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第一章 リスナー
無夢
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眠りから目が覚めると、毎回まだ生きていることに絶望する。
死にたくなる。
死にたいけど、苦しむのはもう嫌。
煙のようにしゅうっと存在を消してしまいたい。辛い感情が存在しない、ただ広い無の世界に行きたい。
楽しくもうれしくもないし、将来も希望もない。
ただただ寝て起きて、ご飯を食べて生命を維持し続けているだけで、心は完全に死んでいた。
まさに生きる屍。
頑張って、頑張って、ずっと前を向いた。
この家を出て、大学に入って、人生の勝ち組になるために。
けれどもう無理だ。この肉体が煩わしい。
近いうちに死のう。死んだ方がいい。
誰か私を拳銃一発で殺してくれと思う。もしくは、明日隕石がふってきてくれても構わない。
死にたい気持ちの隙間を埋めるようにして、動画をみた。
ただ動画を見続けた。
何を見ても笑えなかったけど、現実を見るよりかは遥かにましだった。
関連動画をどんどんタップしてゆく。
考える必要なんてない。私が何もしなくてもグーグルのアルゴリズムが、私が欲している動画を次から次へと提供してくれる。
脳みそが溶けていくのが分かる。
数式や英単語や今日やるべきことやや今後の人生のことで詰まっていた頭が今や、振ればカランカランと音が鳴るほど何も入っていない。
私は、布団の上で寝返りをうち、枕を自分の方へ引き寄せた。
画面にはやけに指紋がついており、汚く、手元のブランケットで拭った。
その拍子に、勝手に画面が押されたのか動画が流れ始めた。
白が消える(歌ってみた)/無夢
無夢・七十七万再生・二年前
動画が始まった瞬間、ぞわりと肌があわだった。
皮膚の下に潜む形を持たない何かが暴れまわり、今にも自分が引き裂かれてしまいそうだった。
瞳孔は開き、耳は澄み、喉が異様に渇いている。
見てはいけないものを見てしまった気がした。
踏み入れてはいけない場所に足を突っ込んでいるのが分かる。
このまま動画を閉じるべきなのかもしれない。だけど、動画を止めることはできなかった。
それは、人が歌を歌っている動画だった。
綺麗な声でアップテンポの曲を滑らかに歌いこなしていた。
低すぎず、高すぎもしない、天然水ように澄んだ透明の声がするすると何の抵抗もなく心に落ちてゆく。
中性的な声の中には力強い声の芯があり、それをまとう空気はすごくふわふわと雲のように不安定で、死んでしまいそうだった。
息遣いはしんと静かなのに心臓を削って歌っているように聞こえた。
冥くて、美しい世界。
まるで、闇夜にぽつりとそびえたつ教会のような、死海でタンポポを見つけて優しく微笑むような、裸でまっさらな雪道をあるいているような、そんな世界。
人は空気を持つ。
無夢の歌声はきれいだけど、纏う空気はじめじめと湿っていて、薄暗く、出口のない闇のど真ん中にいた。
どこにも居場所のない私と同じだと思った。
嫌になって捨てていった私という存在の欠片を無夢は立ち止まり、大切に拾ってくれた。
一緒だねと微笑んでくれた。
無夢の歌声は私の心を代弁して、叫んでくれていた。私を救ってくれる人が画面の向こう側にいた。
ギリギリのところで無夢が捕まえてくれた。大丈夫だよ、と耳元でささやいて抱きしめられているみたいだった。
じわり、と涙がこぼれた。
一瞬にして私は無夢の世界の虜になってしまった。
動画を聴き終わると、私は巻き戻してもう一度聴いた。聞いても、聞いても、聞き飽きず、私は何度も何度も動画を再生した。
途中で広告が流れてきた。
新進気鋭のシンガーソングラーター!という文字の元、ありきたりな歌詞にありきたりな文字とありきたりな声を乗せて、人より少しだけ可愛い顔の女の子が歌っていた。
広告がスキップできるまでの五秒間をじっと待った。その五秒間は今の私には永遠のように思えた。
広告が消えると、再び無夢の声が私を別の世界へと連れ去った。
売れている歌は表面だけの言葉をさらい、深いふりをしては無遠慮に土足で踏み込んでくる。
しかし無夢は、闇の中にいる私を無理やり光で照らすのではなく、無夢自身が闇の底で共にいてくれる。一緒に辛いよ。と苦しんでくれる。
こんな風に歌を歌う無夢という人は、一体どんな人なのだろう。どのように人生をあゆんできたのだろうか。何を愛し、何を嫌うのだろうか。
すぐさまインターネットの検索エンジンに無夢と打ち込んだ。
一番上から下まで出てきたまとめサイトや音楽の記事、裏掲示板など時間をかけて隅から隅まで精査した。
しかし、期待に反して大したことは書かれていなかった。
性別は多分男。年齢は十代後半から二十代前半。誕生日は分からない。どこに住んでいるのかもわからず、何が好きなのかもわからない。大学を出ているのか、働いているのかもわからない。身長も顔も分からない。
無夢という存在はほぼ無色に近かった。
死にたくなる。
死にたいけど、苦しむのはもう嫌。
煙のようにしゅうっと存在を消してしまいたい。辛い感情が存在しない、ただ広い無の世界に行きたい。
楽しくもうれしくもないし、将来も希望もない。
ただただ寝て起きて、ご飯を食べて生命を維持し続けているだけで、心は完全に死んでいた。
まさに生きる屍。
頑張って、頑張って、ずっと前を向いた。
この家を出て、大学に入って、人生の勝ち組になるために。
けれどもう無理だ。この肉体が煩わしい。
近いうちに死のう。死んだ方がいい。
誰か私を拳銃一発で殺してくれと思う。もしくは、明日隕石がふってきてくれても構わない。
死にたい気持ちの隙間を埋めるようにして、動画をみた。
ただ動画を見続けた。
何を見ても笑えなかったけど、現実を見るよりかは遥かにましだった。
関連動画をどんどんタップしてゆく。
考える必要なんてない。私が何もしなくてもグーグルのアルゴリズムが、私が欲している動画を次から次へと提供してくれる。
脳みそが溶けていくのが分かる。
数式や英単語や今日やるべきことやや今後の人生のことで詰まっていた頭が今や、振ればカランカランと音が鳴るほど何も入っていない。
私は、布団の上で寝返りをうち、枕を自分の方へ引き寄せた。
画面にはやけに指紋がついており、汚く、手元のブランケットで拭った。
その拍子に、勝手に画面が押されたのか動画が流れ始めた。
白が消える(歌ってみた)/無夢
無夢・七十七万再生・二年前
動画が始まった瞬間、ぞわりと肌があわだった。
皮膚の下に潜む形を持たない何かが暴れまわり、今にも自分が引き裂かれてしまいそうだった。
瞳孔は開き、耳は澄み、喉が異様に渇いている。
見てはいけないものを見てしまった気がした。
踏み入れてはいけない場所に足を突っ込んでいるのが分かる。
このまま動画を閉じるべきなのかもしれない。だけど、動画を止めることはできなかった。
それは、人が歌を歌っている動画だった。
綺麗な声でアップテンポの曲を滑らかに歌いこなしていた。
低すぎず、高すぎもしない、天然水ように澄んだ透明の声がするすると何の抵抗もなく心に落ちてゆく。
中性的な声の中には力強い声の芯があり、それをまとう空気はすごくふわふわと雲のように不安定で、死んでしまいそうだった。
息遣いはしんと静かなのに心臓を削って歌っているように聞こえた。
冥くて、美しい世界。
まるで、闇夜にぽつりとそびえたつ教会のような、死海でタンポポを見つけて優しく微笑むような、裸でまっさらな雪道をあるいているような、そんな世界。
人は空気を持つ。
無夢の歌声はきれいだけど、纏う空気はじめじめと湿っていて、薄暗く、出口のない闇のど真ん中にいた。
どこにも居場所のない私と同じだと思った。
嫌になって捨てていった私という存在の欠片を無夢は立ち止まり、大切に拾ってくれた。
一緒だねと微笑んでくれた。
無夢の歌声は私の心を代弁して、叫んでくれていた。私を救ってくれる人が画面の向こう側にいた。
ギリギリのところで無夢が捕まえてくれた。大丈夫だよ、と耳元でささやいて抱きしめられているみたいだった。
じわり、と涙がこぼれた。
一瞬にして私は無夢の世界の虜になってしまった。
動画を聴き終わると、私は巻き戻してもう一度聴いた。聞いても、聞いても、聞き飽きず、私は何度も何度も動画を再生した。
途中で広告が流れてきた。
新進気鋭のシンガーソングラーター!という文字の元、ありきたりな歌詞にありきたりな文字とありきたりな声を乗せて、人より少しだけ可愛い顔の女の子が歌っていた。
広告がスキップできるまでの五秒間をじっと待った。その五秒間は今の私には永遠のように思えた。
広告が消えると、再び無夢の声が私を別の世界へと連れ去った。
売れている歌は表面だけの言葉をさらい、深いふりをしては無遠慮に土足で踏み込んでくる。
しかし無夢は、闇の中にいる私を無理やり光で照らすのではなく、無夢自身が闇の底で共にいてくれる。一緒に辛いよ。と苦しんでくれる。
こんな風に歌を歌う無夢という人は、一体どんな人なのだろう。どのように人生をあゆんできたのだろうか。何を愛し、何を嫌うのだろうか。
すぐさまインターネットの検索エンジンに無夢と打ち込んだ。
一番上から下まで出てきたまとめサイトや音楽の記事、裏掲示板など時間をかけて隅から隅まで精査した。
しかし、期待に反して大したことは書かれていなかった。
性別は多分男。年齢は十代後半から二十代前半。誕生日は分からない。どこに住んでいるのかもわからず、何が好きなのかもわからない。大学を出ているのか、働いているのかもわからない。身長も顔も分からない。
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