ファウストの聖杯 ―Please Burn Me Out ―

明智紫苑

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本編、フォースタス・チャオの物語

ドクター・マツナガのお楽しみ

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「創造し、維持し、破壊する女神」
「アヴァロン史上最高の美神ミューズ
「誰も彼女にかなわない」
 華々しいキャッチコピーが次々と飛び出す。スター誕生。
 彗星の如く現れた若き新人女性シンガーソングライター、アスターティ・フォーチュン。彼女のデビューは、各界に衝撃を与えた。
 空色の眼とプラチナブロンドの髪が魅力的な、十代の天才美少女。彼女の出現は奇跡ですらあった。少なくとも、その美貌がより一層彼女の優れた才能を引き立て、それが彼女の存在を一層奇跡的に見せていた。
 もちろん、彼女に対して批判的な者たちも少なくないが、それはあくまでも単なるやっかみに過ぎない。特に、彼女のマネージャーの古巣だった大手芸能事務所〈ゴールデン・ダイアモンド〉の関係者たちの動揺がある。
「ミヨンめ、うまくやりやがったな」
 かつて、ミヨン・ヴィスコンティの有能さに嫉妬していた男性役員は舌打ちをする。自分より有能な女だというだけでも十分ねたましかったのに、さらに、往年の名プロデューサーの娘でもあるのだ。ただ単に「男である」というだけの男にとっては、彼女は実に「嫌な女」だった。そのミヨンが立ち上げた新たな会社は〈邯鄲ハンタンホールディングス〉傘下に入ったので、単なる弱小事務所とは言えない。むしろ、これからぐんぐん成長していけるだけの伸びしろがある。現に、他の事務所から移籍している芸能人やスタッフも何人かいるのだ。
 ロクシー…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンドは、その芸名が示すように、ゴールデン・ダイアモンド社の威信をかけて売り出されたタレントである。そのロクシーの立場を脅かすスターの卵が現れた。これは大事件だった。

 ロクシーは以前から華麗な男性遍歴を売り物にしていたが、今の彼女はますます奔放に振る舞っている。表向きには相変わらず女王然としているが、そんな彼女に対して焦りを見出す者も少なくない。そもそも、ロクシーは元々ファッションモデルであり、アスターティほどの音楽的才能はない。彼女はあくまでも、美貌とファッションセンスを売り物にする「美人のプロフェッショナル」であり、決して「音楽家」ではない。
 その美貌には、以前はほとんど表には出なかった険しさが表れていた。



「フォースタス、まだまだスランプが続いてるようだな」
「まあ、な」
 ヴィクター・チャオとブライアン・ヴィスコンティは、飛び級で大学を卒業して就職していた。ただし、就職先はブライアンの母ミヨンが社長を務める芸能事務所、すなわち〈邯鄲ドリーム〉である。
 ヴィクターは、この事務所の社員であると同時に、駆け出しの放送作家でもある。彼の企画力は「さすがはフォースタス・チャオの弟だ」と高く評価されていた。中には、兄フォースタスの小説やエッセイを元にした番組企画もあった。そんなヴィクターにブライアンは言う。
「母さんが言っていたけど、母さんはお前に社長の役職を譲ろうと思ってるんだ」
「え!?」
「そもそも、〈邯鄲ドリーム〉自体が邯鄲ホールディングス傘下の会社なんだし、何よりも、母さんはアスターティのマネジメントに専念したいんだ」
 ヴィクターは、予想外の重圧に悶絶しそうだった。
「な、なしてお前じゃなくて俺なの!?」
「俺は社長って柄じゃないよ。それよりも俺は、今のフォースタスの様子が気になるね」

「最悪の事態が起こっちまったが、今さら悔やんでもしょうがない」
 アガルタのフォースタス・マツナガは、タブレット端末を手にして、ため息をついた。あれから一年、三文ゴシップレストランのメニューは常に入れ替わり続けるが、フォースタス・チャオはいまだに表舞台から遠ざかっている。今は大学を休学中であり、友人知人との付き合いなどは必要最低限にとどめている。
 あの時、シャン・ヤンとシャンゴ・ジェロームはマークをマークしていたが、マーカス・ユエは二人が油断した隙に我が家に駆け込んだ。そして、両親と弁護士とフォースタス・チャオが話し合っている隙に台所に入り、一本の包丁を手にして、応接室に乱入した。ヤンとシャンゴが家に入った時には、すでに手遅れだった。
 フォースタスはため息をつく。自分と同じファーストネームのあの男、あの屈折が目に見えるようだ。
坊主ラッドめ、そろそろ立ち直っても良さそうだが、それはあいつ次第だな」
 フォースタスはグラスに麦茶を注ぎ、飲み干す。

「そうだな、あいつを旅に誘おう。親子水入らずで。ヴィックも一緒にな」
 シリル・チャオは一人、会長室でつぶやいていた。
 息子フォースタスの婚約者であるアスターティ・フォーチュンのデビュー曲は、たちまちヒットチャートの上位に駆け上がった。プラチナブロンドの髪と空色の目の天才美少女は、あっという間に売れっ子になった。
 彼女が所属する芸能事務所〈邯鄲ドリーム〉は、シリル率いる邯鄲ホールディングスグループ傘下の会社だが、先ほどシリルの末子ヴィクターが新たな社長に就任したばかりである。しかし、しばらくは、アスターティのマネージャーである前社長ミヨン・ヴィスコンティが実質的な司令塔である。
 邯鄲ドリームのオフィスは、邯鄲ホールディングス本社のビルの中にある。シリルは、そのオフィスのある階に降りた。



 アヴァロンシティの繁華街には、あちこちにカジノがある。庶民的なゲームセンターのキッチュな華やかさとは比べ物にならないくらいの、洗練された豪勢さの洪水が客たちを興奮させる。
 バニーガールたちは、天然の人間もいればバールもいるが、髪や目の色だけではどちらか区別がつかない。色とりどりのバニースーツに身を包んだ美女たちは、目を輝かせて客たちに微笑みかける。
 男性スタッフたちもまた、選りすぐりの美丈夫たちが集められているが、こちらも天然の人間とバールの区別がつかない。このような場で働くバールたちは十中八九民間企業製だが、さすがに、人間離れした身体改造は施されていない。
 客たちの中には、身体改造済みのアウトサイダーたちもいるが、さすがにVIP向けのフロアには、彼らはいない。そのようなフロアはパワーエリートたちが出入りするものだと、相場が決まっている。
「アヴァロンはバビロンだ」
 すっかりスッテンテンになった客は悪態をつく。そんな客たちを尻目に、一組の男女がカジノビルの中にあるバーに入る。

「あの坊主ラッド、何とか立ち直るかな?」
「さあ…どうかしらね?」
 フォースタス・マツナガは、巨大カジノの中にあるバーでミヨン・ヴィスコンティと語らっていた。彼自身はカジノで賭け事はしない。彼が言うには「運と根性の無駄遣いはするな。いざという時に在庫切れだとまずいからだ」。いかにも彼らしい発言である。
「まあ、それよりもあの娘の方が心配か」
 アスターティは、何事もなかったかのように、仕事と学業の両立を果たしている。彼女の楽曲は、インターネット配信だけでなく、アナログレコードやコンパクトディスクという形態でも発売されている。この時代においては、そのような超古典的なアイテムが一部の好事家たちに好まれているのだ。
 それもまた、「伝統文化」の維持。彼女の写真集は、電子書籍だけでなく、紙の本としても発売されている。
 屋外広告を飾る、プラチナブロンドの髪と空色の目の美少女。彼女は、男性たちだけでなく、女性たちからもファッションリーダーとしても支持されている。いや、むしろ女性ファンの方が多いかもしれない。
 楽園から生まれた「美神ミューズ」。しかし、この女神は悩んでいる。
「ねえ、フォースタス。何かいい案はないかしら?」
「いい案?」
「あの子のステップアップだけでなくて、あの二人を仲直りさせる方法よ」
 こんなところに、フォースタス・チャオの話題が出た。あの屈託だらけの青年が一番の問題であり、キーパーソンだ。
「あいつ、一部で話題になっている劇団で下働きしているだろう? そいつらと連絡は取れないか?」

 カジノの外では、身体改造のアウトサイダーたちが騒いでいる。中には〈飾り窓〉ゾーンからバールの娼婦や男娼を連れて来ている者たちもいる。色々な意味で、若気の至り。そいつらが他のチンピラ連中と因縁をつけ合う。この「バビロン」では、そんな場面は名物だ。野次馬連中がバシバシと写真や動画を撮りまくるが、そんな連中はチンピラ連中の逆鱗に触れてえらい目に遭う。
 ちょうどそこに、テレビ局の取材班が来た。例の「アヴァロン警察24時」のスタッフたちだ。

「何だ?」
「テレビ局の取材班ね」
「警察24時とかか?」
 フォースタスは眉をひそめる。彼はあの手の番組が少し苦手だった。
「それじゃあ、私、そろそろ帰るね」
「ああ、気をつけて帰りな」
 ミヨンはバーを出たが、フォースタスはカクテルをもう一つ注文した。この男はいわゆる「ザル」だった。そこに新客が来た。年格好は二十代後半。見るからに才色兼備であるのが分かるいい女だ。
「こんばんは、ドクター」
「お前、ジェリーか?」
「隣、いい?」



「フォースタス、あなたに逢いたい」
 アスターティ・フォーチュンは一人、自室で物思いにふけっていた。
 フォースタス・チャオ。
 子供の頃から恋焦がれていたひと。彼と彼女が婚約したのは、研究機関〈アガルタ〉の計画に基づく「実験」だが、彼女にとっては、そんな事などどうでも良かった。
 彼女がまだ幼いうちは、フォースタスは優しく接してくれた。しかし、フォースタスは徐々に彼女と距離を置くようになった。
 他に好きになった異性がいたから。もちろん、フォースタスはアスターティに何も言わなかったが、アスターティは彼に対して他の「女」の影を感じていた。
「私がフォースタスを好きなのは、計画なんて関係ない。ただ単に、あの人が好きなだけ」
 もう16歳。いや、まだ16歳。このもどかしさ。彼女はますますいらだった。
 ただ、不幸中の幸いは、彼女が最愛の男との関係以外に生き甲斐を持っている事だ。他のバールたちが私利私欲抜きで縁の下の力持ちの仕事をしているのとは対照的に、アスターティは自分がやりたい事を仕事にしている。
 他の人造人間たちには許されない生き方を、彼女には認められている。しかし、彼女の正体は、世間ではトップシークレットである。
「確かにあんなひどい事はあったけど、私はあの人を嫌いになれないし、なりたくない」
 アスターティは部屋の灯りを消し、布団に潜り込んだ。せめて、夢の中では最愛の人に逢いたいのだ。



 フォースタス・マツナガは、ミヨンが帰ってからもバーにいた。彼の隣には、艶やかな銀髪の若い美女がいた。
 ジェラルディン・ゲイナー。アヴァロン市内の病院に勤務する内科医である。彼女はロックバンド〈フローピンク・アップルズ〉のリーダー、マリリン・ゲイナーの姉であり、アスターティの友人フォースティン・ゲイナーの姉でもある。
 フォースタス・マツナガは、彼女の両親の古くからの知人だった。ゲイナー姉妹の両親もまた医師であり、今は自分たちのクリニックを開業しているが、いずれは長女ジェラルディンにクリニックの経営を任せようと考えているらしい。
「男も女も、なかなか初恋相手の呪縛から自由になれないもんだな」
「あら、私は初恋相手の顔なんて忘れたわ」
「ほほう、現実主義か?」
 フォースタスは、ジェラルディンをからかうように言った。ジェラルディンは言う。
「過去はあくまでも過去よ。後ろを振り返るばかりじゃ、前に進めないじゃないの?」
「ふふ…。まあ、いいさ。続きはホテルで話そうか」
「そうね」
 女は、不敵に微笑んだ。
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