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3.帝国編

第30章 アッシャー帝国の休日

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クラウディアの毒殺未遂? 事件はマール王国にも速やかに伝えられた。報告を受けた国王はアレックスとマクシミリアンにその話を伝えた。



「嫌がらせで食事に石を入れられたら、毒殺されかけたと話を大きくして外交問題に発展するぞと脅したのか。本当に機転の利くお嬢さんだな」



「感心してる場合じゃないよ! クラウディアは危害を加えられたんだよ! ロジャーは何やっているんだ!」



 マクシミリアンはショックのあまりいてもたってもいられなかった。今すぐにでもクラウディアのところに飛んでいきたい。彼女が心配でたまらなかった。



「証拠を持ったまま学院長室に怒鳴り込むなんてスゲーな! クラウディアしかできない芸当だよ! 今回の人選は成功でしたね、父上」



 アレックスはゲラゲラ笑いすぎて涙が出ていた。



「笑い事じゃないよ! 命に別状がなかったからいいようなものの、これ以上は危険だからすぐに戻すべきだ。父上、どうかお願いします」



 マクシミリアンは真剣に頭を下げて懇願した。しかし、国王はそのつもりはないようだった。



「起きたことの処分はきちんとやってもらう。彼女を守るのが向こうの義務だ。だが、これで打ち切りにするつもりはない。むしろ相手の弱みを握ったこちらが有利に事を運べるチャンスだ。あちらに借りを作った形になるのだから」



「何でみんなクラウディアを利用することしか考えないんだ!」



 マクシミリアンは怒りのあまり叫んだ。誰もクラウディアのことを心配していないことに腹が立ったし、そういう自分も何もしてやれないのが悔しかった。



「落ち着けよ。この程度のことでクラウディアが駄目になると思うか? むしろ養分にするタイプだぞ。あいつのこと好きなら信じてやれよ」



 アレックスに諭されてマクシミリアンは急に恥ずかしくなった。確かに彼女なら乗り越えられそうな気がする。でも彼女だって傷つくはずだ。そんな彼女の心を誰が気にかけるのか。せめて自分だけは彼女のことを考えていたかった。



**********



「よっ、おはよう。クラウディアちゃん。じゃあ行くか」



 皇太子らしからぬラフな格好をしたロジャーが迎えに来た。いつものギラギラしたオーラはどこへやら、屋台でジュースを売っててもおかしくない格好だ。クラウディアはギャップに驚かざるを得なかった。



「俺様オーラは出し入れ可能ですのね……これじゃその辺の庶民と変わりありませんわ」



「俺くらいになると擬態する能力も必要なんだ。敵の目を欺くのに好都合だろう? 因みにこれは『地方から出てきて物価高の都会で暮らすためにバイトに明け暮れる青年』という設定だ」



「設定細かいですね!?」



「私は留守を預かりますので、久しぶりに息抜きしてきてください。ローズマリー様は行かれないんですか?」



「日焼けしたくないから私は遠慮しとくわ。いい雰囲気のお二人を邪魔するような無粋はしたくないし」



 アンの質問に対し、ローズマリーは雑誌をめくりながら興味なさそうに答えた。



「さすがローズマリー嬢は気が利くなあ! それじゃ行くか、クラウディアちゃん」



「ちょっと、ローズマリー様、わたくしを助けてくれてもいいんじゃないの?」



「今回の任務にデートの監視は入ってないので。ゆっくり楽しんで来てください~」



 ローズマリーはソファに横になったままひらひら手を振った。こうしてクラウディアとロジャーは車に乗って街まで出て適当なところで降りて歩き出した。



「ここにはいつも食べ物の屋台が出ているんだ。屋台と言っても味は本格的だぞ。マール王国にはこういうのはないだろう?」



 ここは商業施設が立ち並ぶ繁華街らしく、賑やかさと活気にあふれ、老若男女が所狭しと歩いていた。更に道の両側に屋台が出ている。この人ごみの中に入ってしまえば皇太子と隣国の侯爵令嬢が肩を並べて歩いていても気付く者はいないと思われた。



「うちはお祭りの時でもなければこんなに屋台が出ることはないわ。人々のエネルギーが満ちて混沌としてますわね。秩序だった王宮とは対照的」



 クラウディアは初めて見る光景に目を奪われた。今まで王宮と学校の往復だけだったので、アッシャー帝国の本当の姿に触れたのが新鮮だった。ごちゃごちゃした色彩と雑音と食べ物のいい匂いが五感を刺激する。



「身分の高い方は屋台の食べ物なんて食べないものと思いましたわ。こういうのは庶民が食べるものって下に見る傾向があるでしょう?」



「俺はこっちの方が好きだけどな。頭を空っぽにして腹いっぱい食べるのが好きだ。生きている実感が湧く」



 ロジャーの目は生き生きと輝いていた。すっかり庶民に紛れて楽しそうに歩く姿を見ていると、元々こうだったのではと錯覚しそうになる。今の皇太子という立場に彼は本当に満足しているのかと、ふとそんな疑問が頭をよぎった。



「この分だと、しょっちゅう変装して街で遊んでいるのではなくて?」



「人聞きの悪いことを言うな。視察だ、視察」



 余りの情報量の多さに何を買ったらいいか分からないクラウディアのために、ロジャーはミックスフルーツのジュースを買ってやった。マール王国にはない果物がたくさん入っており、果実のツブツブが残っていておいしい。人込みの熱気で喉が渇いていたクラウディアは一気に飲み干した。



「冷たくておいしい! 王宮で上品にカットされた果物は食べたことあるけど、こっちのほうが好きだわ!」



「そうだろう。お次はこの肉を食べてくれ」



 スパイスをまぶした肉の串を今度は渡された。これもマール王国では食べたことのない味だ。アッシャーの王宮でも出たことがない。よく焼けた肉の匂いとスパイスの風味が食欲を刺激した。がぶりと嚙みつくと、肉汁があふれ地面に落ちた。



「貴族の令嬢はこんな野蛮なところ嫌だという者もいるんだが、クラウディアは平気みたいだな」



「あら、面白いじゃない。何でも初めてのところは楽しいわ。世の中は自分の知らないことばかりだもの。生きているうちに一つでも多くのことが知りたいわ」



 久しぶりに羽を伸ばした気がする。国の代表として失敗は許されないということばかり考えてきた。学院で生徒に嫌がらせを受けるくらいどうってことないと思っていたが、やはり嫌なものは嫌だ。実は相当ストレスがたまっていたのだなということが、今になって分かった。



「たくさん食べるのはいいけど食べ過ぎには気を付けろよ。ダイエットしてるお嬢さんが多いけどクラウディアはしてないの?」



「ちょっと前までしてたけど今は何も。マクシミリアン殿下が怪我をしたわたくしを運べなかったのがきっかけですが」



「俺なら軽々持ち上げられるぞ。何なら今、お姫様抱っこしてやろうか?」



「やめてください! こんなところでお姫様抱っこする人いないでしょう!?」



 それを聞いたロジャーは大笑いした。また遊ばれてしまった。冗談と分かっているのにいちいちまともに反応してしまうのが恥ずかしかった。



「次はちょっと座って食べよう。といっても外にある簡単なテーブルとイスだが。本日のメインディッシュ、海産物のドラム缶焼きだ」



 大量の貝やら甲殻類やらが盛られた大皿が目の前にどんと置かれた。その余りの量にクラウディアは驚いた。



「これどうやって食べますの?」



「どうもこうも、手で剝いて食べるんだよ。貴族のマナーじゃ絶対駄目なやつだぞ。動物みたいにがぶりつくんだ。上品さの欠片もないができるか?」



 クラウディアは一瞬ひるんだが、おいしそうな食べ物を前にして我慢することはできなかった。



「できますわ! 今日は侯爵令嬢のクラウディアはお休みですわよ!」



 こうして二人は食欲に任せてたらふく食べた。他にもデザートは別腹と言いつつ甘いものを食べ、これ以上ないくらいに満腹になった。



「どうしましょう。夕飯はお休みしようかしら」



「俺はまだ食えるぞ。でも流石にもういいか。嫌なことがあった時はうまい物をたらふく食って寝るのが一番だ。今日は楽しかったか?」



「ええ楽しかったわ。アッシャー帝国がこんなに素敵な場所だとは思いませんでした」



 ふと、ロジャーは自分を元気づけるために誘ったのかと思い当った。デートなどと言ったのは彼なりの照れ隠しだったのかもしれない。



「今日はありがとうございました。実のところ少し疲れていたのかもしれません。これで明日からまた頑張れる気がします」



「お、何だ急に改まって。俺は帝国のいいところを教えたかっただけだぞ。これから自分の住む国がどんな場所か知っておく必要があるだろう」



「だーかーらー! そんなことにはなりませんって言ってるでしょう!」



 またロジャーはあははと笑った。こうやってじゃれ合っていると本当の恋人に見えるらしく、通りすがりの通行人が「ラブラブだね!」と冷やかしたので、クラウディアは顔が赤くなってしまった。



「もう、殿下は私で遊びすぎです! 他のお嬢さんにもこんな軽口叩いてるんですか?」



「軽口じゃない」



 ふと、ロジャーの声が低くなったので、クラウディアはびくっとした。



「本当にクラウディアみたいな人を妻にできたらいいと思ってるよ。でも俺は皇太子だから自分の希望なんて通せない。婚姻は政治的なものだから。地位が高くなればなるほど自由に人を動かせるようになるけど、自分のことは何一つ自由にならない。皮肉なことだよ」



 クラウディアは何も言えなかった。夕日に照らされたロジャーの横顔はとても魅力的だったが、寂しそうな影が差していた。迎えの車に二人で乗り込んだ後はお互い会話が少なかった。疲れていたというのもあるが、それだけではないことを二人とも知っていた。

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