降る、ふる、かれる。

茶茶

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第二章 歌い手

バイト

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怒られることで僕の時給が発生しているのではないかと思ってしまう。

「アカサカさん。しっかりしてよ。昨日、電気消し忘れて帰ったでしょう。一晩の電気代、いくらかかると思ってんの?あなたが、払ってくれるの?電気の消し忘れなんて、今まで聞いたことないわよ。見たらわかるでしょう。あなた、目ついてる?あなたのその目は節穴なの?しっかりしなさいよ」

大声で言葉を体中にぶつけられながら、意識はふわりと宙に浮いていた。フライチャイズのCDショップでバイトを始めてからというものの、僕はずっと怒られっぱなしだった。怒られすぎて、怒る言葉は全て雑音で処理されてしまう。

「一体、今月で何回やらかしていると思ってるの。覚えも悪い、声も小さい、笑顔もつくれない、言われたことを守れない。親御さんは一体あなたのどんな教育をなさったのかしら。あなたが、やらかしたものはこちらにしわ寄せがくるんですからね。昨日も、接客態度が悪いって本部から何件もクレーム来たのよ。あとで、すべて始末書書いてもらうからね。それにねー」

目の前で言葉を荒げているバイトリーダーの噂は、簡単に耳に入ってくる。

バイトリーダーは結婚しており、子供がいる。夫の稼ぎが悪くてここで働かざる負えない。でも、貧乏人に思われたくないからブランドのバッグやら洋服を身に着けているが、その組み合わせはいつもダサくてセンスがなく、ありえない。香水も一昔前の物で臭すぎる。夫は不倫しており、そのうち離婚するんじゃないかとささやかれていた。

バイトリーダーの真っ赤に染められた唇は止まることなくウネウネと動いている。それは、人間の器官からは離れた、別の独立した生き物に見えた。自我を持ち、バイトリーダーの意志とは反して動いているように思える。だから、バイトリーダーはこれらの言葉は言いたくて言っているのではなく、勝手に言葉が出てしまうのだろう。

暗くて汚いバックヤードの蛍光灯が、一瞬ふつりと途切れ、再び何もなかったかのように光が灯った。バイトリーダーの癖のある毛が耳の横で踊っている。

唇は相変わらず楽しそうに体をくねらせている。

その不気味な生き物は黒いべたべたしたものを自分の足元に吐き出した。

僕は思わずアッと声を漏らした。黒いそれは足からずるりずるりと体をつたって這い上がってくる。口から体内に侵入してくるつもりだ。僕は咄嗟に両手で口を覆った。

その時、よくわからない怒号が耳元で破裂した。顔を上げると気味の悪い真っ赤な虫がぽっかりと開いていた。

「アーカーサーカさん」


「あっ、はい」

「ちゃんと話聞いてる?」

「はい」

「ほんと?」

「はい」

「何で口塞いでるの」

「いや、その」

バイトリーダーはふーっと大きくため息をついた。

「あなたは、いっつもそうよね。最近の子たちは皆こうなのかしら。人の話もしっかり聞かないで」

黒いそれは僕の手をこじ開けようと指の隙間からぬるぬると入り込んで来ようとしている。僕は必死になって口をふさぐ。

「ねえ、聞いているの?」と声は一層大きくなる。

僕は首を縦に振りながらも、口を塞ぐ力を強めた。

「アカサカさん。どうしたの?大丈夫?吐きそうなの?」あまりにも一生懸命口をふさいでいるものだから、態度を一転して、優しい口調で言った。バイトリーダーは僕が吐きそうなのかと勘違いしたようだ。
僕は首を横に振る。

「ねぇ、どうしたの?お水持ってこようか」

僕は黒い奴に向かって「早くどっかにいけよ」と心の中で呟いた。

しかし、言葉は手の間を縫って言葉として空中に放たれたらしく、バイトリーダーは激高した。 

「どっかいけですって?本当に救いようのない子ね。店長に報告しますからね。世の中をあんまり舐めない方がいいわよ」

睨みながら言い捨てると、でかいお尻を振りながら店内へと出ていった。

バイトリーダーが去ると黒いそれは僕の内部に入るのをやめ、バイトリーダーを追っかけていった。その後、バイトリーダーの足に絡みつき、ずるりずるりと上ってやがて口の中に吸い込まれた。

僕は塞いでいた手を緩めた。

笑顔チェックをしよう!と仰々しい文字でラミネートされたカードが貼ってある鏡の前に立つと、口周りが赤くなっていることに気が付いた。
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