降る、ふる、かれる。

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第二章 歌い手

僕は弱い

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共通教育棟の二階の端の125号室。間違えないようにと教室のプレートを確認する。過去に何度か教室を間違え、教室を出るにも出られず、いきなり隣の人とのグループワークが始まった時は心臓が破裂しそうになったものだ。

教室のドアを開けると、すでに生徒が数人まばらに座っていた。真ん中より後ろの右端に座った。一番前は何かと当たりやすいし、後ろは友達と話す人が多くうるさいから、この席がお気に入りだった。


教授はやけに楽しそうに元気よくしゃべっている。何も見なずとも、次から次へと言葉が飛び出してくる。教授はマイクを顎に押し当てながら教室を仰々しく歩いていた。教授はスーツ姿に健康サンダルといういで立ちだった。目に染みるほどの青色のネクタイは黒板の磁石のそれと全く同じだった。時々、教授は白が混じったあごひげを満足そうになでた。

窓の外では木の上を雀が楽しそうに飛んでいる。目の前では寝てしまいそうな授業が広がっている。手元にはレジュメとノートとペンがあり、そして生きている僕がいる。

いつもと変わらない景色で、あくびがでてしまいそうなほど平穏な日常だ。それなのに、ふと自分だけがここに生きていないような感覚に襲われた。全部同じだけど、どこかがおかしいような、自分だけパラレルワールドにいるような気分になる。体のあちこちが、うまく風景に馴染めなかった。


僕は偽物なんだ、と訳もなくその思いがこみ上げてくる。


何者かにひゅっと喉を掴まれた。じわりじわりと酸素が無くなっていき、僕はだんだんと息ができなくなっている。ここから逃げないと死んでしまうかもしれないと思う。僕は机の上に広がった物をカバンの中に全て突っ込んだ。周りの人が異様な目で見てきたけど関係ない。僕は死んでしまいそうなんだ。何か言い続ける教授を背に講義室を急いで出た。

白衣を来た女子の横を通り過ぎ、近くのトイレに滑り込んだ。トイレには人は誰もいなかった。

苦しい。底なし沼でじたばたともがいているようだった。二本足でしっかりと陸の上に立っているのに、溺れてしまいそう。水や泥が肺に侵入しているのがわかる。

なんで生きているのだろう。乾いた笑みがこぼれてしまう。大学に入ってひたすら惰性で生きる日々。やりたいことも、学びたいこともない。恋人も友達もいない。一つ先の未来なんて何にも見えない。誰にも求められず、存在さえも無に近いのに、むやみに酸素を使ってしまっている。ごめんなさい。喉の奥底からせり上がってくる得体のしれない黒いものが止まらない。

バッグの中から筆箱に入っているカッターを取り出した。ギリギリと刃を出し、左腕の皮膚の上を滑らした。大学だから、と加減をしたせいか紙で切ってしまった程度にしか腕はきれなかった。皮膚の裂け目を手で強く押してみるが、ほんの少し血が滲んだだけだった。

もう一度深く切りたい欲望を抑えて、カッターを何とかしまった。喉にうずくまるどろどろとしたものを全て吐いてしまいたかった。

大きな声で叫びたかった。辛い。苦しい。助けてって。人間に向いていないんです。生きるの向いていないんですって。

いつだったか、自分が苦しいことをネットで相談したら、「皆つらいんだよ。アフリカに住む子供たちのことを考えてごらん」と言われたことがある。

そんなことは分かっている。百も承知だ。でも、今息をして、僕が意識をもって操るこの肉体が苦しんでいる。今、僕が僕として生きているのは僕だ。苦しんでいるのは今の僕だ。抽象的なアフリカの子供たち、ではない。僕自身なんだ。皆でも世間でもアフリカの子供達でもない。ねぇ、わかってよ。

顔面に空いた二つの穴からとめどなく涙がこぼれている。

死んでしまいそうだった。こんななんでもない日常で死にたくなる。安全で、飽和するほど食料があって、勉学の機会が与えられ、人間として権利を持っている。それでも死にたくなる。



僕はそうだよ。



弱いんだよ。
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