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3.帝国編

第32章 どす黒い孤独

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 ようやくリリーが重い腰を上げてくれた。学院で自分のサロンを作る気になったのだ。リリーにとってサロンとは、これから宮廷という戦場で自前の軍を作るという意味になる。つまり、王族の一員として自分の務めを果たす覚悟ができたということに他ならない。



 なのに。



「皇女と隣国の侯爵令嬢の留学生と、ついでに隣国の王太子の婚約者まで揃ってるのに、何で誰も寄りつかないの!?」



「みんなクラウディア様に恐れをなしたんだと思います。ほら、先日毒殺騒ぎ起こしたでしょ? 近づいたら何されるか分かったもんじゃないんじゃないですか?」



「何かされたのはわたくしの方でしてよ? でもよく考えたら、リリー様をいじめた連中をサロンに入れるなんて癪に障りますわね……」



「サロンを作ると言い出したのはクラウディア様ですよ!? 今更方針を変えないで下さい!」



 クラウディアとローズマリーのやり取りを、リリーはハラハラしながら聞いていた。せっかく覚悟を決めたのに、早々に頓挫してしまったらどうしよう、もう後戻りはできないのに……と不安が襲って来た。



「リリー様、一朝一夕にどうにかなるものではないから気長に行きましょう。まだ向こうも様子見してる頃ですわよ。リリー様がサロンを作ると心変わりされて驚いているでしょうから」



 リリーの心境を察したかのようにクラウディアが声をかけた。確かにまだ始まったばかりなのだ。慌てても仕方がない。リリーも気を取り直して、次の授業があるからと二人と別れた。リリーが去った後クラウディアはローズマリーに指示を出した。



「こないだリリー様をずぶ濡れにしたグループがあったでしょう。どうせ今頃別のターゲットを見つけていじめているでしょうからそのいじめられている人を探し出してくれない?あと、サロンに所属していない人のリストを作って欲しいの」



「クラウディア様人使いが荒いですよ。私調査とか苦手なんですけど?」



「成果によっては、国王陛下にあなたのことベタ褒めしてあげる。幸いわたくしは陛下の覚えめでたいの」



 クラウディアがふふんと笑って見せるとローズマリーはむすっとしたが、黙って受け入れてくれた。ローズマリーはアレックスで釣るに限る。いい攻略法が見つかってよかったと思った。



(わたくしはアレックス殿下のことを真剣に好きというわけじゃなかったわ。だから婚約破棄もそこまで絶望したわけじゃないのよね)



 じゃあマクシミリアンのことは? という問いが突然頭に浮かんで、一人赤面してしまった。全然関係ないのになぜ今思い出したのだろう。そう言えば、あんまりな別れ方だったのでお互い気まずくて手紙のやり取りもしていない。故郷の人たちとの手紙で間接的に近況は聞いていたが、向こうは自分のことをどう思っているのだろう。あんなことを言ってしまった手前、今更会いたいなんて言えるはずもなかった。



(ファンクラブができたって言うからきっと他の女子に目移りしてもおかしくないわね……わたくしに求められた役割は保護者に過ぎないんだろうし、役目が終わればお払い箱でも文句は言えないわ……)



 保護者が要らなくなったということは独り立ちできたという意味なのだから喜んでいいはずなのに、クラウディアはどうしても心が沈んでしまった。故郷のことを余り考えたくない理由も彼を思い出してしまうからだった。



**********



「随分遅くなったが、皇帝がクラウディアに会う日にちが決まった」



 ロジャーは自らミズール宮の別館までやって来て、クラウディアに伝えた。



「あら、そう言えばそんな話がありましたわね。すっかり忘れていました」



「遅れてしまってすまない。皇帝も忙しい方なんだ。少し会うだけならいいんだが、まとまった時間を作るとなると随分先になってしまう。3日後の夕食を共にすることになった。俺たち兄弟も一緒に」



「長時間お会いになる必要はありますの? 留学の件の最高責任者はロジャー殿下なんだから、皇帝陛下が深く関わる案件じゃないとおもいますが?」



「その通りだが、他にもいろいろ聞きたいことがあるんじゃないか。マール王国の話とか。向こうに置いてきた甥もいるし」



 マクシミリアンのことだ。確かに皇帝の妹であるシンシアの息子がマクシミリアンだから、叔父と甥の関係になる。ロジャーとマクシミリアンは従兄弟同士だ。



「かしこまりました。わたくしも皇帝陛下にお会いしたいわ。どんな方なのか興味あるし。ロジャー殿下に似た方なのかしら」



「さあな。直接会って自分で判断してくれ。じゃ、また夕食の場で」



 ロジャーは笑って答えた。そして常に忙しい人らしく用件を伝えてさっといなくなった。

 

 やがて夕食会の時がやってきた。私的な場なのでかしこまらなくてもいいとは思ったが、それでも少しよそ行きの服を選んだ。今回ローズマリーはお呼ばれされていないので留守番だ。



「悪いわねわたくしだけで。あなたも行けばアレックスの助けになったかもしれないのに」



「別にいいですよ。皇帝なんて気後れしちゃいますもの。緊張して食事も喉を通らなくなるわ」



 ローズマリーの態度はあっさりしたものだった。ローズマリーという人はもっとおしとやかな性格なのかと思っていたら案外ふてぶてしかったので、そのギャップに今でも戸惑う。そんな人でもなければ他人の婚約者を奪うなんて考えなかっただろうが。恋敵と今では共闘しているのが不思議でおかしかった。



 時間になり、クラウディアは夕食の間まで行った。いつも別館で食事をしているのでここに来るのは初めてだ。矢鱈天井が高くて空気がしんとしている。何となく、普段はあまり使われない部屋という印象を持った。皇帝の家族もいつもはめいめいの王宮で食事をしているらしく、ここに一同が集まるのは特別なことらしい。



「あっ、クラウディア! やっほー」



 ティムがクラウディアを見つけて嬉しそうに手を振ったのを、オリガ夫人は小声でたしなめた。



「私もここで食べるのは久しぶりなのよ。家族で食卓を囲むだけなのに緊張するなんておかしいわね」



 リリーが少し自嘲めいた口調で言った。マール王国でもそうだが、王族というものは家族の距離は近くないらしい。



 ロジャーもはす向かいの席に座っているが、いつもクラウディアに見せる顔ではなくどこか畏まっている。よそ行きの顔だ、とクラウディアは思った。



 少しして皇帝がやって来た。皆が立ちあがろうとすると「いい、これはごく内輪のものだから」と言って手で制した。



「久しぶりだな、家族が一同に会するのは。君がマール王国から来たクラウディア・ブルックハースト嬢かね? ロジャーから話は聞いている」



 レオ・シェパード。アッシャー帝国の歴史の中でも名君と名高い皇帝は、近隣諸国にもその名をとどろかせている。内政においては身分の差に関わらず優秀な者を積極的に取り入れ、外交においては強気な姿勢を貫き有利に事を運んでいる。マール王国とは長らく冷戦状態だったが、やっと雪解けになり交流が再開されたばかりだった。第一印象は威風堂々。正に皇帝の威厳が服を着ているようなものだった。壮年と言える年代だが、気力がみなぎっており精悍な顔立ちをしている。



「初めてお目にかかります、皇帝陛下。お会いできて嬉しいです。この度は家族水入らずの晩餐の席にお呼び頂きありがとうございます」



 クラウディアは一度立ち上がって淑女の礼を取り、皇帝に挨拶をした



「いや、いいんだ。本来ならきちんとした席を設けるべきだったが、この方が話をしやすい。マール王国との外交がやっと再開になった記念の事業なのだからもっと早く会っておくべきだった。忙しさにかまけてここまで引き延ばしてしまい申し訳ない。更に学院での件は完全に我々の落ち度だ。帰国されても文句は言えないのに、ここに残ってくれてありがとう」



 ロジャーの話ではとても怖いイメージのある皇帝だったが、特段変わったところはなかった。威厳はあるが、威圧感で人を支配するわけではない。マール王国の国王もこんな感じだったなと思い出した。



「ところで、わざわざ夕食に君を呼んだのは、詳しく話を聞かせてもらいたいからだ。シンシアの息子について」



 皇帝はいきなり本題を切り出した。油断していたクラウディアは食べ物を口にしているわけでもないのに思わずむせ返ってしまった。こんなに早くマクシミリアンの話題になるとは思わなかったのだ。



「えっと! ……というのはマクシミリアン殿下のことですか?」

「そう、ずっと存在が忘れられていた第一王子のことだよ。シンシアと血のつながった唯一の息子だ。君は彼に会ったことがあるそうだね? 学園でも一緒だとか」



「ええ……とても優秀な方だと思います。短期間でたくさんのことを吸収なさって王宮での生活でも適応が早かったです。今では公務も始めたとか」



 マクシミリアンの話題になると落ち着かない。当たり障りのないことを話しているだけなのにどうしてこうなるのか。



「公務か……一度会いたいと思ってるのだがそれは可能かね?」



「会う! ……ってアッシャー帝国に招待するという意味ですか?」



 クラウディアは驚きの余り皿を揺らしてガチャンと音を立ててしまった。マクシミリアンがここにやって来る……? 思ってもみなかったことだ。



「ああ。彼がそれなりの人物だった場合、今後のマール王国との関係の発展に協力してもらおうかと思って。あちらの国王に打診したら渋っていたがね。それを判断するためにも、ぜひ1度実際に会ってみたい」



「……それはマクシミリアン殿下を外交特使として任命するとかそんな話ですか……?」



「それより王族としての務めというかな。縁戚になるとか、養子とか色々あるだろ。王太子は別にいるんだから支障はあるまい。そもそも本来、手駒に数えられていなかった人物だ。まあ、本人を見てみないと分からないが」



 つまりアッシャー帝国人の女性と縁談を組むという意味か。余りの急展開にクラウディアの頭は真っ白になった。マクシミリアンの評判が悪かったらそんな話にはならないだろうが、現時点ではいい評価が皇帝の耳に届いているということなのだろうか。



 クラウディアはすっかり食事が喉を通らなくなった。カトラリーを手にしたまま人形のように動かなくなってしまった。そんな様子をロジャーは無表情で眺めていたが、さすがに見かねたように皇帝に進言した。



「父上、今のお話は余りにも性急すぎるかと思います。まずはこの留学事業が成功しなければ何も進められません。父上のお考えはお察ししますが、マクシミリアン殿下とシンシア妃は別……」



「ふざけるな! そんな下らない感傷で言っているのではない! 政治的に有利か否かそれだけだ!」



 皇帝の激高に触れたロジャーは硬い表情のまま、それから何も言わなくなった。リリーとティムは存在感を消そうとするようにずっと黙っている。リリーがサロンを開くことになったとか、ティムが7歳になったとか話したいことは山ほどあるのに。晩餐は重苦しい雰囲気に包まれたが、クラウディアにはどうすることもできなかった。



「すまない。家族と食事をする時はいつもこうなってしまうんだ。せめて政治とは無関係の話をしようと思っても、いつの間にか執務室と混同してしまう。ロジャーと政策論争を始めて険悪な雰囲気になってしまうのがオチだ。外では皇帝だ何だと威張っているが、本来は不器用な人間なんだよ」



 皇帝は我に返ってクラウディアに弁解するように言った。言ってることに偽りはないのだろう。本当に不器用な人だと思った。



「むしろその方が人間らしくて安心しますわ」



 クラウディアは何とか笑顔を作って取り繕った。



「陛下はご多忙でいらっしゃるからなかなか家族との時間を取れないのは仕方のないことです。皇帝という責務は常に臨戦態勢でしょうから、ご心労も相当だと思います」



「実際孤独だよ。どす黒い孤独だ。その孤独に耐えられるかが最も必要な資質だと思う。ああ、また家族の前で言う話ではなかった。すっかり皇帝が板に付きすぎて、それ以外の役割ができなくなってしまった。本当にいかんね」



 皇帝は苦笑いをした。その表情を見るとロジャーに似ている。やはり親子なのだ。ロジャーも皇帝に即位したらこんな感じになるのだろうか。少なくとも今のロジャーは軽いところがあるし今の皇帝ほど気難しくはないけど、それも皇太子時代だけに許されるモラトリアムに過ぎないのだろうか。何となくロジャーには父のようになって欲しくはないとクラウディアは願ってしまうのだった。

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