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1.旅立ち編

第4章 忘れられた王子

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クラウディアは湿布と包帯を巻いた足をオットマンに乗せ、リビングルームのソファに横になっていた。



 迷子になっていた時間は長くなかったので、サンデル夫人にはそれほど迷惑をかけずに済んだ。元凶のジ ュリアンはこっぴどく叱られ、クラウディアの溜飲が少し下がった。チロルはクラウディアより先に戻って来ていて、こちらも丸く収まった。



 それより、今まで隠されていた第一王子の存在だ。正確にはまるっきり極秘というわけではなかったが、貴族たちの間でさえほとんど忘れられていた。



(確か国王陛下には若いころに死別した奥様がいらしたのよね。隣国のアッシャー帝国から嫁がれた奥様が。その方との間に子供がいたという話は聞いたことがあるわ。でもその子は母上が亡くなられた後、赤ん坊のうちに隣国へ戻されたという噂じゃなかった?)



 マール王国人は髪も目も肌も色素が薄いのが特徴だ。マクシミリアンは肌は白いものの、黒い髪と目は母親譲りらしい。しかしよく見ると、目鼻立ちは父親の国王に似ている。クラウディアの感じた既視感の正体はこれだったのだ。



(でも早くに奥様を亡くし、後妻をという声も強かったけど陛下は再婚なさらなかった。その代わり早世した弟君の息子であるアレックス殿下を養子にして、王太子に任命したんだっけ。マクシミリアン殿下がいらっしゃるのになぜ? 再婚をためらうほど愛した奥様の忘れ形見なのに冷たくない? あの陛下がそんなことをするとは思えないのだけど?)



 公式行事に参加したことはなく、その姿を見た者は殆どいない。サンデル夫人は流石に知っていたが、近くに住んでいるのに会ったのは2年ぶりと言っていたし、あれだけ顔の広い夫人でも接点は少ないようだった。会ったのは一瞬だけだったが、存在を隠されるほどの重大な欠陥があるようには見えない。確かにちょっと頼りなかったけど悪い人ではなかった。彼の情報についてはかん口令が敷かれているらしく、サンデル夫人も多くは語ってくれないし、別荘の使用人に聞いても新しい情報は得られなかった。つまり、世間との交渉を一切断っているのだ。あんなに若いのに隠遁者みたいな生活をしているの? そんなこと可能なの?



「本当に訳の分からないことだらけね。こうなったらこっちから調べに行ってやるわ。こないだ助けて下さったお礼も直接したいし。足が治ったら行動開始よ」



 正直ここの生活に飽きてきた頃だった。クラウディアの性分として田舎ののんびりした生活は合わず、頭を働かせ何かと動いている方が気が楽なのだ。掘り出してまずいものが出てきたらその時は引き返せばいい。何よりふわふわした雰囲気の、どこか浮世離れした少年に興味があった。彼のことをもっと知りたいと思った。



「まずはお礼状を書くことから始めないと。ねえ、お茶が冷めたから入れなおしてくれない?」



 クラウディアは使用人に声をかけた。



「かしこまりました。そう言えば、最近お嬢様がお茶請けのお菓子を召し上がって下さらないとコックが嘆いていましたよ。一体どうされたのですか?」



「ダイエットを始めたのよ。まだ足が治ってないから動けないでしょ。でも今から甘いものは控えないとね」



 クラウディアは本気でダイエットを始める気のようだった。



**********



 数日後にお礼状の返信が届いた。そこには礼を言うには及びませんという定型文の他に、直接訪問してお礼を言いたいという申し出を受ける旨が書かれていた。最悪無視されることも覚悟していたため(むしろ事前情報からはそちらの確率が高かったが)、その結果に驚いた。人嫌いの世捨て人がクラウディアの訪問を受け入れるとは、これはいい兆候かも?幸い足の捻挫も快方に向かっていたので数日後に約束を取り付けた。



 マクシミリアンに会いに行く日は、なるべく清楚に見えるワンピースを選んだ。プラチナブロンドの髪に緑色の瞳、はっきりした目鼻立ち、吊り気味の目につんとした鼻のお陰できつい性格と思われがちだ(それもあながち外れてはいないのだが)。油断するとけばけばしく見えてしまうと自認しているので、相手に警戒心を持たれないようレースの装飾が控えめな白のワンピースを選んだ。同色の手袋につば広の帽子、籠にはコック自慢の焼き菓子を入れた。久しぶりに腕を振るえてコックも満足したようだった。



 どんなお屋敷に住んでいるのかしら? 誰と一緒に住んでいるのかしら? ドキドキしながら屋敷の門をくぐった。第一王子という肩書きにしてはやけに質素な、こぢんまりとした建物だ。これなら裕福な商人の屋敷の方が立派かもしれない。庭は広く、様々な花や低木が植えられていて散歩には不自由しなそうだ。そう言えばあの日、なぜ彼は森にいたのだろう? そんなことを思いながら扉のベルを鳴らした。出てきたのは異国の装束を身にまとった40代くらいの婦人だった。



「クラウディア様ですね。ようこそおいでくださいました。どうぞ中にお入りください。殿下がお待ちです」



 慇懃ではあるが、やや事務的な口調だった。この服装は……確かアッシャー帝国のものだ。ということは、この人は亡くなられた奥様の使用人? 祖国に戻らずここで王子に仕えているの?



 謎が次々に頭に浮かんだまま、クラウディアは応接室に通された。そこには、先日とは違い、ベストに上着姿のマクシミリアンが待っていた。クラウディアを認めるとぱっと顔を輝かせたものの、すぐにおどおどした態度になって視線を床にさまよわせた。



「お招き頂きありがとうございます。マクシミリアン殿下。直接お礼を申し上げたくて参りました。クラウディア・ブルックハーストでございます。先日は——」



「堅苦しい挨拶はいいよ。というか、余り慣れていないんだ。そういう教育受けていないから。あなたも敬語はやめて僕のこともマックスでいい。とにかく座ってください」



 第一王子に相応しい礼節を、と思ったが、早々にその必要はないと言われてしまった。しかし簡単に崩せるものではない。貴族社会ではこれが普通なのだからその流儀から逸れることのほうが却って難しいのだ。



「殿下に愛称で呼ぶなど恐れ多くてわたくしにはできかねます。せめて殿下とお呼びすることはお許しください。こちらもなるべく打ち解けた雰囲気を作りますから」



「気を使わせてごめん。余り人と会ったことがないから距離の取り方が分からなくて……仲良くするためには距離を近くすればいいというものでもないみたいで……人付き合いって難しいね」



 マクシミリアンは弱々しく、くしゃっと笑った。こないだは森で遭難しかかっていたのでそれどころではなかったが、よくよく見ると父親の国王に似て端正な顔立ちをしている。漆黒の髪と目は吸い込まれそうになるほど深く、どこかエキゾチックな魅力もあった。もっさりした髪型とおどおどした態度でかなり損をしているが、少し手を加えれば誰もが見惚れる立派な王子様になるのではないか。ついそんなことを考えてしまった。



「とんでもありませんわ。殿下がお優しい方というのはすぐに分かります。先日も自らわたくしを森から連れ出してくださって……まさか助けてくださったのが王族の方だなんて思いませんでしたわ」



「あっ、それは言わない約束で……僕くらいの年齢なら女性一人くらい担げるのは普通なのに……格好悪いところを見せてしまって恥ずかしい……」



「まあまあまあ! あの時殿下が来て下さらなかったら、わたくし今頃熊の餌になってましてよ! そして幽霊になってあのジュリアン坊やを呪っていたはずです」



 マクシミリアンはぷっと吹き出した。



「あの森に熊はいないよ。そんなに大きな森でもないし。でも結構珍しい植物が生えていて、あの日はそれを採取に行ってたんだ」



 だから外歩きする格好で、ルーペやガラス瓶など色んな荷物を持って歩いていたのか。



「植物がお好きですの?」



「好き、というかライフワークみたいなもの。本当は植物学者になってもっと研究したいんだ。それには上級校にも通う必要があるけど諸事情で難しい」



「学校に行かれたことは?」



 口にしてから失言だったと後悔したが、マクシミリアンは意に介した様子はなかった。



「家庭教師はいるけど今は学校は通ってない。子供のころは平民の子に交じって地元の学校に行ってた。勉強目的というより同年代の子と遊ぶのが楽しくて。でもこの辺は12歳になると家の手伝いをする子が多いし、上級学校に通う子は地元を離れていった。ここを離れるのは警護の観点から難しいと言われ、それからはどこにも行ってない」



「警護? 命を狙われたことがおありですの?」



「別にないよ。でも父上が用心に越したことはないって。お忙しくてなかなか会えないけど、休暇が取れた時はここに滞在していくんだ。優しいけどちょっと過保護かな。でも父上が心配する気持ちも分かるから……」



 それからマクシミリアンはクラウディアを誘って庭に出た。この花はこれこれでこんな特徴があって、あの木はこれこれで民間では薬として使われていて……などと流れるような説明をする様子は、水を得た魚のように生き生きしていた。普段は自信なさげで、おどおどして、どこかふわふわした雰囲気なのに、今は目に活力が戻り、全身から喜びがあふれている。こんなに植物に詳しい人に初めて会った、でも本人はもっと学びたいと言う。なぜ国王がここまで過保護になるのかクラウディアは理解できなかった。少なくとも憎くてしているのではないとマクシミリアンの言葉から分かったが、それでも謎だらけだ。王太子のアレックスですら学園に通っているのに、マクシミリアンにはここから出るなとはいくら何でもやり過ぎではないのか。



「これは別名『医者いらず』と言われていて、昔は傷の治療にも——」



「ここを出たいと思ったことはありませんの?」



 不意を突かれ、いきなり何を言い出すのかといったようにマクシミリアンはきょとんとした。



「好きなものを語っている時の殿下の姿はとても素敵です。こんなに植物の知識がおありなのに、もっともっと知りたいと思っているのに、ここにいたままでは何一つ夢が叶いませんことよ? 国王陛下は殿下を愛するが故に守りたいのでしょうけど、外の世界はそれほど怖くはありません。もし殿下が望まれればの話ですけど、助けていただいたお礼に、外の世界に踏み出すお手伝いをしますわ!」
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