降る、ふる、かれる。

茶茶

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第一章 リスナー

現実世界は溶ければいい

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家。

 肉体がこの世に存在しているばかりに、持たなければいけないもの。

 キャバ嬢を始めると、すぐに実家をでた。

 学校を辞め、家まで出ると言う私を親は全力で止めたが、夜にこっそりと実家から逃げ出した。

 いじめのこととか動画のこととか(誰かから教えてもらったようだ)聞きたがっていたようだけど、私にとってそれらはもうどうでもいいことで、何も話さずに家をでてきた。

 それから、私は築四十年という古びたアパートに住み始めた。私自身にはお金をかける必要がない。そのアパートは壁が薄いため隣人のおならの音やテレビ声、皿がこすれあう音などよく聞こえるが、私は気にしなかった。

 私にとって家族という団体に所属していることが辛かった。私は母と血のつながった娘であり、私は母から人間としての思いを寄せられるのが煩わしかった。全ては私のためだと思ってくれているのは分かるが、だけど私はもうそのような次元にはいないのだ。

 現実世界は、あの動画が流出してしまった時点で全て終わっている。高卒認定試験に合格しても、大学に入学しても、母のいう「ちゃんとした」会社で働いても、軌道修正はもう不可能だ。

 私は無夢の世界の住人で、もうこの世界のことなどどうでもいいのだ。


 仕事が終わった。

 背中にのしかかる疲労感を新しく投稿された無夢の歌ってみたで浄化しながらネオン街を歩いていた。


 キャバ嬢になってすでに半年がたった。

 壁にかかる月間ランキングには私の顔写真が一番大きく飾られている。先輩はいつの間にか知らぬ間にキャバクラcandleを辞めていた。店長もキャバクラcandleを辞めた先輩がどこに行ったのかも知らない。ラインは恐らくブロックされている。


 もう、夜は深い。

 電柱の元で私と変わらない年齢の女の子が吐いていた。ホテル前では男と女が中に入る、入らないの押し問答をし、男は土下座までし始めている。横断歩道前では垢抜けない初心そうな男子大学生二人が悪質で有名高いキャッチに引っかかっていた。

 闇夜は、人間の汚い欲を全て何も言わずに覆い隠してくれる。夜がない人間界なんて見るに堪えない。

 無夢が歌う音楽は転調し、緩い坂道を自転車で駆けてゆくような爽快感を奏でる。入道雲のある青空と、制服の白シャツが狭い世界で生き抜く辛さを語った。

 無夢は私を優しく包み込み、日々の生活でねじれてしまった糸を優しくほどいてくれる。


 大通りに出て、タクシーを待つ人々の列に自分の身をよこした。

 スマホの画面をスワイプし、インスタとツイッターを流してゆく。

 チャンネル登録者数三十五万人のアイドル系歌い手グループが炎上し、ネット内でリアコが騒いでいる。炎上の原因は、ツイキャスで女の声のようなものが途中で入っていたらしい。

 サカたゃん@sakakibara2389
 私の微炭酸君に女なんているわけない。あれは絶対ドアの音。みんな耳おかしいんじゃない?私は、信じているから。

 雨水@usui-amamizu
 あれが女の声だったらカルキーやめる。担当降りる。

 ういっす@uissu-ossu
 やば笑笑炎上してる。男なんだし、女の一人や二人いるっしょ

 歌い手界隈は炎上しやすい。有名な歌い手は基本的にどこかで大なり小なり炎上を経験している。その中で一度も炎上をしない無夢は圧倒的に異色の存在だった。

 タクシーにどんどんと人が乗り、皆家へと帰ってゆく。私は進む列の空白を歩で埋めた。

 すると、突然隣から大きな声が聞こえてきた。

「おめぇーさんはな、売女ゆうてな、将来をものお金を今まとめてもらっているだけなんやけぇー、後、数年たつと生きて生きられれんごなっぞ」

 ぼろ着の中年のおっちゃんが酒臭い息を吹きかけながら大きな声でしゃべっている。

「そん、おっきなおっぺーもな、ぴちぴちの肌もな、しまりのいいぐしょぐしょのまんこもな、大きな金になるやろ?こうやってサラリーとかオーエルさんとかがな毎日八時間せっせと働いて、それでも二十万ちょいのお金しかもらえるの馬鹿みたいにみえるやろ?今だけだからな。そこんとこよーくわかってないと、穴に落ちるっぺ。あなってゆーてもお尻の穴、とかまんこの穴のことじゃないけぇーね。人生の深―いあなよ。そこに入ったら生き地獄。出たくても出られませーん。溶けた鉄を飲むような毎日。おめでとう。おめぇーさんは優勝です」

 呂律の回っていない口でわけのわからない言葉と臭いつばをたくさん私に浴びせた後、「ばちん」と手のひらで私のお尻を叩いた。高いヒールを履いていたため、ぐらりとよろけ、足をくじいた。痛む足首を抑えながら、顔を上げるとにやにやしたおっさんの顔がそこにはあった。

 周りの人々はできるだけ関わり合いにならないように、遠巻きにみるだけだった。だれも私のことなど助けようとしてこない。

 昔の私なら周りに何かを望んでいたかも知れなかったが、今はどうでもよかった。

 私は痛みを抑えて、すくりと立ち上がった。

「私はこの世界で生きていないからいいんです」

 意味の分からないといった顔をしたおっさんの顔は面白かった。

 笑いを押しながら私は目の前に止まったタクシーに優雅に乗り込んだ。


 ゆるりと車が走り始める。

 光が後ろへ後ろへと流れてゆく。

 おっさんの言っていることも私には十分わかっている。

 それでも、現実世界の将来など私には関係がない。

 私には無夢とその無夢を繋ぐためのお金しか必要としていない。

 現実世界なんてぐるぐると回ればいい。

 回って、回って、溶けてしまえばいいのだ。
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