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第9話 森の乱れ
しおりを挟む俺は一度、このフエゴデル域から抜け出しペルデに戻ろうと決めていた。無事、閻魔大王ことグラン大王とも良好な関係を結べそうではあるし、希望の兆しが微かに見えてきたことはあるが、やはりこの場所は落ち着かない。
グラン大王とああして拳を交わしたことで、ここの支配権の一部は正式に俺に認められたと思ってまず問題はないだろう。一部というのが少し気になるところではあるが、例のフエゴデル・ユヘルシートとやらが絡んでいるのだろう。彼等が一体何者で、どれくらいの人数で構成されているのかは皆目見当も付かないが、どちらにしても俺一人でこの得体の知れない空間を支配しろなどと無理な話だ。それも考慮して、ユリウスさんは支配権を一部くれるという形を取ったのだろうと、俺は思うことにした。
ちなみに、ここフエゴデル域には、イヴァイトオリオンのようないわゆる『死者』以外にも、様々な奴らがいるという説明をグラン大王から受けた。かくいうグラン大王も死者ではなく、元々この世界に住まう存在だったらしい。彼は生者でも死者でもないと、そう自分自身を言い表していたが、実際の所はよく分からない。
とにかく俺は、この地獄で奇妙なくらい安心感を得ることが出来た。地獄も捨てたもんじゃないな、地獄もあるんだったら天国もあるんじゃないか、などと考える余裕まで生まれてきた。
しかし、俺はこのときはまだ気付いてもいなかった。
ここから先に待ち受ける、『生命』を掛けた争いに――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
森の聖域『ペルデ』北域、『ムーンの窪み』に、バドとポーランの姿はあった。
現在ペルデは、中央にある神樹を基準として広がっている。まず、神樹が最奥に位置するようにキューレイションと呼ばれるエルフ達が集う広場がある。広場と言っても、その発展ぶりは一つの巨大な街や都市と言っても差し支えないだろう。
更にそのキューレイションを中心に、東西南北に『外域』というエリアが広がっている。外域はそれぞれ東域、西域、南域、北域と呼ばれており、キューレイションとは明確に区分されているという特徴がある。
この『外域』は、キューレイションと違い基本的には開け放たれていて、キューレイションほど整備の目は行き届いていない。無法地帯と言うほど荒くれている訳ではないが、基本的にエルフは外域を移住地にはしておらず、魔物も生息している。
外域の特徴はこの魔物の存在ともう一つ、亜人の存在である。亜人とは、森に生息する動物が突然変異を起こし、人型となった存在のことを指す。このペルデには、ウサギの亜人、タヌキの亜人、オオカミの亜人など、様々な亜人が生息しており、それぞれが人の形に耳や牙、目や体毛などと特徴的な部位を有しており、また言葉を喋ることも大きな特徴である。
更に、亜人はユリウスら人間やエルフ達とは違い、明確な社会構造を構成していない。それは、動物元来の習性に近しいものがあり、より野性的で自然的であるとも言える。無論、亜人にも理性や感情の類いは存在するが、自然への対応力も非常に強いため、それほど整備されていない外域との相性は抜群なのである。
ペルデの亜人達とエルフ達は互いの生息を容認し合っており、この種族間で争いが起こることは殆どない。つまり、今現在まで、ここペルデで大きな戦争まがいの事が起こったことは、ほぼないと言っていいだろう。
しかし、その森ならではの平穏そのものが、今崩れ去らんとしていた。
それは、オクレビトである浩二のペルデへの侵入…によってだけではなかった。
もう一種族、禁忌を犯し、この森に侵入した者たちがいた。
「バド~、敵の姿なんて見えないよ?」
緊張感のない少年のような声で駄々をこねるのは、女エルフ、ポーランであった。彼女は器用に両足の膝を木の枝に掛け、逆さまに宙づりになった状態で辺りを見回していた
ここ、『ムーンの窪み』は他の場所よりも少し土地が窪んでいるのが特徴であった。クレーターのように窪んだその大地は、比較的木の数が少ない。また地面にも草は生えてなく土が露出していることもあって、ポーランのように枝にぶら下がった状態でも全貌は確認できる。
バドは窪みの、殆ど木が生えていない部分に立っていた。どこからかポーランの喧しい文句が聞こえてきたが、聞こえないふりをして辺りを見回した。敢えて外から露出した部分に立つことで、敵を誘い込もうという目論見だった。
しかし、ここについて同じようなことを10分かそこらやっているが、いっこうに敵の気配はない。時々、窪みの外の魔物達が木の陰から顔を覗かせているのは、この森に住むエルフ達にとって―――――それも、調査などによって外域へ出ることが多い精鋭達は特に―――――驚くべき事ではなかった。
魔物達は魔物達で、精鋭達の強さを知ってか、迂闊にバドを襲って来たりはしない。
「……ちっ」
バドは痺れを切らして舌打ちをした。場所を移動しようと考えたのだ。
そもそもこのムーンの窪みやその付近は木々が少ないため隠れられる場所が少ない。それを逆に利用して敵をおびき出そうと考えたが、とんだ時間の無駄だったようだ。
バドは踵を返し、窪みの中央辺りにいるであろうポーランの元へ戻ろうとした。
その時、
ザッと何かが動き、森の枝葉が揺れ動くような音がした。
バドは振り返り、窪みの外へ目をやった。
「誰だ!!」
バドの咆哮が、窪みの外に響く。それを聞いてか、窪みの中央にいたポーランは目を輝かせながら木々の上を軽々と移動し、バドの所へ向かう。
「なに!?なに!?敵いた?!」
ポーランがバドに近づいていく。ポーランは、眼前、20メートルほど先にこちらに背中を向けて立つバドの姿を捕らえた。動きを緩めずに木々の上を移動し、彼の元へ行こうとする。
しかし、不意に右足が宙に浮いた感覚があった。
エルフ達は、木々の上をこうして移動するのが得意だった。この方が、地上を走って移動するより速く移動できるのだ。
特に、小柄なポーランはこの木の上の移動が得意で、数十メートル先にある枝葉の位置をぱっと見て覚え、どこに足を掛ければより早く安全に進めるかを無意識のうちに考えるようになっていた。
いつもと代わり映えのなかった筈の枝葉の位置、この目で確かめた枝葉の位置。その位置に、狂いがあるはずはなかった。
だからポーランは、その日も同じ枝がそこにあるだろうと思い込み、右足を踏み込んだ。
しかしその右足は、どんな小さな枝葉をも踏みしめることはなく、ポーランはバランスを崩した。
「おっ…と!」
自分が足を踏み外すとは、珍しい。ポーランはその一瞬で少し考えたが、踏み外したところで特段問題はない…はずだった。
ポーランは一度地上に降りようと、枝を掴んでいた両腕を離した。手も足も枝葉から離したポーランは、自らの身体が地面に自由落下するのを待つだけだった。
いや、待つ…という程、長い時間でもないはずだった。
だが、待てども待てどもポーランの身体は、その足は地面に着くことはない。
それどころか、ポーランの右足には、生気を感じさせない色をした木の枝が、絡みついていた。
「ちょっ…なに、これ…」
ポーランは身体の自由を奪われる。
そして、右足に絡みついた木の枝から、視線をその木本体に移す。その木は、他の木とは血色がまるで異なっていた。首を絞められ、鬱血した顔面のような紫色に変色したその幹は、ポーランを驚かせるのに十分だった。
ポーランは為す術も無く、そのまま縦横無尽に暴れ回る木の枝に振り回され、木々に叩きつけられた。
「カッ…!」
その音に、バドは気付いた。そうして、窪み側、乱立する木々の中で振り回されるポーランの姿を視認した。バドはその足で地面を蹴り、ポーランの元へ向かった。
「ポーラン!」
叫んだ名前の主から、返事はない。
遠目から見える彼女は、木の枝に絡まった右足を支点に、至る所に叩きつけられていた。
バドは、混乱していた。
あのポーランが何故あのように振り回されているのか。何故返事をしないのか。何故自分は今までポーランに忍び寄る敵の影に気付かなかったのか。
それらも無論、バドを混乱させた要因ではあった。
しかしもう一つ、いや、あるいはこのたった一つに限るのかもしれない、彼を混乱させた要因は。
――――――――――なぜ、森の木々がエルフを襲うのか。
瞬間、バドの背後で、敵の気配がした。
それは、動物でも、亜人でも、魔物でもない、圧倒的に明瞭な敵の気配。
バドは振り向いた。
そして、自分の眼前に無数の木の枝が迫っていることに気付いた時には、ポーランと同じように身体の自由を奪われていた。
「ちっ…くしょおお…!!」
なんだ、この枝の数は…!
ここはムーンの窪み、ここまで無数の枝が一カ所に集まることなど、考えられない。
バドは右手を枝に取られた。何とか左腕でその枝を掴むが、木を引きちぎることなど、エルフであるバドには出来なかった。
そして背中から、太い枝が突き刺さり、その枝の先端が己の眼下に赤い血を纏って顔を出した。
枝が、身体を貫通していることは明らかだった。
「くそ…なんだってんだ…」
バドは口から血を流しながら、薄れゆく意識の中でポーランの方へ目をやった。ポーランは、周囲の木々を鮮血で染めたまま、地面に倒れ伏していた。
バドはポーランに手を伸ばすが、その手はあっけなく、無数の枝に取り囲まれ、折られた。
その後、バドは枝の力に逆らえぬまま、地面に叩きつけられた。
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