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2.学園編

第15章 王子、森でご学友をみつける

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マクシミリアンは王宮に移り住んでからというもの、森に足を踏み入れたことはなかった。王宮の庭園を散歩することはあったが、植物を詳しく観察する気にはなれなかった。自分はこれから新しい世界に飛び込むのだからと、意図的に避けているところもあった。彼にとって森の中とは、寂しい心を紛らわせたり何かに没頭するためのシェルターだ。だからそこに戻るのは逃避している気持ちがして何となく抵抗感があったのだ。だが、久しぶりに足場の悪いけもの道を歩いて、獣や鳥のやかましい声に囲まれながら、木漏れ日が差す薄暗い景色に自らを同化させ、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込みたくなった。



 王都には、彼が通ったような森はなかなかない。学園の敷地内に木々が生い茂った一帯があったが、人の手が加えられていて簡単に出入りできるように整備されていた。今はこれで十分だと、彼は高級な革靴を履いたまま中にずんずんと進んだ。誰もいないところで一人きりになりたかった。



 クラウディアに話したら、きっと自分の代わりに怒ってくれる。彼女はいつも自分の味方だから全力でかばってくれる。それは確かに心強かったが、今はそうするべきではないと思った。これは自分で解決しなければいけない問題だ、そんな気がした。



 マクシミリアンは歩きながら色々考えた。母親は非友好国に嫁いできてどんな気持ちだったのだろう。父親の寵愛を受けても見えないところで嫌がらせが絶えなかったとシーモア夫人が言っていた。そんな孤独な立場でミランダ夫人の存在は大きかったのだろう。母の日記でも、ミランダ夫人と会った日は嬉しかったらしく、生き生きした描写で出来事がつづられていた。ミランダ夫人も病弱で社交的でなかったから、お互いの寂しい心を慰めるうちに無二の親友になったのだろう。結果的にその親友が母親の死の原因を作ったと判明した時は、真実は呆気ないものだと感じた。カップを間違えるなんて、何てつまらない事故だろう。でもあの日、二人が少女時代に戻ったようにはしゃいだ背景には、耐えがたい孤独と抑圧があったのかもしれない。もし母親が間違って薬を飲んでなければ?もし死因がすぐに判明されていたら?シーモア夫人が手紙をすぐに父親に見せていたら?自分は予定通り王太子としてアレックスの代わりに即位していたのだろうか。その時はクラウディアが婚約者になっていたのだろうか。そんな意味のないことを考えていたが、過去に「もしも」は存在しないと悟って打ち消した。



 歩みを進めると、カラニの実がぽとぽとと落ちていた。カラニはちょうど今の季節に赤い実を付け、実は生で食べられる他、ジャムなどにも使われる。どこでも手に入るので、主に平民に親しまれる食物だ。マクシミリアンはこの素朴な味が好きだった。よく色づいた実を選んで、枝からむしり取り口に放り込んだ。最初に甘みが、遅れて酸味が口の中に広がり、同時に懐かしさもこみ上げてきた。元の生活に戻りたいとは思わない。新しい世界を知ってしまった今、前に進むことしか考えられない。しかし、前に進むということは舗装された道を歩くのではなく、何もないところに道を作って自ら切り開かなければならないものなのだとここに来て痛感した。



「カラニ集めてんのか?」



 突然声がして、マクシミリアンは飛び上がるほど驚いた。人の気配はしなかったはずだ。振り返ると、カラニの木の傍に、褐色の髪をした身長180㎝くらいの大柄な生徒が立っていた。第一印象は熊だったが、確かに学園の制服を着ている。人が近づいていたことに気付かないくらい思索に没頭していたのだろうか。



「集めてるわけじゃないけど、つい懐かしくなって食べたんだ」



「貴族がカラニを懐かしがるなんて珍しいな。主に平民が食べるものなのに」



「うん、村の学校に一時期行ってたから……そこで植物のこと色々教わったんだ」



「貴族なのに寮に入らず平民の学校へ……? ってその髪と目は、もしかしてこないだ入学してきた王子?! 何でこんなところにいるんだ?……つーかいらっしゃるんです?」



 マクシミリアンが入学したことは学園で知らぬ者はいないらしい。おまけにこの見た目では隠しようがなかった。



「ああいいよ、丁寧な言葉の方が慣れてないからこのままで。君こそこんなところにいてどうしたの?」



「授業をさぼっている。お前もそうなんだろ……いや、殿下もサボられているとお見受けしますが」



「だから敬語じゃなくていいって。言い方もちょっとおかしいし。まあ僕もサボり……ってことになるのかな。入学してそんなに経ってないのに、これじゃあ先が思いやられるね」



 マクシミリアンは自嘲交じりに苦笑した。



「まあ、慣れてきたと思えば……あっ、自己紹介が遅れました。わたくしめはドン・ジャイルズと申します。3年生であります。」



 ジャイルズ、ジャイルズ……マクシミリアンは、クラウディアから教わった貴族たちの中にジャイルズという名があったのを思い出した。父は確かジャイルズ男爵、領地は国の南東にあり、肥沃な土地は農作物の生産が盛ん。一男一女がいる。座学では覚えるのが大変だったが、実際の人物を見ると頭に入りやすかった。



「よろしく、ドン。君も植物のことは詳しいの? 僕は植物学を専門に学びたくて大学に入るために学園に入学したんだけど」



「はっ、わたくしめもいささか興味ありまして多少かじっております……敬語難しいので普通に喋っていいっすか?」



「気を遣う必要はないよ……それより多少かじっていると言ったけど君も大学行くの?」



「はっ、小生は、じゃなくて俺は長男なんで、家督を継がなきゃいけないから行きたくても行けないんです。薬を買う余裕がない平民が使う薬草にどれだけの薬理効果があるか研究したいんですが」



「それは僕も興味ある。お金がないから薬草を使っているのか、あるいは本当は薬にも匹敵する効果があるのか疑問に思っていた。もし後者なら薬草の成分を抽出して新しい薬を作ることもできる。それを平民たちに還元することもできる」



 話しているうちに、心の中を占めていた重しが軽くなるのを感じた。こっちに来てから不慣れなことばかりだったけれど、久しぶりに好きな話題を話すことができて心の中が潤う感じがした。しかも、今まで自分だけのものだった趣味について、一緒に語れる友人ができたのは、彼の中で大きな出来事だった。



「話すうちに気が楽になってきた。悩み事なんて忘れちゃったよ。付き合ってくれてありがとう。そうだ、君、僕の『ご学友』にならない?」



「ご、ご学友?!」



「クラウディアに学園に入ったら友達を何人か作らないといけないって言われたんだ。今までそんなもの必要ないと思ってたけど、やっぱりいた方が心強い。クラウディア達にも会ってもらいたいから、明日のお昼に紹介するよ」



「あのブルックハーストの令嬢?! やはり第一王子に乗り換えたという噂は本当だったのか……本当に会わなきゃ駄目ですか? 植物の話がしたいならいくらでも相手をするんで……」



「大丈夫だよ、クラウディアもグランもみんないい人だよ。ドンもきっと気に入るよ」



「はあ……何かすごいことに巻き込まれてしまった気がするけど、王子の頼みは聞かないわけにいかないし……分かりました」



 ドンはがっくりとうなだれ承諾した。クラウディアがとてつもなく恐れられているのか、ドンがただの怖がりなのか、マクシミリアンは理解できなかった。



 そして翌日の昼休み。



「ドン・ジャイルズが殿下と同じ趣味を持っていたとは知りませんでしたわ。植物の話相手としてはいいのでなくて?家柄にも問題ないみたいだし」



「そうだな。親父さんは出世街道からは外れているが、領地が豊かなので家は安定している。人畜無害な熊と思えばどうってことない」



「ちょっと、何で俺値踏みされているんですか? だから怖いって言ったのに」



 クラウディアとグランが評価を下すのを見てドンは怯えていた。見た目はどっしりしているが、実は臆病らしい。



「別に取って食べるわけじゃございませんわ。殿下のご学友とあらば身体検査をされるのは必然ですわよ、ドン先輩。殿下に変な虫が着いては大変ですから」



「殿下の趣味ならいくらでも付き合うので虫扱いはやめてくれ! やはり、『ブルックハーストの娘が第一王子に媚薬を盛った』という噂は本当だったのか……そうでなければこんな」



「なんですって? どこまで噂が大きくなっているのよ?! 媚薬なんて誰が言ってたの?」



 クラウディアは流石に聞き捨てならないとばかりに声を上げ、グランにたしなめられた。



「でも僕、クラウディアなら媚薬盛られてもいいよ。あってもなくても結果は同じだと思うけど」



 マクシミリアンは一人のん気ににこにこ笑っていた。



「これでご学友第一号だね。よろしく、ドン」
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