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46.心中

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母の髪色と同じ金色の草原にパラソルを指した母が立っている。冴えわたる青空が眼前に広がり、それと同じ色の目をした母は、リリアーナに向かって微笑みかけていた。

(何て美しい母なんだ。私はいつも母に憧れていた。いつか母のような人間になりたいと思っていた)

「お久しぶりです、お母様。お聞きしたいことがたくさんあるんです」

リリアーナはそう呼びかけたが、母は笑みを絶やさぬままで彼女の言葉が届いた様子はなかった。母の方は微動だにしないのに、どれだけ歩いても距離は縮まらない。ただ徒労感だけが積み重なり、焦燥感と泣きたい気持ちがこみ上げた。

そうしてるうちにリリアーナははっと目を覚ました。夢だったのか。目に写るのはベッドの天蓋だけだ。気付くと周りが明るくなっていた。

窓の外を眺めて日が昇ったことを確認する。明日もこの光景が見られるのかしらとベッドの中でぼんやり考えた。ビクトールを信じないわけではなかったが、もしもの可能性を全く考えるなというのも無理な話だ。

「お父様、お兄様おはようございます」

朝の支度を終えたリリアーナは、朝食室に降りて来て父と兄に挨拶をした。普段と変わりない朝の光景。今日は特別な日のはずだが、父が兄たちに命じていつもと変わりない対応をするように指示しているのかと思った。それとも心底自分に興味ないか。昨日の父の様子からするとあり得ないが、今までのことを考えるとついそんな気がしてしまう。

「お父様、ビクトールはいつ来るんですか。カイルも一緒なのでしょう?」

リリアーナはそ知らぬ振りをしてビクトールの名前を出した。家族が決して彼の名を呼ばないことへの、ささやかな抵抗のつもりだった。

「10時過ぎだと思う。ギャレットの長男も来るよ」

会話はここで終わり、後はカトラリーと皿がカチャカチャ鳴る音だけが響いた。これもいつもの光景だ。

10時か。リリアーナは、はやる気持ちとその時が来てほしくないと願う気持ちの狭間で揺れていた。この無機質な家に一番信頼できる人が会いに来るという安心感と、これから何が起きるのだろうという恐怖感で頭の中がぐちゃぐちゃになる。身の置き場がないリリアーナは朝食も殆ど喉を通らず、うろうろと家の中を歩き回り、結局自分の部屋に戻ってベッドに身を投げ出した。

どれくらいそうしていただろう。前日からの疲れが取りきれなかったリリアーナは、いつの間にか眠っていた。再び目覚めたのは、階下で何やら騒ぎが起きているのを耳にしたからだ。

最初はビクトールたちが来たのかと思ったが、それにしては時間が早いし、どこか様子がおかしい。緊迫したやり取りを聞いてリリアーナは緊張で身をこわばらせた。どうやら予想外のことが進行しているらしく、自分が姿を現したらまずいと判断した。

「リリアーナ、今すぐここから逃げるんだ。ギャレットの家に行け」

そう言って部屋に飛び込んで来たのは次兄のナイジェルだった。

「一体何があったの?」

「王室から使者が来て、お前の身柄を寄越すようにと要求してきた」

リリアーナは真っ青になった。ここに来て王室から横やりが入るなんて。ビクトールのやって来たことが全て水泡に帰してしまう。

「俺が彼らの元に連れて行く。下はお父様とジョシュが対応している」

訳が分からない。家族が自分を守るために動くなんて今までならあり得なかった。一体どういうことなのだろう?

そうしているうちに更に階下が騒がしくなった。微かにビクトールとカイルの声がする。彼らが鉢合わせしてしまったのだ。リリアーナは全身の血の気が引いて足がすくんでしまった。

一階から更に激しい魔法の応酬の音がする。ビクトールとカイルも高度な魔法の使い手だ。戦いがより激しくなったのだろう。どんな様子か気になったが、自分が出て行ったら足手まといになるのは分かり切っていたので、何もできぬまま立ちすくむよりなかった。

**********

一方、一階では、ビクトールとカイルがオズワルド父子に応戦していた。カイルは、こういう場面が嫌いではないらしく、血沸き肉躍る戦いに生き生きしていた。

「やはり読みが当たったな。お前の術表し薬がこんなところで役立つとは」

「どういう意味だ?」

カイルの弾む声に顔をしかめながらビクトールが尋ねる。

「王室からの使者と名乗っているこの二人、両方ともルークの取り巻きの家の者だ。あの時薬を飲ませた本当のターゲット。家ぐるみで密かに王室への背反行為をしていて、その真意を探れと父から指令が出ていたわけ。結果は誰に操られたでもなく自分の意思でやっていた。だからこれも命令で来たわけじゃなく、ただのスタンドプレーの可能性がある。王室は関係ないかも」

「そうか。それなら手加減は要らないな」

傍で聞いていたオズワルド公爵は、杖を一振りして一際大きい攻撃魔法を相手に命中させた。どうやら父の方もなかなかの腕らしい。

公爵が本気を出したらあっという間に、二人の使者は床に倒れる結果となった。余りの急展開にビクトールはさすがに驚きを隠せず、折り重なるようにして倒れる二人をただ見ていた。

「時間がない、薬が有効な時間は限られてるんだろう? この使者の正体が何であれ、ここは目を付けられている。彼女を安全なところへ連れて行け」

「それならうちがいい。父も在宅だし、いざという時対応できる」

カイルの提案にビクトールも乗った。そして、リリアーナの部屋に急いで向かうと、ドアの前で待ち構えていた彼女は無我夢中でビクトールにしがみついた。

「今のは何だったの? ねえ、大丈夫?」

「もう大丈夫だ。作戦を変更してこれからカイルの家に行く。心配はいらないから安心して」

このやり取りを見てもオズワルド公爵は何も言わなかった。ただ、追尾されないように目くらましの術をかけておくように指示しただけだった。

三人をジョシュとナイジェルが警護する形で、ギャレット邸へと移動する。無事たどり着くと二人の兄は何も言わず去って行った。今まで敵のように思っていた家族がここに来て自分の味方をするなんて信じられない。どうせなら最後まで恨ませてくれればいいのに。これでは余計混乱するだけだ。

「リリアーナ、大丈夫か。少し休んだ方がいいんじゃないか」

カイルが戸惑いながらも彼女を気遣ってくれたが、リリアーナは首を横に振った。

「私は大丈夫。それより早く取り掛かりましょう。どうやら時間もないみたいだし」

こうなったら腹を括るしかない。自分に残された時間は長くないことを悟った。不安におびえたり感傷に浸る暇は残されていない。自分のためにこれだけの人間が動いてくれている。彼女の言葉を聞いたビクトールは静かに頷いた。

「二人が寝てる間、俺も側で見守っていてもいいか? こうなったらとことん付き合ってやる」

カイルのような肝の据わった人間でも心配を隠せなかったが、ビクトールはにやっと笑って応えた。こんな時でも笑えるビクトールは、やはり一枚上手だ。悲壮感よりもこれからわくわくする冒険に向かうような顔をしていやがる。

「ビクトール。私はどうしたらいいの。何をすればいいの?」

ビクトールは懐から魔法薬の入った小瓶を取り出した。

「これがこないだ説明した魔法薬だ。何度も試行錯誤を繰り返してようやく完成した。リリアーナのことは必ず守る。約束しただろう? 何も心配しなくていい」

リリアーナはじっと小瓶を見つめた。これが二人の運命を決める薬になるらしい。一見透明なただの水に見えるそれは、ビクトールの手の平にすっぽり収まる大きさのガラス製の小瓶に入っていた。ビクトールがリリアーナの中にある鍵を取って来るとはどういう意味なのだろう。結局最後まで聞くことはできなかった。

「薬を飲んだら意識を失ってしまうのよね。その間、このベッドに寝ることになるの? あなたと?」

ギャレット邸の客室で、リリアーナは傍らにあるシングルベッドを不安そうに見やってから、上目遣いでビクトールの漆黒の瞳を覗き込んだ。

「嫌か? それなら俺は別の部屋にいようか?」

「やめてよ! 起きた時あなたが隣にいなかったら不安じゃないの!」

と言いつつ、何もないとはいえ、一つのベッドでビクトールと添い寝する形になるなんて刺激が強すぎだ。この期に及んで顔が真っ赤になってしまう。しばらくじたばたしていたが、不意におかしくなってクスクス笑ってしまった。

「こんな時でも恥ずかしがるなんて変ね。それどころじゃないのに」

もっと取り乱して泣きわめくかと思ったら案外冷静だった。これじゃまるで本当の心中だ。あんなにルークを憎んでいたのに、証拠の残らない毒薬を飲む羽目になったのは自分の方だったなんて普通なら笑えないが、不思議と悔やむ気持ちはなかった。一番好きな人と一緒なら何も怖くない。

「お前らイチャコラしてんじゃねーよ。俺がいること忘れんなよ」

「あなたにも世話になったわ、カイル。色々と骨を折らせてごめんなさい。もっと早くお礼を言うべきだった」

「自分でフラグ立てんなよ! そんな縁起の悪いこと言ってんじゃねーぞ!」

カイルの容赦ない突っ込みに、リリアーナはまた笑ってしまった。

「じゃあそろそろいいか? リリアーナ、ベッドに座って」

ビクトールに言われた通りリリアーナはベッドの縁に腰かけた。ビクトールがその隣に座り、静かに魔法薬の瓶の蓋を開ける。彼は中身を半分だけ飲んでからリリアーナに瓶を渡し、彼女も残りを飲み干して、空になった瓶をサイドテーブルに置いた。

一連のスムーズな行動は、まるで厳粛な宗教の儀式のようだった。そして、ビクトールは、リリアーナを静かにベッドに横たわらせ、自分もその隣に寝転がり、幼子をあやすように胸の辺りをぽんぽん叩きながら子守歌を歌って聞かせた。

「これじゃまるで子供じゃないの。どこの子守歌なの?」

「知らない。孤児院で赤ん坊を寝かす時に誰かがよく歌っていたんだ。いつの間にか覚えちゃって」

低く響くビクトールの歌声が心地よくて、リリアーナはうっとりと彼の方に頭を寄せながら聞いていたが、やがてすうすうと寝息を立てるようになった。ビクトールは、彼女が寝たのを確認した後、カイルに「トトとジュジュをよろしく。覚えてないかもしれないが」と言い残すと、彼も目をつぶった。そして間もなく彼も意識を失ったのが分かった。

「何言ってんだよ……逃げ切りは許さないからな。借りは返してもらうぞ」

カイルは、並んで静かに横たわる二人を見ながら一人呟いた。




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