ファウストの聖杯 ―Please Burn Me Out ―

明智紫苑

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本編、フォースタス・チャオの物語

黄金の秋

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 豊穣の秋、色気より食い気。フォースタス・チャオは、最愛のアスターティと一緒に様々なイベントで舌鼓を打つ。アヴァロンシティの空気はまばゆい金色だ。この「世界の首都」は一年中極彩色で満ち溢れているが、今は秋のしっとりとした風情が、夏より落ち着いた空気をかもし出す。
Stay Gold輝き続けろ
 アヴァロンシティで開催されるイベントは、たいてい邯鄲ホールディングス傘下の企業が参加している。それら企業ブースが提供する飲食物は常に人気がある。
 特に、邯鄲ファームが提供する食材は品質の良さもあって評判が良い。秋になっても、牛乳たっぷりのソフトクリームは人気があるが、これはバニラ味だけでなく、抹茶味も売れ行きが良い。アスターティもこの抹茶味ソフトクリームがお気に入りだ。
「このドネルケバブうまい!」
 フォースタスは肉料理が好物だ。彼にとっては、様々な料理の販売ブースがあるイベントはまさしく「パラダイス」だ。
 今は〈ジ・オ〉による街宣車などの騒音はない。健全な喧騒だけがある。
「デザートは別腹ね」
「当然!」
 着倒れ、食い倒れのアヴァロンシティ。市民も観光客も、平和がもたらす豊かさを心底から楽しんでいる。
「ペット用の食べ物のブースがあるぞ。メフィスト、何がいい?」
 フォースタスはかがみ込んでメフィストに訊く。メフィストは小声で答える。
「ゆでた豚足がいいな」
「オーケー。すみません、豚足一つください」
「まいどあり!」

「良い季節だ」
「そうね」
 シリル・チャオと妻ミサトは、久しぶりに夫婦水入らずの時間を過ごしている。イチョウ並木を見下ろす高層ビルで、二人はイベントの様子を眺めていた。
 ミサトは普段は、アガルタの宿舎で暮らしている。夫に会うのは月に一度か二度くらいだ。
 シリルには、今は亡き先妻との間に二人の息子がいる。そして、後妻ミサトとの間には、娘ルシール、息子フォースタスとヴィクターがいる。そして、アガルタの職員になったルシールと小説家のフォースタス以外は、邯鄲ホールディングス傘下の会社に所属している。
「あいつも大きくなった。これからいい男になる」
 シリルは地上のフォースタスに目を向ける。〈シャーウッド・フォレスト〉の団員たちも含めた友人たちが、彼と祭りを楽しんでいる。アヴァロン連邦の黄金時代。時よ止まれ、お前は誰よりも美しい。
 幸ある者、フォースタス。その名はアヴァロン連邦初代大統領アーサー・フォースタス・フォーチュンにちなんで名付けられた。母なる惑星アヴァロンの聖杯の騎士となるように。そう、「聖杯」とは、アヴァロンの民たちの平和と自由と豊かさの象徴、民や世界に深い知恵と生命力をもたらす「ファウストの聖杯」だ。
「古き秩序は新しき秩序に取って代わられる。未来は若い世代のためにある。平和と自由と豊かさのバトンを後世に伝えるのだ」
「そう、それがあの二人が進む道。あの二人こそが私たちの希望なのよ」
 ミサトは応える。
 一度は二手に分かれた大河の再合流。それが〈アガルタ・ソロモン・プロジェクト〉の意義である。



「そう、〈聖なる星〉からつながる歴史と命」
 長い黒髪を秋風になびかせる女は言う。
「世界の大河から、この世の海から生命いのちが生まれる。我々はこの惑星ほしの者たちを見守るのだ」
 隣の女ほどではないが長い黒髪を後ろで束ねた男は言う。
「〈アガルタ〉の総長シャマシュ公は、我々人間たちを愛していた。そのシャマシュ公の魂を受け継いだアート…俺たちの息子アーサー・フォーチュンもそうだ」
 かつての〈アガルタ〉の精霊、果心居士かしんこじ松永緋奈まつなが ひなは、アヴァロンシティのセントラルパークを散策する。年に一度のオータムフェスティバル〈ステイ・ゴールド〉は、この夫婦の愛息子アーサー・フォーチュンの功績を讃えるために始まった祭りだった。
 輝き続ける平和と自由と豊かさのために。黄金色のイチョウ並木が祭りを彩る中、アヴァロンの市民たちはこの世の楽しみを満喫する。
「愛さずにいられないアヴァロンシティ。武器ではなく花を。アートと仲間たちが願った平和と自由と豊かさが長く続くように。そのためには、今のアヴァロンの連中の政治や社会に対する無関心を正さなければならない」
「あの男、プレスター・ジョン・ホリデイは、かつての地球の悪魔の再来。あの男はこの世を破滅に導こうとしている。あの男は自らを正義漢だと信じているけど、自分自身の衝動の由来を知らない」
 茨の国ソーニアの「王」プレスター・ジョン・ホリデイ。彼はアヴァロン連邦の現大統領コートニー・サトクリフの大学時代からのライバルだった。いや、ホリデイが一方的にサトクリフを敵視していた。ホリデイは、サトクリフとその身内に対して何度となく誹謗中傷しているが、それが一部の有権者たちの人気を集めていた。
「あいつの暴走を食い止めなければならない。この世の平和を守るために」
 終わりの始まり、嵐の前の静けさを悟る者は、今はまだまだ少ない。



「天高く馬肥ゆる秋…か」
 秋の空はどこまでも遠く。雲一つない青空を、プラチナブロンドの髪と空色の目の美少年は仰ぎ見た。姉や自分の目と同じくらい、いや、それ以上に美しい青空を。
 アヴァロンシティのアガルタ特別区は、すっかり紅葉に染められていた。黄色いイチョウ並木も美しい。
 ここ、アガルタは、単にバールたちを産み出すだけでなく、バールたちを教育する機関もある。幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校、大学、大学院。そして、ある者は士官学校に、またある者は警察学校に。さらには、消防士や看護師や介護士の卵を教育する機関もある。
 ここの士官学校や警察学校は、人間とバールが机を並べて共に学んでいる。
 アガルタ特別区は、アヴァロンシティの他の地区とさほど変わらない街づくりである。バールたちが外界への順応をしやすくするために、自然な街づくりをしている。ただし、区外の人間は特別許可がなければ出入り出来ない。
 アスターティの幼なじみである女性型バール〈コヨルシャウキ〉と、アスターティの2歳下の弟〈アスタロス〉は、アガルタの士官学校の生徒である。そして、アスタロスは飛び級で入学していた。
 地球連邦からの独立を果たして300年以上経つアヴァロン連邦と言えども、軍隊は必要だった。ある時は災害救助のため、さらにはカルト集団などの「過激派組織」の鎮圧のために。あるいは、他の惑星からの干渉に備えて。
「アスターティ…元気かな、ゴールディ?」
 アスタロスは、金髪緑眼の年上の美女に尋ねる。彼らにはそれぞれ、「人間」としての名前がある。アスタロスは〈マンフレッド・フォーチュン〉。そして、コヨルシャウキは〈ゴールディ・ベル〉という名前だ。特にコヨルシャウキは本名が長いので、もっぱら「ゴールディ」と呼ばれている。
 ゴールディは言う。
「あの子は相変わらず元気なようね。仕事と学業の両立がうまく行っているようだし、フォースタスとの仲も順調なようね」
「まあ、メディアを通じては特に悪い噂はないね。僕らは立場上、なかなかあの人に会えないけど、外出許可が認められたら会いに行きたいな」
 姉アスターティが「人間として」生きていくためにアガルタから連れ出された時、幼いアスタロスは泣いた。しかし、ゴールディが彼を慰めてくれた。アスタロスにとってゴールディは姉の代わりだった。いや、それ以上の存在だ。
 しかし、今はまだその気持ちを伝えられない。
 トンビの鳴き声が聴こえる。
「マツナガ先生はいいな」
「いいなって?」
「普通のバールとは違って、自由気ままに生きている。もしかすると、普通の人間以上に。うらやましいよ」
「あの人は特別よ」
「僕らバールたちの中で初めて『普通の人間』として生きるのが許されたのは、あの人だったんだよね?」
「確か、アーサー・フォーチュン大統領の奥さんがバールだったという説があるけど…?」

 ここにいるのは、研究者やバールたちや実験動物だけではない。一部の退役軍人も住んでいる。かつてバールでありながらも、連邦宇宙軍の軍医だったフォースタス・マツナガも、その一人である。そして、彼はここの研究者たちの中で現役最年長だった。
「それにしても、ウキタ所長もあの人には甘いよね。マツナガ博士は色々と無茶やっているようだし」
 アガルタのトップに立つ女性、理学博士マーシャ・ロザリー・ウキタ。彼女の一族は、アヴァロン連邦初代大統領アーサー・フォーチュンの戦友の子孫だが、さらにさかのぼると、この一族は戦国時代の日本の名家の子孫らしい。さらに、この一家はなぜか娘しか生まれないようだ。そして、超女系家族ウキタ家の歴代当主である長女は代々〈マーシャ〉というファーストネームを名乗っている。
 さらに、ウキタ所長の長女マーシャもアガルタの職員なので、娘の方はミドルネーム〈カトリーナ〉の愛称形〈ケイティ〉と呼ばれている。
「無茶で悪かったな?」
 渋味のある男の声が聞こえた。
 アスタロスは驚いた。そう、噂をすれば何とやら。件の御大、ドクター・フォースタス・マツナガがそこにいた。
「せっかくお前らに何かおごってやろうかと思ってたのに、そんな気なくしたわ」
「すみません…」
 フォースタスはニッと笑った。
「冗談だよ。おごってやる。何の予定もないなら、ついて来い。所長の許可を得ているんだ。セントラルパークの近くにあるイタリア料理屋だ。あそこは知る人ぞ知る名店だぞ」
「え!? いいんですか?」
「お前ら、アスターティに会いたいんだろう? 向こうに連絡している。例の店で飯食ってから、あいつらの家に行こう」
 アスタロスは、喜びの表情を隠さなかった。ドクター・マツナガは、そんな彼を微笑ましげに見つめた。
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