(。・ω・。)o))
ツンデレ執事キャラ(笑)
んで、チョロい(笑)

雑食ハラミ
2024.03.22 雑食ハラミ

お読みいただきありがとうございます!
はい、チョロいですw
魔王城にこんなレベルの低そうなモンスターいないよな!?と気づきましたがかわいいのでよしとしました。

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