ファウストの聖杯 ―Please Burn Me Out ―

明智紫苑

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本編、フォースタス・チャオの物語

女神の赦し

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 地球史。俺が学生時代に一番得意で好きだった科目だ。そして、今の俺は地球史をモチーフにした小説を書いている。これから舞台化する『ファウストの聖杯』も地球史小説だ。
 この小説は、数年前に俺が見た夢を元にしている。俺は目覚めてからすぐに、夢のあらすじをタブレット端末に打ち込んだ。そのあらすじを元に、小説を書き込んでいった。
 小説の主人公果心居士は架空人物だが、それゆえに、自由にキャラクターをいじりやすい。俺の小説の果心は、前漢の高祖劉邦に仕えた大将軍韓信の息子という設定だが、これもまた夢から得た発想だ。その果心の恋人緋奈もまた、俺の夢から生まれた。
 最初のあの夢以降も、俺はたびたび夢からヒントを授けられた。何者かの声に導かれ、物語を綴っていった。
 夢の中の果心は、どことなく俺に似ていた。少なくとも、鏡に映る自分に似ている。「兄弟」。そうだとすら言える。
《俺たちの物語》
《長い旅を超えて伝わる記憶》
 俺は何者かの声に導かれて、物語を綴る。
俺を焼き尽くしてくれPlease burn me out
 クライマックスの言葉。全てを清める炎。爆発し、散らばった魂は拡散していく。俺は光の粒子に導かれ、物語の波に乗る。

 小説『ファウストの聖杯』を書き終えてから、俺はぐっすりと眠った。夢の中、俺は巨大な樹の根元で眠っていた。
《…そう、それは〈聖なる星〉から伝わる神話》
 女の優しい声が語りかける。
《あの天空都市ヒメルシュタットにある〈聖杯〉はね…》
 途切れ途切れの声。何を示しているのか分からない夢。俺は夢の中でさらに眠る。『荘子』の巨大魚に羽が生えて大鳥になる。俺は鳥の背中にしがみついて、パンジア大陸を横断する。大陸の東にある群島に何かがある…。

〈FORTUNA IMPERATRIX MUNDI〉

 運命の女神、世界の支配者。
 一人の美しい女がいた。まるで女神のように輝いている。見覚えのある姿。俺は罪の意識に胸がうずいた。
「俺の事、許してくれないんだろう?」
 女は俺の目を真っ直ぐ見つめながら涙を流す。しかし、その目からは恨みつらみはうかがえない。この「女神」は俺の罪を赦すのだろうか?

 目が覚めた。俺のベッドからやや離れたところに犬用のベッドがある。そこに眠っている雄の白いミニチュアブルテリアが、今の俺の話し相手だ。



「お前、昔からセリフを覚えるのが早いよな。まあ、今回はお前自身が原作者だし」
「昔から」とは、ハイスクールの演劇サークル以来という事だ。スコットは俺をほめてくれる。
 舞台版『ファウストの聖杯』では、俺が果心居士を演じるが、松永久秀を演じるのはこのスコット・ガルヴァーニだ。
 ただ、このスコットという男は、松永久秀というよりも、円卓の騎士ガーウェインのような男である。豪放磊落な性格の赤毛の男。裏表がなく義侠心がある、親しみやすい人間だ。
 ガーウェインといえば、ランスロット。ランスロットといえば、俺の幼なじみのランスロット・ファルケンバーグ。身長190cmで金髪緑眼の美男子だ。あの事件以来、あいつと俺はすっかり疎遠になっている。
「ランスの奴にチケットを贈るよ」
 スコットは言う。
「もちろん、ユエ先生にもな」
 スコットは、気まずそうな顔をした。
「実はな、ナターシャが演出に専念するために降板する事になったんだ。それで緋奈の役のピンチヒッターの手配をお前の弟に頼んだんだけど」
「ヴィックにって?」
 ナターシャが? 何だろう? この劇団の看板女優は俺とスコットの共通の友人で、今回の舞台のヒロインを演じる予定だったのだが、スコットはヴィックにその彼女の代役を紹介してくれと頼んだのか? 誰だろう?
「アスターティに、ナターシャの代役を引き受けてもらったんだ。他の劇団の女優の客演も考えたのだけど、ナターシャがこのヒロイン役はあの子がふさわしいって言ってたんだよ」

「久しぶりね、フォースタス!」
 稽古場にミヨンとアスターティが来た。アスターティは、俺と目を合わせずに黙ってうつむいている。そりゃそうだ。この娘は俺を嫌っているんだ。しかし、なぜこのオファーを引き受けたのか?
「よ、よろしく」
 俺とアスターティは、二人きりになった。他の連中は俺たちを置いて、別の部屋に移った。
 何てこった。俺は覚悟を決めて、アスターティに訊いた。
「俺の事、許してくれないんだろう?」
 アスターティは首を振り、答えた。
「私、ずっとあなたの事が好きだし、信じている」
 彼女はまっすぐ俺の目を見つめ、続ける。
「確かに、あの事件で私は傷ついたし、あなたを責めた。だけど、それでも私は、あなたが好きなのには変わりない。『計画』なんて関係ない!」
 アスターティの頬に涙が伝わる。彼女は俺の胸に飛び込み、俺は彼女を抱きしめた。
「フォースタス…好き!」
 アスターティは、俺を許してくれた。
「ごめん。本当に済まなかった。ありがとう、アスターティ」
「ありがとう、フォースタス」
 この時の俺たちは、確かに果心と緋奈だった。

 稽古は地道に進んでいった。アスターティは一時的に音楽活動を休み、稽古と学業の両立を果たしていた。スコットは、彼女の潜在的能力をほめた。
「いやぁ~、アスターティ! 君も飲み込みが早いよ。フォースタスよりも素質があるね」
「ありがとう」
「そういえば、君。もうすぐ誕生日だよね。7月7日」
 そうだ。もうすぐアスターティの誕生日だ。アガルタの人工子宮から彼女が生まれた日。彼女たちバールは、十分発育してから、人工子宮から取り出される。そのために、アガルタには産婦人科医たちや小児科医たちがいるのだ。
 バールたちを育てる人工子宮には、かつての地球で崇拝されていた大地母神の名前がつけられている。そしてアスターティは〈アシェラ〉という名の人工子宮で育てられた。彼女と同じ人工子宮から生まれた弟に、アスタロスという名のバールがいるが、こいつは遺伝子上でもアスターティと血のつながりのある「実の弟」だ。
 俺はアスターティへの誕生日プレゼントを買っていた。彼女の名前「Astarte」にふさわしい、星形の飾りのついたネックレス。もちろん、これだけでは彼女に対する懺悔にはならない。だけど、これで精一杯の誠意を見せたい。
〈FORTUNA IMPERATRIX MUNDI〉
 運命の女神、世界の支配者。星形のペンダントトップの裏面には、そう刻印されている。

「ありがとう、フォースタス」



「親父さんの馬、ノブナガだけど、今日のレースで3連覇達成なるかな?」
 メフィストは言う。
 大馬主である父さんの持ち馬、ノブナガビアンコ。今日のG1レースで優勝すれば、このレースを3連覇達成という事になる…順調に行けば。日本史のスーパースターの名を持つ白毛の良血馬だが、下手な人間よりもよっぽど賢い「白面の貴公子」ならぬ「白面の奇行師」と呼ばれるくらい、強い個性の持ち主だった。
「賢過ぎて、調教師や騎手の言う事を無視する」
「人間の言葉が分かる。下手すりゃしゃべれるかもしれない」
「人馬問わず女好き」
「大レースの前に自ら観客席に近づき、ファンサービスをする」
「競馬新聞を読める」
「普段たいてい手を抜いて走るので、故障がほぼない」
「種牡馬になるために要点だけを頑張る男」
 要するに、単なる馬以上に賢いゆえに、競馬ファンやその他関係者たちから「名誉人間」として扱われている、名馬にして迷馬なのだ。
 さんざんごねてからゲートに入るという行動とは、個性派の馬を好む競馬ファンに対するサービスだとされている。人間の有名人に例えるなら、織田信長というよりはむしろ、劉邦と曹操を足して前田慶次で割ったような「傾奇者」だろう。その「白馬の王子様」が乗るような白く美しい馬体と端正な顔立ちから、女性ファンたちも多い。
 俺は馬主の身内なので、馬券を買えない。そもそも俺は、生まれてこの方ギャンブルとは無縁だ。競馬はロマン、ただスポーツとして楽しむだけだ。
 久しぶりの休日、俺はメフィストと一緒にテレビに釘付けになっていた。

「あいつ、相変わらずごねてるな」
 ノブナガがゲートに入りたがらない素振りを見せている。ほとんど伝統芸能。係員に目隠しをして、尻を押されてゲートに入った。
 そう、尻を触られた。すなわち、逆鱗。
「あぁっ!」
 いら立つノブナガは隣の馬を威嚇し、立ち上がった。そこでゲートが開き、ほんの数秒、彼は出遅れた。ここで、大量の馬券が一瞬でただの紙くずと化した。
「あいつ、肝心なところでやらかしやがって!」
 メフィストは呆れた。俺は全身の力が抜けてしまった。問題児の白馬は何もかもあきらめ、惰性で他の馬たちを追いかけた。こりゃ、ビリだろう? 俺はそう思ったが、かろうじて一頭を追い抜いた。
「まあ、引退してから種牡馬入りが確定しているからなぁ」
 そう、まさしく「要点だけを頑張る男」。それが「名誉人間」たる名馬にして迷馬ノブナガビアンコだが、彼自身はレース終了後、気まずそうに担当調教師から目を背けていた。
 少なくとも彼は、自分が恩人として慕っている担当厩務員に対しては「申し訳ない」という気持ちを抱くだろう。

「反省だけなら馬でも出来る」
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