48 / 66
第二章 歌い手
現実世界から消える
しおりを挟む
いつもは気にならない時計の音が今日はやけに大きく聞こえる。
最後にアップした、歌ってみた動画から今日で三週間がたとうとしていた。
作業が中々進まないでいる。一応音源は出来上がるものの、何かがひっかかって聞こえる。あちこちを弄ってみるが、マイナーチェンジを繰り返してばかりいた。何度やってもうまくいかず、思わず拳を机に叩きつけてしまった。
その時、メールに一件の新しい通知が飛んできた。
メールのアイコンをクリックすると「成績表のお知らせ」という文字が目に飛び込んできた。学校から送られてきたこのメールによると、どうやら僕の殆ど取れていない単位表が三月末には実家に送られ、それと同時に留年のこともお知らせしますよ、というものだった。
留年することが知られてしまったら、母はどれほど発狂するだろうか。
真面目で、優しくて、頑張り屋のアカサカイオリちゃんが大学の単位を落として留年など母は間違いなく僕を地元に連れ帰すだろう。そして、郵便局にでも務めて、結婚して孫の顔を見せろとでもいうかもしれない。もしくは、母と同居する形で大学へ無理やり通わせられるかもしれない。
地元に帰る気もないし、大学に再び通う気なんてさらさらない。勉強をすることしか許されない十八年間が思い出される。母のロボットのような人生だった。やっと、大学を理由に母と離れたのだ。再び監視されるとか冗談ではない。
パソコンがブオンブオンと大きな音を立て、熱を発している。
パソコンにうつる文面を何度も読み返し、母のことを考え、だんだんと胃が重くなってきた。僕は深くため息をつく。
椅子から立ち上がり、布団の中に身をうずめた。
隣の部屋からベッドが軋む音と共に女の喘ぎ声が聞こえてきた。
目を閉じ、動物的なオスとメスの交じりあいを想像してみる。
太ももにからませるようにして、丸まった布団を抱きしめた。自分の中心にあるものが、自意志とは無関係に体液が零れる。それをそっと手で撫でてみる。おもわず低く、くぐもったうめき声が出た。
記憶がよみがえる。ずっと、ずっと前の記憶だ。白濁してふわふわとした、記憶ともいえない代物だ。あれは、僕がいつの時だろう。
僕は天井からぶら下がっている色とりどりのベッドメリーを目で追っていた。瞬きをしても変わらず回り続けるそれらを不思議に思っていた。軽快な音楽の隙間に、人の声が埋まった。僕がちらりと目線をずらすと、柵の隙間から二つの身体がまるで最初から一つであったかのように絡まらせている。息が上がり、何かを叫んでいる。でも、僕はそれが一体何なのかは分からない。僕は頭上でまわるおもちゃに再び目を向け、楽しそうに笑った。
僕は、なぜだがこのような行為をしている自分を気持ち悪く感じた。ズボンから手を抜き、洗面台でひたすらに手を洗った。
僕は、僕はいったいなんなのか。
タオルで手を拭き、ベッドに身を沈めた。壁の向こう側かわら相変わらず声と音はやまない。僕は手を頭の下に当て、どうするべきか考えを巡らせる。
脳みその中にある棚を一つ一つ取り出し、元に直す。匂いを嗅いだり、音を聞いたり、振り回してみたり、ぎゅっと抱きしめてみたりして、形も色も形状も何もかもが違うそれを再び体に通してゆく。
僕は一体何なのか。僕はどうするべきなのか。
僕は一つの考えにたどり着いた。
僕は、人間であることよりもお金や性欲や利益を不必要とする無夢という概念になるべきである。
これは、不完全で不十分な答えかもしれない。しかし、僕は決断を下さなければならない。例え間違いであっても、選ばなければならない。
隣からの音はやがて消えた。短い時計の針は三を指している。
大学を辞め、家族から消え、この世からアカサカイオリのものを全て消去する。三月末までの四か月半、僕はまとまったお金をつくり、家を変え、大学に退学届けを出さなければならない。
四月になれば、完全に新しい僕が始まる。何も煩わしいことは考えなくてよい。それまでの我慢だ。
律儀に時を刻む時計を見つめる。概念的無夢の新生活のカウントダウンが始まった。
世界を殺せ(歌ってみた)/ 無夢
無夢・六十万回視聴・三日前
最後にアップした、歌ってみた動画から今日で三週間がたとうとしていた。
作業が中々進まないでいる。一応音源は出来上がるものの、何かがひっかかって聞こえる。あちこちを弄ってみるが、マイナーチェンジを繰り返してばかりいた。何度やってもうまくいかず、思わず拳を机に叩きつけてしまった。
その時、メールに一件の新しい通知が飛んできた。
メールのアイコンをクリックすると「成績表のお知らせ」という文字が目に飛び込んできた。学校から送られてきたこのメールによると、どうやら僕の殆ど取れていない単位表が三月末には実家に送られ、それと同時に留年のこともお知らせしますよ、というものだった。
留年することが知られてしまったら、母はどれほど発狂するだろうか。
真面目で、優しくて、頑張り屋のアカサカイオリちゃんが大学の単位を落として留年など母は間違いなく僕を地元に連れ帰すだろう。そして、郵便局にでも務めて、結婚して孫の顔を見せろとでもいうかもしれない。もしくは、母と同居する形で大学へ無理やり通わせられるかもしれない。
地元に帰る気もないし、大学に再び通う気なんてさらさらない。勉強をすることしか許されない十八年間が思い出される。母のロボットのような人生だった。やっと、大学を理由に母と離れたのだ。再び監視されるとか冗談ではない。
パソコンがブオンブオンと大きな音を立て、熱を発している。
パソコンにうつる文面を何度も読み返し、母のことを考え、だんだんと胃が重くなってきた。僕は深くため息をつく。
椅子から立ち上がり、布団の中に身をうずめた。
隣の部屋からベッドが軋む音と共に女の喘ぎ声が聞こえてきた。
目を閉じ、動物的なオスとメスの交じりあいを想像してみる。
太ももにからませるようにして、丸まった布団を抱きしめた。自分の中心にあるものが、自意志とは無関係に体液が零れる。それをそっと手で撫でてみる。おもわず低く、くぐもったうめき声が出た。
記憶がよみがえる。ずっと、ずっと前の記憶だ。白濁してふわふわとした、記憶ともいえない代物だ。あれは、僕がいつの時だろう。
僕は天井からぶら下がっている色とりどりのベッドメリーを目で追っていた。瞬きをしても変わらず回り続けるそれらを不思議に思っていた。軽快な音楽の隙間に、人の声が埋まった。僕がちらりと目線をずらすと、柵の隙間から二つの身体がまるで最初から一つであったかのように絡まらせている。息が上がり、何かを叫んでいる。でも、僕はそれが一体何なのかは分からない。僕は頭上でまわるおもちゃに再び目を向け、楽しそうに笑った。
僕は、なぜだがこのような行為をしている自分を気持ち悪く感じた。ズボンから手を抜き、洗面台でひたすらに手を洗った。
僕は、僕はいったいなんなのか。
タオルで手を拭き、ベッドに身を沈めた。壁の向こう側かわら相変わらず声と音はやまない。僕は手を頭の下に当て、どうするべきか考えを巡らせる。
脳みその中にある棚を一つ一つ取り出し、元に直す。匂いを嗅いだり、音を聞いたり、振り回してみたり、ぎゅっと抱きしめてみたりして、形も色も形状も何もかもが違うそれを再び体に通してゆく。
僕は一体何なのか。僕はどうするべきなのか。
僕は一つの考えにたどり着いた。
僕は、人間であることよりもお金や性欲や利益を不必要とする無夢という概念になるべきである。
これは、不完全で不十分な答えかもしれない。しかし、僕は決断を下さなければならない。例え間違いであっても、選ばなければならない。
隣からの音はやがて消えた。短い時計の針は三を指している。
大学を辞め、家族から消え、この世からアカサカイオリのものを全て消去する。三月末までの四か月半、僕はまとまったお金をつくり、家を変え、大学に退学届けを出さなければならない。
四月になれば、完全に新しい僕が始まる。何も煩わしいことは考えなくてよい。それまでの我慢だ。
律儀に時を刻む時計を見つめる。概念的無夢の新生活のカウントダウンが始まった。
世界を殺せ(歌ってみた)/ 無夢
無夢・六十万回視聴・三日前
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。
一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!?
美味しいご飯と家族と仕事と夢。
能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。
※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる