王太子殿下の執事様

萩 葵

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曙光 -しょこう-

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「ルーカス!大丈夫か!……その恰好は…………」

切羽詰まったアルベルトの声に、ルーカスはホッとして、持っていた剣を落とした。
そして、自分の足元に転がるノアの頭を、そっと持ち上げ膝に寝かせる。
ノアの顔は、青を通り越し、紫色にはれ上がっていた。

「ぼ、僕は大丈夫です。……それより、ノアが……ノアが……ごめん、ごめんね、ノア……」

ルーカスは、ノアの顔をそっと抱え、涙を流す。
ルーカスの涙が、ノアの顔にポトポトと落ちていく。

「ルーカス。ノアは大丈夫です。まずは、貴方を手当てしなくては……頬が腫れているではないですか。……そこをどきなさい」

「オリバー兄様……でも、僕の所為で、ノアが……」

すると、ルーカスに蹴られ唸っていた男を、捕縛し終えたハイアットが、ルーカスの後ろに回り、両脇に手を入れ、猫のようにヒョイと持ち上げた。
ブランと空中で体が揺れ、ルーカスはキョトンとする。

「え?ハイアット様?」

ルーカスの膝から強制的に落とされたノアの頭は、ゴチッという音と共に地面に落ちた。

「痛てっ!」

それと同時に、オリバーがノアを踏もうとする。
今まで浅く息をし、力なく寝ころんでいたノアが、素早い動きでオリバーの足を回避する。

「え?ええっ!?」

そっと地面に下ろされた事にも気づかず、ルーカスはその光景に目を丸くした。
何度もノアを踏もうとするオリバーの足を回避し、ノアは石畳をゴロゴロと転がり回っている。

「ちょっ!オリバー様!や、止めてくださいよ!肋骨1本やってるんですって!」

「黙りなさい!2本目は、私が折ってやります!ルーカスの顔に傷をつけたんです!肋骨の1本や2本、折ってもどうってことないでしょう!」

「そんな!一発だけですって!後は全部、回避しましたよ!」

「当たり前です!!」

ゴロゴロ転がるノアを、追いかけて踏もうとするオリバーを呆然と見ていれば、ふわりと暖かいものが体にかけられた。

「アルベルト殿下……」

ルーカスの肩にかけられた、アルベルトの上着に気を取られていると、アルベルトは触れるか触れないかの、優しい手つきでルーカスの頬を包み込んだ。

「ルーカス。すまない。お前を守れなかった……」

痛ましそうに見てくるアルベルトに、ルーカスはまだ少し痛む頬を、笑みの形に作った。

「このくらい、平気です。もう殆ど痛みは無いので……」

そこでふと、ルーカスは気が付いた。

(あれ?本当に、痛みが引いている……)

切れていた筈の口の中は、舌で探っても傷口さえ見つからない。
まだ頬は痛むが、痛みは殴られた当初に比べ、格段に引いている。

(普通、もっと腫れあがるよな?)

いつもなら、時間経過と共に腫れ上がり、痛みも強く感じ始めるのに、今回は不思議なほどに腫れも痛みも引いている。

(俺、祈ってないのに……)

ルーカスの狼狽に気が付いたのだろう、アルベルトが気づかわしそうに見ているが、ここでこの話をする事は出来ない。

「ほ、本当に平気です。それより、舞踏会は……殿下が主役なのに、こんな場所にいて大丈夫なんですか?」

頬に当たられたアルベルトの手を、そっと外してルーカスは聞いた。

「ああ……陛下の許しがあるから、大丈夫だ」

(本当に?それにしても、こんなに人が多いって、どういう事だ)

周りを見渡せば、小屋の中に所狭しと居る近衛騎士達を筆頭に、色々な制服を着た使用人たちが、小屋の外から顔を覗かせている。さらに外にも、多数の人の気配もしていた。

「ルーカス様!助けて!」

転がって来たノアが、ルーカスの足に当たって止まる。

「ルーカス!どきなさい!そいつを護衛騎士から外し、扱き直します!」

縋り付くノアを見下ろしたルーカスは、腹のそこからムカムカと怒りが湧いてきた。

(俺の悩んだ時間と、あの気持ち悪い時間を、返せっ!)

「あ、あの?ルーカス様?え?なんで笑って……ぐえっ」

ノアの腹を思いっきり踏んで、ルーカスはほほ笑んだ。

「オリバー兄様、しごき直した後は、もう一度、僕の護衛騎士に戻してください。万が一の時には、なら心置きなく捨てられるので」

「ぐっ……あ、新しい扉が開きそう……」

「黙れ、駄犬」

「は、はい……」

ノアの腹を踏んでいたのを止めて、ルーカスが冷たく見下ろすと、ノアは頬を赤らめて見上げてくる。

「ルーカス、本当にでいいんですか?」

「だ、大丈夫です!ルーカス様は、俺が命に代えても守ります!男を蹴り上げたのといい、あのセリフといい、痺れました!そして、腹を踏む優しさに、蔑んだその目!俺のご主人様になって下さい!」

「うるさい駄犬。断る。オリバー兄様、とにかく一度、を死なない程度に扱いてくださいね」

「……ワカリマシタ」

冷たくほほ笑むルーカスに、オリバーは眼鏡のブリッジをグイと上げ、片言に返事をしてきた。

その間アルベルトが、ルーカスを憂いの目で見ていたのに、ルーカスはついぞ気が付くことは無かった。





いつの間にか用意された風呂に、ルーカスは入れられ、多数のメイドにあっという間に着替えさせられ、傷を隠す化粧をし、舞踏会の扉前にルーカスは立っていた。

アルベルトは、またの機会にすればいいと言ったが、ルーカスがこの舞踏会に出ると強行したのだ。
ルーカスが連れ去られた事は、すでにもう舞踏会に出ている者たちに、知れ渡っているだろう。
その中で、舞踏会に出ないという事は、出られない重大な事があったと、勘繰られるに違いない。

アルベルトは、ルーカスの傍から離れたがらなかったが、ルーカスは、どうしてもと言って、会場へ戻ってもらっていた。

(約束したでしょう)

今回の事で、ルーカスは思ったのだ。
連れ去られた時、自分にとって一番気になったのは、アルベルトとの約束だった。

いつも懇願するように、傍に居て欲しいと囁くアルベルトの姿が、最後の最後までルーカスを支えていた。
選択肢が無いからではない。自分から、アルベルトの元に戻りたいと、願ったのだ。

(自分から、アルベルト殿下の元に行きます。貴方との約束を、守ったと胸を張ります)

名を呼ばれ、扉が開く。
目がくらむ程、煌びやかな会場に居る、多くの人々の間に、一本の赤い道が出来ていた。

道の先には、アルベルトがまだ心配そうに、こちらを見ている。
その顔に、ルーカスは微笑みかけた。

会場が騒めき、あちこちから感嘆のため息が聞こえてくる。
だがルーカスは、ひたすらアルベルトを見つめ、その赤い絨毯の一本道を、胸を張り、ゆっくりと歩み始めた。

「アルベルト殿下」

「ルーカス……」

アルベルトの前で、頭を垂れる。

「お待たせしました」

「……ああ、待っていた」

小声で会話を交わし、アルベルトは国王を振り向く。
そして、2人で国王にひざまつき頭を垂れた。

「ルーカス・フォン・ランセント。今日より、この国の王太子であるアルベルト・ロム・シュザイナーの、専属執事に任命する」

国王の専属執事が、金のスタンドボードにアルベルトとルーカスを先導する。
羽ペンを持ち、そこに置いてあった羊皮紙にサインを交互にした。

サインをし終え、ルーカスは少しホッとする。

盛大な拍手の中、絞殺さんばかりにアルベルトを見つめる、リッカルドが横目に見え、ルーカスはギョッとした。

やっと周りを見る余裕が出来たルーカスは、殺気を感じるリッカルドを抑えている、ラベンダー色のドレスを着た美女を見た。
きっとまだ、正式に会った事のない、公爵夫人だろう。
2人揃って紫を着ているとは、とても仲の良い夫婦なのだと、ルーカスはホッとした。

ルーカスが公爵家に居る時、一度も顔を合わせたことが無かったので、秘かに夫婦仲を心配していたのだ。
公爵夫人と共に、まだ会った事のない次男は、ここには居ないようだ。

(いつか、ちゃんと会えるだろうか……)

しばしランセント公爵家に思いを馳せていると、アルベルトがルーカスにほほ笑んだ。

「ルーカス。約束を守ってくれて、ありがとう」

バタバタと周りで倒れる音がしたが、ルーカスはそれに気づかず、息を飲んでアルベルトの顔を見つめていた。

(うわーうわぁー。なんて嬉しそうに……)

薔薇の蕾が綻ぶようにほほ笑む、鮮やかなアルベルトの笑みに、ルーカスは魅了される。

「これからも、よろしく頼む」

今度は少年のように明るく笑うアルベルトの顔を、顔が熱くなるのを感じながら、ルーカスは見つめていた。
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