咲かないオメガ

マロン

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川嶋沙月の場合

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 櫻学園へ来てから5年が経った。

 僕は無事に高校を卒業したあと通信制大学で保育士の資格を取るべく勉強中だ。

 僕が入所してすぐ退所していった都さんは待っていてくれた恋人と無事に番になって今では2歳の男の子のママだ。

 僕が保育士の資格を取りたいと思ったのは都さんが赤ちゃんを連れてきてくれたからに他ならない。

 赤ちゃんはふくふくして柔らかくてあったかくていいにおいがして、眠くてグズる姿も可愛くて僕はすっかり赤ちゃんに夢中になってしまった。

 その時ふと考えた。

 自分がもし機能が回復しなかったら子供は望めない。

 でも僕はどうやら子どもが好きなようだ。思い起こせば昔から近所の小さい子のお世話をするのが楽しくて大好きだった。

 ならば子どもに関わる仕事をしたら良いんじゃないかと。

 もし子どもが授かれた場合でもこの資格は役に立つし。

 そうして僕は保育士になることを決めた。

  櫻学園から毎年何人かが改善して退所して新たな患者さんがやってきて入れ替わり立ち替わりするなかで、由利也さんは30歳になったけどまだ櫻学園にいる。

 ずっと一緒にいるにでまるで僕の実の兄のように色んな相談に乗ってもらっている。

 由利也さんはここにいる間に栄養士の免許を取った。

 ここは35歳までいられるけれど本人的にはそろそろ潮時かもと思っているみたい。

 オメガの機能不全は必ず改善するという保証はないので治療の途中で諦めて退所していく人もいる。

 由利也さんも自分の身体は自分が一番わかっているといいこのまま治療を続けても仕方がないと思っているようだ。

 僕もこの5年間真面目に治療を受けているけれど改善の兆しは見えてこない。

 先日受けた血液検査の結果がかんばしくなかったらしくて明日から入院して精密検査を受けることになった。

 1週間ほどかかるらしい。

 入院準備をしていると由利也さんが心配して部屋に来てくれた。

「沙月大丈夫か?」

「うん。ただの検査だし。大丈夫だよ。心配ない。」

「沙月はあんまり不安を口にしないから心配だよ。」

「じゃぁ、検査結果が悪かったら慰めて。」

「任せとけ!俺の胸で泣かせてやるよ。」

 といって由利也さんは笑ってくれた。

 病院は櫻学園から車で一時間ほどのところにある大きな総合病院だった。

 入院先はオメガ科病棟。

 オメガ科だから階は違うけど産科も同じ建物にあって、時折遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。

 赤ちゃんの元気いっぱいな泣き声に癒されながらレントゲンやMRI、超音波などいろんな検査を受けた。

 入院中に甘い物が欲しくなって売店へ行ったらアルファの医師に話しかけられた。

「君櫻学園の子だよね?」

 ちょっと警戒したけれど胸のネームプレートを見るとちゃんとここのお医者さんみたいだったので少し安心をする。

 仲井陽太と書いてある。

「はい。僕をご存知なんですか?」

「うん。随分前に櫻学園の診察面談をしに行ったことがあってね。君を庭で見かけたよ。」

「庭で見かけただけで覚えてるんですか?アルファってすごいんですね。」

 思わず感心してこんな言葉が飛び出てしまう。

「いや、誰のことも覚えてるわけではないんだけどね。」と苦笑いで答えてくれた。

「入院してるの?」

「はい。検査だけですけど昨日から1週間入院です。」

「そっか。検査なんでもないと良いね。」

「そうですね。何事もなければ良いんですけど。」

 と会釈して病室へ戻ろうとすると少し慌てた感じで先生が言った。

「ねぇ、時間があったら少しだけお話ししない?」

 突然言われて驚いたけど僕もお話ししたかったから頷いた。

 売店の前にあるテーブルと椅子のある軽食コーナーで先生はコーヒーを僕はお茶と売店にあったお菓子を食べながらお互いの兄弟の話や子供の頃の話、年齢は10歳上だけど自分の兄と同じ年だと思えたからか話が合わないなんてことはなくすごく楽しい時間を過ごした。

「ねぇ、君が入院してる間ここでおしゃべりしようか?だいたい3時くらいだと検査もないんじゃない?僕もいつも3時くらいに休憩取ってるし。」

「えっ?いいんですか?忙しくないんですか?」

「まぁ、暇ではないよ。でも君とおしゃべりするくらいの時間はあるよ。」

 僕はすっかり舞い上がってしまうくらい嬉しかった。

 次の日の約束をしてその日は別れた。

 沙月は別れてから素敵な人だったな…と少しドキドキしていた。

 高校時代の初恋のクラスメイトを見た時の気持ちに似ているな…と思った。

 恋人はいないって言ってたけどすごくモテるんだろうな。

 あんな人と番になりたいな…機能不全が治ったらそんな素敵な相手ができるかな…出来るといいな。

 そう思った瞬間先ほどの仲井陽太の顔が浮かび、番になるためのアレコレも想像してしまい1人で真っ赤になって病室のベッドで身悶えたのだった。

 散々ベッド上で暴れ回って冷静になる。

 想像するのは自由だもんね。うんうん。1人で勝手に想像するだけ…。

 と自分自身に言い聞かせて落ち着くことにした。
 
 それから入院中は毎日3時に売店前で待ち合わせておしゃべりをする。

 15分くらいのことだけど時々病院の中庭へ行ったりして楽しい時間を過ごした。

 退院する前日は屋上へ行った。

 高台にある病院の屋上からは遠くまでよく見晴らせた。

「うわぁ!すごく遠くまで見えますね!」

 天気が良く空気も澄んでいるからか遠くに隣県の山脈が見える。

「ねぇ、沙月くん。櫻学園へ戻ってしまったらもうなかなか会えなくなるんだけど僕は君とまた会いたいなって思ってる。沙月くんはどう?」

 「僕もまたお会いしたいです。」

 明日は朝から出張でお見送りが出来ないから今のうちにって言って仲井先生は名刺を一枚くれた。

 そこには先生の名前と連絡先が書いてある。

 裏には手書きで携帯番号が書かれていた。

「それは僕のプライベートの携帯番号だよ。いつでも電話してよ。」

 僕は嬉しくてそれを大事にポケットにしまった。

 その様子を病棟の看護師に見られていたとも知らずに。

 病室へ戻りさっきの名刺を大事にお財布のカード入れに挟む。

 明日には退院だからカバンのポケットにしまってシャワーに行った。

 それから夜寝る前にもう一度名刺を見ようかなってカバンのポケットを探ったんだけど名刺が無くなってて…真っ青になって探し回ったけど見つからない。

 もしかして…頭の中に数名の看護師の顔が浮かぶ…。

 仲井先生とお茶してることは特に隠してなかったけどそのせいで僕は数名の看護師から冷たくされていた。

 だけどこんなカバンから名刺を抜き取ることまでするなんて…。

  証拠はないけどきっとそうなんだと思う。
 
 おそらく一患者にプライベートの携帯番号を渡すなんて本当ならやっちゃいけないことなんだと想像はつく。

 だからここで騒ぎ立てたりしたら仲井先生にも櫻学園にも迷惑がかかる…。

 それにもらったばかりの名刺を無くしたなんて知ったら仲井先生はどう思うだろうか。

 こんなことになるならすぐに携帯に番号だけでも登録しといたら良かった…じんわりと涙が出る。

 結局名刺は見つからず僕と先生のつながりはここで切れてしまった。
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