ファウストの聖杯 ―Please Burn Me Out ―

明智紫苑

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本編、フォースタス・チャオの物語

友よ

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 アヴァロン島南部、南アヴァロン湾には海水浴場がある。今のアヴァロンビーチは海水浴客たちで賑わっているが、かつては、フォースタス・マツナガ博士の初恋相手が海に還った場所だった。
 恋も花咲けば、愛も実る。無邪気な子供たちが駆け回る様を、微笑ましく見守る男がいる。そう、フォースタス・マツナガだ。
「フラッペを買ってきたわよ」
「おう、ありがとう」
 長い銀髪をまとめ、大物女優がかぶりそうな形の麦わら帽子をかぶり、オレンジ色の地に大胆な花柄が描かれたホルターネックのマキシ丈ワンピースを着た女が来た。首元にはターコイズのネックレスが飾られている。手首にもターコイズを連ねたブレスレットがある。ジェラルディン・ゲイナーだ。彼女はエスニック調のショルダーバッグを斜めに掛けており、似たような雰囲気のサンダルを履いている。そして、フォースタスとジェラルディンは、貴重な休暇を味わっている。
 フォースタスはかつての恋人ヒナ・マツナガの墓参りに行ったが、用事を済ませてから現在の恋人と合流した。さすがに、今の恋人をかつての恋人と引き合わせる気にはなれない。
 多分、ヒナ自身は何の未練も嫉妬もなく、かつての恋人の新たな幸せに安心するだろう。少なくとも、ヒナは陰気な未練がましさとは無縁な性格の女であり、フォースタスはそんな彼女に惹かれたのだ。そして、今、彼の隣りにいる女もまた、男に対して重苦しく依存する女ではない。

「Get It On」

 かつての地球にいたロックバンド、T-REXのカヴァー曲だ。アスターティ・フォーチュンと同じく邯鄲ドリームに所属するバンドの演奏だ。
 アヴァロンビーチから少し離れた丘に墓地がある。ヒナ・マツナガの墓はそこにあるが、この墓地にはもう一人の「運命の女」が眠っている。



「ライラ。いくら謝ってもまだ足りないだろう」
 アーサー・ユエは、亡き妻ライラの墓前でつぶやく。
「僕の事は許さなくていい。だけど、フォースタスは責めないでくれよ」
 墓石には白い百合の花が置かれている。アーサーは墓地を去り、車を走らせた。
 8月の暑さ。しかし、風が暑さを和らげてくれる。
 ただの友達。かつてはそう思っていた。しかし、違っていた。
 ミサト・カグラザカ・チャオ。「坊主ラッド」フォースタス・チャオの母。
 ミサトにとって自分は単なるクラスメイトで友達に過ぎなかったし、自分もそう思っていた。しかし、自分の本当の気持ちに気づいた時には、彼女は他の男と結ばれていた。
 フォースタス・チャオは自分の恋敵だった男の息子。しかし、同時に自分が密かに恋焦がれていた女の息子でもある。
「ミサト、今さら君に告白するつもりはない。あの頃の僕の思いは、あくまでも過去なのだから」
 アーサーは思う。いずれはフォースタスと一緒にライラの墓参りに行こう。
 そう、例の芝居が無事に成功してから。

「しかし、アスターティも大変だよね。お芝居の仕事と受験勉強の両立」
 ルシール・ランスロットとフォースティン・ゲイナーは、オープンカフェでおしゃべりをしている。
「まあ、あたしは大学に進学はしないけど、あんたは進学するんでしょ、フォースティン?」
「うん、アヴァロン美大にね」
「あたしはアルバイトをしながらバンド活動をするけど、いずれはプロデビューしたいね」
 ルシールは、アイスカフェラテを飲み干した。フォースティンは言う。
「そのアスターティが出る劇、一緒に観に行かない?」
「アスターティの?」
「あの人の彼氏も出るの。マリリン姉さんがチケットをくれたんだけど」
「ああ、あんたの姉ちゃんのバンド、何度かあの人と共演してるもんね」

「なぁ、そろそろ許してやってくれないか? 現にユエ先生があいつを許してるじゃないか?」
 セントラルパークの近くのバーで、スコット・ガルヴァーニはランス・ファルケンバーグに頼む。ランスはしばらく黙ってから答える。
「…まあな。俺も意地を張りすぎたよ。例の劇のチケット、ありがたく受け取らせてもらうよ」
「ありがとう、ランス。俺も嬉しいよ」
 ランスは苦笑いした。
「俺も、あいつと仲直りするきっかけがほしかったんだ。だけど、自分の仕事の忙しさなどを理由に逃げ回っていたんだ。あいつだけが情けないんじゃない。俺はガキの頃から強情な奴だけど、さすがにいつまでも突っ張っている訳にはいかないな」
「そうだな。健闘を祈るよ、新進気鋭の弁護士さん」
 スコットは微笑んだ。その顔には役目を果たした安心感が表れている。
 フォースタス・チャオ主演の演劇『ファウストの聖杯』は、秋に上演される。これは少なからず話題になっていた。ちょっと前のフォースタスのスキャンダルだけではない。「歌姫」アスターティ・フォーチュンがヒロインを演じるのも話題になっていた。
 そして、この二人の「熱愛」も注目の的になっていた。



 シャホウ・レイは湯船に浸かっている。
「あの二人が、ねぇ…?」
 壁面のディスプレイに映し出されるニュース。かつて自分のクラスメイトだった男は、自分と共通のクラスメイトだった少女と付き合っていたが、あの男フォースタス・チャオは今、今は亡きあの女子クラスメイトと瓜二つの女と付き合っているのだ。
「アスターティ、あのアガルタの至宝か…」 
 レイは、父が自社の女性型バールに自ら産ませた息子だった。民間企業製バールから生まれた「次世代」の一人が彼だった。〈デミバール〉、すなわち「半バール」は、現時点では世間一般において、都市伝説上の存在としか認識されていない。
 いくら「実家が太い」研修医といえども、普通はこのような広々としたバスルームで過ごすほどの暮らしではない。しかし、レイはすでに研修医期間を終え、〈リリス・グレイル〉社の役員になっていた。
 バールたちを生み出す民間企業の幹部として、彼はアガルタの事情についての情報を仕入れている。
 シャホウ(夏侯)家は元々、アヴァロン連邦初代大統領アーサー・フォーチュンに従った者の子孫だった。しかし、フォーチュン大統領の死後、政府の中枢から遠ざけられ、やがて裏社会に去っていった。
「フォーチュンの名を継ぐ者か…」
 ヘレナ・ウォーターズ。その名は仮名。彼女もまた、何代目かの「アスターティ」だった。
 アーサー・フォーチュンの妻「ナナ」ことエスター・ナナ・フォーチュンは彼女たちの先輩であり、何人もの「アスターティ」の一人だった。当時のバールたちは、まだ天然の人間と同等の人権を認められていなかったゆえに、ナナには生殖能力がなかった。しかし、アーサーとナナはこの惑星ほしの「父母」となった。

「ロクシー、あんたは俺の姉貴分だよ」

 ロクシー、すなわちロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド。逆境から這い上がった歌姫ディーヴァ。白人貧困層の家庭に生まれ育ち、父や兄や男子クラスメイトからの性虐待被害に遭った元いじめられっ子で元醜女の「人造美女」。それが彼女に与えられた「記憶」だった。
 偽りのトラウマによって「ドーピング」されたスーパースター。しかし、彼女は自分に刷り込まれた偽りの記憶を真実そのものだと信じている。そんな彼女を影で支えるのが、もう一人の「ロクシー」だった。
 ロクサーヌ・シルヴァー・ダイアモンド。金に次ぐものは銀。
 金のロクシーが典型的なブロンド白人美女の容姿を持つのに対して、シルヴァーは理知的で落ち着いた雰囲気の黒人美女である。彼女はロクシーのお目付け役として、その隣りにいる。ロクシーの極端な同性嫌いはショービジネス界では有名だが、そんな彼女が唯一心を許す同性がシルヴァーだった。他に「友」と呼べる者はいない。
 シルヴァーには特別なマインド・コントロールを施していないが、ロクシーには世紀のスーパースターにふさわしいドラマ性を持たせるために、逆境を乗り越えた悲劇のヒロインという「個性」を持たせた。しかし、表向きにはその偽りの設定すらトップ・シークレットとして扱っている。
「ロクシーはホリデイめの情婦になっているけど、あの男が彼女の正体を知ったら、どう掌を返すかな?」
 パンジア大陸南部ソーニア州知事プレスター・ジョン・ホリデイは、いわゆる「女体好きの女嫌い」だ。基本的に女という生き物を信用しない。美貌の妻や情婦たちは、あくまでも飾りものの人形でしかない。彼の妻は気が強い女だという噂があるが、夫に対してはあくまでも従順な良妻という姿勢を取っている。
「旦那への当てつけとしての浮気の噂すらない。基本的に、男そのものに対して期待なんぞしていないのだろう」



 ミックことマイケル・クリシュナ・ランバートは、フォースタス・チャオの大学時代からの友人であり、同業者でもある。フォースタスが地球史小説を書いているのに対して、彼はミステリー小説を書いている。
 彼は自分が同性愛者だと公表しているが、それだけに、カルト教団〈ジ・オ〉とその政治部門である政党〈神の塔〉を警戒していた。
「スコットからチケットをもらった。あとは観に行くだけ」
 無事に公演されるのを望む。
 大学時代、フォースタスは恩師の妻との不義密通によって世間から非難されていた。しかし、ミックは彼の様子に対して静観せざるを得なかった。
 フォースタスの一番の親友であるランス・ファルケンバーグは彼の幼なじみだが、ミックは彼とは大学進学以来からの付き合いだ。それだけに、ランスほどにはフォースタスに対して明確な警告は出来ない。
 フォースタス、ランス、スコット、そして自分。あのスキャンダル以前の大陸への旅行。より若かった頃の、若さゆえの万能感。あの頃の輝きは、今思うと実にまぶしい。
 あの頃から、ソーニアではプレスター・ジョン・ホリデイの人気が高かった。元エリート弁護士で、現在のアヴァロン連邦大統領コートニー・サトクリフとは大学時代からの不倶戴天の敵だった男。女体好きの女嫌いで、ホモフォビアで、優生思想や白人至上主義で悪名高いマッチョマン。あの頃から、ソーニア州はきな臭い地域だった。
 無論、ごく普通の住民たちは素朴な善人だが、〈ジ・オ〉や〈神の塔〉の者たちは近隣住民に対しても排他的だった。
「ソーニアの土産屋で買ってきたミニカー」
 机の上に飾っている、赤くかわいらしいミニカー。何の変哲もない玩具だが、当時の四人はなぜか全員、土産屋でそれを買っていた。
「あ、あの限定品の腕時計、早速予約注文しようかな? でも、このサイトのミニカーもほしいなぁ…両方とも買っちゃえ」
 ミックはタブレット端末の表面を指差した。
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