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後日談

11.鮟鱇の光も使いよう

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 シンシアとラーシュが乗った小舟は、凪いだ湖にゆったりと漕ぎ出した。


 「漕ぎ出した」と言っても、舟はかいではなくラーシュの魔法により動いているため、二人はただのんびりと横並びに座っているだけだ。

 湖面は相変わらず壮大な鏡のようで、薄青や薄紫の淡い光を放つ大樹や、現実のものとは思えぬ奇妙な、しかし繊細で美しい草花の姿を精緻に映し出している。

 その一枚絵に割り入るように波紋を生みながら舟を進めることは、一種の背徳感を呼び起こすものであった。


(昔、お伽噺に聞いた「妖精の国」とはこんな風情なんだろうか。……もちろん、目の前の景色は魔族が扱う妖しい魔法の成せる業なのだろうけど)

 そうシンシアが思うほどに、辺りは幻想的な雰囲気に包まれている。


──さて、彼女が湖に目を奪われている間、当のラーシュはというと。

「どう、シンシア。嬉しい? 舟遊びなんて前にどっかの貴族だか王族だかのを見かけただけでぜーんぜん興味なかったけど、まあ大体こんな感じでしょ?」

 相変わらずのズレた感性を発揮しながら、はしゃいだ様子でシンシアの反応を待っていた。

「うん……。君がもう少し情緒のある言い方をしてくれたなら、素直に喜べたんだけどな」
「えー」

 なに情緒って、わかんない、とむくれるラーシュを微妙な気持ちで眺めるシンシア。

(魔族にはデリカシーとかそういう概念が存在しないんだろうか……)


「というか、ずっと気になっていたんだけれど。私が好む言い回しだとか振る舞いだとか、君、頭の中を覗いたのに分からないものなの?」
「ああ、あの能力あれ? べつに何もかも読み取れるわけじゃないよ。
ほら、たとえば物語のあらすじだけ読んだって、登場人物の詳細とか細かいエピソードまではわからないでしょ? あらすじそのものだってどこに視点を置いてまとめるかで印象は全然違うし……まあいいや、とにかくそれとおんなじこと」

 ラーシュは説明したが、シンシアはいまいちピンとこない顔をした。

「ごめん、書物はおろか文字すら読めない平民には、その例えはちょっと分からない……。そういうものなんだ?」
「あ、そっか。人間はそうだったね。いいよ、今度僕が教えてあげる」
「そ……れは、素直に嬉しいけど。でも、いいの? 私、本当に無学だよ」
「もちろん! まかせて、完璧に教えるよ! 手取り足取り、丁寧にね♡」
「……」
「言葉のあやだってば、警戒しないでよ」

 慌てた様子でいかにも「誤解です」という顔をしているが、背中からいやらしく伸ばしかけていた触手をそっと引っ込めたのを、シンシアは見逃していない。

「君、その見てくれじゃなければ絶対に許されないぞ……」
「まあ、僕、可愛いからね?」



 * * * *



「そうだ、もひとついいもの見せてあげる」 

 なんだかんだで穏やかな時間を楽しんでいると、ふと何か思いついたらしいラーシュが手近な小島に舟を寄せた。

 そしてその岸辺に僅かに触れると、自らの魔力を流し込む仕草を見せる。


 途端、辺りの様子が一変した。


「!? これは……!?」


 大樹が放つ淡い光とはまたおもむきを異にする、色とりどりの鮮やかな光。

 小島に生育している数本の樹木が、時折明滅するその光の粒を纏って、きらびやかに輝いている。


「……すごい」


 シンシアはただただ呆然と目を奪われた。


「気に入った? それならはい、おまけ」

 そう言ってラーシュがぱちん、と指を鳴らすと、今度は上空からいくつもの柔らかな光の珠が辺り一面にゆっくりと降り注いできた。


「わあ……!」

 思わず感嘆の声が漏れる。

「ああごめん、暗いほうが視覚効果が高いんだったね」

 次はひらりと片手を振るラーシュ。

 すると、夜の帳が下りるように、結界内がとっぷりと闇に包まれた。


「! 綺麗……」


 暗闇の中で幻惑的な光が浮かび上がる光景は、言葉にならないほど美しいものだった。


「人間は好きでしょ? こういうの。僕もこの魔法はけっこう気に入ってるんだ。急にお腹が空いたときにも便利だしね」
「?」

 ラーシュの言うことはよく分からなかったが、あまりにもロマンチックな演出に、シンシアの鼓動はトクトクと高鳴った。

 何よりも、彼が自分のためにこれだけのことをしてくれたという、その心が嬉しかったのだ。


「……何もかも、本当に素敵だよ。ありがとう、ラーシュ」


 無意識に表情を緩めるシンシアだったが、しかし。


──にょろっ。


「……」


 窺うように胸元に伸びてきた触手を、無言でそっと払いのけた。


「……ダメ?」
「駄目」
「そんなぁ、こんなに色々したのにぃ……」

 隙あらばに持ち込もうとするラーシュに、彼女は肩を落として軽くため息を吐いた。



 * * * *



──キラリ。


 そんな彼女の視界の端で、ふと控えめに煌めいた何か。


「……わ、この花。すごく綺麗だ」


 それは手のひらに軽く収まるくらいの、小さな百合のような形の花だった。

 華奢きゃしゃな印象を抱かせるその花は、無色に近い透き通った白色でありながら、周囲の光を吸収しているかのごとく多彩な色に輝いている。

 よく見れば、この小島にちらほらと自生しているようだ。

「それ? これといって特徴も使い道もないけど。表面が細かい粒子の集まりでできてるから、色んな光を反射して虹みたいにキラキラするんだよ。この辺りは僕の結界の影響で魔力濃度が高いから、生態系が人間の住むところとはちょっと違うんだよね」
「へえ……」
「ねえシンシア。その花、気に入ったの?」

 シンシアがこくりと頷いたのを見て、ラーシュはひょいと手を伸ばす。

「!?」
「はい。……ん、やっぱり似合う。可愛い」

 そしてその花を手折ると、 おもむろにシンシアの髪に挿してみせたのだった。


 彼女の顔に、かあっと熱が集まる。


「な、ななな何で急にそんな」

 どぎまぎしながら尋ねても、特別なことをしたという自覚が無いのか、ただ不思議そうな顔をするラーシュ。

 彼は、彼女の反応を見て小首を傾げた。

「どうしたの? 真っ赤な顔してぷるぷる震えて、かわいいね」
「っ、君は、またそういう……!」

 涙目に上目遣いで睨むシンシア。……を見たラーシュは、ピタリと動きを止め、同時にスッと真顔になった。

「……あ、限界。ねえ今、我慢の限界きたんだけど。もういいかげん襲っていい? さすがにいいよね?」
「だ、駄目! 駄目……だけど……」

 半ば反射的に拒否しながらも、落ち着きをなくし、目に見えてそわそわした様子のシンシア。

「く、口付けだけなら、していい……ううんごめん違う、私が今、君としたい。いつもみたいな破廉恥なのじゃなくって、恋仲になったときに初めてするような、触れるだけの……」
「……ライトキスってこと?」
「……うん。あと、ぎゅうって、優しく抱き締めて欲しい、な」

(あああ、こんなこと言って、どう考えてもラーシュがその程度で満足してくれるわけないのに。……わかってるのに、嬉しすぎて)

 自嘲と羞恥に思考をぐるぐるさせながら答えを待った。


 ラーシュは未だ真顔のまま、その感情は読み取れない。


「じゃ、目つぶって」

「あ、うん」


 ここからなし崩しになってしまうだろうかという不安と、恋心から生まれる純粋なときめき。


 そんなシンシアの胸の内を知ってか知らずか。


 彼女の身長に合わせて、ラーシュが腰を浮かせ、座面に片膝を着いた気配があった。



──ちゅ。



(え)


 それは、ほんの一瞬のこと。


 初めてシンシアから求めた口付けは、彼女が望んだとおり、羽根が触れるように優しいものだった。


「ん……。こういうのも、悪くないね。ね、もういっかい、してもいい?」


 身体を抱き寄せながら、慈しむような──少なくともシンシアにはそう見えた──眼差しでそんなことを言われてしまえば、拒む理由などあるはずもなく。

 頷いてみせるかわりに、ゆっくりと彼の背中に両手を回した。


 その反応を確認したラーシュはそっと微笑み、啄むような口付けを何度か落とす。


──途中、窺うように舌先で彼女の唇をペロリと舐めてみたがために、剣呑な視線で咎められ「……君、ホントに純情だねぇ 」とぼやいたのは、また別の話。



 * * * *



 それからしばらくの間、二人は非現実的な美しい空間で、静かに抱きしめ合っていた。


 シンシアにとっては、正直意外なことだった。


(このひとが本当にこれだけで済ませてくれるとは、考えていなかったな)


「……あのね、シンシア」


 そんなシンシアの心を見透かしたように、ラーシュが釘を刺す。


「君が望む以上をしなかったのは、僕がすっごく我慢したからなんだからね」
「! ……うん」
「ちゃんと我慢するくらい、シンシアのことが大好きなんだからね」
「うん」


 どうしてか、胸がいっぱいでたまらない、と、シンシアはそう思った。


「嬉しい。……ありがとう」


 ほんの少し涙ぐんだ彼女は、心からの笑顔を浮かべる。


「! 君ねえ……」


 ラーシュは再び真顔になり、考え込む素振りを見せた。

 彼の背後では、いつの間にか伸びていた触手が物欲しそうにピクリと動いたが、やがて思い止まったようにしゅるりと退がっていく。

 内なる葛藤を密かに抑え込むことに成功した彼は、その勝利の余韻のままにシンシアの顎を優しく捉えると、もうひとつ、静かな口付けを落としたのだった。


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