Avaloncity Stories(掌編集)

明智紫苑

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Han Xin the Spinner

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「やはり、俺とあいつは親子だな」
 ブティックの試着室の鏡に映るバイカーファッションの男は言う。
「似合うわね、しん
「ありがとう、魏姫ぎき
 二人は買い物を済ませ、店を出た。
 あれから二千年以上経つ世界、かつて「国士無双」と呼ばれた男は、秋の空を見上げる。筋骨たくましい長身の体格に、長い脚。精悍にして、端正な顔立ち。黒のライダースジャケットに黒のジーンズ、黒のエンジニアブーツ。現世に蘇った彼は、息子果心かしん韓毅かん きと瓜二つだった。
 漢の三傑の一人、淮陰わいいん韓信かん しん
 かつて、彼は一介の庶民の子だった。幼くして父を亡くし、女手一つで育てられた。そして、母と死に別れてから戦場に身を投じ、流浪の果てに漢中王劉邦りゅう ほうに仕え、大将軍として覇王項羽こう うを滅ぼした。
狡兎こうと死して走狗らる。だけど、俺自身の資質は、犬よりもむしろ猫に近いものなんだ」
 彼は無実の罪で処刑された。一人息子である韓毅…果心は父の妾と共に逃げ延び、密かに山に籠もり、子を成した。そして、呉王劉濞りゅう びを焚き付けて謀反を起こさせたが、果心は父の旧友鍾離眜しょうり ばつの息子に追い詰められ、河に浮かべた小舟の上で焼身自殺を図った。
「毅は…果心は運命のいたずらによって、炎の魔神として蘇った。そして、俺はあいつと久秀を通じて生まれ変わっただ」
 あの白い女神が果心を性的な意味で貪り食い、韓信は息子の息子、すなわち自分自身の孫として生まれ変わった。そして、果心とイシュタル双方の魔力を受け継いでいた。
 魏姫は、彼のお目付け役としてついてきているが、二人はいつしか親密な仲になっていた。彼女は元々信陵君魏無忌ぎ むきの娘だったが、父の死後、魏国を滅ぼされた際に秦王せいの後宮に入れられた。彼女は最初の夫と死に別れたばかりだったが、秦王は彼女が信陵君の忘れ形見であるのに興味を示し、自らのそばに置いた。

「あの人はフォースタスとアスターティに育て直されている」
 魏姫は言う。
「あの人?」
「政よ。生まれ変わって、念願の不老不死を得たけど、皮肉な事に永遠の10歳児。だから、フォースタスもアスターティも、政がお酒を飲むのを許さないの」
 政。すなわち、いわゆる秦の始皇帝。かつてはフォースタスの敵だった男。
「あの男は、俺たちの人生に対して決定的な影響力があった。俺たちだけではない。この世界全体に対して、だ」
 韓信はかつて自分が生きていた時代を思い出す。
「俺はを追いかけていた。そして、超えたいと思っていた。それを快く思わぬ者たちは少なからずいた」
 どこからか、レディー・ガガの曲『Poker Face』が流れてくる。
「ああ、そうだ。ガガという女も多分、俺と同じだ」
 韓信は自嘲的に苦笑いする。
 レディー・ガガであれば、素直に「私はマドンナの弟子です」と認めるであろう。しかし、彼はガガほど謙虚ではなかった。少なくとも、日本の某歴史小説家は彼を「傲慢な愚か者」だと軽蔑している。
 マドンナに対するレディー・ガガ、ディープインパクトに対するオルフェーヴル、そして楽毅に対する韓信。その図式はまさに、ギリシャ神話のアテナとアラクネだった。韓信はかつての謀臣蒯通かい とうとの問答を思い出す。
「あなたは楽毅がく き将軍の再来だ」
「私は私です。他の誰でもありません」
 俺はあの人の偽者コピーキャットなんかじゃない。韓信は蒯通の冷ややかな目を思い出す。この男は内心、俺を見下して、蹴落としそうとしている。そう思った彼は、蒯通を追放した。しかし、結果的に彼は蒯通の悪意通りに失墜し、死んだ。
「俺は果心の魂の奥底に潜み、眠り続けた。果心は鍾離眜の息子に追われ、河に浮かべた小舟の上で焼身自殺を図り、炎の魔神として蘇った。あいつは唐の時代に日本に渡り、鬼一法眼きいちほうげんと名乗って、俺みたいな奴の師匠になった。そして、あの松永久秀と出会い、緋奈ひなと出会った」
 果心の本名「韓毅」は、父・韓信が楽毅を尊敬していたゆえに、楽毅にあやかって名付けたものだった。本来、名とあざなは互いに関連性を持つものだが、果心はなぜか、本名の「毅」とは無関係の「果心」という字を名乗った。

《悲しい人だ》
 そのひとの唇と舌の甘美な感触。彼は彼女の眼を見つめる。これがある意味「最後の晩餐」か。
 呂雉りょ ちは澄んだ眼をしている。血のように赤い薔薇のような女は、亡き妻楽波がく はにも負けず劣らず美しかった。
娥姁がく様、最後に一言言わせてくれ。俺は楽毅将軍ではない。だけど、俺の名声があの人を超えるのを許せない男がいたんだ」
「その男は何者か?」
「蒯通という説客だよ」
 呂雉は韓信の頬を優しく撫で、顎を撫でる。白く滑らかな手。彼は彼女に自嘲めいた微笑みを見せる。
「そなたはこれから罪人として死なねばならぬ。だが、そなたの将才は後世まで語り継がれよう」
「ああ、もう未練はない。さっさとってくれ」
「分かった」
「ありがとう。あなたに良かった」
 呂雉は部屋の外にいた兵たちを呼び出し、眼を閉じて微笑む彼の首を刎ねさせた。

「また性懲りもなく、ついて来るか」
 あの店を出た時から怪しい気配がある。韓信は何者かに呼びかける。
の手先か?」
 韓信はその気配に対して身構える。右手の指から赤い糸が五本、左手の指からも赤い糸が五本、ゆらゆらと生えて、伸びる。糸は意思を持つ生命のようにうごめき、血のように赤く艶やかに空間に広がる。
「俺は運命の糸を紡いで操る者」
 彼は十本の糸を束ね、強靭な綱にまとめて敵に投げつける。敵は鋼の綱をかわし、彼に鋭い爪を向けて襲いかかる。
 韓信は綱の端を爪から一瞬切り離してから、鞭のようにつかみ直す。彼は敵に赤い鋼の鞭を飛ばし、しばく。手応えあり。しかし、敵は鞭のしがらみから逃れ、再び韓信に飛びかかる。
「くそっ! うっとうしい!」
 韓信は綱の鞭を剣に変え、敵に斬りかかる。かつて彼の父親の形見だった剣をイメージして作った剣だ。肉を斬る感覚はあった。しかし、またしても見えない敵は攻撃を逃れ、韓信に飛びかかる。
「邪魔くさい!」
 韓信は見えざる敵の下腹部を蹴るつもりで飛び蹴りを喰らわす。しかし、敵は一瞬四散し、再び一つにまとまった。
 気がつくと、辺り一帯が闇に包まれていた。魏姫は敵の瘴気にやられたのか、その場にうずくまる。
「魏姫!」
 敵の気配は、いつしか一つだけでなく、無数の妖気が彼らを取り巻いていた。
「な、何だ貴様ら?」
 韓信はそれらの気配の中から、見覚えのある顔を見た。
「お前は、龍且りゅう しょ…?」
 ―そうだ。こいつらは、俺が倒した敵どもの悪霊だ。
 陳余ちん よ趙歇ちょう あつ、そして…かつての親友鍾離眜。
「そうか…お前らは俺の罪の意識の具体化なのか? だが、俺はお前らに倒される訳にはいかない!」
 韓信は剣を持ち直し、悪霊どもに立ち向かう。まるで生身の人間を切り裂くかのような感覚。
「くそっ! 消えろ!」
 ―ああ、垓下の戦いでの項羽のようだ。だが、項羽には俺のような「後悔」はなかっただろう。
「やはり、お前は『長者』ではないな」
「眜…!」
 鍾離眜は哀れを込めた微笑みを見せる。韓信は剣を持つ手を止める。
「眜、やはりお前は子供の頃から俺を見下していたのだな」
「そういうお前こそ、子供の頃から変わらないな」
「変わるものか。俺は俺だ。それ以上でも以下でもない!」
 韓信は鍾離眜の首を切り裂く。かつての親友の首が飛び、その途端に周りの瘴気は消え失せた。

「俺はゲーテのファウスト博士みたいなクソ野郎だ」
 韓信は吐き捨てる。先ほどの魑魅魍魎たちとの叩き合いとは裏腹に、彼は自己嫌悪に取り憑かれていた。
「楽毅先生は言っていた。戦を快楽の道具にするな、と」
 魏姫はうずくまる韓信の背中をさすり、彼の頭を抱きかかえる。どうやら彼女は先ほどの瘴気から解放されたおかげで不調からも解放されたようだ。
「魏姫。俺は、もう戦いたくない。戦争なんて、芸術でも何でもない。俺はいかなる娼婦たちよりも罪深い男だ。娼婦たちは自らの生活のために、自らの身を売る仕事をしているだけだが、俺のかつての仕事は何も生み出すものでもない」
 韓信の両眼から涙が溢れ出す。
「俺は運命の糸を紡いで操る者。だけど、その運命は血の色で汚染されるものでしかない。俺は罪人だ!」
 彼の前に一人の男が現れた。
「先生!」
 韓信は楽毅に抱きつき、泣きじゃくる。楽毅は彼の頭を撫でる。
「先生、俺はもう誰も殺したくありません!」
「信、君はもう誰も殺す必要はない。魏姫と共に私と帰ろう。ハワイの〈ネオ・アガルタ〉に」
 三人の前に、〈ネオ・アガルタ〉への入口が開く。彼らはその中に吸い込まれた。
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